第三章 異世界からの旅人は、ここでは異界人と呼ばれる 前編

「レイちん、あれは何?」


 晶が指差した屋台には、棒に付いた飴菓子のようなものが並んでいた。

 ただし、京都で晶が食べていた、日本のコンビニなんかで普通に見かける棒付きの飴玉とは違って、サイズがかなり大きめで、中に黄色の果物らしいものが入っている。


 日本の食べ物で、一番近いのは縁日のりんご飴だろう。


「あれは……子供向けの食べ物で、飴かけの果物です。中身は色々ありますが、うーん……なんでしょうね、あれは、見たことないなあ……南方から入るようになったって新しい果物かも。せっかくだし一つ買って……っていやいや、今はこの人たちを案内しないといけないから。……っていうか、私の名前、レイチェルです。レイちんじゃなくて」

「んー。レイちんのほうが可愛くない?」

「いえそういう問題ではなく……はあ、そちらの世界では普通のアダ名、ですか……まあそう呼びたければそれで別にかまいませんけど……なんかちょっと違和感が、いえ、いいんですけど」


 街への入場を認められた雨緒たちが歩いているのは、赤目猫市場と呼ばれるバザール形式の商店街だった。

 種種雑多な品物が、屋台やただ地面にゴザを引いて商品を並べているだけのような小さな店舗によって扱われている。

 面白いことに、そこでやり取りされている会話の大半は、普通の日本語として雨緒たちには理解できている。確かに聞き慣れない単語もたくさんあったが、それは商品に関する専門用語らしいので、分からないのも当然と言えた。

 その辺をレイチェルに聞いてみたところ……。


「ふえ? ニホンゴ……ですか? あ、あー、分かりました。言葉ですね。ええ、なんか異世界から来た人は、だいたい言葉が通じるみたいなんですよ、かつては神の加護ではないかと言われていましたが……別の神様を信仰している東大陸とか、南方のアルテハイムとか、北方の、灰の氷海の向こうにあるフローレンス帝国とかにも異界人は現れてるみたいですしねえ……ああでも、言葉が通じてたかどうかはわからないですねえ……んー」


 という感じに説明してくれた。

 レイチェルが飛行機で小さなクレーターを作成してまだ三十分も経っていないが、彼女がどういう人物であるかが雨緒たちには掴めてきている。


 まず、口数が多い。


 頭の中に浮かんだことをすべて口に出さずにはいられないたちのようで、一度話し始めると、それが彼女の知っていることであれば、本人の感想だか分からないようなことまで、むにゃむにゃむにゃーと一気に喋ってしまうようだ。


 次に、おっちょこちょいである。


「あれ? あーすみません、道間違えちゃいました、こっちです。……ん、あれ、あっちだったかな。この辺あんまり来ないからよくわかんないんですよね……あー、ヒコーキも引き上げないと行けないんだったし道覚えておいたほうがよかったかも……ってまあいいか、どうせ自分じゃ運べないですしー」


 ……このありさまである。大丈夫なのかと雨緒は冷や汗がたえない。


「ところで、レイチェルさん……その、さっき言ってた、技術開発がなんとかっていうアカデミー? なんですけど……」


 辺りの景色に意識を奪われている様子の仲間達を尻目に、雨緒がレイチェルに問いかける。彼女は一瞬考えるような表情になって、


「あー、えっと、シドーアオマさん……でしたっけ? そんな丁寧な話し方しなくていいですよ、私なんてどーせ下っ端ですから。って言っても今の支部にはあんまり人もいないんですけど……あ、ギルド名ですけど、正式名称は遺失技術発掘調査ギルド連盟ってなってますが、自分も時々忘れるぐらいなんで、アカデミーで構いませんよ。ギルド連盟って呼ぶ人もいるんですけど、ギルドって、鍛冶ギルドとか裁縫ギルドとか、あとは冒険者ギルドとかあって、んで連盟とか連合もいろいろあるから、ぜんぜん区別つかないんで……」


 と、例によって過剰気味の口数で答えてくれた。

 雨緒は、そのむやみに多い情報量に目を白黒させつつ、


「はあ……んじゃ、そのアカデミー、後どれぐらいかかるんだ? あ、俺のことは雨緒でいいんで」


 本当に聞きたかったことを問う。ついでに、どこぞの破壊神っぽい呼ばれ方をすることを拒絶することも忘れなかった。

 なぜこれが一番重要な質問かというと、街の中の光景は新鮮だったが、疲れを感じないというには、この世界に来てから歩き詰めすぎた。つまりは、そろそろ体力の限界だったのだ。


「あー、はいはい、見えてきましたよ、ほら、あの建物です」


 人には敬語をやめろというわりに、本人はそこはかとなく崩れているものの丁寧な口調を続けて——相手は実際には違う言語で話しているらしいのに、日本語の丁寧語のニュアンスで聞こえるのが不思議で仕方なかったが——進行方向にある、とある建物を指さした。


「随分と大きい建物ですねえ〜」


 二人のやりとりを聞いていたらしく、祭理が感嘆の声を上げた。


「アカデミーとしては支部の一つですが、ここは博物館を兼ねていますからねー。そもそもこの街、アルケインは、ウィルダム王国のかつての首都だった街で、あの博物館も今は名前は変わっていますが元は王立博物館だったので……国の威信とか誇りとかまあそのような感じのものが詰まってるってわけです」

「そのような感じのものって……」


 持ち上げたいのかどうかわからない言い草への反応に迷う雨緒。


「先先代の王様が遷都してからというもの、アカデミーへの補助金は減るばかり……かと言って収蔵品の移転計画が持ち上がるでもなく……そして、それに文句を言うわけでもなく、興味本位での飛行実験とかで浪費しちゃうロスマン師の存在……そしてそんな師匠の実験に嫌が応もなく付きあわせられるこの身を恨んでいるなんてことはええ全くありませんよぉ……ふふ」


 あ、これは触れてはいけないやつだ、と思って口を閉じた雨緒とは裏腹に、晶がそれで思いだしたとばかりに口を開いて曰く。


「そういえば、あの飛行機ってそのロスマンさんって人の発明なの? すごいね、この世界だと普通じゃないんでしょ、ああいうのって?」


 レイチェルがどのような反応を見せるのか、戦々恐々だった雨緒の前で、予想外にも彼女は軽く頭を振って、あっさり答えた。


「——いえ、あのヒコーキっていうのは、異界人から聞いた知識を元にしたものなんです……失敗続きですけど。だいたいですね——」

「そ、その異界人……って別の世界から来た人の呼び方、だよな? その人は、一体、どんな人だったんだ?」


 また愚痴が始まりそうな予感がして、素早く口を挟む。


「あー、彼女は……っと、その話は後にしましょう。まずはこちらに」


 博物館と言っていた建物がすぐ前に見えているのに、レイチェルは表門側ではなく、路地に入っていく。雨緒達が顔を見合わせてそれに続くと、彼女は壁沿いに取り付けられた小さな木製の扉を開ける。


「ここは……?」

「博物館はあくまでも王国のものなので、ここが我々アカデミーの普段使いの事務所です」

「……ここが?」


 単純な疑問を表現していた雨緒の質問に対して、レイチェルの説明を聞いた後の楽彦のそれは失望を隠せない疑念だった。

 まるで神殿か何かのように、ぶっとい石柱があって、豪華な造りになっている博物館と比較すると、そこはまるでバラック小屋だった。この辺りの建築様式なのか、木造建築ではなく、石造りの建物ではあるものの、ところどころがひび割れて、粘土のようなものをかぶせて補修してあってツギハギ、しかも全体に薄汚れている。

 扉をくぐった先には小さな中庭があるのだが、半分ぐらいが端材のような材木だったり、何に使うかもよく分からない金属の円筒や大きな円盤……つまりはガラクタで埋まっていた。

 あえて良いところを探すなら、建物はかなり広そうだな……などと考えて、雨緒の頭に疑問が浮かぶ。


「そういや、さっきの飛行機はどこから飛ばしたんだ……?」 

「あれは許可を取って博物館の屋根……いえ、そんなことはどうでもいいじゃないですか。ともかく入ってください。ロスマン師がきっとお待ちかねです」


 レイチェルも、この事務所の有様を気に入ってはいないのか、そういうと、さっさと建物の中に自分から入っていく。

 続いて足を踏み入れると、そこは小さな病院の受付のようにカウンターがあった。が、板の上には埃が積もっていて、カウンターとしては長らく機能していないのが明白だった。


「どうぞこっちです。受付とか今やってませんから」

「はあ……」


 案内されるままに奥に上がりこんでいく。中は、ある種の図書館のようというか、もともとあったと思しき本棚から適当に抜き出された本が床に積んである、という状態で、かつ、隅などには埃が目立って、一体どのような使われ方をしている建物なのかがよく分からない。

 進みながら、みんなが付いてきているか振り返った雨緒と目があった晶は「ここ、本当に大丈夫?」という顔を向けてきたが、雨緒には何ともいえない……口を開けば否定しそうではある。


「この階段で二階に上がってください。多分、師匠はいつもの部屋にいると思うんで……」

「あのさ……ここって、もしかして……他に人いない?」


 晶が、雨緒の背中越しに先行くレイチェルに問いかけた。

 すると、振り返ったレイチェルが、目をぱちくりとして。


「あれ……言ってませんでしたっけ? 今うちの支部にいる常勤は私とロスマン師だけですよ?」

「……あ、そう……」


 一応は納得したように頷いた晶だったが、階段を上がる時に雨緒をつついて、こっそりと言ってくる。


「ここ、期待薄だね……」

「……ああ」


 もう、同意せざるをえない雨緒だった。

 見知らぬ異世界にやってきて、大事なものはといえば、まず第一はやっぱり情報で、次に自分たちを受け入れてくれる何者かの存在だ。だいぶ気にかかるようになってきた空腹を満たすための食べ物にしろ、今夜の寝床にしろ、手に入れるのはすごく難しい。

 これが地球であっても、海外に一人放り出されたらどうなるだろうか。

 悪くすれば、野垂死にだ。

 幸いにもこの異世界では、友人たちと一緒で、しかも言葉が通じるので、まだなんとかできるかもという希望は持てているのだが——けれどまだ、当面の心配はいらない、という状態じゃない。

 とりあえず、自分たちに情報を提供してくれそうな、このアカデミーという組織にはいろいろと期待していたが。


「そんなに甘くないってことか……」


 ため息が漏れる。


「師匠〜。戻ってきましたよ〜!」


 考え事をしながら歩いていた雨緒が、レイチェルの背中にぶつかりそうになって足を止める。そこは、二階に上がってすぐの部屋の前だった。木製のドアにはプレートが貼られていたが、書かれている文字を隠すように、左右に紐を通したお手製っぽい木切れがぶら下がっている。

 そこに書かれている文字は、雨緒が知らない言語のものだった。

 ——ん? この世界の文字は読めないのか。

 言葉が通じるんだから、当然読めると思っていた雨緒はちょっと驚いて、そういえば……と、市場の看板に描かれていたものにこれに似た字があったのを思い出した。

 うーん、字が読めないのは辛いな……。


「師匠? あれ、おかしいな……入りますよ?」


 雨緒の思いは知らず、反応のないノックを繰り返していたレイチェルが、業を煮やしてドアを押し開けた。

 部屋の中にはいろんな書物が散らばっている。散らばっているという表現が的確なほどに乱雑で、足の踏み場があまりない。本には古いもの新しいもの、高級そうな革らしい装丁のものもあれば、単に紙を束ねただけのようなものもある。

 部屋の片隅にはソファ、奥の方には単に壁がくり抜かれている窓があり(上の方に、すだれが巻き上げられていた)、そこから差し込んだ陽光が窓の下の机を照らしている。たぶん整理されていない本の山のせいだろう、空気は少し黴くさい。が、一階の開けっ放しの部屋や設備とは異なって、それなりに掃除はされているようで目立つほどの埃は積もっていない。

 それよりも、問題は……。


「師匠!」


 床に、白衣の男がうつ伏せに体を投げ出していた。

 駆け寄るレイチェル。

 息を飲む雨緒と、その後ろで部屋に入る前に足を止めた晶たち三人。

 そして。


 げし、とレイチェルがその背中を踏みつけた。


 彼女の唐突な行動に、雨緒たちは目を丸くする。と——。


「ん……んん? む。いかん、眠っていたようだ……」


 全く動かないので死んでいるのかとまで思った男が、もそもそと動きだした。年の頃は三十の半ばぐらいか。日本人と同じ黒い髪にぎょろっとした大きな目、無精髭が伸びている。

 彼は身を起こすと、頬に張り付いていた書類を剥がして適当に床に放った。


「いつも言ってるじゃないですか、師匠。こんなところで寝ないでくださいよ」

「うむ……ところでレイチェルくん、なぜか背中に、うちの助手ぐらいの背格好の人間が踏みつけたような痛みがするのだが、何か心当たりはないかね?」

「さあ? 不思議なこともあるものですね。そんなことより、異界からのお客様をお連れしましたよ。……あー、それと試作飛行機八型は例によって失敗でした。五分ぐらいは飛びましたけど、水平飛行に入ったかと思ったらくるくる回って地面まっしぐらで墜落しました。これがロスマン師が作ったのでなければ、口うるさいと感じている助手に対する執拗なパワハラかと思うところでした」


 しれっと嘘をついて恨み節を口にするレイチェルに、無精髭を撫でつつ首を回していた男が指を鳴らした。


「おう! そうだったな、異界人を呼びにやらせたんだった……うむ、昨夜に文献を読みすぎたようで、ついつい寝てしまったが……ん? なんだと、八型も失敗か! どうしてだ、計算上は今度こそはうまく行くはずだったのだが……」

「前回も前々回もそうおっしゃってましたよね……もう、いい加減にしてくださいよ! 雨で増水した川に落ちた時はまあいいとして、衛兵隊の詰所に突っ込んだ時は留置場に放り込まれて、しかも師匠は完全に忘れて二日も放置されるし。あの時は本当に涙目だったんですからね」

「おう、すまんすまん。次はうまくやるから……後ちょっとのはずなんだ」


 翼の揚力が云々……とぶつぶつと呟き始めたロスマンに、レイチェルが目をぐるっと回してため息を吐いた。


「あの、それで俺らはどうすれば……?」


 雨緒がどうしていいかわからず、レイチェルの後ろからおずおずと口を挟むと。


「と、とと……そうでした。師匠、今はそのことは置いておいてですね」


 親指で後ろの雨緒たちを指す仕草。


「ああ! そうだったそうだった。で、君たちは一体どこから来たんだね? おやまあ、随分若いね! 異界人はこれまでもだいたいそうだったが、何か基準でもあるのかな。興味深い。……それで、君たちの世界は、どんなところで、どんな神がいて、国がいくつぐらいあって、人口が……いやいや、まずはこれだな。君たちの世界には、一体どんな技術や魔法があるんだい? 飛行機とかあるかい? これは空を飛ぶ機械だそうだ。何とも興味をそそられる話だよ」

「……え、えっとぉ」


 レイチェルが口数が多いのは、この師匠という人物の影響に違いないなと頭の片隅で思いながらも、矢継ぎ早に繰り出される質問にどう答えていいのか混乱していると。


「師匠!」

「あ、あの!」


 レイチェルの叱責の声と同時に、一向の後ろの方にいた祭理が発言した。


「——?」


 何かを言いかけた様子のまま固まっているレイチェルと、眉を上げたロスマンと、振り返った雨緒の前で。


「……お手洗い、貸してください〜」


 恥ずかしげにうつむいて祭理はそう言った。

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