3 ガトーショコラのお味はいかが?
「きょんちゃぁんっ。おっはよーっ」
少しずつ春の暖かさを感じることができるようになってきた三月。教室に入ったあたしの目の前に、相変わらずの作り笑顔に作り声全開の妹尾花恋が飛んでくる。
その立ち居振舞いは、今日も見事なまでの『男子の目線を気にした女』だ。
「おはよー。って、なによその目」
人差し指をあごにつけるという花恋定番のぶりっ子ポーズのまま、あたしの身体を上から下までじろじろと見る。
「あっれぇ? きょんちゃん。プレゼントは?」
「なんであたしがあんたにプレゼント用意しなきゃなんないのよ」
「違うよぉ。徹平くんからのホワイトデーのおかえし」
右手の人差し指を振りながら、『お、か、え、し』と一文字ずつ区切って発音している花恋を見ていると、なんだか朝からとてつもない疲れがあたしを襲う。
いやもう。ぶりっ子もここまでくると尊敬するよ。マジで。
「あーっ。きょんちゃんってば忘れてるのぉ? 今日はホワイトデーじゃなぁい」
そういって花恋は左手に持っていた小さな紙袋をあたしに見せる。
なに、その高級感半端ない紙袋。絶対に駅ビルのショップじゃ見かけないんですけど。
でもって、ホワイトデーって今日だったのか。
「徹平くんのことだから、ぜぇったいに登校前にきょんちゃんにお返し渡すと思ってたのになぁ」
「なんであたしがあいつからお返しもらわなきゃなんないのよっ!」
「だってあげたんでしょぉ? バレンタインチョコ」
くっ……。
園田今日子、一生の不覚。
そうだよ。あげたんだよ。なんでかわかんないけど、結局今年もあげちゃったんだよ。史上最強のモテ男である幼馴染の橘徹平に。
「あれ? 今日子はまだもらってないんだ」
一人後悔の念に囚われていると、隣から落ち着いた声が聞こえてくる。
「都」
見上げると、そこには中学時代からの友人である日下部都が不思議そうな表情であたしを見下ろしている。
「橘、今日は朝から大きな紙袋提げて女子の間飛び回ってるよ」
「きょんちゃんはまだもらってないんだってぇ。花恋、ぜぇったいに徹平くんは一番最初にきょんちゃんにあげるんだと思ってたんだけどなー」
「うん。私もそう思ってた」
「あのねー」
都と花恋の会話を横で聞きながら、あたしは大きなため息をつく。
「あんたたち、あたしと徹平の関係をすっごい誤解してない?」
「関係って?」
肩を落としながら口を開くと、都がきょとんとした顔で聞き返す。
うっわ。マジで誤解してるわけ?
ちょっとそれって、友達的にどうなのよ。
「だからーっ!」
「幼馴染兼恋人でしょぉ?」
「ちっがーうっ!」
花恋の言葉に対してあたしは目一杯否定の言葉を口にする。
なんだそれは! なんで幼馴染に恋人が付随するわけ?
「あいつは単なる幼馴染! それ以上でもそれ以下でもないんだからっ。バレンタインのチョコだって、完全な義理チョコだったんだからねっ!」
力いっぱい完全否定したあたしを、都はなんだか母親みたいな自愛に満ちた目で見つめてくる。うっわー、何その、わかってるわよ目線!
対して花恋は、思いっきり口を尖らせて上目遣いにあたしを見る。何よその、絶対に嘘だーっていう顔!
「とにかく! あたしは別に徹平からのお返しなんてこれっぽっちも期待してないからっ」
まったく信じていない様子の二人に向かって思いっきり宣言してから、あたしは自らの机についた。
なによもうっ!
だいたいホワイトデーってなによっ!
それに――。
紙袋いっぱいのお返しってなんなのよっ! 徹平のばかっ!
結局、放課後になっても徹平からは何の音沙汰もなかった。
何よ。そりゃぁあんなちっちゃい義理チョコにお返しなんて馬鹿らしいのかもしれないけどさ。
でも、ほかの子に渡してるんだったらあたしにだってくれたっていいじゃない。
普段は不必要にあたしの周りをうろうろするくせに、今日は授業中以外ではぜんぜん姿を見せないしさ。
ま、別にいらないんだけどっ。徹平からのお返しなんて!
「ただいまー」
そんなことをぐるぐる考えながら自宅の玄関を開けたら、チョコレートのにおいが家中に充満していた。
うっわぁぁぁっ。あたしの大好きなチョコのにおいだぁっ。
これ、完全に今焼きあがった感じじゃんっ。おいしそーっ!
あれ? でもなんで? うちにはケーキが焼けるような器用な人間はいないはずなんだけど。
玄関先にある男物の靴にちょっと嫌な予感を感じつつ、でもチョコのにおいに抗えないあたしは、誘われるままにうきうきとリビングの扉を開けた。
するとそこには、あたしの母親と楽しそうに談笑しながらキッチンに立つ見慣れた後姿が。
「てっ、てっぺいっ?」
「あ、今日子サンおかえりーっ」
スラリとのびた身長の上に整った顔が乗っている徹平は、普段散々見慣れているあたしから見てもかっこいいと思う。
腰巻スタイルのエプロンを身につけてキッチンに立っているその姿は、いかにも『料理ができるイマドキの男子』っていう感じで、見事にさまになっている。
もちろん、そんなイケメン男子が大好きなのは同年代の女の子だけではない。
「徹平くんってば、ほんっとにお料理上手なのよねーっ」
キッチンの横に備え付けられているオーブンレンジを覗き込んでいたあたしの母親が、徹平の顔を見てしみじみと話し掛ける。
っていうか、ちょっとうっとりしてませんか? お母さん。
「そんなことないですよー。久美子さんこそさすが主婦の鏡ですよね。うちのお袋も見習って欲しいですよ」
人の母親ににっこりと無敵のスマイルを向ける天下無敵のイケメン男子。
おいおい。幼馴染の母親相手になんだそのくどき文句は。
その徹平の笑顔に軽く頬を染めて照れている母親もどうかとおもうけど。
「あら、今日子。お帰りー」
まるで少女のような表情をしていた久美子さんこと私の母親は、ようやくあたしの存在に気付いてすごくおざなりな言葉を投げかけてくる。
うっわー。なに、その適当な挨拶。
「今ねー。徹平くんが今日子のためにケーキを焼いてくれていたのよーっ」
その言葉とともに、たった今オーブンから出したばかりのケーキをあたしに嬉しそうに見せてくれる。
チョコの香りが濃厚なガトーショコラ。
少し固めのスポンジ生地はチョコレートでこげ茶色に染まっている。
ふんわりと漂うかおりは、ビターとスイートが混ざり合った、ほんのり甘めのカカオの香り。
チョコ好きにはたまらないぐらい、チョコレートの味がダイレクトに味わえるあたしが一番好きなケーキだ。
うっわ。とてつもなくおいしそうなんですけどっ。
「今日子サンはチョコレートが大好きだもんね。あとは、粗熱を取ってから型から外して粉砂糖をかければ完成だよ」
思わずよだれをこぼしそうな勢いで目の前のガトーショコラを凝視していたあたしの耳に、嬉しそうな徹平の声が聞こえてくる。
「あらあら。もうこんな時間じゃない。今日子、お母さんちょっと買い物いってくるから、後片付けお願いねーっ」
「え? ちょっ!」
ガトーショコラをガン見している娘の横で、なぜか突然バタバタと財布を手に部屋を出ていく母親。
残されたのは、嬉しそうに笑う徹平と、突然のことにドギマギするあたし。そして、出来立てのガトーショコラ。
ええーっと。
これってば、もしかしてホワイトデーのお返しだったりするわけ?
「今日子サンに最初に渡したかったんだけど、俺んとこは今日子サンとこみたいなオーブンがないからさー。結局当日に焼く羽目になっちまったんだよな」
「って、これってばやっぱりあんたが一人で作った、わけ?」
「もちろん。バレンタインチョコのお返しだもん、やっぱり心をこめて手作りケーキかなーって思ったんだけど」
そういってにっこりと笑う『料理ができるイマドキの男子』橘徹平。
うっわー。一番身近な男子が自分より料理ができるってどうなのよ。
っていうか、バレンタインのチョコが完全義理チョコですーっていう仕様だったのに、そのお返しがこんなんって、それってどうなわけ?
そう考えると、さっきのセリフの裏側が、『来年のバレンタインは当然手作りチョコ』っていう風に読めてしまうんですが……。
それってあたしの考えすぎ?
でも、天下無敵の橘徹平はそれぐらいの嫌味はさらりとしでかしそうなんですけど。
「今日子サン? とりあえずかばん置いたら」
さらりと嫌味をかます男の言葉の裏側を一人で自問自答していたあたしに向かって、徹平はソファーを指差す。
そして自分はガトーショコラを型から取り出して、茶漉しで粉砂糖を振りかけていく。
はぁ。なんだろう。
あたしんちのキッチンなのに、なんであたしよりも徹平のほうが似合うんだろう。
なんかもう、果てしなく落ち込むなぁ。
そんなことを考えて、ソファーに座って深々とため息をついたあたしの目の前に、できたてガトーショコラが差し出される。
まるで、ケーキ屋さんで買ってきたかのような、完璧な出来栄え。
「さ、召し上がれ」
嬉しそうな笑顔でケーキの横に淹れたての紅茶を沿えながら、テーブルをはさんで向かいに座った徹平があたしに向かってケーキを勧める。
アールグレイの独特の香りが、ガトーショコラのビターなチョコの香りと相まってあたしの鼻をくすぐる。
「……あんたって、嫌味なぐらい完璧よね」
「どういう意味?」
「男がここまで完璧にケーキ作って紅茶淹れられるだなんて、ぜぇーったいにおかしい気がするんですけど」
「ま、俺だから」
思ったことを口に出したあたしにむかって、自意識過剰な男はさらっととんでもない言葉を口にする。
あー。そうですよね。
天下無敵、唯我独尊男の徹平くんですもんね。
そりゃぁお料理もお上手でしょうよ。
「え? 今日子サンってば、ケーキの作り方を教えて欲しいの? あ、来年のためにか」
「んなわけないでしょーがっ!!」
自分用に切り分けたガトーショコラにフォークを刺しながら、徹平はあたしの顔を見てにやりと笑う。
うっわーっ! ぜぇったいに嫌!
あんたに料理を教えてもらうのだけはぜぇーったいに嫌だからっ!
「相変わらず冷たいなぁ」
そういいながらもそもそとケーキを口に運ぶ徹平を呆れた顔で見ながら、あたしは六分の一にカットされたガトーショコラをひとかけら、口に入れる。
ふんわりと広がるチョコの味。
それは、あたしにとって至福のひととき。
温かい紅茶とあまいあまい手作りケーキ。
目の前の男は相変わらず何考えているのかわかんないけど、とにかく今はなんだか幸せな。
ただの幼馴染でしかないあたしと徹平の関係だけど、徹平があたしに作ってくれたケーキの味はあたしの好みそのものだった。
あたしの大好きな味、そのものだった。
あたしたちの関係は幼いころから変わらないけれども、だからこそ、徹平はあたその好きな味を作れるんだと思う。
嬉しい時も悲しい時も、結局いつだって隣にいるのは徹平で。
最近は迷惑をかけられることも増えたけれども、それでも助けられることだって相変わらずたくさんあるわけで。
この関係はこれからも続いてもいいかなーなぁんて、そんなことを想ってしまうのは、きっとガトーショコラがとっても美味しかったから。
うん。ガトーショコラの甘さにちょっとやられちゃっただけなんだと思う。
これを食べ終わったころには、きっとまたこの関係にもゲンナリしてる……はずだよね。
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