第八章 砂漠の国の攻防戦、異界人同士の遭遇 前編

 晶と祭理は、アイシャがバイアルジャンに戻る前に彼女に追いつくことができた。


「デスが……、アそこにハまだ家族が……ッ」


 戦争の舞台になるかもしれない街にこれから訪れるのは危険きわまりない。だけど、血走った目でそう言うアイシャを引き留めることなど誰にもできなかった。

 結局、晶と祭理とアイシャの三人は、やってきた道を遡るようにして、バイアルジャンに向かった。

 借りた馬に乗っての旅路で、お尻が痛くなったけど、そうしなければ同じく馬を借りて先行していたアイシャに追いつくことはできなかったし、戦争が始まるまでの時間が残り少ない今、他に方法はなかった。

 そして地中庭園を離れて三日目。明日にはバイアルジャンにたどり着ける、という距離まで来たところで、馬車を急がせていた旅人と行き会った。

 馬車なのに荷物は空で、取るものも取りあえず戦争から避難している様子のその旅人に、情報を求めて話を聞いてみると、どうやらローデシア聖王国とムラート砂国による緒戦は、ローデシア聖王国の勝利に終わったらしい。

 開戦時の野戦が行われた場所はバイアルジャンにほど近いムラート砂国とローデシア聖王国の国境線近くの荒野だったとか。

 

「へえ……どこで戦うとか決めて戦うんだ……変わってるね」


 晶はそう反応したが、実際のところ、それがこの世界の通常の戦である。

 国同士がお互い軍隊を率いて戦うとき、阿吽の呼吸のようなもので決戦場所が決まる。場合によっては、使者を派遣して場所を定めることもある。

 遭遇戦や偶発戦がないとは言わないが、大規模な軍を動かしながら適当に戦端を開いてしまうと戦の形にならずに無駄に兵を損耗してしまうことのほうが多いためである。

 地球の現代人である晶や祭理の感覚とはちょっと違うのだ。

 という話はよかったのだが、旅人の男が「で、負けたムラートの連中はバイアルジャンに立てこもって防衛戦をやるつもりらしいな」と言った途端、空気が不穏になった。


「ソんナ……」

「えっと……どゆことなの?」


 褐色の肌に浮かぶ薄桃色の唇を噛みしめるアイシャに、おそるおそる晶が聞く。

 すっかり興奮した様子のアイシャが発する鬼気迫る気配に押されつつ、防衛戦というものがどういうものであるかの説明を聞いた晶と祭理が理解して頷く。


「そっか……町の人が残ってるところで戦争するんだ……」

「兵士さんたちなら怪我してもいいってわけじゃないですけど〜。困りましたね〜」

「急げバ、戦イの前に家族ヲ連れ出せルかもしれナイ……ワタシはいきマス」


 返事もまたず馬に拍車を入れるアイシャに、晶と祭理は顔を見合わせてから同様に馬を走らせた——。


   ★


「本当ニ、良いノですカ?」


 それは実に三度目の問いかけだった。

 晶たちがバイアルジャンに着いたときには、ローデシア聖王国軍により、街に相対する陣が構築されつつあった。

 中央に騎兵を、その両翼に歩兵を配置するという聖王国ではもっとも標準的な陣構えだ。平和な日本育ちである晶たちどころか、現地人のアイシャも誤解していたのは、この軍隊が全軍ではなく先遣隊に過ぎないという事実だろう。

 数にして八千強。

 包囲陣ではなく、街に相対するように方形陣を組んでいるのは数の不足によるものだ。

 

「戦いが始まる前にぱっと行って、家族のみんなを連れてぱっと逃げればいいんでしょ、っていうか、ボクが止めたってどうせやるんじゃん? アイちんは」

「イエ、ソういうコトではナく……」

「アイシャさん、無駄ですよ〜。晶ちゃんはこういう子ですから〜」

「……危険、デス」

「危なかったらすぐに逃げるから、大丈夫。石食いだってなんとかなったんだし……」


 会話を続けながら、晶たちはローデシア聖王国軍が陣を構築している反対側から街に近づいていた。到着したばかりのようだから、多分、今日一日は戦争にはならないし、翌日は降伏勧告から始まるというのがアイシャの読みである。

 この辺については、この世界の人間であるアイシャの知識が晶や祭理の常識よりは当てになった。


「素直に通してくれるといいんだけどなぁ〜」

「こういうのって、この世界に来てアルケインの街について以来ですよね〜」

「そういや、あのおっちゃん今どうしてるんだろう、ほら門番のさ……」

 

 目立たぬように、徒歩で街を守る市壁に向かって歩みを進める。平和にぺちゃくちゃおしゃべりをしながらである。いきなり射かけられないように、アイシャが白旗を振って歩いている。

 周辺には、ローデシア聖王国軍の斥候の軽騎兵ぐらいは出ているのだろうが、白旗を持っている少女たち三人に威力偵察を試みる理由が思いつけなかったのか、単に手薄で発見されなかったのかは分からないが、結局、何事もなく彼女たちは門のそばまで近寄ることができた。

 バイアルジャンの街を守る壁と門は、砂漠地帯のせいか、アルケインの灰緑色の煉瓦を積み上げた中世ヨーロッパの城塞都市とはやや異なった様相だ。水に溶かした土を型に流し込んでから表面を乾燥させて作るのだろうか、一見のっぺりとした一枚板のように見える白茶色の壁で街の外側を囲っているのである。

 壁自体はこちらのほうが分厚いが、古くなっているところがあるのか、一部壊れていて、そこからは心材にしているのか組んだ丸太が顔を覗かせている。

 戦車とかに体当たりされたら壊れそうだ、と現代人の晶などは思ってしまう。

 門のそばは静まりかえって、風が砂を巻き上げているだけだった。

 しかし、無人なはずがない。矢を射かけるためにくり抜かれていると思われる四角い穴が並んでいるから、その向こうには誰かしら隠れているはずである。少し前、城壁の上にも人が見えたような気もした。

 大半はローデシア聖王国軍の陣のほうに集中しているのであろうが、裏門に誰も待機していないということはないはずだ。

 そろそろ弓の間合いに入るはずで、降っている白旗——この世界でも不戦の意志を白旗で示すらしい——が弓兵隊にちゃんと見えていることを祈るだけ。

 しかし。


「参ったなァ、おい」


 大気がゆらいで、滲みが出来たと思うと、色を変えていき——。

 そこから、唐突に一人の少年が姿を現す。

 

「お前ら、ここになんの用だ。危ねえぞ」


 予期せぬ人の登場に驚くアイシャと、驚きと同時に、懐かしいものに目を細める晶と祭理。

 髪を赤と金色の二色に染め分けた少年は、日本でも普通に見かけるような飾りが多少ごてごてした革ジャンの下に、のだ。

 ちなみに刺繍された最初の単語はFから始まる四文字言葉であった。

 プリントTシャツを作る技術はこっちにはないので、意図的に注文して作ったのだろう。けっこう悲惨なセンスだと晶は思った。革ジャンもなんかトゲトゲしてるし。

 

「キミってさ……日本人だよね?」

「あ? なんだおい、同郷かよ。こっちで日本人と会うとはなァ。マジでだぜ」


 晶たちがここで出会ったのは、飽浦将人だった。

 実のところ将人はバスの中で晶たちと一緒だったので、面識がないわけではないのだが、すれ違っただけの他人に過ぎないとも言えた。

 覚えてないのも当然だろう。


「お前ら三人とも……って、そこの銀髪の姉ちゃんは流石に違うか。でもそっちの巨乳は日本人なんだろォ?」


 がっしりした体格で眉が太く唇の厚い無骨そうな将人が、へらへらと言う。

 頭がツートンカラーでなければ、あるいは馬鹿みたいな服装をしてなければ違和感があっただろうと思いつつ晶はその態度に愁眉をつり上げた。

 しかし、言及された祭理のほうは、あらあらと小首を傾げて、次のように言った。


「私の名前は垂枝祭理です〜。巨乳、なんかじゃありません〜」


 いや、巨乳は巨乳じゃん? と晶は思ってしまう。


「はっ、垂れ乳かァ、笑えるな——」

「殺しますよ」


 一転して空気が氷点下。

 将人の揶揄に対する、祭理のシンプルな反応に含まれているのは、それこそゴキブリでも相手にするような嫌悪感だ。

 ——うわー。祭理ん、まじで怒ってるよー。やっばいな……。

 晶はこれまで祭理を本気で怒らせたことはない。

 一度だけ、本気で怒った祭理を見たことがあるので、そういうオーラを漂わせているときの祭理には近づかないし、自分が原因で怒らせたときは瞬時に謝るようにしよう、と決意していたのだ。

 これから起きる悲劇を放置できない晶が率先して口を開いた。


「まー、とりあえずさ、そこ通してよ。ボクたちは街の中に用があるだけなんだよね。その用が済んだら、またすぐ出て行くしね……ね、いいでしょ?」

「や〜〜〜だ〜〜〜ね〜〜〜」


 馬鹿にしたような音頭を付けて、将人がにやにやと笑った。


「なんでさっ!」

「どうしても通りたかったら、俺を倒していくんだなァ。お前ら、そんな格好してるってことは、それなりに魔法とか使えるんだろォ。退屈してるんでな……遊ばせてくれや。安心しな、俺は同郷の奴、しかも女を殺したりしねェよ……ちょっとしたゲームさ」

「——そんな、わけわかんない遊びに、こっちはつきあってらんないの!」


 アイシャが泣きそうな目になっているのに気づいている晶はそう言うが、将人にはその言葉は響かない。


「別にこのままここで止まってるってんならァ、それでもいいんだぜ?」

「——っ。……アイちん、祭理ん。先に行って。こいつはボクが相手をするっ」

「あら〜。私もる気満々ですけど〜」


 息を飲んだアイシャと、なんだか物騒なイントネーションの祭理をおいて、晶は一歩前に進み出ると、短杖ロッドを掲げた。


「地を焼け、空を焦がせ、爆ぜる灼熱——火球ファイアボールッ」


 地中庭園で血吸いコウモリには使わなかった火炎術の中級魔法、火球ファイアボール

 ゲームや漫画の世界でも定番の魔法である火球ファイアボール。同一の名称を持つ——正確には晶や祭理には、理由は不明だが同じ名前に聞こえる——この魔法は、やはりこの世界においても攻撃魔法の代表格であった。

 異界人特有の魔法適性の高さ、引いては魔力量の多さにより生み出された火球のサイズは、バスケットボール大を遥かに通り越して、バランスボールぐらいはある。ちびっ子である晶の身長とあまり変わらない。

 その火球が、一直線に将人——晶たちはまだ名を知らないが——に飛んでいって。

 激突した。

 すると火球は爆発炎上する。この辺りが火球の魔法が中級魔法であるゆえんだ。ただの火の塊ではなく、爆発の衝撃によって殺傷力を高めているのだ。


「うがあああああぁ」


 焼き焦がされる将人——。

 晶は、目を見張った。

 ——えっ、うそでしょ、あんな自信ありげだったのにこいつ、本当は激弱いの? やっちゃった? 人殺し?

 冷や汗がこめかみに浮かぶ。

 一年の間に修行をした晶だが、意図的に人に怪我をさせたことはない。

 思わず動揺するが。


「な〜んてなァ」


 今も上半身を炎に包んだままの将人が、にやぁと笑った。


「うっそ……効いてない?」

「なんか鬱陶しいな、消えろや」


 愕然とする晶の前で、将人が軽く身震いすると燃え上がっていた炎がかき消される。身体どころか、革ジャンでさえも焦げ目の一つもなく、無事。


「で、わりぃけど、誰一人、街に入れるわけにはいかないんだよなァ」


 形作った笑みをそのままに、将人が晶の方に突進してきた。早い。

 何か別の魔法を——と考えながら、引き戻していた短杖ロッドを突き出すが、そのときにはすでに将人はすぐ近くまでやってきていた。

 判断が間に合わず、反射的にさっきと同じ魔法を詠唱キャストする。


「地を焼け、空を焦がせ、爆ぜる灼熱——火球ファイアボー——っ?」


 短杖を掴まれた晶が目を丸くした。

 次の瞬間——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る