5 花火と浴衣と戸惑うキモチ



「きょんちゃぁんっ。今度の土曜日何時にするぅ?」

 高校二年生の夏休み。

 帰宅部という特権をフルに使ってひたすらのんびりだらだらと過ごせる予定だったはずなのに、なぜか今のあたしは蒸し風呂のような室内でシャープペンシルを握ってる。

 そんなあたしの耳に飛び込んでくるのは、いつも何かしらのトラブルを持ち込んでくる友人の声。

「土曜日って何の話よ」

「あれぇ? 花恋言ってなかったかなぁ。クラスのみんなで桜川の花火大会に行こうっていう話」

「聞いてないよ。ってか、なんであたしに言うのよ」

「だってきょんちゃんもメンバーに入ってるからだよっ」

 からだよっ、ってかわいく首をかしげて言ってくれちゃう目の前の女に、あたしは思いっきり脱力する。

 場所は二年三組。目の前には夏休みも全力でぶりっ子を決め込んでいる妹尾花恋。

 一学期の成績がイマイチだったあたしは、せっかくの夏休みだっていうのに学校で数学のプリントを解く羽目になっている。

 うだるようなこの暑さの中で、因数分解だのなんだのってやったってまるで頭に入ってこない。

 そんなちんぷんかんぷんな数学の補習が終わったとこで、前に座っていた花恋がくるりと後ろを振り向いてとんでもないことを言い出したのだ。

「ちなみにメンバーはぁ、花恋ときょんちゃんと都ちゃん、それに井沢くんと徹平くんねっ」

 カチカチとシャープペンシルの芯を押し出していたあたしは、花恋の最後の言葉に思わず出しすぎた芯を折りそうになる。

「なっ! 何よそのメンツ!」

「え? 何がぁ?」

 何がぁ? じゃないわよっ! 何よその少人数! クラスみんなで行く花火大会って語弊がありまくりでしょうがっ。

「あ、井沢くんのことぉ? だぁって、花恋、井沢くんと花火みたいんだもぉんっ」

 始業式に目をつけたクラスメイトの井沢康則を、どうやら花恋はまだオトしてないらしい。

 花恋の攻めが足りないのか井沢くんが冷静なのか。まぁたぶん後者だと思うけど。花恋が目をつけた男子の中では最長じゃないかな。

 って、そんなことはどうでもいいのよっ。

「そうじゃなくてっ! なんでそんな少人数なのよ! しかも徹平が入ってるし!」

「え? きょんちゃんいやなのぉ?」

「嫌とかそういうんじゃないけど……なんであたしが徹平と花火大会に行かなきゃなんないのよっ」

「冷たいなぁ。今日子サンの浴衣姿楽しみにしてるのにー」

 シャープペンシルを握り締めて思いっきり反論したあたしの頭上から、こちらも毎度毎度あたしの人生にトラブルの種を植え付けまくる声が聞こえる。

 ああ、この声は。

「てっ、てっぺーっ!?」

「今日子サンお勉強お疲れ様」

 見上げたあたしの視線の先には、相変わらずの『徹平スマイル』で微笑みかける幼馴染で腐れ縁で勉強も運動も抜群にできる天下無敵のモテ男こと橘徹平。

 って、なんであんたがこんなとこにいるのよっ! 

「あ、徹平くんは部活ぅ?」

「そ。夏休みだってのに毎日練習なんだからやってらんないよねー」

 花恋の言葉ににっこり笑顔で相槌をうった徹平は、あたしの机に置いてある数学のプリントを取り上げた。

 そこには、さっきの補習でさっぱりだった因数分解の問題が白紙のまんまで並んでいる。

「ちょっ! 何よっ」

「へぇ。夏休みの補習ってこういうのやるんだ」

「うるさいなぁ! ほっといてよねっ」

「これぐらいの問題なら、俺に聞いてくれればすぐに教えてあげるのになー」

 涼しい顔でプリントを眺めていた徹平は、そう言ってあたしにそのプリントを渡す。

「余計なお世話よっ」

「ほんと今日子サンってば意地っ張りなんだからー」

「うるさいうるさいっ! さっさと練習に行きなさいよっ」

 大きなスポーツバッグを肩に担いでいる制服姿の徹平を教室から追い出そうとしたら、きょとんとした顔でしれっと言い返される。

「え? 今日の練習はもう終わってるよ。せっかくだから今日子サンと一緒に帰ろうかなーって思って教室覗いてみただけ」

 そう言ってにっこりと笑う徹平の後ろのほうから、きゃーっと声が聞こえる。

 夏休みの補習は二年生の全クラスごちゃまぜで行われてるから、他のクラスの子達も同じ教室にいたわけで。

 で、二年になっても相変わらず人気を誇るいい加減男のこのセリフに、他のクラスの徹平ファンが黄色い声を出しながら冷たい視線をあたしに突き刺す。。

 うっわ、怖っ!

 怖い怖いっ! 徹平もこういう他のクラスの人たちがいるところでイチイチあたしに絡まないでよっ。怖いじゃないっ。

「なんであたしがあんたと一緒に帰んなきゃなんないのよっ!」

「だって隣同士じゃん。今日子サンってば何怒ってんのよ。ただでさえ気温が高いんだから怒るともっと暑くなるよ」

「うるさーいっ! とりあえずあたしは花恋と一緒に帰るからあんたは一人でさっさと帰りなさいよっ」

 暑いわよっ! なんかもうワケワカンナイ汗かいちゃってるわよっ。とりあえずあんたと一緒にいると目立つんだから、さっさとどっかに行っちゃってよーっ。

「今年の夏も今日子サンはツレナイなぁ」

「ほんとよねぇ。徹平くんも苦労するね。きょんちゃんが相手だとぉ」

「あ。さすが妹尾さんだよねー。わかってくれる? 俺のこの気持ち」

「わかるわかるぅ。花恋も今切ない片思いにツライ毎日だもぉん」

 見た目がカッコいい学年一のモテ男と、見た目だけはブラウン管の向こうのアイドルにも引けを取らない学年一のぶりっ子娘は二人でウンウンと頷きあう。

 どうでもいいけどこの二人が並ぶと迫力あるな。遠くから眺めるだけなら目の保養になるかもね。

 ん? それってつまり、二人にはさまれた状態になってるあたしが果てしなく浮いてない?

「あ。井沢だろ、妹尾さんの片思いの相手。あいつはなかなか難しいよな」

「でしょぉ。花恋がんばってるんだけど全然駄目なのよぉ。ってことで、徹平くん。土曜日の花火大会に井沢くん引っ張ってきてねっ」

「へ?」

「は?」

 花恋のこのセリフに、それまでウンウンと頷いていた徹平と二人の間で握りこぶしを作っていたあたしは思わず思いっきりハモってしまう。

 は? 今なんて言った?

「だーかーらぁー。花恋、桜川の花火大会を井沢くんと一緒に見たいから、徹平くんに井沢くんを誘ってもらおうとおもってぇ」

「あんた、まだ誘ってなかったの?!」

 首を右斜め四十五度に傾けて語尾にハートマークをつけて徹平を見上げるそのポーズはさすがなんだけどさ。いやいや、さすがにこんな直前に無理でしょそれは。

「だぁってぇ。花恋、直接だなんて恥ずかしくっていえなぁーい」

 オイオイ。普段あれだけ猛烈なアピールしといてそれはないんじゃないの花恋さん?

「うーん。あいつは俺が誘っても来てくれるか微妙だけどなぁ」

「でも徹平くん、井沢くんと同じ部活じゃなぁい。今日も一緒に練習してたんでしょぉ?」

 へぇ。井沢くんって、徹平と同じバスケ部だったんだ。

 っていうか、さすがよくご存じで。そういうチェックはほんっとうに抜け目ないよね。花恋さんは。

「そりゃそうだけど。あの井沢が女の子と花火大会になんか行くかなぁ」

「それをどうにかするのが徹平くんの役目じゃなぁいっ。ねっ」

 ……。

 思わず絶句。

 さすが花恋だよ。あの徹平も言葉をなくしてるよ。

 すっごいなぁ。ニッコリ笑顔で無理難題を押し付けるこの感じ、ほんとにすごいわ。言ってることはむちゃくちゃだけど、この笑顔に思わず騙されそうになっちゃうからすごいよなー。

 この能力はちょっと羨ましい、かも。

「それじゃ、徹平くんお願いねぇ。あ、きょんちゃん。花恋、ちょっと寄るとこあるから先に帰るね。ばいばいっ」

 にっこり笑顔で半ば無理やりに徹平に約束を取り付けた花恋は、なぜか突然思い立ったように慌しく教室を後にする。

「……なによ、一体」

「っていうか、やっぱ俺が井沢連れてこなくちゃ駄目……なのか?」

 後に残されたあたしと徹平は、花恋が走り去った教室の入り口を茫然と見つめていた。





 色とりどりの鮮やかな浴衣が目の前を横切っていく。

 一日のお勤めを終えたお日様がゆっくりと西に沈み始めた夕刻、あたしは目の前を通り過ぎる人々をぼんやりと眺めていた。

「あ! いたいたっ」

 花恋に指定された待ち合わせ場所で待っていたあたしの耳に、珍しく焦った徹平の声が聞こえてくる。

「徹平。何よ、そんなに焦って」

「焦りもするってっ! あ、浴衣、かわいいじゃん」

 慌しく走ってきた徹平は、一呼吸置いてからあたしの姿を見てにっこりと微笑む。

「うんうん。やっぱり今日子サンはうなじを見せたほうが断然かわいい」

「べっ……別に好きでこの髪型にしたわけじゃないわよっ」

 浴衣に合わせて結い上げた髪を触りながら、あたしは思わず言い返す。

 今日、徹平たちと花火に行くという話を母親にしたら、なぜか突然張り切りだして浴衣に髪型にとやたらめったら凝られてしまった。

「そっかー。でも今日子サンは小顔だから髪上げたほうが似合うよ。というより、短いほうが似合うと思うんだよね。って、違う違う」

 腕を組んでうんうん、と頷いていた徹平はふと思い出したように慌ててあたしを急かす。

「ほらほら行くよー!」

「え?! ちょ、ちょっと!」

「今日子サンってば、やっぱり集合場所間違えてんだもんなぁ」

「は?!」

 徹平の言葉に、あたしは思いっきり間抜け面をする。

 集合場所をまちがえてる?

 え? 集合場所は三文橋駅の出口でしょ?

「ここ、西口。待ち合わせは東口でしょ」

「え?!」

 西口? え?

「この駅って出口二つあったの?!」

「ありますよー。ったく。相変わらずなんだからなー」

 あたしのその驚きに呆れたようにそう言って、仕方なさそうに徹平は笑う。

 うっわー。なんちゅー失態。それはもう失礼しました。

 みんなもう一つの出口で待ってたのかぁ。

「妹尾さんたちは先に会場に向かってるから、ほら、行くよ」

 そう言って徹平はあたしの左手をつかむ。

 浴衣の袖に隠れていたあたしの左手は、いとも簡単に徹平の大きな右手に包み込まれる。

「ちょっ……ちょっと?!」

「浴衣に下駄だと走りにくいだろうけど、急がなくちゃ花火始まっちゃうし」

 何ともないようにそう言うと、徹平はあたしの左手をぐいっと引っ張って走り出す。

 色鮮やかな人ごみをくぐりぬけて。

 夏の風物詩、花火が上がる場所までの道を。

「てっ……てっぺーっ! 手っ! 手ぇっ!」

「え? 何?」

 大きな手のひらが、あたたかい。

 ひらひらと揺れる浴衣の袖の隙間から、徹平の大きな手が見える。

 あたしを引っ張る力強い手。

 だっ……駄目だっ! なんかもう、手のひらに変な汗かいてきたーっ!!

「手ぇ、つ、ないで……るっ!」

 浴衣に下駄の格好で走っていると、息が切れてくる。

 でも、息を切らしてでもこれは訴えなくっちゃ!

 だって! だって、手ぇ繋いでんだよっ?!

 ありえないからっ!!

 徹平と手を繋いだのなんて、多分小学生以来だからっ!

「しょーもないこと言ってないで、がんばって走るっ」

 前を走る大きな背中からそんな言葉が聞こえてくる。

 しょーもないこと?! 何がっ!!

 これのどこがしょーもないことなのよっ!

 手だよっ?! 手を繋いでるんだよっ?!


 ――と、その瞬間。


「あ」

「え?」

 お腹に響く音に空を見上げると、そこに広がるのは夏の風物詩。

 夏の夜空に咲く、大きな花火。

「はじまっちまったなー」

 あたしの手を握ったまま、徹平は足を止めて空を見上げる。

 必然的に、あたしも薄暗くなっている空を見上げる。

「まぁ、ここからでも見れるし、いっかな」

 そう言いながら、徹平はあたしの手をひいて通路を外れる。

 ぐいっと引っ張るその力が意外と力強くて、あたしは思わず少しよろける。

「あ、ごめんごめん。今日子サン下駄だもんね。足、大丈夫?」

 よろけた拍子に徹平の肩におでこが当たり、もう、そこから顔を上げられなくなる。

 いやもう、足もちょっと痛いけど、それよりも。それよりも限界な場所があるんですが。

 だって、左手。

 あたしの左手は今でもずぅーっと徹平の大きなてのひらにつかまれたまんまなわけで。

 無理無理。なんかもういろいろ無理。

 徹平の顔を見るとかそういうことすらできないんですが。

「あれ? 今日子さん……顔、赤いけど大丈夫?」

「……っ!!!」

 必死に隠していた顔を徹平に覗き込まれて、あたしの顔面体温が限界突破しそうなぐらい熱くなる。

 だっ……誰のせいで赤くなってると思ってんのよーっ!!!

 目の前の幼馴染に思いっきりそう叫びたかったんだけど、とりあえずあたしは黙ってさらにうつむく。

 つかまれた左手に、変な力が入る。

 わけのわからないドキドキが、加速する。

 徹平と手を繋いだぐらいで、なんであたしってばこんなにドキドキするんだろう。

 徹平はあたしにとって幼馴染っていうだけのに。

 それ以上の気持ちなんて、これっぽっちもないはずなのに。

 

 

 

 でも。

 あたしの左手をつかんでいる徹平の右手はとてもおおきくて。

 なんだかすっごく懐かしくて。

 ドキドキして顔から火が出そうになるんだけど、自分から離すこともできなくて。

 早く離してほしいキモチともう少しだけこのままでもいいキモチがせめぎあっていて、自分でもどうしてほしいのかさっぱりわからない。

 こんな気持ちはまるで――。




 頭上で輝く大輪の花の下であたしは、なんと呼べばいいのかわからないこの気持ちの名前を探していた。



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