第二章 初めての異世界体験、あるいは空から墜落する少女 後編

「……聞いてのとおりなんだが」


 待っている間は、遠くにいかなければそれでいい、とのことだったので、二人の門番からは少し離れたところに移動して、雨緒たちは内々の相談を始めた。

 最初の反応は、にっこり笑顔の晶から。


「日本語が通じるなんて、外国なんかよりずっといいところかもねー」

「……お前なぁ。今はそういう問題じゃないだろ? どうも俺たちみたいな奴は他にもいるらしいってのが重要だろ?」


 脳天気な発言に釘を刺しつつ、雨緒がそう言うと。


「でも、どうして日本語が通じるんでしょう……?」

「物語の異世界ものだったら、魔法の力とか、転生時に神様に現地の言葉を理解できるようにしてもらう、ってが定番だけど……」


 祭理の視線を受けて、楽彦が答える。


「少なくとも神様ってことはないんじゃないか、記憶にないし……」

「記憶は、消されているのかもしれない。神様と話したときは覚えていても、転生後は忘れてしまうって設定とかあるし……」

「じゃあ、ボクたち、記憶喪失かもしれないの?」

「記憶がないことを記憶していないから記憶喪失かどうか分からない、ってわけですか。なんだか、複雑ですねえ〜」


 自分と仲間たちとの記憶の齟齬を思い出して、雨緒は案外それが真実なのではないかと思う。

 神様だか誰だか分からないが、どっかの誰かが自分たちの記憶を操作しているのだとしたら、操作漏れで雨緒だけが違う記憶を残しているのも、ありえない話ではなくなる。神様にしてはうかつな話だが。


「だけど……やっぱり気になるのはさっき雨緒くんが言ったことだよね。僕達みたいな人がこの世界にいる……っていう」

「あ、ああ」


 思考の渦から会話に意識を引き戻されて、雨緒は頷く。


「俺らと同じように、この世界に地球からやってきた連中がいれば……いろいろ聞ける気がするよな。元の世界に戻る方法とかも知ってるかも」

「んー? そうかなあ」


 一縷の望みを込めて、口にしたことに疑問が投げかけられる。

 雨緒の飛ばした半ば睨むような強い視線に、晶は口を尖らせて答える。


「だって……別の世界から来たって言っても、その世界が地球じゃないかもしれないじゃん」

「……あ」


 そうだった。

 シンプルだからこそ、見逃していた可能性。


「そっか……また別の世界から来た奴ら、ってこともあるのか……だったら、意味ないな」

「まー、それでも、世界旅行仲間ってことで、何か役に立つことを教えてくれるかもしれないよねー」


 晶は、持ってきた荷物から飴の入った袋を取り出していた。

 歩きづめだった疲れで、甘いものがほしいと思ったのが伝わったのか、晶は飴を雨緒を含めた全員に配って回る。

 楽彦はその飴を受け取って、ぽつりと言った。


「もし元の世界に戻れないんだったら、僕たちはここでどうすればいいんだろう…………あ、ごめん、つい」


 集まった視線を受けて楽彦は詫びたが、それは内心、全員が不安に思っていたことだったろう。場を沈黙が支配する。

 どこか聞き覚えのあるような、それでいて初めての鳥の鳴き声が遠くから響いてくる。


「別の問題もあります〜。私達のような人を扱う……ええと、さっきのおじさんはアカデミーって呼んでましたけど〜、そのアカデミーの人たちってどんな人達なんでしょうね〜。仲良く出来るといいですけど……そもそもどうして、私達みたいな人を扱う組織なんてものがあるんでしょう?」

「そりゃまあ……異世界からの訪問者といえば、その世界にない技術とか知識とか持っているわけだし、どうみても中世っぽいこの世界だったら、僕達の知識はきっと役に立つはずだよ」


 のんびりした口調の祭理に、楽彦が推測を口にする。


「知識ね……少なくともボクとか雨緒のは役に立ちそうにないなあ」

「失礼な。中世の人間からしたら、だいぶ未来人だぞ俺たち。それに、俺は晶と違って、パソコンを触れただけで壊したりしないしな……」


 高校の情報の授業で、こういうの苦手なんだよね、といいつつ割り当てられた学校のパソコンの電源を入れたら、いきなりエラーで止まってしまって起動しなかった、というコントみたいなエピソードを思い出しながら雨緒が言った。


「あれは偶然だってばー。っていうか、どーせ電気ないと思うけどね」

「……確かになあ。コンピューターの知識とかあっても、ここじゃ役に立たないか」


 雨緒は、会話につられてポケットからスマートフォンを取り出して眺める。充電のあてがないその機械の液晶画面は黒一色で、ただの時計としての役割すら果たさない。

 飴玉で頬を膨らませた楽彦が応じて。


「見た目に中世ってだけで、実際の技術水準は分からないけどね。もしかしたら普通にスマートフォンとかあったりして……でもまあ、それなら、馬には乗らないか」


 最寄りの小さな門とは異なり、幾つかの大きな門からは舗装された……といっても、除草して平たくならした程度で、石畳ですらない道が伸びているが、そこには徒歩の人の他に、道行く馬車がゆったりしたペースで動いているのが見て取れる。

 そののどかな光景からは、スマートフォンのようなものの存在はやっぱり想像できない。


「んー……? あれは、なんでしょう〜」


 祭理が空の一端を指差した。

 雨緒本人だけではなく、話の流れで雨緒のスマートフォンに視線を寄せていた晶と楽彦の視線が、それに向けられる。


「なんだあれ、飛んでるぞ」

「木と紙でできた飛行機……? そんなのってある?」

「馬に乗ってる世界なのに飛行機? 無茶苦茶だ……さすが異世界だね!」


 木と紙で……という晶の感想は、その物体をかなり適切に表現していた。

 鳥のように胴体に比して大きな翼をもった、木製の骨組みの飛行機らしきそれは、全幅が五、六メートルはある。パラグライダーというよりは、鳥人間コンテストに出てくる人力飛行機のようなもので、骨組みだけで半ばむき出しの胴体の中に人が乗り込んでいるようだった。左右に大きく伸びた翼には、一見、紙らしきものが貼られていたが、ただの紙では破れてしまいそうだから、別の何かかもしれない。

 ともあれそれが、街の中から飛び立ったのか、雨緒たちから見てボディを横から眺めることのできる方向にまっすぐ、地面に対して四十五度近い角度で一直線に上昇を続けていく。

 そして、ある高度まで達すると一転して滑降飛行に移った。

 優雅に大きく旋回しながらも、その進路は——。


「こっちに向かっているのか?」

「それっぽいね……すごいね、飛行機とかあるんだ、この世界」

「原始的な飛行機みたいだけど……ああ、そっか……門の外側に下りるなら、城壁が邪魔になるから、直線で飛んでくるんじゃなくて迂回してきてるんだ……ちゃんと考えてるんだね、さすが異世界」


 関心する晶と楽彦に対して、


「……うーん……私、思うんですが〜」


 考え深げな祭理の次の一言がフラグを立ててしまったのだろうか。


「街の中の移動に、飛行機とか使う必要ってあるんでしょうかね〜」


 突如、順調に飛行を続けていたはずの飛行機が、錐揉み状態に陥った。

 ぐるんぐるんと、ボディが横回転を初めて、まるで扇風機のように翼が風を切る。


 すでにその飛行機はずいぶんとこちらに近づいてきていて。


 不時着必至どころか明らかに墜落事故を想像させる挙動で、なのに何故か進路がそれるでもなく、地球の高精度な誘導ミサイルさながらに雨緒たちの居る門の一転を目指して——


「だからアカデミーの連中なんて呼びたくなかったんですよ、僕は!」

「いまさら言ってもしゃあねえだろうよ……あいつらが頭おかしいのは当然のことだからな。やれやれ、普通なら空を飛べるのは一級の魔術師だけだろうに……無茶しやがって」


 少し離れた場所で、例の門衛の二人が騒いでいる声が聞こえてきた。微妙に楽しげだと感じたのは雨緒の錯覚だろうか?


「……みんな、逃げるぞ!」


 次に、門番の彼らが発した呼びかけと、雨緒の叫び声の内容はほぼ同じ。

 激突コースに入った、かつて飛行機であったはずのミサイルから距離を取るために一同は脱兎のごとく駆けだした。門衛の二人も城壁にそって、左右に散っていく。

 彼らの大半は、頭上を見る暇をなくしていたのだが、ただ一人、逃げながらも頭上を仰いだ楽彦だけがそれに気づいた。

 回転しながら墜落を続ける飛行機が、地面への激突の直前に輝く青い光に包まれる。


 あれは——もしかして、——?


 ひた走りながら、楽彦の脳裏によぎったのは、異世界に期待することで三本の指に入るであろう、ファンタジー現象。

 そして。

 ズガーンだかドゴーンだか、とにかく強烈な衝突音とともに、青い光に包まれた飛行機が地面と衝突し、大地をえぐり返した。


 巻き上げた土砂が、空中に飛び出し、しばらくして逆に地面に降ってくる。

 幸いにも、いち早く逃げ出した一同の上に降ってくるほど遠くまで飛んだのは、細かな砂や軽量な小石程度が殆ど。長い放物線を描いたそれらは勢いを殆ど失って、いくらかパラパラと降り注ぐ程度で、あたっても怪我をするほどではなかった。

 ただし、舞い上がった土埃は一同を包んで、閉じる前に飛び込んだ埃が目をしばつかせたり、喉の粘膜に張り付いた砂に咳き込ませられるなどの被害が生じる。


「くそ……なんだってんだ」


 雨緒はしばし咳込んだあと、口の中に僅かにジャリつくものを感じて、つばとともに吐き出す。他の面々も似たり寄ったりのありさまだった。

 髪についた土埃を払ったり、目に入った砂を瞬きで追い出したり——思い思いの行動の後しばらくして、ようやく一同は落ち着きを取り戻してくる。

 その頃には、巻き起こった土埃の煙幕もだいぶ晴れて、衝突の現場を確認することができるようになっていた。


「……丈夫、ですねえ〜」


 微かに声を掠れさせた祭理が言うとおり、その飛行物体は着陸——激突後も原型をとどめていた。それは、落下直前に物体を包み込んだ青い光の作用だったのだが、ここにいる彼らでそれを目視で確認したのは楽彦だけだ。

 もちろん、この世界の人間である門衛の二人には想像はできていただろうが、彼らはもともとここから少し離れた門のそばにいて、塀に沿って移動したこともあって、まだこの場にはついていない。


「けほけほ……その人、大丈夫なの?」


 晶が言う「その人」とは、飛行機の骨組みの胴体の中にいて、ぐったりとうつ伏せている小柄な人物のことだった。

 防寒と防風のためだろう、頭全体を包むような毛皮の帽子に、革のバンドで頭の後ろで止めるゴーグルらしいものをかけていて顔が見えない。なので年格好は分からないが、見た感じ、雨緒よりも小さいどころか、体格的に中学生と間違えられることもある晶と同じぐらいだ。

 そんな人物が、背当てと尻当てのクッションのある座席と思しき場所に腰掛け、操縦桿なのかよくわからない、座席の前方に幾つか突き出ている棒に持たれるようにして、ぐんにゃりと弛緩した体を投げ出している。


「お、おい、平気か、あんた?」


 正体不明の物体に対する不安を感じながらも、放っておくわけにもいかず、すり鉢状のクレーターを降りながら雨緒が声をかけると……。


「……あうぅ……」


 小さなうめき声が、返ってきた。

 空から落ちてきた謎の人物が、身を起こして、被っていた飛行帽とゴーグルを取る。するとそこに現れたのは……。


「あれ、女の子だ」


 晶の言うとおり、飛行機に乗っていたのは金髪で青い目で、可愛らしい人形のような……それでいて、どことなく狸を想像させる愛嬌のある顔立ちをした女の子だった。


「ロスマン師……また失敗です……っていうか一度も成功してないし実験台として私を乗せるのやめてくださいよ飛行魔法ではなく空を飛んだ第一号の人間になりたくないのかねとか言いつつ発射は魔力で撃ちだしているんだから戦術クロスボウとかとあんまり変わらない仕組みだしそもそも飛ぶだけならもう何度も飛んでるじゃないですか問題は落ちたことしかなくて着陸っていう状態に一度も入れてないことだけど、ってだからそもそもどこまで出来たら魔法以外で飛んだことになるんですかってさっき聞いたら、それがわからないから実験してるんじゃないかってほんとにあの人はぁあああぁもぉーっ!」


 彼女は、そんな訳の分からないことをテンションを急上昇させつつまくしたてて叫んだあとに、革のつなぎでできた飛行服の首の後ろに手をやり、たくし込んでいた長い金髪を引っ張りだして首を降った。

 ばさりと広がった髪が陽光を反射してきらきらと輝く。

 続いて、クレーターの中心に半ば突き刺さっている飛行機の胴体から飛び降りる。


「あっ?」


 かと思うと、着地でつまずいて転んだ。

 それも、軽く手をついたとかではなく、顔から地面にどべしっである。

 見ていた雨緒たちが一瞬顔をそむけてしまうほどの激突っぷりだった。きっと無茶苦茶痛い。そのせいかどうかは知らないが、少女——年齢は雨緒たちと同世代のようだった——は、地面にキスをしたまま、


「ふええ、もうやだこんな暮らし……」


 悲哀を込めてそう呟いた……。


 これが、雨緒たちがこの世界において、長く——それも想像を遥かに超えて長く——付き合うことになる少女、レイチェルとの初めての出会いだった。

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