2 バレンタインデーには小さなチョコを



 コトの起こりは一週間前――。



「きょんちゃんっ。今日の放課後空いてるぅ?」

 一日の授業を終えて帰る支度をしていたあたしの目の前に、イマドキ珍しいわかりやすいぶりっ子キャラを貫く一人の女が姿を現す。

「な、なによ花恋」

 右手の人差し指を自らのあごに添えてくちびるを尖らす目の前の女は、クラスメートの妹尾花恋。本人曰く、花も恥らう十六歳、らしい。

 同い年の男子を次々と騙して手中に納めるその姿は、あたしの目には『ハゲタカのように高収入の男を狙う独女』のように映っていますが。

「来週、バレンタインデーでしょぉ? 花恋、大好きな男の子のためにチョコを買いに行こうかとおもってるんだけどぉ」

 その花恋の言葉を聞いて、あたしの周りに残っていた男子の動きが一瞬止まる。

 女のあたしから見ればありえないほどのぶりっ子も猫なで声も、男共にすればたまらなく可愛いらしい。これも一つの萌え、なのだろうか。

 まぁ、花恋の場合目鼻立ちが整っているだけでなく愛嬌もあるかわいらしい顔に、平均より少し小柄だけどもれなく胸はありますよーっていう男受けするスタイルだし。あたしらぐらいの年頃の男子にしたら確かにかわいくって仕方がないんだろうなぁ。この高い声に舌ったらずのしゃべり方も、おそらく高ポイントを追加してるんだろうし。

 うーん。でも、同姓には激しく嫌われるタイプなんだけど。

「一人じゃ色々迷っちゃうから、きょんちゃんに一緒についてきて欲しいなぁーって思うのー」

「嫌だよ。あたしには関係ないもん」

 間違いなく語尾にハートマークを飛ばし続ける花恋の攻撃を、あたしはできるだけ冷静にかわす。

 入学式が終わってすぐのホームルームで、花恋はあたしのひとつ前の席になった。出席番号順で席についたとき、「妹尾」花恋と「園田」今日子が縦に並んで座るのは当たり前っちゃぁ当たり前。

 その時は、「すっごい可愛い女の子だなー」という印象のまま友達になったんだけれど。

 コレがとんでもないタヌキだったんだよね――。

「えー。そんなこと言っちゃうのぉ?」そこでにっこり笑顔のままあたしににじり寄った花恋は、声のトーンをぐぐっと落として言葉をつづける。「どーせ暇なんやから付き合ったらええんちゃうの」

 ひぃっ。出たー!

 小学校まで関西に住んでいたらしい花恋は、基本は標準語を使いこなすが、時々こういう風に関西弁を繰り出してくる。

 関西弁、怖いんだよね。花恋の場合声のトーンも下がるし。

「ああいう空間に女子が一人とか、どー考えても浮くやんか。それぐらい空気読んでぇな。なぁ」

「いや、でも」

 ぐぐっとあたしに顔を近づけながら、ブレザーの襟元をつかんで引き寄せる。

 あの、花恋さん? ここまでやっちゃうと遠くの男子たちにもあなたの所業がバレマスヨー。

「何やってんの? あんたたち」

 ぐいぐいと詰め寄る花恋の攻撃をどう交わそうかと考えていたあたしの耳に、飽きれたような声音で冷静に突っ込む天使の声が聞こえる。

「みやこーっ」

 同じクラスで中学時代からの友達でもある日下部都が、カバンを手に呆れ顔であたしと花恋を眺めている。

 身長百六十八センチという長身に肩の上で切りそろえられたショートボブ。どちらかというと美人顔の都は、男子というよりは女子から絶大な人気を誇っている。

 たぶん、うちのクラスではあのいい加減男である橘徹平に勝るとも劣らない人気かもしれない。

「だぁってぇー。きょんちゃんが花恋と一緒にチョコを買いに行ってくれないっていうんだもーん」

 都の登場であたしの襟元にかけていた手を外しながら、花恋は口を尖らせてもとのぶりっ子標準語に戻る。

 あたしには強気な花恋はなぜか都には従順だ。なんか、そういう上下関係でもあるんだろうか?

「チョコ?」

「そ。バレンタインの。都ちゃんも買いに行こうよっ」

「チョコ……ねぇ」

 花恋の誘いに少し言葉を濁してから、都はあたしのほうを見る。

「今日子は買わないの? バレンタインチョコ」

「買わないよ。あげる相手いないもん」

 都の問いかけに、打てば響く勢いであたしは言葉を返す。

 チョコを渡す相手なんて、いるわけないじゃん。

「でも、橘は?」

「そうよぉ。きょんちゃんは徹平くんにチョコあげなきゃぁ」

「だっ、誰があんな奴にっ!」

 さらりと徹平の名前を口に出す都と便乗して面白がる花恋に、あたしは全力で否定する。

 ないないない! もうぜーったいにない!

「えー?! きょんちゃんって徹平くんのこと好きなんでしょぉ?」

「いいえ! 全然! 全くっ! これっぽっちも!」

 ぶりっ子炸裂の花恋に向かって、あたしは唾を吐きかける勢いで拒否する。

 なっ! なんでそういう話になるかなーっ!! あたしのどこを見れば徹平が好きっていう感情がでてくるわけ?

「まぁさ。今日子が橘のことを好きじゃないとしても義理チョコぐらいはあげたら?」

 意固地に見えるほどの拒否をさらりとかわして、都はにっこりとあたしに笑いかける。

 なっ、なによ! そのわかってるけど黙ってあげるわ、的な視線。

 中学時代からのあたしと徹平の関係を知ってるくせに、都はそういって毎年あたしをからかうんだから。

「別にいいの。どーせあいつは女の子から紙袋いっぱいに本命チョコをもらうんだから」

「それとこれとは別だとおもうけどぉ?」

 別なもんかっ。

 あたしの言葉に不思議そうな表情の花恋を無視する。

 だいたい徹平はそんなに甘いものが好きじゃない。そのくせ女の子にはベタベタに甘いから、チョコレートは必ず受け取る。結果、春先まで徹平ん家にはチョコレートの山ができあがってるんだからね。

 そんな状況の徹平ん家のチョコの山をあたしがさらに高くしてどうすんのよ。

 って、べ、別に徹平のことを心配してるわけじゃないんだからねっ。おばさんとかおじさんが大変だなーって思うだけで!

「でも、今日子は橘に散々世話になってるじゃん? 去年の年末も一度、朝から貧血で倒れた今日子を保健室まで運んで結局付き添いまでしてたし」

「うう」

 あー。それは確かにそうなんだよね。あの日は本当に助かったんだよなー。

 珍しくマジに心配してくれてたし。

 いや! でもあれはたまたま徹平が一緒の日直だったっていうだけの話だし!

 結局最後はグダグダで保健室から出て行ったわけだし!

 そりゃ、助かったけど、けど!

「いかにもっていうチョコレートが嫌ならほかの物でもいいんじゃない?」

 あたしの心を見透かすように都はそう言ってにっこりと笑う。

 ほんっと、あたしは都にはかなわない。

 美人で聡明で、徹平とは違って大人な魅力でクラスの女子を惹きつける、あたしの自慢の友達。

「それじゃあ都ちゃんと三人で行こうねっ。決まりっ」

 その隣で両手をグーにして胸元でガッツポーズをとっているクラスの女子ほとんどに嫌われている花恋とは雲泥の差、だよなぁ。

 結局いつも、あたしは花恋のペースに乗せられてるし。

 って、ちょっと待ってよ! あたしは徹平にバレンタイン用のプレゼントなんて買わないからねっ!


 というあたしの固い決意はその後三人で向かった駅ビルのバレンタイン特設会場にてあっけなく崩れ落ちた。

 とんでもない熱気と「何か買わなければ!」という強迫概念にかられたあたしは、会場を後にする頃には小さな紙袋をその手に握り締めていた。






 そして、それから一週間後、二月十四日火曜日。バレンタイン当日、午前八時。



「今日子サーン! おっはよー」

 よく晴れた青空の下、しっかりとコートにマフラー、手袋という完全防備体勢で自宅の門扉を開けたあたしは、目の前に今日一日はできるだけ会わない方向で行こうと決めていた男と遭遇した。

 ってぇか、なんであんたがここにいんのよっ! その登場の仕方ってば、明らかにあたしを待ち伏せシテマセンカ?! って、思わず驚愕の事実にカタコト日本語になっちゃったでしょーがっ!

「お、おはよ……」

「今日も相変わらずさっむいねーっ」

 明らかに逃げ腰のあたしに向かって、隣のいい加減な最低男である橘徹平はにっこりと朗らかに笑いかける。

 黙っていれば整っている顔が、笑った瞬間にくしゃっと崩れてかわいい雰囲気に変わる。

 あー……。あんたのその笑顔は、今日の収穫にどれだけ貢献するんでしょうねー。

 と、とりあえず負けるなあたし!

 カバンの奥底に眠っている小さな存在はとりあえず忘れた振りをしてみよう。

 ほら、何も今日中に渡さなきゃならないわけじゃないしさっ。

「今日子サン。今日は何の日だっけー?」

「え? 一時間目の英語が単語テストの日、でしょ?」

 そうだそうだ! 今日は一時間目から単語テストがある日だったねっ。ほらほら、早く行って学校で勉強しなくちゃなぁーっ。

「うん。でも今日の範囲は簡単だったよ? 今日子サンってば勉強してないの? 通学ついでに俺が問題出してあげよっか?」

 あたしよりはるかに成績のいい徹平は、右肩に背負っていたカバンから授業で使う単語テスト用のテキストを取り出して今日のテスト範囲を開く。

 うっわ。やぶへびだ。コイツ、こんなヘラヘラしてるくせに勉強できるんだった。

「いや、いい。うん。ほら。徹平は忙しいんじゃないの? 朝から女の子の相手で……」

「英語の単語テストの日に、なんで俺が女の子の相手をするわけ?」

 あたしのしどろもどろの反発に、徹平はにっこりと笑顔を保ちながら半ば厭味とも取れる返しをしてくる。

 ってぇか、完全に厭味だよな。コレ。なんでコイツってば、こんなにも性格が悪いわけ? 世間の女の子たちはコイツのこの性格に気づいていないわけ? それとも、あたし相手限定? あたし相手限定でブラックナンデスカ?!

「……降参です。今日はバレンタインデーです。だから大変おモテになる徹平くんは朝から女の子からチョコをもらうのに忙しいんじゃないでしょうか? なのであたしには構わずどーぞ先に行ってくださいませ」

 目の前、二十センチ上にある徹平の無敵のスマイルを見ないように、あたしはあさっての方向を向いて棒読みで最初の徹平の質問に答える。中学時代に繰り返された『女子による女子のための朝から橘徹平争奪戦』を頭に思い浮かべながら。

 まず自宅前で数人の女の子が本命チョコを手に朝から待ち伏せ。

 その後校門前で他校の女の子がこれまた待ち伏せ。

 で、もちろん少女マンガでは王道の『靴箱にチョコぎっしり』イベントを終えて、教室に行けばこれまたクラスの女の子から熱いまなざしとチョコをセットでお届け……っとね。

 って、あれ? そういえば今年は『自宅前待ち伏せ組』が見当たらないわね。

「ふーん。でもって、今日子サンは? 今日子サンは俺にチョコレートくれないの?」

「なっ! だっ、誰があんたなんかにっ!」

 カバンの奥底でひっそりと眠っている小さなチョコの存在を忘れたい一心で、あたしは力いっぱい否定の言葉を口にする。

「べ、別にあたしからのチョコなんていらないでしょーが。どーせ紙袋いっぱいの本命チョコをもらうんだからっ」

「うーん。でも、他の女の子からもらうチョコと、今日子サンからもらうチョコはちょっと違うからなぁ」

 何がどうちがうんだーっ!

 目の前で少し憂いを含んだ表情であたしから視線をそらすブラック徹平を見ながら、あたしは全身の力が抜けるのを感じる。

 ドコガドウチガウンデスカ? それはもしかして、あたしのだけ義理チョコだからっていう意味ですか?

 まぁ、それは当たってるかもね。うん。あんたぐらいになると、義理チョコをもらうほうが珍しいモンね。

「どーして今日子サンはそう意地っ張りなんだかなぁ」

 徹平の言葉に心の中で思いっきりツッコミを入れていたあたしの耳に、深いため息とともにとんでもないセリフが入ってくる。

「意地っ張りですってぇ?!」

「うん。ほんっとはそのカバンの中にはチョコレートが一つ入ってるんでしょ?」

 そう言って、天下無敵のモテ男は左手に下げたあたしのカバンの奥底のほうを指差す。

 うっわ。なんだこの自信! なんだこのうぬぼれ!

 それ以上に、ほんっとーにその通りなのがすっごい腹立つんですけどっ!

「今日子サンからの愛のこもったバレンタインチョコ、欲しいなぁ」

 そう言って、徹平は少しかがんであたしの目の高さまで整った顔を持ってきて、トドメの笑顔をあたしに見舞う。

 くしゃっと、整った顔が笑顔に崩れる。

 うっわ。だーかーらー! あんたはヘンに整った顔してんだから、あんまりこっちに近づけないでよねーっ!

 ってぇか、そんな笑顔でそんな嬉しい……じゃない! 変なこと言うなぁーっ!

「……ほら。あげるわよ」

 徹平の完璧スマイルを避けるように後ずさりしながら、あたしは仕方なくカバンの奥底から小さなチョコレートを取り出す。

 負けた。負けました。完敗です。

 忘れた振りをしたかったけど、こうなったら無理だ。逆に、さっさと渡して楽になろうよ、あたし。

「ゆっておくけど! 百パーセント義理ですからねっ! ひとっかけらの愛も詰まってませんから!」

「うーん。ここまで愛想もそっけもない包装だと、今日子サンのその言葉にも思わずうなずいちゃうなぁ」

 思いっきり『義理』というところを強調しながら徹平の手のひらに一週間前から用意していた小さなチョコレートを叩きつけると、思いっきりがっかりした徹平の声が頭の上から降ってくる。

 確かに、あたしがあげたチョコレートは、お店で包装されたまんまの四角い手のひらサイズのもの。

 しかも、別にリボンがつけてあるわけでもないし、特に高級店というわけでもない。

 確かに本命チョコをもらいなれている徹平にしてみれば、明らかに他の女の子のチョコとは気合の入り方がちがうんだろうね。

 だから! 義理だって言ってるでしょーがっ!

「でも、やっぱり今日子サンからもらうチョコが一番嬉しいなぁ」

 がっかりしていた声音を隠して、元のなんともつかみどころがない優しい声で徹平はサンキューと続ける。

 一週間前、悩んで悩んで買ったあたしの小さな気持ちは、ストンっと徹平のカバンの中に入った。

 結局、今年もあたしはコイツの手のひらの上で踊らされた気がするんですけど?

 なんだかもー。もしかして高校卒業するまでこんなやり取りしなくちゃなんなのかなぁ。

「来年は手作りなんて嬉しいなぁ」

 ぐるぐると一人頭の中でこれからの人生の袋小路に入っていたあたしは、徹平のとんでもない一言に思わず思考を現実に引き戻す。

「へぁ?!」

 にっこり笑ってあたしの顔を覗き込むブラック徹平に、あたしはまたしても女の子とは思えないほどの低音の叫びを発する。

 というか、徹平と一緒にいればいるほど、自分の女の子としてのアイデンティティーが危うくなってくるんですけど。

「楽しみだなー。今日子サンの手作りチョコ」

 断るタイミングを失くしたあたしの横で、天下無敵のモテ男は邪気のない笑顔でとんでもない言葉を残して歩き始める。

 笑顔に邪気はないけど、言葉に一癖も二癖もあるような気がするのはあたしだけなんだろうか?

 先に歩き始めた隣の徹平くんの背中を思わず呆然と見つめてから、あたしは慌ててその後姿を追いかける。



 年に一度のバレンタインデーは、今年もこうしてあたしは史上最低男にチョコを渡す羽目になってしまった。

 来年こそはぜぇったいに無視しよう。

 うん。

 史上最強の男の後ろを三歩下がって歩きながら、あたしは自らのこぶしをおなかの辺りでぐっと握り締める。

 一年後への決意を込めて。

 手作りチョコなんて……ぜぇぇぇったいに作らないんだからねっ!



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