第七章 服を無くした少女たちに、迫りくる恐怖のにょろにょろ 後編

 晶は息を潜めた。それは何故か。

 勘付かれたくないからだ。

 最悪の破廉恥化け物エロエロモンスターに。

 晶、祭理、アイシャの一行は順調に地中庭園の深層から上層に向けて歩んでいた。第六層に近づけば、石食いと呼ばれるエッチな化け物は出てこなくなるらしい。だから、一心に上を目指していたけれど——七層と八層の間から七層を超えるところまでは順調だったんだ。


(……うう、キモイよお)

(晶さン、落ちツいテ。石食イはマダこっちには気付いテいマせんカラ)

(オリエンテーリングで歩いた雨上がりの山道を思い出します〜)


 うじょるうじょるうじょる。

 晶たちは、残り数百メートルというところで、地面を埋める石食いの群れと出くわしたのだ。広い大通りに二十匹を超える石食いがうごめいている。

 地面を埋め尽くすというほどでないのは幸いだが、突っ切るのはまず不可能。修学旅行前の班会議で初めて足を踏み入れた雨緒の部屋に隠してあった年齢指定のゲームみたいに、バッドエンド一直線だろう。あれ? グッドエンドなのかな?

 グーグルで検索してみたけど、まったく理解できなかったんだけど。うん。

 ……そういや、あのときは、祭理んに怒られたっけ。

 晶の視線が祭理の視線と絡みあって、祭理が首を傾げた。

 晶は首を左右に振って特に話したいことがあるわけではないと示す。

 こんなこと考えていても仕方ないな。


(……けど、どうしよう? このままじゃ上に戻れないよね?)

(石食イの数ガ少し減っテくれれバいいのデスが……)

(ぜんぜん移動する雰囲気がないですよねえ〜)


 祭理の言うとおりで、石食いの群れは気持ちの悪い粘液をまき散らしながら地面をのたうつばかりだ。名前の通りに土や石でも食べているのかと思ったが、時折地面を掘り返してはいるけれど、積極的にそうしているわけでもない。


(なんとかして追い払えないかな? アイちん、こいつらに弱点とかないの? 例えば火に弱いとか……)

(山ミミズだったら、アスファルトの上で天日に干されてカラカラになったのをたまに見ますよね〜)

(うう、気持ち悪いからそういうの言わないでよ、祭理ん)


 そもそも、直径で六センチから十センチぐらいはありそうな極太のミミズ——じゃなかった石食いが、天日干しぐらいでカラカラになるとは思えない晶だった。

 てゆーか、もし、こいつらに襲われたらこの太いのが……。

 顔からさーっと血が引いていくのを感じる。吐き気までしてきたように思えて、脳裏に浮かんだ光景を振り払おうと頭を振るが、余計な想像ほどしっかりとついてまわるものである。


(石食イは、熱に弱イと言われテいマス。第七層近辺ハ特別温泉が少ないのデ、この辺リに棲息していルとカ……)

(ん……じゃあ、焼いちゃう? 魔法は効かないって言ってたけど、一度魔法で出した火でも燃えていく分には自然の火と一緒だっていうし)

(それでいいんだとしたら、アイシャさんもそんなに心配しないと思うんですけど〜)


 晶の思いつきを否定したのは祭理。彼女は、うごめく石食いが不安なのか、何度か槌矛メイスを握り直している。

 さらに、時折ぶるりと震えていたが、濡れた水着姿のままでいたための寒さなのか、石食いの影響なのかは同じように気温的な意味での寒さと、石食いの性質を聞いてから感じている背筋が凍るような寒気をセットで感じている晶にも区別が付かない。

 ともあれ、祭理のその指摘は正しかったようで、


(ハイ、熱に弱イのは事実デスが、焼こウとスルと狂乱して暴れるソうデス。ソウなった石食イは、非常ニ危険だト聞イていマス)

(人間を引き裂く力があるんだよね……それはまずいか……あー、飛行フライの魔法が使えるようになってたらなあ。浮遊レヴィエーションだとちょっとこの距離と角度は心もとないんだよね)


 抑えたため息を吐きながら晶は言う。浮遊の魔法は維持し続けるだけでも魔力——と言われているが、晶の感覚では実際には集中力に他ならないのだが——がガンガン削られていく。五十メートル程度ならまだなんとかなるが、百メートルですらキツい。

 必要な距離は数百メートル。途中に石食いの少ないところがあるから、そこで一旦降りて、次のポイントへと渡り歩いていく手もあるだろうが、博打に近い。

 賭けるものが貞操だというのが洒落になっていない。

 ……命の方がまだマシだよねー。

 そう独りごちたとき。


(これはもう、諦めて進んでしまえばいいんじゃないでしょうか〜)


 ——は?

 晶はいちばんの友人の発言に耳を疑った。


「え、どゆこと? っ」


 声が抑えられてないことに気付いて、ばっと口を手で塞いだ。そのまま石食いたちの動きを注視する——気付かれて、いない。

 よかった……と胸を撫で下ろしてから、祭理に向き直った。

 いつもと同じ、どことなくぽやーんとした感じの余裕のある表情に迎えられる。その表情からはさっきの発言もなにか違う意味だったのかなと思ったが。


(いずれは失うものですし〜、この際仕方ないんじゃないですか〜)


 ——何言ってんのこのひと!

 さっき手で口を塞いでおいてよかった。

 危うく叫びそうになった晶は真剣にそう思った。どこからどう言えばいいのか高速な瞬きをしながら、祭理の顔をまじまじと見つめていると、


(犬に噛まれたと思って忘れる、という言葉がありますし〜)


 すげえ、なんだこいつ。

 いっそ感心してしまう。祭理とは中学に上がってからずっと付き合いがあるが、なんていうか、時々想像を絶した発言を繰り出してくるところがあったが、これは極めつけ。

 無理でしょ、まじ無理だってば。

 うじょるうじょるうじょる。

 いちばん近くで蠢いてる直径八センチほどの石食いに視線を落として、晶は身震いした。


(そ、そんなの、ぜったい——)

(駄目デス、祭理さン。石食イに卵を産み付ケられた人間ハ、二度ト人の子供ヲ作れなクなりマス)


 うわぁ……。

 アイシャのその説明は、頭のおかしい——絶対おかしいマジでおかしい——祭理の思いつきを否定する根拠になるものだったが……それを聞いた晶は、気を失いそうになった。

 

 この世界に来てしばらくすると、ここが夢の世界ではなく、暴力だとか犯罪に溢れていることを理解することになった。街での揉め事で、殴り合いの喧嘩をしているようなシーンには幾らでも遭遇するし。あちこちで戦争が起こっているらしく、どこぞで住人が巻き込まれて被害甚大だとか、そういう噂もちらほら聞く。

 しかも、この古代遺跡にいるような化け物だけでなく、魔獣・魔物と呼ばれるような危険な生き物が荒野を徘徊していることもあるらしい。

 なんだかんだで安全きわまりない日本で生まれ育った晶からすれば、この世界は、すっごく怖いところだった。

 だけど。

 

 ——ファンタジー世界とか、大っ嫌いだぁ〜〜〜。


 そんな風に叫びたくなったのは初めてだった。

 涙がちょちょぎれそうである。

 こんなことになる原因を作った雨緒はマジ馬鹿だしとっとと死んで欲しい。

 ……それは、ウソ。


(……なんとかする方法、ないのかなぁ)


 嘆息した晶に。

 誰かに聞かせるつもりだったとは思えない、囁き声のアイシャの呟きが耳に入る。


デもココにいレバ良かっタのデスが……)


「——いま、なんて?」


   ★


 二日後——。


「ふにゃふにゃ……」


 地中庭園の外側にある観光客用の宿屋で、晶はベッドに横たわっていた。羽毛の詰まったふっかふかの枕を抱きしめて、寝言を呟きながら、よだれを垂らしている。

 男子には見せられない格好だ。

 床に置かれたバックパックには、第六層に置きっぱなしだった道具アイテム類を回収したものも入っているが、基本的には手を付けていない。晶は、片付けがそう得意じゃないタイプの女の子である。

 きっちり詰めたものを取り出してお店を広げてしまうと、元通りに仕舞えなくなったりすることがある程度にはナップザック問題と相性が良くない。

 バックパックの隣には水筒が立てかけてある。

 地中庭園内で作った目覚めの朝露の入っている水筒だ。

 鎧戸を閉め忘れていたから、陽光が窓の外から入ってきて、その水筒を日差しで温めていた。が、目覚めの朝露は温めたぐらいでは変化しないので問題はない。

 つまるところ……晶たちはのである。

 地中庭園に潜り。

 血吸い蝙蝠の群れを退け。

 途中の温泉で休憩中に見舞われた崩落事故に対応し。

 石食い、という名の破廉恥化け物エロエロモンスターの名状しがたい恐怖も払いのけた——。

 そして、今こうして宿屋で惰眠をむさぼっているのであった。

 惰眠といっても、これはいちおう、使い切った魔力(集中力または精神力)の回復のためにも必要な行為だ。


「やったよ……雨緒のバカ、ボクに感謝……しろよなー」


 この際、枕に口を埋めて、ふがふがと寝言を吐き出す程度のだらしなさは許されるべきであろう。と……そのとき、鍵の掛かった扉に、遠慮のないノックがあった。

 どんどんどんどん。


「んにゃー?」


 枕を抱きしめたままごろんごろんと転がった晶が、鳴り止まないノックの音に目を覚ます。なんだろ……と思いつつ、片手で片手の肘を押さえて、ぐいーっと伸びをする。背中がきゅっと反って、存在感がほぼ皆無な胸が突き出される。


「むう……」


 なんだか不快な気分になりつつ、晶は椅子にかけていた短パンを穿くと、タンクトップの生成りの肌着に短パン、という無防備な格好のまま訪問客を迎える。


「んぁ……祭理んじゃん。どしたの」

「あらあら、そんな格好で〜……えっと、それはどうでもよくて〜、晶ちゃん、聞いて聞いて、アイシャちゃんが大変なの〜」


 強調するように手をぱたぱたと振りながら、祭理が部屋の中に入ってきた。話題の当人であるアイシャはいないようだ。


「ん、アイちんが、どしたん……?」


 続く眠気に、目元をぐしぐし擦って、晶は欠伸をした。例のピンチはもう一日以上前に乗り越えたんじゃなかったっけと思いつつ。強行軍で三層まで登って、比較的安全だということでそこで野営したときはまだ危険が残っていたが、それももう昔のことではなかったか。


「バイアルジャンの街が、ええと……なんとか聖王国の軍隊に、襲われそうなんですって〜」

「え?」


 どこかで聞いたことがあるような地名が出て、それってどういうこと?

 と言いかけて、はたと気付いた。

 晶と祭理が地中庭園を訪れる前に、最後の宿を取った街。そして、アカデミーを通じて観光ガイドのアイシャと出会った街の名前だった。

 えっと。

 つまりそれって……。


「アイちんの家族が危ないってこと!?」

「はい〜。そうなんです〜」


 晶はアイシャから家庭の事情を聞いていた。アイシャの家には兄弟姉妹が沢山いて、両親は共働きだったのだが、母親が病気で以前のようには働けなくなってしまったため、稼げる年代の子供たちが仕事をして稼がなきゃいけないのだと。

 遺跡の観光ガイドの仕事は、多少危険なこともあるが、アイシャの年齢でも出来る仕事の中では、かなり実入りがいい方で、数年間にわたって積極的に働いてきたので優良ガイド認定をもらったのだと。

 そして、晶たちと年代が近いことも考慮されて、ギルドから今回のアカデミーの探索のガイドとして推薦されたのだと……。


「やばいじゃん……アイちんはどこ? ひょっとして?」


 答えは晶の不安的中。


にバイアルジャンに向かってしまいました〜」

「そっか。じゃあボクたちも支度しないとね」

「そうですね〜」


 祭理は、なぜ自分たちもバイアルジャンに向かうのか、とは聞いてこない。脱ぎ捨てていた上着を椅子の上から取り上げつつ、晶はにかっと笑った。


 ——けど、やっぱ祭理んはボクの最高の親友だね!

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