6 すべては徹平のせい




 夏は暑い。

 そんなことはもちろんわかってる。今年は特に暑いってテレビでも言ってたし、夏は暑いのが普通なんだから文句言うのも間違ってるってわかってるわよ。でも、じっとしてても体中の毛穴からじわっと出てくるこの汗に、どーにもこーにも動く気力が沸いてこない。

 あーあついあついあつい。もう脳が溶けそう。どうしてくれようこの暑さ。

 扇風機の風力を最大にしてリビングでテレビを眺めていたあたしは、じりじりと体内に籠っていく夏の暑さにひたすら耐えていた。

 朝一番で死亡が確認されたリビングのエアコンは明日の夕方に修理の人がきてくれるまでは使い物にならないらしい。

 なんでこんな夏真っ盛りに壊れんのよ! うちのエアコンってばっ。

 あたしの部屋のエアコンは全然効きが悪くて使いもんにならないし、こうも暑くてはどこかに避難する気力もおきない。

「今日子?」

 テレビ画面の中ではガンガンに照りつける太陽の下、あたしと同い年ぐらいの男の子たちが真剣な表情で白球を追っている。

 画面いっぱいに映し出されたこのピッチャーの子なんて、確かあたしと同じ高校二年生なんだよね。

 うう。すっごいよなぁ。

 まずこの暑さの中運動をするっていうのがすごい。考えられない。

「今日子ってば。ダラダラとテレビ観てるんだったらこっち手伝ってよー」

「はーい」

 うだるような暑さの中、テレビの向こうで白球を追っている高校球児を目で追っていたあたしは呼ばれたほうを振り向く。

 そこには、麦藁帽子をかぶった母、久美子さんの姿がある。

 ……なぜに麦藁帽子?

「何してんの」

「庭の草むしりよ。ほらほら、今日子も手伝って」

「えぇー。そういうのってもうちょっと涼しい時間帯にやるもんじゃないの?」

「まだ十時前よ? この時間ならまだ涼しいほうよー。この後どんどん暑くなるんだから」

 あー。そうだよね。まだ午前中だもんな。でも、何もこんなお日様がんがんに照ってる日にやんなくったていいのに。

「ほらほら! ちゃっちゃとやるやるっ。はい、これ今日子の分ね」

 そう言ってにっこりと笑ってあたしの目の前にダサダサの麦藁帽子と軍手を差し出す。

 うへぇ。めんどくさいなぁ、もう。

 でもまぁダラダラするのも飽きたし、他にやることないんだからいっかなぁ。

 なんとなくもやもやしたこのキモチをかかえながらうだうだしてても仕方ないしね。

 

 ふと思い浮かぶのは、色鮮やかな人ごみの中、頭上に咲く大輪の花。

 ひらひらと揺れる浴衣の袖からのぞく、大きな手。

 つかまれたての先から伝わる体温に体中の神経が集中しているあたしに向ける、いつもと変わらない幼馴染の笑顔――。


 あああああー!!! 無理! 無理無理無理!

 これ以上は思い出すのも無理!

「今日子? 顔赤いけど大丈夫?」

「え? あ、ううん。大丈夫大丈夫。草むしりね、了解了解!」

 なにやら不審そうにのぞき込む母親に背を向けて、乱暴に麦藁帽子をかぶって慌てて外に飛び出す。

 うー。まだ無理だ。あの日の出来事を整理するのマジ不可能。

 っていうか、これ、二学期始まるまでにどうにかできる問題なんだろか。

 あー。暑い。暑いんだけどこれって気温だけの問題じゃない気がする。なんていうか、あの日のせいであたしの体内温度がどんどん上がっていってる気がするんだよね。

 ううう。今年の夏が特に暑いのはあいつのせいだ。

 我が家唯一の快適エアコンが壊れたのもきっとあいつのせいだし、あたしが朝から庭の草むしりに駆り出されたのだってあのいい加減で最低な幼馴染の――。

「あら! 徹平くんじゃなーいっ」

 そんなことをぐるぐると考えながらしゃがみこんで目の前の草を引き抜いていたあたしは、いつもよりちょっと高くなった母親の声に思わず身を固くする。

「あ、久美子さん。おはようございます」

「これから部活? 暑いのに大変ね」

「いえいえ。久美子さんこそこんな暑い中での庭仕事、大変ですよね」

「あら! ほんっと徹平くんってば気配りが上手なんだからー。ほんっとうちの今日子にも見習わせなくちゃ! あら? 今日子?」

 し、心臓がバクバクしてるんですけど!!

 徹平の声が聞こえた瞬間とりあえず家の影に隠れたあたしは、ドッキンドッキンしている胸に軍手をはめた手を当てて息を整える。

 うう。あたしの体温急上昇の原因であるあいつが、なんでこんな時間にこんなとこにいるのよ!

 いやもうマジでやめてー! とりあえずあたしのことはスルーして!

「おかしいわねぇ。さっきまでそこで草むしりやってくれてたんだけど」

「暑くてへばってるんじゃないですか? あ、俺そろそろ行かなくちゃ間に合わないんで、また」

「そぉお? 今日子ったら愛想なしなんだから。ほんと、ごめんなさいねー徹平くん」

「いえいえ。それじゃ行ってきます」

 隣に住む幼なじみの母親にそつのない挨拶をして、天下無敵のモテ男で現在不本意ながらあたしの脳内に住み着いてしまっているとなりの徹平くんは、颯爽とうちの前を通り過ぎて学校へと向かう。

 

 なんか。

 なんか、いつもとぜんぜーん変わんないんですけど?


 なによ。徹平にとってあの日のことって特に何でもないことだったってこと?

 いや、べ、べつにあたしにとっても徹平とのあのことに関しては特に気にしてないんだけどね!

 でもほら、ふつう高校生にもなってああいうスキンシップ的なことって特別なもんじゃないの?なにそれ、女にモテまくりの徹平には日常茶飯事なわけ?

 あああああー! もーっ! なんかめんどくさいーっ!

「今日子? こんなところで何やってんのよ」

 家の影から徹平が歩いていった道の向こうをイライラしながら眺めていたあたしの目の前に、麦藁帽子のおばさんがひょっこり顔を出す。

 うわぁっ。びっくりしたーっ!

「な、何って草むしりよ。お母さんが頼んだんでしょっ」

「さっきまで玄関の近くでやってたのに、なんでこんな端っこに来てるのよ」

「……こっちのほうが雑草の伸び方がひどいからよっ」

「ふーん」

 あたしの言葉に納得したのかしないのか、微妙な返事をして若作りの母は心配そうにあたしを見る。

 な、なによっ!

「いい加減素直になりなさいね、今日子」

「へ?」

「徹平くん。あんなにかっこよくって優しくっていい子なんだから、意地張ってばかりいると相手にしてくれなくなっちゃうわよ」

「べっ……別に徹平に相手してくれなんて頼んでないわよっ!」

 なっ! 何を言い出すんだかこの母親はっ!

 なんであたしが徹平に相手にしてもらわなくちゃなんないのよっ。

 っていうか、関係ないし! ほんっとうにもう全然そう言うの関係ないしっ。

「今日子がそう言うならお母さん別にいいけど。離れてから気付く気持ちっていうのもあるからね」

 変に優し気な雰囲気でそう言うと、何もかもわかった風にあたしの肩をぽんぽんっと叩いていそいそと家に戻る。

 

 な、なによ。

 別に徹平があたしのそばから居なくなったって全然かまわないわよ。むしろ、やっかいな揉め事から解放されてラッキーってなもんよ。

 まぁ、今すぐいなくなられるとこのもやもやしたキモチのオトシマエをどうつけてくれるんだってもんだけど。

 あたしと徹平との間には『幼馴染』っていう単語があるだけで、それ以上でも以下でもないわけだし。

 さっきの徹平の様子見ても、あの日のアレは気にすることでもないみたいだし。

 っていうか、別に全然気にしてないし。


 いなくなった母親の言葉に心の中で反論しながら、あたしは暑い庭先で軍手した自分の左手をじっと見つめる。



 あたしをひっぱる力強い手。

 ぶつかりそうになりながら走り続けた色鮮やかな人ごみ。

 夏の夜空に咲く、巨大な花火。


 

 徹平と手を繋ぐなんて、昔は日常茶飯事だったんだけど。

 でも、あたしの左手を包み込んだ力強いその右手はとっても大きくて。

 となりの徹平くんは、気がつけばあたしより背も高くって体つきもしっかりして十分すぎるほど「男の人」になっていた。

 小さい頃、あたしの後ろで泣いてばかりだった小さな男の子は、あの花火の日、人ごみの中あたしの手をぐいぐいと引っ張ってくれる男の人になっていたんだ。

 あの日のことを思い出すたびに、あたしの胸の奥で何かがうずうずと動き出す。

 これは何?

 あたしの中で騒いでいるこのキモチはなんなんだろう。



 真夏の太陽はどんどんと地上の温度を上げていく。

 あたしの中にあるこのわけのわからないもやもやも、気温とともにどんどん上昇していく。

 幼なじみなんていう関係が、みんなが思っているより脆いものだっていうのはわかってる。

 意地を張ってたら徹平があたしのそばから居なくなるかもしれないっていうことも、うすうす気付いてる。

 それでも。

 それでもあたしはまだ動けない。

 あたしの中で騒いでいるこのキモチの正体がわからない限り、あたしはここから動くことができないのだ。



 ぎゅっ、と軍手をはめなおす。

 徹平がつかんだあたしの左手。

 その左手で大きなつばの麦藁帽子をかぶりなおして、あたしは目の前の雑草に意識を集中させることにした。



 あたしの頭上には、じりじりと照りつける真夏の太陽。

 もてあました自分のキモチを胸に抱いて、あたしはひたすら目の前の雑草を抜き続けていた。




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となりの徹平くん 真冬 @mahuyun

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