53.記憶Ⅰ
その男は静かに魔法の詠唱を続けていた。
キスメアはまだ効いてくれている。
性能は落ちちゃいない。
稀代の天才魔術士、ケティエルムーン。
一度聞いた魔譜を正確に再現して見せるぐらい彼にとっては容易いことである。
魔術士クレナの唱えた“白き焔”。
彼はその魔譜を聞いていた。
一度聞いた魔譜は正しく再現できる。
詠唱時間は約三〇秒。
この程度の魔譜の記憶など、天才にとっては造作もない。
その点については完璧だった。魔譜の詠唱に問題はない。
だが、流石にそう簡単にはいかなかった。
魔術士は予想以上に魔力を消耗していたし、また“白き焔”も想像以上に魔力を消耗する魔法であった。
――持つのか?
詠唱を始めて十秒で一気に魔力を持って行かれ、最後まで持つかどうか怪しくなってきた。コントロールを失えば暴走する類の魔法であることは、先程の少女の火傷から察しはついている。
――これは……持たんな。
魔術士は冷静にそう判断した。
詠唱を終える前に魔力が底を突く。その事実を受け入れる。
――さて、どうしたものか。
詠唱を続けながらケティエルムーンは自問する。
詠唱を止め、魔法を終息させられなくはないが、それでは結局意味がない。“
――賭けるか。彼に。
そしてケティエルムーンも”
不意に、背後から魔創語が聞こえた。
低く響く声。安定感。力強さ。
知っている声だった。
ヅッソは振り返る。
魔術士は唱えていた。
“白き焔”を。
ヅッソは頓悟する。
そう。まだ打つ手はあったのだ。
いや、しかし……。
魔術士の表情は険しい。
天才を持ってしても“竜の血を繊維に”の連続詠唱からの“白き焔”は無理があった。魔力の限界がやってきつつある。
魔術士は目で訴える。
そして、二回頷く。
その合図をヅッソは知っている。
いや、魔術士を名乗るものなら大抵の者が知っている普遍的な合図。
交換法の合図だ。
交換法は、複数の魔術士が代わる代わる詠唱を行うことで魔法の詠唱時間を延ばす古典的な方法である。
「……いや、確かに、でも」
ケティエルムーンの狙いは正しいとヅッソは思う。現状で可能な手段のうち、最も確率が見込めるものだろう。
しかし、交換法は高難度の魔術には適しない。ましてや暴走のリスクの高い“白き焔”を引き継ぐリスクはかなり高い。
だが躊躇する時間はなかった。
難易度が高いとはいえ、交換はたった一度だけ。最後のところを引き受けるだけだ。
地面に転がる赤い短杖を素早く拾い上げる。
「テルファ、レゾ……ギニ、テト、ディスティリートよ」
クレナが言う。
間を置かずにケティエルムーンが頷く。
やるしかなかった。
「……テルファ、レゾ」
クレナの発音を寸分の狂いもなく唱える。
引き続ぐタイミングも申し分ない。
託された破壊魔法の凄まじい力がヅッソの両腕に宿る。慎重に束ねる。
力は炎の形を纏う。
右腕に赤。
左腕に青。
そして胸の前に緑。
三色を重ね合わせ、白い炎を造り出す。
「……ギニ、テト、ディスティリート!」
両腕を突き出す。
高熱がヅッソを襲う。臆することなく耐える。暴れるエネルギーを何とか制御する。クレナとは違い、バックドラフトは起こさない。
突き出した両腕から純白の炎が放たれる。空を焼く音を残し、真っ直ぐに目標へと突き進む。
無論、狙いは“
開かれた胸部から見える真っ赤な心臓部は、蠢動を繰り返し、もう爆発する直前だ。
その胸部を目掛けて炎が走る。
白き炎が巨人に直撃し、その巨体を焼き尽くす。
はずだった。
“
上向きに放たれた”白き焔”は、羽根の曲線で斜め下に撃ち落とされる格好で角度を変えられた。
「なっ!」
ヅッソが声を上げる。
ケティエルムーンが魔力を枯渇させてまで詠唱してくれた切り札が、目の前であっけなく削がれたのだ。
「……尽きたか」
ほぼすべての魔力を使い切り、地面にうつ伏せに倒れ込む魔術士。
「……なんてこと」
火傷で動けない少女の目に涙が浮かぶ。
「……いやはや」
医者が重いため息を吐く。
全ての可能性が途切れたと、皆が思った。
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