4 今日子さんの憂鬱。
四月八日。その日はあたしにとって今年一年が吉と出るか凶とでるかの運命の日。
はらはらと舞い散る桜の花びらを睨んでいたあたしは、ぐっと息を詰めて目の前の人だかりの中へと入っていく。
「あ、きょんちゃん。みたぁ?」
人であふれかえっているにも関わらず目ざとくあたしを見つけて駆け寄ってくる人口美少女に、無駄な抵抗だと思いつつも聞こえない振りをする。
「きょんちゃんってばぁ。ねぇ、聞いてるぅ?」
そんなあたしの肩をがしっとつかんで、思いのほか強い力で自分のほうを向かせるのは、昨年一年間同じクラスで机を並べた女子である妹尾花恋。
ああ。できることならこの一覧表は一人でじっくりと見たかった。
「あ、花恋。おはよ」
「おっはよーっ! ねぇねぇ見た? 花恋、今年は三組だったよぉ」
「そっか。良かったね」
花恋がこれ以上余計なことを言う前に、あたしは二年のクラス分け一覧表をじっと見つめる。
とりあえず、園田今日子が三組にありませんように!
「あ、きょんちゃんも同じクラスだったよ?」
「……」
神さまに向けて差し出したあたしの願いは、天に届く前に目の前の天使のような笑顔で悪魔のようなことを口にする女によって思いっきり地面にたたきつけられる。
ああ。
ささやかなあたしの願いその一はすでに叶わぬものとなりました。合掌。
「でもって、都ちゃんも一緒! すごい偶然だよねぇ」
花恋の言葉に思いっきり脱力しつつ、少しだけ希望をもつ。
中学時代からの友達、日下部都も一緒ってことはまだマシかな。花恋の暴走を止められるのって都ぐらいだし。
それに。
一年の時のクラスメイトでなおかつ仲が良かったと思われている三人が一緒なんだから、これ以上身近な人間が一緒ってことは無いはず!
うん! 絶対そう! 先生だってそこはきちんと考えてくれてるはず!
「今日子見た? クラス分け」
自分の中で納得のいく希望を見つけ出し、とりあえずそこにすがってみたあたしは聞きなれた声に後ろを見る。
「都!」
「今年も一緒だね。花恋も。よろしく」
「うんうんっ! また三人一緒だねっ」
語尾にハートマークをつけている花恋はとりあえず置いといて。
都と花恋の話を隣で何となく聞きながら、あたしは二年三組の一覧表の男子の列を上から順に見ていく。
ないよねないよね? た、た……。
「あ! 今日子サンっ。今年もよろしくー」
幼馴染で腐れ縁、今まで散々迷惑かけられている天下無敵のモテ男である橘徹平の名前が無いことを確認しようとしたその矢先。
あたしの耳に、聞きなれた、それはもううんざりするほど聞きなれた声が非常に不吉な情報を運んでくる。
「え? あ。あぁ……」
「今日子サン、三組っしょ? 俺も三組。ってことで、今年もよろしくね」
「くっ……。なんで?!」
「なんでって……なんででしょうねー?」
にっこりと笑う史上最低のいいかげん男は、あたしの隣にいる都と花恋に向かってお決まりの『徹平スマイル』を見せる。
「日下部さんと妹尾さんも、よろしくねー」
「橘も一緒なのか」
「徹平くん、今年もよろしくねぇ」
天下無敵の『徹平スマイル』がまったく聞かない女二人を横目に、あたしは小さくため息をつく。
っていうことはよ、今年もあたしは徹平の数々の彼女を目の当たりにしながら一年を過ごさなくっちゃならないわけ?
ん? 違うな。
別に徹平の彼女なんてどうでもいいのよ。
ただ、変な厄介ごとに巻き込まれるのだけはごめんってことよね。
だいたい、家が隣同士っていうだけでもすっごい妬まれるんだから。
これでクラスメイト、しかも席も隣とかなっちゃうともう。
「はぁ」
「あれ。今日子サンってば嬉しくないの?」
「何がよ」
あたしのため息を目ざとく見つけてへらへらと笑いながら話し掛ける幼馴染に、あたしは思いっきり脱力する。
「俺と同じクラスになれて」
「ばっ! ばっかじゃないの?!」
ななな、何言ってんのよっ! んなわけないでしょーがっ!
「そう? 俺は嬉しいんだけど」
「なっ!」
「きゃっ」
「やっぱりな」
完全に絶句するあたしの隣で、嬉しそうに悲鳴をあげる花恋と深く頷く都に向かって徹平は言葉を続ける。
「家が隣同士だから何かと便利じゃん。それに、今日子サンと日下部さんと妹尾さんのトリオって、面白いしね」
「……」
なにそれ。
なんなのよ、それ。
っていうか、一瞬でも喜んだあたしが馬鹿じゃないの。
ん? 喜んだ?
べ、別に喜んでなんかないわよっ!
もう! バレンタインからこっち、なんか徹平が優位に立っている気がして仕方が無いんだけど!
「橘、そろそろ体育館に行ったほうがいいんじゃないか」
思わず歯軋りをしそうになっていたあたしの視界に、黒ぶち眼鏡をかけた男子が飛び込んでくる。
「おー、井沢じゃん。もうそんな時間?」
「ああ」
徹平と同じかそれよりもさらに高い身長に割と整った顔。その整った顔をさらに知的に見せるアイテムとして装着されている黒ぶち眼鏡。
かっこいい……けど、徹平とは違って人を寄せ付けない冷たい印象を受ける男子。
「んじゃま、今日子サンたちも遅れないようにねー」
井沢と呼ばれた男子と一緒に、徹平はあたしたちにお得意の笑顔を残して体育館のほうへと向かう。
いざわ?
なーんか聞いたことある名前なんだけどなぁ。
「イザワって、あの学年トップの井沢?」
頭の中が『いざわ』という文字で一杯になっていたあたしの隣で、都が冷静に呟く。
「学年トップの井沢くん? へぇぇ。あーんなにカッコよかったんだぁ」
そうだ! と思わずぽんっと手をたたいたあたしの耳に、獲物を見つけたような粘っこい声が聞こえてくる。
「あー。確か大病院の息子だとか聞いてことがあるけど、あんな感じだったんだね」
にやりと笑う花恋に向かって、都が思い出したように付け加える。
その都からの情報に、右手の人差し指をピンっと立てて、小さくすぼめた唇に当ててお決まりのぶりっ娘ポーズを作る。
あ、これは間違いなく。
「入ったな」
「入ったね」
都の言葉にあたしも頷く。
花恋の脳内には独自に調査した『校内いい男リスト』がリストアップされている。
容姿、性格、頭脳、家柄などなど。
まるでお見合いのときにつける釣書のような細かさで。
今の情報で、間違いなく井沢くんは花恋の脳内にインプットされたはず。
「井沢くんかぁ」
うっとりと呟くその表情は、恋する乙女というよりは獲物を見つけた女豹の姿。
「あんまり暴走しないようにな」
花恋のあまりの状態に思わず都が釘をさす。
「え、なにがぁ? 都ちゃんってば心配性だなぁ。もしかして花恋の心配してくれるのぉ?」
「いや、じゃなくって」
井沢くんの心配だよ。
都の言葉に続けてあたしは心の中でつっこむ。
花恋が狙った獲物って、大概散々振り回された上に振られるパターンだもんね。
まぁ、あの雰囲気的に井沢くんが花恋にメロメロになっちゃうとは思えないけど。
「大病院かぁ」
と、一人夢心地な花恋を見て、あたしと都は深くため息をついた。
「今日子サン、今日は一人?」
あたしにとって衝撃の始業式から一週間。
二年三組の教室から出たあたしの目の前に、見慣れすぎた男がにっこりと笑う。
相変わらず完璧な笑顔。
後ろのほうから「橘くんってやっぱりカッコいいよね」というヒソヒソ声も聞こえてくる。
うっわー、お願いだから教室付近であたしになれなれしく話し掛けないでよっ。
「何よ。一人が悪いっていうの?」
「そんなことないけど。日下部や妹尾さんがいないなら、一緒に帰らないかなーって思って」
「なっ……なんでよっ」
「なんでって、帰るところが一緒なんだから別に理由なんてないでしょ?」
「は?」
徹平の仰天告白にあたしは思いっきり言葉を失う。
先ほど徹平のことをカッコいいって話していた後ろの女の子たちから思いっきり悲鳴が聞こえる。
ちっがーうっ! 間違っても同棲とかしてないし! っていうか、それ以前にこいつとは単なる幼馴染なんだってばっ!
この場に残っているクラスメイト全員に声を大にしていいたいあたしは、あまりの驚きに声が出ない。
「だーかーらー。俺今日、久美子さんに夜ご飯お呼ばれしてるんだって。ってことは、今日子サンとこに帰るわけだろ。オッケー?」
「あー、なんだ。おばさん、また出張?」
酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていたあたしは、徹平のこの言葉に思わず納得する。
徹平んとこの母親とうちの母こと久美子さんは学生時代からの友人らしい。うちの母は専業主婦だけど、徹平んとこのおばさんはバリバリのキャリアウーマン。男の人顔負けの仕事量らしくって、よく泊りで出張とか行くんだよね。
で、その間の徹平の食事はうちでっていうのが昔からの決まりごと。
……でも、今までは夜ご飯食べに来るときでもあたしと一緒に帰ろうとなんてしなかったのに、何よ突然。
「そ。久美子さん、『今夜は腕によりをかけるわー』って張り切ってくれてたし」
にっこり笑ってそういう徹平の言葉に、あたしは心底どっと疲れた。
気持ちだけはあたしたちと変わらない十代のつもりでいるうちの母親なら間違いなくそれぐらい言いそうだし、確実に徹平のために腕によりをかけてご馳走作りそう。お母さん、徹平のこと大好きだからなー。
「だから早く帰ろうぜ」
「……って、ちょっと待ってよ」
自分のかばんを肩に担いで玄関に向かう徹平を呼び止めるように、あたしはふと思いついた疑問をぶつける。
「あんた、彼女はどうしたのよ」
そうだ。
今までの徹平なら放課後は彼女とデートだったはず……だけど、そういえば最近徹平の彼女の話、聞かないような。
「彼女?」
「そ。ゆうかちゃんだったかゆみちゃんだったか。なんかいっぱいいるじゃない。今まで放課後はそういう女の子たちとのデートだったじゃん?」
バレンタインが終わったあたりから徹平が女の子と二人でいるところはあんまり見かけなくなったような気もするけど。でも、ホワイトデーに紙袋一杯のお返しを配り歩いてたって都が言ってたし。
あたしなんかが徹平の放課後を使っちゃ彼女に悪いよね。
「いっぱいって……ひどい言い方だなぁ。俺はいつだって女の子には一対一で誠実に接してるのにー」
「一対一でもなんでもいいけど、その彼女は?」
「いないよ」
誠実だかなんだかしらないけど、とにかく女が途切れたことないあんたのことなんだから――って、え?
「いない?!」
「そ。俺今フリーだもん。あれぇ? 今日子サンってば気づかなかった? 一年の終わりから俺、バスケ部に入ったんだぜ?」
「は?!」
バ、バスケ部? なんだそれ。
そういえば、春休みに制服で出かけているの見たような気もするけど。でも、まさかこの女の子大好きな徹平が、男くさい運動部に入るだなんて想像もつかないわよ。しかも、一年の終わりって……また、中途半端な時期に。
……一体何が目当てなんだろう?
「……女バスにかわいい子でもいたっけ」
「は?」
「え? ほら、徹平が部活だなんて意外すぎるから。お目当ての女の子がいるのかなぁって」
「なんじゃそりゃ」
あたしの言葉にがっくりと肩を落とす幼馴染を、あたしは少しだけ見直す。
バスケ部かぁ。そういえば中学んときはやってたもんね。高校に入ってすっかりへらへらしたナンパ野郎になったんだと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。
でも、一体突然どうしたんだろ? 高校に入ったときに、汗臭い部活は中学までって宣言してたのに。
「スポーツマンになってもっとモテようって魂胆?」
ふっと思いついた言葉を口にすると、目の前の「スポーツマン橘徹平」はがっくしと肩を落とす。
「あーのーねー。今日子サンってばほんっとに俺のこと激しく誤解してない? 長い付き合いなのに」
「長い付き合いだからこそよ」
徹平の言葉に打てば響く勢いで返したあたしを見つめて、徹平は小さく笑う。
「だよなー、長い付き合いだもんなぁ」
「な、なによ?」
いつものふざけたノリじゃなくって、普通のトーンでそう言って、徹平はにやりと笑う。女の子全般に見せる『徹平スマイル』というよりは、あたしが昔から見慣れてきたちょっとブラック寄りな笑顔。
ん? ブラックでもないなぁ。なんだろ、この笑顔。何かを含んだ笑み。
「さ、帰ろうぜ」
そう言って先を歩く徹平の背中を見ながら、あたしはぼんやりと考える。
なんだろう? 今年に入ってから徹平の調子が変わった気がする。
高校に入学してから女の子にモテだした徹平は、中学時代に打ち込んでいたバスケをやめて、たくさんの友達、特に女友達に囲まれる毎日を送っていた。そりゃもぉ、横で見ていてイライラするぐらい、言い寄ってくる女の子を片っ端から相手していた。スタンスとしては、おそらく『来るもの拒まず去るもの追わず』って感じだったんじゃないの?
でも。
今年に入ってから、それもバレンタイン以降の徹平は教室や廊下で女の子とへらへらしゃべっている姿を見なくなった。そして、バスケ部入部。
……徹平の奴、一体何を企んでんだろ?
「今日子サン。今日子サーン?」
「え?」
「大丈夫? なんかすっごい思いつめた感じだけど」
じぃーっと徹平の背中を見つめていたつもりのあたしは、どうやら視点が定まらずぼんやりしていたらしい。徹平の声に視点をあわせると、目の前にやたらめったらカッコいい見慣れた顔のアップがある。
わっ。わわわっ。な、なに顔を近づけてんのよっ!
「お。もしかして俺の背中に見惚れてた、とか」
「ばっ! 馬鹿言わないでよねっ! そんなわけないでしょーがっ!」
「そっかなぁ。『徹平ってば意外とカッコいいじゃん』って思ってたりして」
「思わないわよっ! あんたは単なる女好きのいいかげん男でしょ!」
ひでぇなぁ、と呟く徹平を尻目にあたしはずんずんと廊下を歩く。
あーびっくりした。
徹平のアップはほんっとに心臓に悪いんだから。予告なしにいきなり顔を近づけるのだけはやめてよねっ。
後ろから聞こえてくるあたしを呼ぶ徹平の声を耳に、あたしは勢いよくずんずんと歩く。過去の徹平の彼女が持っていた女の子らしさは欠片もないような歩き方で。
突然彼女と別れたり、バスケ部に入部したり。
徹平が一体何を企んでいるのか知らないけれど、とりあえずはあたしを巻き込まないようにしてもらわなきゃ。
ちょっとだけ見直したなんてことは絶対に徹平にばれないようにしなくちゃ。
そんな気持ちがばれたら、絶対にそれをネタにしばらく遊ばれるんだから!
「今日子サーン。せっかく一緒に帰るんだから並んで歩こうよー」
後ろから聞こえるそんな訴えを無視して、あたしはひたすら足早に廊下を歩きつづけた。彼女でもないあたしが、徹平と並んで校内を歩くだなんて怖いことは絶対にしたくないもんね。
……校内で徹平があたしに向かってあんなセリフを口にしている時点で怖いんだけど。
でも。
バスケ部に入部して、彼女とも別れた徹平。
それは、少しだけ中学時代の、あたしのよく知る幼馴染の徹平に戻った気がして。
そんなことが、ほんの少しだけ嬉しいようなくすぐったいような気がして。
そんな気持ち、ぜぇーったいに口には出せないけど。
そんな気持ちをほんの少しだけ心の奥深くに仕舞ったあたしは、後ろからやってくる徹平が追いつけるように、ほんの少しだけ速度を緩めた。
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