第七章 服を無くした少女たちに、迫りくる恐怖のにょろにょろ 前編 

 地中庭園の第七層。と、半分。

 そんな中途半端な階層にまで流されてきた垂枝祭理たれえだまつりは、しばし意識を失っていた。

 目を覚ましたのは、誰かに揺り動かされたからだ。


「——理さン。大丈夫デスか?」


 んん、あと十分……と言いかけて、はっと気づく。

 ここは未だ地中庭園の中、だ。春休み中の学生のように、惰眠をむさぼっているわけにはいかない。

 と、そこで自分を起こしたアイシャの姿を見て、気づく。


「アイシャさん、それは?」


 アイシャは右腕で左腕を動かないように押さえていた。

 よく見ると、額に脂汗が浮いている。顔色も心なしか白い。


「落ちテ来るトキにブツけてシまっタようデス」

「ちょっと見せて〜」


 祭理は近寄って、アイシャの腕にそっと手を伸ばす。

 びくり、と震えたのは最初の一瞬だけ。怪我の程度をゆっくり時間をかけて確かめようとしたが、すぐ肩の脱臼だけで済んでいるようだと分かった。

 こういう知識が身についたのは、祭理がアルケインの街の治療院に通ってやっていた修行兼アルバイトのおかげだった。

 アイシャに地面に横になるように指示してから、すう、と息を吸うと、この一年で使い慣れた魔法の呪文を口にする。


「——安らげる息吹、優しき祈り、この身をしばし祝福せよ」

治癒ヒール


 治癒魔法が発動すると、白い光がアイシャの腕から肩にかけての部分を包んだ。


「痛みガ引イていきマス……」

「ごめんね〜」


 アイシャの気が抜けた瞬間、祭理が手にした腕を引っ張りながらくいーっと外転させた。


「ぇ——ッ」


 コリコリっとした感触と同時に痛みを覚えたアイシャが息を飲む。が、次の瞬間。


「ア……動カせそうデス」

「脱臼した関節を填めましたからね〜。今はまだ動かさないほうがいいんですけど、もう一度魔法かけるから平気ですよ〜」


 そして再び呪文詠唱。

 白い光が消え去った頃には、アイシャは腕の付け根に残っていた微妙な違和感さえ消えたことに気づく。試しに動かしてみるが、元通りと感じたようで、笑みが漏れた。

 そんなアイシャに祭理が笑いかけると、お礼が戻ってきた。


「祭理さンもスゴいデスね」

「どういたしまして〜。それより〜、ここはどこですか〜?」


 辺りを見回した祭理は、万華鏡の中に囚われたような絶景に目を奪われる。

 赤、青、緑、黄——色とりどりの鉱石が壁面を飾り、深さ故かだいぶ弱くなっている太陽光がそれらの色鮮やかな石に反射されていた。祭理の近くには、遙かな頭上から落ちてくる湯の柱があって、その飛沫が霧のようになっているから、天然のシェードのようになっており、向こうから透ける色とりどりの切り子灯籠のようだと

 ところが、質問に答えたアイシャの表情は曇っていた。


「多分デスが……七層と八層ノ間だと思いマス」

「あらあら、行き過ぎちゃいましたか〜。目覚めの朝露モーニングアムリタがあるのは、第六層でしたよね〜?」

「イエ……朝露は深部なラ、ドコにでモありマス。どちラかと言えバ、ココの方ガ簡単に手ニ入るカモしれまセン」

「でしたら〜……?」


 アイシャが浮かない顔をしている理由が分からず、祭理が問いかける。と。


「わわわわわわわわわ〜〜〜〜〜っ!」


 不意に頭上から、聞き慣れた叫び声が迫ってきた。


「晶ちゃん〜!」

「晶さン!」


 滝のように湯が落ちてくる穴から飛び出した水着のままの——ここにいる全員がそうだったが——晶が、湯水の塊から弾き出されて、空中を舞っていた。

 このままだと、祭理たちがいる「大通り」に落ちてくる。

 祭理は、自分とアイシャが落下したときの逆の発想で、晶の落下速度を弱めるために気弾フォースの魔法を放とうとした。

 自分たちが落ちたときは、着地の瞬間に床と二人の中間点に放ったのだが、今度は単に当てるだけなので簡単なことは簡単だ。だが、先ほどのアイシャの脱臼と、自分の失神を考えると危険であることに変わりない。

 迷っている時間はない。


気弾フォー——」

「わわわ〜〜〜。——落下速度低減フォーリングコントロールっ!」


 だが少しだけ早く。

 自由落下を続けていた晶の身体がふわり、と鳥の羽が空気抵抗にあったかのように落下の勢いを減じる。

 よく見ると、ふわふわとしたシャボン玉のようなコバルトブルーの膜が彼女の周囲二メートルほどを覆っている。

 初級の便利系ユーティリティ魔術の一つ、落下速度低減フォーリングコントロールは、落下速度を等加速度直線運動の枠に収まらないものにする。

 つまりは、魔法の力で効果範囲を下から支えてゆっくり落ちるようにする、というものだ。

 この種類の魔術の、より高度なものには浮遊レヴィエーション飛行フライがある。これらは飛ぶための魔法だが、落下速度低減はただ単にゆっくり落ちるためにしか使えないため、初級魔術なのである(その分、覚えるのも簡単だった)。


「あ、まつりん! アイちんも! 無事だったんだー」


 晶は、球状の膜に包まれたまま祭理とアイシャに手を振る。

 と、するるるると、落下の速度が加速する。


「やばいやばい——っと」


 晶が目を閉じて再び集中すると、落下の速度がふたたび元通りになった。継続発動型の魔術で、その勢いや度合いをコントロールすることが必要な魔術では、集中を切らせると効果が薄れてしまうのだ。


「も〜晶ちゃんったら〜。気をつけてくださいね〜」

「……アイちン……とは? モしやワタシのコトですカ……?」


 祭理が見守る前で、晶はゆっくりとした下降を続け、最後には水で濡れた地面にたどり着く。パチン、と魔法の膜が弾けて、着地タイミングが計れなかった晶がたたらを踏む。


「とっとっと」


 パシャパシャと濡れた地面を蹴り、祭理とアイシャが駆け寄ると、ジャンプした晶が二人に抱きついた。


「二人が無事で、よかったよー!」

「晶ちゃんは無理しすぎです〜」


 バランスを崩して倒れそうになりつつも、祭理が晶を支えて笑った。ところが。


「どうシて降りテきてしまいマシたカ……?」


 アイシャから晶に向けられたのは批判的な視線だった。

 その真意を祭理が問うより早く。


「ともカく、場所ヲ移しまショウ。に見ツかる前ニ、上に戻る必要ガありマス」


 褐色の娘はそう言うと先に立って歩き始めた。

 有無を言わさぬ態度に祭理は晶と顔を見合わせ、少し遅れて後について行く。

 歩きながら、祭理は疑問に思う。とはなんだろう。地中庭園に入る前、アイシャからダンジョン内に棲んでいる化けモンスターについての説明があったが、その名は初めて聞くものだった。

 尋ねてみようと口を開きかけたとき。

 祭理の前に進んだ晶が、ようやく辺りの幻想的な光景を直視したのか、感嘆の声を上げる。


「すごいね、この辺り! 綺麗だなー。……あ、そうそうアイちん、この弓、持ってきたから」

「アリがトうゴざいマス」


 差し出された短弓を受け取るアイシャの様子は、やはりおかしい。顔色が青いのは脱臼のせいだと思っていたが、そうではないようだ。こうなると推測は難しくないですね、と祭理はひとりごちて。


「さっきの〜。石食いというのはなんですか〜」

「地中庭園ノ最深部に生息すル、絶望的な化け物デス……出会ったラ死にマス」


 祭理の問いかけに、先を進む足を一瞬足りとも緩めずに、アイシャは答える。


「一体、どんな生き物なの?」

「色ハ黒かラ茶色が多く、白の個体モありマス。大きイ蛇ノようナ姿をシているのデスが、ソノ体は金属でデキていマスので安物ノ剣や刃物では傷一つツケられまセん。力は強ク、人間ノ体程度ナら容易ク引きチギるパワーがアリます。ソれだけデハなク……魔法モ殆ド効キまセん」

「……無茶苦茶だね」


 いつも陽気な晶もさすがに言葉に詰まった。そこに、


「サらにぬるぬるシてきマス」

「……へ?」

「え?」


 想像外の単語が出てきて、祭理と晶は揃って首を傾げた。


「ぬるぬる?」

「するって……どういう意味ですか〜?」


 二人で一人のように発言をシンクロさせて確認すると。


「ツマり……触手……プレイされマス。女の子にトッテは悲劇デス。出会ってモ、命の危険はナイが、女子の場合ハ嫁ニ行けナクされるト言わレてマス。砂漠の民族の場合、結婚前ニ……純潔……を失ウと結婚は無理デス。……社会的ニ死にマス」


 ……。

 沈黙が、落ちた。

 露骨な表現を避けたとしてもそれでも言いにくかったのだろう、アイシャは顔を二人の方には向けてこず、明後日の方向を見ている。


「急ぎましょう〜」

「いや、ダッシュしよう」

「そうですね〜。それが正解ですね〜」

「うん、じゃあ——」


 冷や汗を浮かべた二人が、駆け出そうとしたところをアイシャが手を伸ばして制した。


「待っテ下さイ。石食いハ土の中にイて、獲物ノ振動を感じトル生き物デス。ナるベくゆっくリ急ぐのデス」

「ゆっくり急ぐって……いや、うん、信じるけどさ……うわあ、降りてこなきゃよかったあ」


 囁くように喚く、という器用な反応をしながら頭を抱える晶。


「しかし、そういうことなら、みんな水着のままというのは〜。晶ちゃん、着替えは持ってこなかったんですか〜」

「持ってきてない。——ってそんな顔しないで。まさかそういう危険があるなんて思ってなかったんだもん。ロープとか、ランタンとか、携帯食とかそういうの優先するじゃん普通」

「う〜ん。しかたないですよねえ〜」


 女子しかいないのでまったく気にしていなかった剥き出しの手足やお腹が、いまさら気になり始める祭理だった。


「デスから、晶さンは降りテこナイほうが良カったと——イエ、説明しテいなかッタのでワタシのせいデスが……」

「あはは……まー、いまさら仕方ないよ、うん。……正直、ちょっと後悔してるけど……」

「あらら、晶ちゃんは前もって知っていたら、私たちを見捨てる気だったんですか〜?」

「そ、そんなことはないけど。でもさ、ちょっとその、そうゆー危険はね? なんていうか、うん、ごめん……むり」

「うふふ。冗談ですよ〜」


 祭理が微笑むと頬をあからめた晶が、うん、と小さくうなずいた。

 祭理たちが落下してきたのは、大通りから大通り——つまり、外壁沿いだった。そのまま上に上がる道があればよかったのだが、残念ながら途中で道は終わっている。上に行くには、渡りを通って、違う大通りに出る必要があった。

 アイシャが先行して、渡りの強度を確かめる。

 中には、崩落しかけている渡りがあるから、これは必須の作業だった。石食いとやらに見つからないように、息を潜めて待つ二人。


「雨緒の奴、絶対に許さない……」

「あらあら〜」


 ぶつくさと呟く晶の隣で祭理は頬に手を当てる。

 祭理からしてみれば、こういうときに雨緒の名前が出てくるところが晶の可愛いところだな、と思う。ここで目覚めの朝露を探しているのは確かに彼のせいなのだが——。


「あら、忘れてました〜。アイシャさん、目覚めの朝露を手に入れないと〜」

「ああっ、そうだ、それ取ってかないと意味ないよ!」


 戻ってきたアイシャに祭理が指摘して、晶が小さく叫んだ。


「朝露は六層デモ採取が可能デス……が、確カにココの方が早イでショウ。——晶さン、ソノ水筒を貸しテくだサイ」


 アイシャが、晶が水着の上に直接身につけているヒップバッグに、金具で引っかけている水筒を指さした。


「これ? ……はい、どうぞ」


 アイシャが水筒の栓を抜いた。

 軽く振り、そして匂いを嗅いでから、短く口を付ける。

 晶がずいぶんと飲んだ後なので、水筒の中には半分も水は残っていない。足りないかと思ったのだが、水分の補給が目的ではなかったらしい。


「塩分ハほぼ含マレてイナイようデスね。これナラ問題アリまセん」


 それで、どうするの? と興味本位のまなざしで眺める晶の前で、アイシャは二人が身を潜めていた大通りの壁際に近づく。何か削るものを貸してください、と言われた晶が今度はバックパックから小さなナイフを取り出して彼女に手渡す。


「え、振動はまずいんじゃ……」


 数々の鉱石に彩られた壁に向かってナイフを振り上げるアイシャを見て、晶が息を飲んだ。

 だが、アイシャは壁を切りつけるのではなく、少し高い位置にある黄緑色の鉱石につま先立ちで刃先を届かせて、鉱石の一部を少しだけ削りとった。

 落ちてきた石をもう片方の手で持っていた水筒で受ける。

 栓の蓋は開けたままだったので、石が少しだけ中に入った。


「コレでイイでショウ」


 水筒の中を覗き込んでから——祭理の目には、水筒の口からぼんやりとした緑の光が溢れているように見えた——アイシャは頷いて、水筒の栓を締めてから晶に手渡す。


「コレが目覚めノ朝露デス」

「……え」

「あらあら〜」


 なんともあっさりとしていて、実感が沸いてこない。


「目覚めノ朝露ハ、地中庭園内ノ緑光石に込メラれた魔力と成分ヲ水に溶かすコトで作ルことができマス。本来ハ、天然の石ガ湯に浸さレている泉カラ採取するノがルールでスが、そレは六層まデの環境保護ノ理由デス。こンな深層に人は踏み込マないノデ、緑光石を削ッテも問題アリませン。……たダし、観光ガイドのギルドには秘密ニしてくだサい」


 最後の念押しにうんうんと頷く晶と祭理。

 未だに達成感とかは出てこないが、簡単に済むならそれに越したことはない。


「じゃあ後は……石喰いに見つからずに戻るだけかー……うん、すごい気合い入るう」


 晶のその一言には、完全に同感な祭理だった。

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