A MONDAYーある月曜日の懺悔ー

ミーシャ

第1話 「悪心」 

「教父様、また心が晴れないのです。どうして過去のことを思い出すのでしょう」

「それはナサニエル、悔んでいるのでしょう。あなたはいまだにここに慣れてはいませんね。語り合う友を選んではいない。もう、5年になる」

「はい、そのせいなのです。御光に近づくためにここにいますのに、私は」

「いいえ、ナサニエル、それは違います。御光はどの人の心にも宿っています。近づくのではありません、気付くのです。御光は、あなたがこの世に生を受けて以来、ずっとあなたの心の一番近くに在られるということを」

「教父様、またお話をしても?」

「えぇ、いつでもいらっしゃい、夕食後がいいでしょう。蝋燭をアスリルからもらってくるのを忘れてはいけません」

「はい」


 1186年、ナサニエルは御光のもとに、二度目の生を受けた。それは彼が九つの頃だった。イタリア・ジェノヴァの東、砂の多い荒涼とした大地が彼の故郷であり、六人目の子どもだった彼は、両親の希望を受けて、ガリア地方の名のある聖堂の学び舎にその生活の場を移した。そこで彼はナサニエル、という名をいただき、それまでのコルジャン、という名前を、両親と兄弟たちのもとに返した。彼の家は曽祖父の代から小麦の精製と卸売を行い、ともに16を超えた彼の兄の二人は、大工仕事のまねごとのようなことをして生計を立てていた。妹はひとり居たが、まだ赤ん坊の頃に隣町の裕福な服屋にもらわれていった。

ナサニエルは5年、中央ガリアの風に吹かれたが、肺を痛めてより空気の澄んだ、東のドナエル聖堂のイェルゴ―司教に引き取られるようにして、今に至る。彼は同輩のエッサーが指摘してくれたおかげで、自分が19の春を通り過ぎたことを、昨日の朝早く知ったのだった。


 ナサニエルは今、簡単な昼食をとりに、石の食堂へゆっくりと歩いていた。ここでは何もかも静寂が好まれたため、間違っても走ることはない。きまりの時間に遅れても、その分、四人いる教父の誰かに許しを請えば許してもらえた。今彼は、その一人で、もっとも影響力のあるシンソニア神父と話をしていたところだ。ナサニエルは人気のない庭を眺めやり、雨上がりの濡れた土と丈の短い草の先に、はたと心を奪われた。


ナサニエルは幼いころから、心がこのように突然歓喜の嵐に見舞われることがあり、傍目には、彼がわけのわからぬ泣き虫のように見えた。悲しいことがあるのではなく、ただ静かに涙を流すのである。周囲の者は彼が痴呆ではないかと疑ったが、ある学徒が道端で聖なる書を紐解いていたときに、彼が涙したのを、その日のうちにその学徒の師に伝わり、日曜には彼の学び舎入りが決まったとき、彼は清らかなる子の代表として、驚きの混じりにその疑いを晴らすことができた。


両親は寝耳に水だったが、請われては、断る方法もこれといって無かった。身支度のために受け取った銀の一握りは、少なくもなく、多くもなかったが、彼の兄たちも、良心からか、ナサニエルが行くことに反対はしなかった。彼のために少々贅沢な夕食を囲んで、彼の心構えについて話をしたことが、彼らの素朴な別れの仕方だった。


「主の心のままに」

「主の心のままに、今日のパンを戴けることを感謝しましょう」

「ハレルヤ」

「ハレルヤ」

 

食事の間は話してはならない。しかし、だからといって考えることはない。若い学徒は腹を空かせているし、ここに長い学徒は食事を楽しまない。他に美味いものを知っているのだ。そして教父たちは考えることに夢中で、自分たちが食事を採っていることさえ、忘れてしまって口を動かしている。だからナサニエルは、つとめて何も考えないようにして口を動かすことにしていた。


彼はこの学び舎から出るということは、一度も考えたことがなかった。どこにいても、彼の心を動かし、慰めるものはあった。木々や石、土、空、小鳥、ときには花、甘い空気、乾いた空気、そして暖かな人々。ナサニエルは自分が生きていることを、ときどきひどく重荷に感じることがあったが、それがどうにもしようのない感情であることを知っていた。


食事の後、庭での散歩の時間が与えられる。胃の調子を整えるための身近な休み時間であり、天気が良ければ草などをむしりながら、学徒たちは談話を楽しむのが常だった。調理場に行って後片付けをするといいながら、食べ足りなさをどうにか物理的に解決するものもいたが、咎められることはなかった。


幼い学徒たちはボールで転がして遊んでいたし、日陰で寝ているものもいたが、とくに教父たちは注意しない。ナサニエルは、友人らしい友人のいないことを噛みしめて、ひとり、庭の隅に行く。ナサニエルが腰を降ろすにはちょうどいい形の小さな石が土中から顔をのぞかせており、その隅は、この聖なる土地と、となりの牧場をやっているドーソン氏の土地との間の、はじめの境界線だったところだ。


ドーソン氏の祖父があらたに自分の牧場の一部と牛と豚を、当時の高名なアイリオン神父に特別な恩義があるといって、寄付を申し出たときに、この石の印は、もとあった大きさを叩き壊され小さくなって、マドリーナという白い花弁をつける灌木の影に、収まることとなった。ナサニエルはここにきてから、この聖堂と、この聖堂にいた教父や学徒たちの痕跡を、学徒や奉仕のために通ってくる人々の話を耳にしたり、埃っぽい書庫に出入りしながら過去の記述に求めたりすることで、心の充実を感じていた。


ナサニエルは何かを記憶するのに不自由をしたことはなく、そのため毎日繰り返す合唱も御言葉の暗誦も苦ではなかった。もとより前にいた聖堂で床に伏せっている間にほとんど頭の中に刻みつけてしまった。それが彼にできる精一杯の証明だったからである。


ナサニエルはため息をつく。穏やかに曇る空を見て、どうしていつか川が溢れるほどの雨が降り、神の審判が下る日が来ると、思えるのだろうか。ここにいる教父たちだってそんな恐ろしいことを考えては、何一つ読みこなせやしない。


ナサニエルは不承不承、自分が罪深いことを考え始めたことを認めた。ナサニエルはクロスを描き、今晩の赦しを求めることが決まったことを神に告げる。ナサニエルは思っていたことを正直に心の中で言葉にした。それは次のようなことだったかと、思う。


教父たちは、記憶だって不確かな上に、下ばかり向いて、思慮深い顔を崩さないようにしている。誰が神に愛され、誰がそのための努力を忘れているか、その判断のために周りを見ることがまるで偉いことのようにして、そして足を引っ張り合う。学徒たちならまだいいかもしれない。だが教父たちだって例外ではないのだから、どうしろというのか。ナサニエルはそういった悲しさを見るたびに誓うことがあった。「神よ。私は、ああなりはしない」と。しかしまた同時に尋ねるのだった。『神よ。私が仕えるのは何のための〈正しさ〉なのか』と。


ナサニエルは自分の心が静かになったのを感じ、改めて、神に告げた。


「あぁ、それなのに私は、自分のことを言わないのです」


ナサニエルは頭を抱えた。そうであった。ナサニエルはこの瞬間にこそ、自分がここにいることの意味を知ることができるのだった。永遠に悔い改めることは、自分にはできそうにない。自分は一人、口を閉ざしていると心のなかでいつも言いすぎるし、考えすぎる。時には、それが外側にわかってしまうこともした。同じ学徒の悪口を彫刻用の板に刻んでしまい、あやうく教父に見つかりそうになって慌てた末にそれを燃やしてしまったことがある。


ナサニエルはとくに自分のこととなると隠し事をするくせがあった。悲しい時に笑い、うれしい時に悲しい顔をして、平静を装った。そしてナサニエルは何よりも、どの教父たちにも知られてはならないことは、まだ彼が神の救いを信じていないということだった。

 

 休み時間が終わり、ひとたび急ぎ足で各自の部屋に戻ると、書物の束を抱えて一同ミサに向かう。今日は日曜ではないのでやることは少ないが、隣の部屋に寝ている三つ年下のトリシオは、日頃鐘の番を務めていて忙しいというのに、今日の午後一番の第ミサは彼が謳いだしをしなければならない。心配した通り、トリシオはまだその部分の訳を覚えていなかった。


「ナサニエル、どうしよう?」


トリシオの青ざめた顔を見やりながら、ナサニエルは付き添うように歩いて、トリシオの謳う部分の訳語をそらで読み上げる。ナサニエルはトリシオの動揺に付き合わないようにして、さいごまで訳をしおおせる。


「トリシオ、意味はいいよね。言葉は?言葉は大丈夫?」

「え…っと…」


ナサニエルはトリシオのために、響かぬように低く、小さな声で謳いだす。


「あぁナサニエル、そうだった、君はやっぱり天使だ!」


トリシオはようやく落ち着いた様子で、自分が学び舎に入りたての頃に写し書いた、御言葉を目でなぞる。ナサニエルはこのようにたびたび講師のまねごとをすることになっていた。トリシオの場合は、隣部屋であることも手伝って至極当然のようなつもりでやっていたが、それを知って他の学徒たちがナサニエルに講師役を頼んでくるようになった。


シンソニア神父はそれを知って「ナサニエルに迷惑にならぬ限りで」とお墨付きを与えてしまったので、ナサニエルは甘んじてそれを受けた。シンソニア神父はナサニエルにとって一番近しい教父であった。正確にいえば、シンソニア神父は教父の父役の地位にあり、一学徒が親しくできるような人ではないのだが、あることがあって、そのようにナサニエルはシンソニア神父と話をするようになった。

 

ミサがはじまり、神の部屋の大扉は閉じられた。蝋燭の灯がゆらぎ、高いところにある小さな窓が、まるで夜の星のような神秘の光を放ち、いくらかの多感な学徒たちは、それが当然のごとく天からの覘き穴のように思って、そのむこうに神や天使の存在を感じ取った。ナサニエルもここに来た頃真っ先にそう思ったものだ。病み上がりの細く小さな体は、いまでは健康になり背も倍ほどになった。

 

 そろそろトリシオが二階の特別な席から一人、謳いだしをするころだ。トリシオの代理の誰だったか下級の学徒が合図の鐘を鳴らした。六人の教父も、午後にだけ姿をお見せにやってこられる大司祭様も皆頭を垂れて、左胸の上で両手を重ねて瞑想のポーズをとる。一方学徒たちは、次期教父になる者も皆、同じように目を大きく開いたまま、顎を胸に着けるようにして両手を後ろで組み合わせる。


これは罪人が「悔い改める」姿を表わしたもので、教父たちの神に対して「憐れみを請う」姿と対照的になる。これは一つの教説の重要な場面を語るもので、「声なき詩」として最初の一人に謳うのを任せている間、この姿勢のまま、謳いだしの部分が終わる数分を耐えるのだ。

 

 所々の歌詞は曖昧であったが、毎日聞いている旋律は違えることなくトリシオは謳いきる。ナサニエルは少々意地の悪い思いで、トリシオが間違えるのではと特別耳を澄ませていたが、それはあてが外れた。いつも明るいトリシオはナサニエルを好いていたが、ナサニエルはその明るさが気に入らないときがあるのだ。

 

歌い終わったトリシオは、2階から階段をゆっくり降りてくる。この部分は願いを聞き届けた神が降りてきて、皆が喜びを持って迎える場面になる。トリシオを除いて皆が両手を空に突き上げ、トリシオを見つめる。それは人が変われどいつものことだった。 


しかし、その荘厳な情景が、今日は、音を立てて崩れた。階段の最後の一段を、トリシオがなぜか踏み外したのだ。その瞬間を、いかに背の高いナサニエルでも、多くの手の「林」のせいで、見ることはできなかった。


だが、どうやら途端に口を開いた学徒たちは、いっせいに今何が起きているのかを、見えない後ろの方の者たちへと次々に伝えた。それによると、転んだ学徒が気を失っている。傷を負ったので、彼の一番近いところにいたマグロリア教父と数人の学徒が彼を救護室へ運んで行くということだった。多くのささやき声と、動揺と首の振れで秩序が乱れた聖堂内は、ナサニエルにとってさながら居心地の悪いものになった。


「怪我をするなんて」

ナサニエルは小声で一言、口に含んだ。近くにいた学徒の一人はそれを聞いたが、どうとも思わない。ただナサニエルは一つの記憶を思い出していた。さっきシンソニア神父に会ったせいもあるだろう。それはナサニエルがこの聖ドナエルに来た五年前の春の日であった。

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