第2話 「代償」

ナサニエルは、10歳を過ぎたころから身体のあちこちに黒い斑点が浮き、昼間は身体を起こし読書ができても、夜になるとまた高熱にうなされるという生活を送っていた。


だが、12歳を迎えるころ、ふと立ち寄ったある高名な医師によって、よく日に当たることと薬草風呂に毎日つかるという一見簡単な治療法が教授される。言われるまま、実際にやって見たところ、嘘のようにナサニエルの症状はおさまり、食欲がもどってきた。


ナサニエルがよるぐっすりと眠れるようになったのは、その日一日だけ教会堂に立ち寄った医師が立ち去ってから、一か月と経っていなかった。


その医師の名をナサニエルは知らなかったが、深く感謝し、祈り、勉強に励んだ。その後もナサニエルは、流行の風邪や水ぼうそうからは逃れられなかったが、その病につきまとわれる運命のようなものを恨むことはなかった。それには他にも理由があるのだが、近いうちにまた述べよう。

 

ナサニエルはちょっとした、「奇跡の子」として、通常は二人以上の部屋で暮らす学徒の身分で、病室を兼ねた一人部屋をもらっていた。だがそれも教会同宿舎の建て替えの都合で、ナサニエルは東の聖ドナエルに移ることとなった。


司祭様直筆の紹介を受けて、ナサニエルは晴れ晴れとした気分で「引っ越し」の準備を整えた。天気もよく、風も優しいと聞いた土地で暮らせることが素直にうれしかったのだ。しかし、物事はなかなかうまくは運ばない。


ナサニエルに付き添うはずの教会堂の上級の学徒たちの一人は親族の不幸があったといって、その日のうちに教会堂を出てしまったし、またそのうちの二人は、教会堂から出られると言うので、道半ばで半日も馬車に乗らないうちに、ナサニエルを置いて、どこかへ楽しそうに行ってしまった。残ったのはおとなしそうな学徒二人であったが、その一人はナサニエルとたいして年の変わらぬ、ボナウスという少年であった。


「呼びもどさなくていいの?」


ナサニエルのこの問いかけに対しボナウスは、

「どうしろっていうのさ、何も知らないよ、僕は」

と答えたきりだった。


ボナウスはナサニエルと話すのを嫌って、上級生のファラミアとばかり自分の故郷の話をしていた。ナサニエルの「引っ越し」は、ボナウスとファラミアにとっては旅行にすぎなかった。教会堂から遠ざかり、領主の関所を二つ越えたところで、一日が終わった。寂しさを抱えたままナサニエルは馬車を駆る小さな年寄りの鼾に妙な懐かしさを感じて、馬車のなかで眠りに就いた。


宿に泊まるには当時は危険すぎ、また馬車でも林の中に隠してその中で眠れば、一晩くらいは越せたのである。ただ、身体の弱いナサニエルにはあまり望ましくない行程であった。


身体を覆うものをボナウスよりも多く持ってきていたのに、翌朝には熱が出てしまったのである。ファラミアは、やれやれといったようにトウモロコシの乾かしたのを、きれいなものを選んでナサニエルに渡した。


ナサニエルの朝食は、さらに上等のリキュールとチーズを一切れ、そして大きく柔らかいパンを食べれるだけ食べて、やっとの三口であった。馬を駆る男と二人の学徒は、石のように固くなったパンと水だけで済ました。


次の日はでこぼこの多い道を行った。家を見つけては馬車をとめ、井戸を借りて水をわずかずつ貰わねばならなかったが、ナサニエルはその間も馬車のなかで苦しんでいた。二日目が終わるころには、ボナウスの口数は少なくなり、疲れも見えてきた。ナサニエルはそれを感じ取り、申し訳ない気持ちになった。ナサニエルの熱自体は下がって来たが、今度は咳が出始めていた。


二日目の夜、ファラミアは暖を採る為に小さく燃やした焚火のそばで言いにくそうに、重要なことを言った。ほとんど休みなく馬を駆る年寄り、彼はようやく名前をフェルナンド、と教えてくれたが、今日は獲って来た兎を焼いて、三人に食べさせてくれたこともあって、ナサニエルをふくめ三人は少し豊かな気持ちになっていた。


「ボナウス、ナサニエル、実は馬車を駆るフェルナンドは明日、自分の故郷に着いたら一緒にくるはずだったタルドゥムと交代するはずだったんだ。でも、仕方がない。明日からは僕が馬を駆る」


 ファラミアの言った通り、フェルナンドは帽子を振って、穏やかな顔をして三人に別れを告げると馬車を降りた。そこで疲れた馬を替えると、言った通りファラミアが手綱をとり、三日目、四日目を迎えた。


その日は聖ドナエルに着く予定の日だった。ファラミアは地図を見つつ、予定よりも早いといって笑顔を見せた。だがもうすぐ町も見えてこようというところで、盗賊らしき男たちが町の方から歩いてくるのに遭遇してしまった。ファラミアは、気付かれないようボナウスとナサニエルにすぐに馬車を降りて、茂みに隠れるように言い、自分は馬車を駆って、隣町につづく脇道に進路を変えると、全速力で遠ざかって行った。


拍子抜けした男たちはいったんは散らばったが、奇妙なうなり声を挙げつつ、ファラミアの馬車を追って行った。ボナウスとナサニエルにはその様子を、じっと息を殺して見ていたが、馬車の形が見えなくなったところでボナウスが決然とした調子でこう言った。


「ファラミアを助けに行かなくちゃ」


ナサニエルは驚いてボナウスを見た。そんな馬鹿なことあってたまるか、という気持ちだった。


「無理だよ、相手は盗賊だろ」


「そんなことはない、町へ行けばどうにかなるはずだ。それに、君と違って僕たちは帰るんだ。君の助けなんか必要ない。聖堂に行くなら一人で行け」


緊張で気分の悪くなるのを抑えつつ、ナサニエルの頭は混乱をどうにか解決しようと知恵をしぼったが、言えたのはこれだけだった。


「とにかく聖堂へ行こう、それからファラミアを助けに行ってくれるようにお願いすれば」


ボナウスはそばかすだらけの頬をゆがめて、ナサニエルを意地の悪い顔でにらんだ。


「おまえ、本気で言ってるのか。聖堂に行ってからじゃ遅いかもしれないんだ。それに

ファラミアと僕しかいないことを、どうやって説明しろって言うんだ」


「そんなこと!いまさら言うなよ!僕が行って説明する」

「どう説明するんだ?お前が、嘘がうまいようには見えないけどな」


ナサニエルは二の句が継げなかった。言葉を失ったナサニエルを置いてボナウスは小走りにまっすぐ町への一本道を駆けて行った。ボナウスの背中は大人びて見えたが、ナサニエルはその背中を追いかける気にはなれず、大きくせき込み、道の真ん中で丸くなった。そのとき目から涙が滲みでたが、何のために出た涙か解らなかった。ナサニエルはさきほど馬車から降りるとき、とっさに掴んで持ってきたリキュールの瓶を開けると、何を思ったか一気にそれを飲み干した。


「よし」


身体が熱くなり途端に力がわいてきたナサニエルは、とぼとぼと町へ向かって歩きはじめた。もちろん地図など無いし、四日の間、ろくに見もしなかった。だが町らしき雰囲気が漂ってくる方向はわかるし、馬車と、ボナウスが走って行った道を辿ればいいのだ。町へ行けば聖堂もすぐにわかるだろう。

 

走っているうちに、ナサニエルは自分がひどく汗をかいて、疲れていると思うようになった。そうして町へ着くころには、視界が旋回して、門扉の手前でたまらず吐瀉すると、その場に倒れた。ちょうど門扉から出てきた旅商人の女性が彼を気付かせてくれたが、そこでようやくナサニエルはこう言った。


「水を、水をください」


すぐに水をあてがわれたナサニエルは、しばらく友人のことなどは放っておいて、自分の身体を休ませることに集中した。しかし、そう長くも難しい。水を渡してくれた人に、盗賊に荷馬車を襲われ、自分は逃げたが、友人二人が残ったことを伝えた。そして自分がドナエルの聖堂にやってきた学徒であり、友人二人はそのためにはるばる遠路を一緒にやってきたのだとも伝えた。

 その女性は、ナサニエルに憐れみの表情を浮かべて言った。


「じゃあ、辛いでしょうね。でもきっと無事ではないわ。これから行くのでは」


 ナサニエルは落胆した表情でその女性の答えに応じたが、聖堂の衛兵らしき男が二人、町の門扉から出てきて女性と話をしたのを見て、ナサニエルは少し落ち着いた。

衛兵二人は、ナサニエルを厄介そうな目で見ると、しぶしぶといった具合で、ナサニエルのやってきた道を、かるがるとした足取りで走って行った。


そのあとは、ナサニエルの期待した通りの待遇が待っていた。まず、しっかりと休ませてもらえたし、食事も栄養のあるものを特別にとった。誰もナサニエルを責めたりなどしなかった。


しかし結局、衛兵は間に合わず、ファラミアと荷馬車は見つからずじまいだった。盗賊たちの行方もわからなかった。ボナウスだけが見つかり、聖堂にやってきた。


ボナウスはナサニエルを見るなり、暗い瞳を向けたが、何も言わなかった。ナサニエルも何も言わなかった。しばらくして、ファラミアが荷馬車を盗んだような話が持ち上がったが、やがてそんな噂は消えた。ボナウスは聖堂に留まるよう、説得されていたが、どうしても帰ると言ってきかず、実際に二週間後、今度はちゃんと大人たちと一緒に帰って行った。


 

ナサニエルは、人の死について、改めて思うことがあった。ボナウスを見送って、振り返った先で目が合ったのは、当時すでに十分に経験豊かであったシンソニア神父だった。ナサニエルはとっさに表情をとりつくろったが、どうやら見られていたらしい。三日ほど経った夜、思い出したように、シンソニア神父はナサニエルを呼び出して言った。


「ナサニエル、君は、人の死に際してどうやら、悪魔を飼っているようだね」


悪魔を飼っている、とは曰く、背徳的な考え方をしている、という意味の庶民言葉である。教父の口にする言葉にしては、ひどく粗野だと思ったが、ナサニエルは笑って答えた。


「そうかもしれません」


シンソニア神父は少し、驚いたようだった。けれどそれ以上尋ねるようでも無く、「また来なさい」と言ったきり、ナサニエルを部屋に返したのだった。

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