4.相談
ヅッソは湖畔にいた。穏やかな水面の向こうに塔が立っている。
塔。
城の北に位置する小さな湖の真ん中に立っているその塔は、正式には『創造と理力と真実の塔』という。真っ直ぐに伸びた円柱の先に、いくつもの三角錘が重なったような奇妙な構造の建造物だ。無論、人の手によるものではない。マーフォークのトマソンを引き揚げ、塔としてリメイクしたものだ。
ヅッソは革袋から硬貨を一枚取り出し、湖に投げ入れた。
しばらくすると湖面が揺れ、隆起した。
それを割くように金属質の塊が姿を現す。巨大なピラルクを模して造られたゴーレムだ。表面は赤銅色で、ところどころに鮮やかな青が混じっている。頭頂部あたりにヒト型の上半身が生えていた。
ピラルクは下顎で掬うようにして水中の硬貨を飲み込み、そのまま湖岸に顔を出した。
ヅッソは人型の上半身に向かい、魔創語で短いコマンドワードを唱えた。
魔創語は、魔術を産み出すための専用の言語だった。無から有を生み出すための複雑な言語体系を持っている。ちなみに魔創語を連ねた書面のことを魔譜という。ゴーレムを動かす程度の簡単なコマンドワードであれば魔譜は必要ないが、難易度の高い魔法であれば、長い魔譜を確認しながら詠唱することになる。
ピラルクはヅッソの唱えたコマンドワードに正しく反応し、身体を横に振って地面に乗り上げた。ヅッソはピラルクの胴に足を掛け、その背びれに掴まった。
初めてここに来たのは、一四歳の春だった。
父を説得し、王からの推薦状を携え弟子入りを志願した。
ヅッソの父であるバルブレアは、百年王国の騎士団長を務めていた。大柄でその肉体はよく鍛えられており、腕回りの太さは七十センチ以上もあった。
また、剣の腕も確かだった。持ち前のパワーを生かして自分の身長ほどの大剣をやすやすと振るい、モンスターの討伐などで活躍した。また、レスリングでも他の者を寄せ付けぬ強さを誇っていた。
父親が三〇歳の時、その長男としてヅッソは生まれた。ヅッソは騎士団長の血を引いているのか疑わしいほどに父親とは正反対だった。生まれたときから病弱で、喘息持ちで、体の線もひどく細かった。少し走るだけで息が切れ、両手用の木刀はまともに扱うことができなかった。馬で走れば衝撃に耐えられずすぐに落馬し動けなくなった。ヅッソ少年は、父の期待に応えられるような肉体的素養を何一つ備えていなかった。
父の背中の記憶は、ヅッソの中に色濃く残っている。大きく、威圧感のある背中は筋肉で覆われていて、まるで鎧のようだった。
あとは恐怖だ。恐怖。恐怖。罵倒された思い出が連なる。弱虫。馬鹿野郎。貴様はそれでも騎士団長の息子か。穀潰しが。出来損ないが。私の顔に泥を塗るガガンボが。
一二歳のときには腹違いの弟二人に身長も体重も抜かされた。ヅッソの母はヅッソが二歳の時に亡くなっている。ヅッソは新しい母とも腹違いの弟たちとも良い関係を築けなかった。
父がヅッソを見限り、二人の弟達だけに稽古をするようになると、ヅッソは王国の図書館に通うようになった。父の名を出せば図書館への出入りは自由だった。ヅッソは本と言う本を乱読した。比較的、学ぶことには長けていた。必然的にヅッソは知識を得ることで武装していくことになる。ヅッソは、騎士以外で身を立てる方法を詮索した。
魔法、という概念に正しく出会ったのはその時だった。
魔譜を読み、詠唱することで、無から有を生み出す魔法。ヅッソは魔法に夢を見た。魔法が習得できれば、父に認められるだけの力を得ることが出来るのではないか。ヅッソはそう思った。当時のヅッソにとって、魔法を体得することは自分の存在を証明するための唯一無二の方法だった。
ピラルクを模したゴーレムは水面を滑るように泳ぐ。ほんの数分で湖の中央に位置する小島に到着した。ヅッソが降りるのを確認し、仕事を終えた赤銅色の人形は再び湖中に消えていった。
ヅッソが塔に近付き大きな門の前に立つ。
重い金属の合わせ扉が自動で開いた。
ひんやりとした空気がため息のように外に流れ出る。それに逆らうようにヅッソは足を踏み入れた。
中は薄暗い。その闇の向こうに羽根の生えた彫像が見える。ガーゴイルだ。
ヅッソは魔創語で先ほどとは別のコマンドワードを唱えた。
ガーゴイルはギッと鳴いてから目を閉じた。同時に廊下を魔法の照明が照らす。黒い硬質の床にヅッソの姿が影のように黒く映る。
広い廊下にかつんかつんと足音を響かせながら、ヅッソは奥の自動昇降機へと歩いた。
魔法仕掛けの自動昇降機は、人の存在を感知し自動的に灯が灯る仕組みになっている。ヅッソが近づくと、ぎちん、と音を立てて扉が上下にスライドし、口を開けた。
ヅッソは乗り込んで最上階のボタンに触れて、再び魔創語でコマンドワードを唱える。押されている四十四と書かれたプレートが鈍く光り、扉が閉まる。昇降機がゆっくりと動き出す。これもマーフォークの作った魔法装置を改造したものだ。空洞になっている塔の中心部を上下することで、希望の階層へと連れて行ってくれる。最上階への訪問を許されコマンドワードを教えられている者ははわずかだが、ヅッソはそれに含まれている。
昇降機の速度が上がるにつれ、下向きの重圧が増してゆく。四十四階まで一気に登る。そしてゆっくりと止まり、再び扉が開いた。長い廊下に赤い絨毯が敷かれている。僅かに漂うムスクの香りにヅッソは懐かしさを覚える。
絨毯の上を歩く。しばらく歩くと、何匹もの蛇が絡み合うレリーフの施された扉が表れる。不気味な陰影が明度の低いフロアにぼんやりと浮かぶ。
静かにコマンドワードを呟く。
他と同様に変更はなされていないようだ。短い魔創語に反応し、絡まる蛇たちの目が緑に光った。一斉に体をくねらせ、ぬろぬろと散ってゆく。
蛇の去った箇所に、黄色い蜂の巣模様の球体が表れる。
ヅッソが右手で触れる。
ぶぉん、と音がして扉が床に溶け落ちて消えた。
ムスクの香りが濃度を増す。
赤を基調にした気味の悪い部屋も変わっていなかった。
唯一開かれた南側の七角形の窓。そこから刺す光が小さな楕円のプールに降り注いでいた。プールには師の使い魔であるゾウガメが住んでいる。歴代の弟子がその甲羅を磨かされる。今日は褐色の肌の少女が無言で業務を遂行していた。
中央の大きな椅子に少年が鎮座している。その周りを美女二人が囲んでいた。
「……おお、来よったか」
ヅッソの姿を見て、中央に座っている金髪の少年が目を細めた。
大魔導師キュオリであった。
長い年月を過ごし、その時々の気分で己の姿を変えている。ここ数年は少年の姿が気に入っている様で、ヅッソにも見覚えがある容貌だった。
大魔導師は、その小さな身体に不似合いな大きな椅子からゆっくりと腰をあげた。姿こそ少年だが、その動きは翁のそれであった。
両脇の美女の片方から銀色の長い杖を受け取り立ち上がる。
杖を床に立てると、先端の七つの輪がしゃらんと甲高い金属音を奏でた。
「ご無沙汰しております。大魔導師キュオリ」
ヅッソが膝まづき、頭を下げる。
「久しぶりに姿を見せたかと思えば、やけによそよそしいのう尖骨」
少年はふふと笑ってから首を横に倒し、こきりと鳴らす。
「その名は返上いたしました。ヅッソとお呼びください」
キュオリが修練員にあだ名を付けるのは、一種の儀式ようなものだった。魔術士になることで、ようやく名前で呼んでもらえるようになる。尖骨というのは、ヅッソが初めて大魔導師に会った時に付けられたあだ名だった。線が細く頬がこけていて、尖った骨のように見えたからだそうだ。ヅッソはそのあだ名があまり好きではなかった。
「堅苦しい男だ」
「申し訳ありません」
「話は聞いておる。竜を、手術するそうじゃな?」
「ええ」
「相変わらず、お前は面白いことを考える」
少年が顎を撫でながらニヤリと笑う。ヅッソはいつも真剣に考え、真剣に自分なりの最適解を口にする。キュオリはそれを聴き、いつもお前は面白いと言うのだった。
「私では他に方法を思いつきません。お力を貸していただきたく思います」
ヅッソには何が面白いのか分からなかった。これは、王国の危機なのだ。
「ふふ、変わっとらんのう」
大魔導師が杖を軽く動かした。ヅッソの前に立体が現れる。
ふわりとした長い金髪の、妖艶な女性だった。艶やかな唇はぷっくりとしていて、娼婦を連想させるほどに色香があった。紫のローブのスリットから、長い生足が露出している。女性はヅッソの前で無駄に一回転し、怪しく微笑んだ。
いつもながら見事な“完全幻術”だ。
映像とはいえ、見続けることに気恥かしさを覚え、ヅッソは俯く。
「彼女の名はフレイヤ。いささか変わり者じゃが、付与魔術士としての腕は確かじゃ」
聞いた名だった。
九十七年前、建国王ノックデューとともに古代種の竜と戦い、勝利したという伝説の魔女だ。魔術士を目指すものなら誰もが知っている偉人である。
「存じて、おります」
存じてはいるが……存命していたとは。
若返りの魔法は未だに発見されてはいない。だが、年を取るのを極めて遅くするものはある。魔女フレイヤが普通に年を重ねていたならば、とうに一〇〇歳を超えているはずである。しかし、目の前に浮かぶ立体映像では三〇より上には到底見えなかった。
「彼女ならば“竜斬”を再現することも容易かろう。だが……剣が必要になる」
ヅッソは頷いた。元より、そのつもりだった。
「“竜斬”の付与に耐えうる素材……ミスリルで一振り、新たに拵えることになるじゃろう」
「理解しています」
ミスリルを扱う鍛冶屋には当てはあった。ただ、その使い手を探す必要があった。竜の腹を割り、内臓を避け腫瘍を切り出す。そのためには正確な剣の腕と、強靭な精神力とタフネスを合わせ持つ剣士を探さなければならない。
「おお、そうじゃ、忘れておった」
少年は指を鳴らして立体映像を消してから、別の美女に合図を送る。
「国王の命で動くのであれば、貸すぐらいの事はできる。持っていけ。邪魔にはならんじゃろうて」
指示を受けた長身の女性は、赤褐色の短杖をヅッソの前へと運んだ。
師の言葉とその短杖を見て、ヅッソは口ごもった。そして逡巡の末、言った。
「いえ、これは受け取れません」
その短杖は、歴代の魔導士が手にしてきた由緒正しき品だった。強い魔力がこめられており、使い手の魔術の力を増幅してくれるという。歴代の魔導士が、認証式で誇らしげに受け取る姿をヅッソは知っている。魔術士として高みを志す者なら、誰もが憧れる魔創具。もちろん、ヅッソもそのうちの一人だ。
「なあに、お前なら十分に御せる。心配はいらん」
「お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」
ヅッソは大魔導師の目を見て言った。そして続けた。
「私にはまだ、魔導士の資格はありません。こんな若輩者が一足飛びに短杖を受けては、組織の不和に繋がります」
そこに女が口を挟んだ。
「馬鹿じゃないの」
吐き捨てるように彼女は言った。
二人の美女ではなく、プールで亀の甲羅を磨いていた女性だ。他の二人よりもはるかに若く幼く、まだ少女のようだった。
「山じゃ魔物も山賊も出んだよ。あんたみたいな町のもん、襲われたら何にも出来やしない。持ってけるもんは持ってきゃいいじゃん」
語尾に下品さの混じる、蓮っ葉な物言いだった。
漆黒のローブから伸びた細い腕の右肩に刺青の線が見えた。
少女はよく見ると整った顔立ちをしていた。肌の浅黒さとくっきりとした目鼻立ちから、南方の出身ではないかと思われた。
「修練員には分からないのも無理はない。物事には譲れぬ義というものがある」
ヅッソは歯牙にもかけずそう返した。
「けっ! 義で飯が食えんのかよ。魔物殺れんのかよ。ああっ?」
手にしていたタワシを床に叩きつけ、少女が距離を詰める。強い語気でヅッソを睨む。切れ長の目には独特の力強さがあり、視線を合わすと気遅れしそうになる。ヅッソはそれを隠すように視線を逸らし、平静を装う。
「これはそんな単純なものではない。生きる上で大事なことというものがあるのだ」
「だったなおさら持ってきゃいいじゃん。死んだら元も子もないんだし」
「それとこれとは話が別だ」
「一緒だよ! 馬鹿じゃないの!?」
五年前には見かけなかった。彼女のことはヅッソの記憶にはない。
まだ魔術修練員であろうにも関わらず、師が自室に置くということは、魔術の才覚が飛び抜けているのか、あるいはただの趣味なのか。おそらく後者なのだろう。粗野だが容姿は悪くない。美貌を認められこの部屋に連れてこられた修練員をヅッソは何人も知っている。
「クレナ、言葉が過ぎるぞ」
大魔導師が少女を諌める。
クレナと呼ばれた女修練員は、ぶつぶつと小声で毒づきながらヅッソの目の前まで詰め寄ってきて、言った。
「あんたさ、ネズミ、食べたことある?」
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