第三章 異世界からの旅人は、ここでは異界人と呼ばれる 後編

 自分もトイレ休憩しておけばよかったな……。

 雨緒は一階にある、テーブルを囲んで椅子が配置されている小さな部屋——かつては会議室だったのだろう——で、これまでの会話の内容を消化しようと努めつつ、そう思った。


「さて。だいたいこんなところかな、この世界の説明としては。もちろん、本来なら一日や二日で語り尽くせることではないし、いわんや三時間弱ではね。とはいえ、もう日も沈んでしまったし、これ以上話しても頭に入ってこないだろう? それに君たちも話があるだろうから……」


 まずはこの世界の説明をしてあげるべきだ、というレイチェルの意見を入れた形で、ロスマンが雨緒たちに講義と雑談と質問をミックスしたような内容で——雨緒たちへの質問が入ってしまったのは彼の探究心と好奇心が抑えられなかったためであるが——雨緒たちにこの世界がどのようなものであるか、それと異界人と呼ばれる、雨緒たちのような異世界からの訪問者についての情報を教えてくれた。


 そして、最後に先の一言を残して席を外してくれたのだった。


「『別の世界から来た英雄たちが、今のこの世界を作ったも同然』……ねぇ」


 名状しがたい表情で、晶が先程聞いたロスマンの一言を繰り返した。


「異世界モノで世界が救われた後の世界って、ある意味盲点っていうか、ちょっとひねりすぎっていうか……」


 どことなく不満を感じた様子で、口を尖らせた楽彦が頷きながら続けた。


「魔法があるのは、こういうファンタジーっぽい世界の定番だけど、その魔法技術も過去にこの世界に来た八人の英雄の一人が伝えたもの……じゃあ、その人たち一体何者だよって話だね……」

「魔法……ちょっと使えるようになってみたいですよね〜」


 一方の祭理は、夢見るような表情で言う。


「それな、わかる」

「ボクは吸血鬼の国が見てみたい。なんだっけ、そうそう。フローレンス帝国。北の灰海に浮かぶ島にある、千年間閉ざされた国……ってかっこいいよね。千年の都っていうと京都みたいだけど」

「ええ〜。ちょっと怖くないですか〜」

「それがいいんじゃない、スリルとサスペンス! だよ」


 晶と祭理がまるでアトラクションにでも見に行くような口ぶりで話している。


「で、その国も英雄たちの一人が作ったって話だったよなあ」

「英雄たちがこの世界に来たのが、曖昧だけど千五百年から千三百年ぐらい前の話で、ほぼ同じ時期に世界に現れていた魔王を英雄たちが協力して倒した後、その英雄の一人が、魔族の一大勢力だった吸血鬼の生き残りを率いて、北方を支配していた部族を滅ぼして設立した国……壮大な話だよねえ」

「なんだか良い奴なのか悪い奴なのかよくわからんけどな、そいつ。それに、吸血鬼じゃなくて吸血種デメトルったか」

「そんなのはどうでもいいじゃん。それより、なんとなくイケメンっぽいオーラが漂ってるよね」

「そうかあ? ってか、英雄たちが揃ってやったことはだいたい記録に残っているけど、一人一人についてはあまり詳しい情報がなくて、性別ですらイマイチ分かってなかったりするんだろ。女かもしれないぜ」


 晶の感想に雨緒が反論すると。


「吸血鬼の英雄が女の人だったらしまらないじゃ……ん? あ、でもそれはそれでかっこいいかも?」

「かっこよければどっちでもいいのかよ」


 雨緒は鼻を鳴らした。


「さっきの英雄さんの話ですけど〜。伝承ばっかりで幾つかのエピソードは後世の捏造もあるってことでしたけど、遺物ってのはいくつもあるって話でしたよね〜?」

「『遺物の存在が英雄の存在と、その異能を現在に伝えている』って言ってたね」


 定期テストは基本一夜漬けでなんとかしている、と豪語するだけの記憶力のよさを見せつけるかのように、晶がロスマンの発言を再び引用した。


「隣の博物館に展示してあるんだって? 明日見せてもらうかな?」

「それもいいかもですね〜」

「ボクはそれよりも夕ごはんのほうが興味あるなあ。おごってくれるなんてラッキーだよね」

「ああ……」


 雨緒は頷く。

 レイチェルとロスマンの所属する、このアカデミーという組織は、かつての英雄の残した業績、とりわけ、彼らが残した知識や技術、遺物の力を研究することが主な目的らしい。

 英雄が遺したものには、この世界を大きく変える力のあるものがたくさんある。この博物館に展示されているものは、すでに機能を止めたか、あるいはそう見えるものが大半ということだが、千年の時を経た今も普通に稼働している遺物があるそうだ。


 ここアルケインの街があるウィルダム王国の北西には、砂漠の国であるムラート砂国がある。そこの首都は、恒久的に飲料水を湧き出す遺物の力で成立しているそうだし、大陸中央の『世界の角』と呼ばれるイリノア火山——かつては日々黒煙を噴き上げ、時に激しく噴火して周囲の街どころか世界全体に寒冷な気候をもたらすこともあったという大火山は、突き刺された十二本の巨大な杭によって火山活動が制限されているらしい。

 この世界よりもずいぶん進んだ文明の地球から来ている、と思っていた雨緒たちにとってみれば、地球ですら実用化されていない技術が、誰にも理解できない遺物という形で現に存在するというのは衝撃的だった。


 はたまた、この世界の今の人間には訪れることも困難な、東方の峻険な霊峰リッケの頂点から、さらに天に向かってずっと伸びたピラーの先に、雲よりもさらに高い空に浮かんで回り続ける巨大な輝く遺物——実物の研究どころか、麓から観測する程度しかできていないので何の効果があるのかすら分かっていないのだが、この世界にとって極めて重要なものであり、触れるべからずという英雄の口伝が今に残されている……なんてものまである。

 ともあれ、そこまで大規模ではないにせよ、たまに遺跡から見つかる遺物ですら計り知れない価値がある状況なので、そういったものを世界にもたらした異世界人は、あだやおろそかに出来ない存在だ——という認識のようだった。


 その関係で、ここに滞在している間の生活費はアカデミーが負担してくれるとのこと。

 これは良いニュースだった。

 雨緒たちからすれば、正直、そこまでのものを求められても困ると感じたのだが、もう一つの事情で、大したものを提供できなくてもいいっぽいことが分かっている。


「一番最近にこの世界に来たっていう……えっと、異界人って呼び方をするんだっけ——その異界人は、聞いた話からすると多分日本人だよな」

「そうだと思うけどね……でも、確実とは言えないかなあ」

「一番最近、ってのもアカデミーが把握している中でって話だし……どこか遠くに来てたら分からないんだよね?」


 楽彦と晶が口々に反応する。


「けど〜。それにしても、私達みたいな人が、最初の英雄たちさんだけじゃなくて、どんどん来てるなんて思いませんでしたよねえ〜」

「どんどんってほどじゃあ……」


 頬に指先を添えた祭理に、一応反論した楽彦だが、その矛先は鈍い。

 これが、もう一つの事情だ。

 この世界では異世界からの旅人は、千年以上前の英雄たちの他にも、時折現れている。そして、アカデミーは彼らから新しい知識を得て、その利益を独占している——ロスマン自身がそのようにぶっちゃけていた。


 異世界からの迷い子であるけれども、英雄ほどの何かを持っていない雨緒たちがこのアカデミーに呼ばれて、歓迎される環境ができていたのはそのためである。仮にこれが千年ぶり、とかだったらこんなにすんなり話が進むわけがない。

 実際のところ、英雄時代の遺物から得られた知識よりも、その後にやってきた異界人——異世界からきたものを指すアカデミーが名付けた呼び名——の知識から実用化されたもののほうが多いぐらいらしい。

 それはきっと、火の点け方を知らない人々に、料理のための電磁調理器を授けるよりは、ライターのほうが喜ばれる、とそういうことだったろうが。


「ともかく、ここ百年ぐらいはなかったんだろ。でも、俺達の一年前、つまり去年に黒髪で俺たちみたいな服装の女子が一人来ていると」

「セーラー服はブレザーとはずいぶん違うと思うけど……あ、いや、ごめん、なんでもない」


 視線を集めてしまった楽彦が自分の発言を取り消した。まあその気持ち、わからんでもないがな……と思う雨緒と意味ありげな視線が交錯する。


「で、あの飛行機をレイちんとロスマンさんに教えたのがその人なわけだよねー。でも、ボクたちと同じ高校生なんだとしたら、名前がかなり変じゃない?」

「そうか?」


 名前の珍しさに自覚のある雨緒が言うと。


「偽名なんじゃないかなあって思うけど……その、ミューさん」


 楽彦がロスマンから聞いた名前を繰り返す。

 だが、雨緒にとって興味があるのは彼女の名前ではない。


「特に荷物とかない状態でここに来て、四ヶ月後に旅支度をして出発したんだろ……元の世界に戻る方法を探しに。一人で。なんつうかこう……すごい人だよな」

「ですねえ〜。さっき、雨緒さんも言ってましたけど、ぜひお会いしてみたいですね〜」


 雨緒はああ、と同意しながら思う。

 やっぱり、その人の後を追いかけるのが一番手っ取り早そうだ。

 何のためにかといえば、もちろんそれは、、だ。

 まだみんなと細かな相談はできていないが、いつまでもこの世界にいるつもりは雨緒にはなかった。生活の面倒はアカデミーが見てくれるという話だし、せっかくなので、多少の観光ぐらいはしてもいいかなと思っているのだが、いずれは家に帰りたい。

 他のみんなも多分同じだと思う。


 アカデミーの記録では、異界人が元の世界へ帰った、というものはない。

 だが、ある時期まで活動していたのに、突然その後の消息がなくなった異界人は数人いるらしい。死亡したという可能性ももちろんある……あるが、元の世界へ戻った、という可能性だって捨てきれないじゃないか、と雨緒は考える。

 そもそも、別の世界からこの世界に来ることができるなら、逆にこの世界から別の世界にいくことは不可能ではないはずだし、この世界への流入が一度だけの例外じゃなくて、繰り返し起きているということは、この世界と別の世界は普通に繋がる、ということではないだろうか。

 ただの想像だけど……。

 雨緒にとって、それは一縷の希望であった。

 ちょうどその時。


「みなさーん。夕食の準備が出来ましたよー。せっかくなので、豪華に出前を取りました! こんな豪華な食事はミューさんが居た頃以来ですから、温かいうちに食べないともったいないですよ! 早くこっちに来てくださーい」


 日頃の暮らしぶりが偲ばれるレイチェルの呼びかけが部屋の外からあって、雨緒の思考はそこで打ち切られた。

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