40.執刀

 腫瘍を取り除くために竜の腹を切る。

 言葉尻だけをとらえれば、豪快に腹を搔っ捌くようにも取れなくもないが、実際はそういうわけではない。

 腫瘍を取り出すために必要最低限だけ切開する。これは術後の回復を考えれば医師としては当然の判断となる。

 今回、デ・ロ・ラシュの腫瘍は右腹部で見つかっている。ゆえに腹直筋と腹斜筋の間に縦向きに切ってゆくことになる。

 ドゥクレイがペンライトのスイッチを切り替え、竜の腹部をなぞる。

 青い光の点が丁度インキで書いたように白い鱗の上にぴゅーっと線として残る。長さにしておよそ一五メートルほど。

「剣匠、この線の上を切ってくれ」

「あいよっ!」

 トリヤが景気の良い返事をする。

 ドゥクレイ医師はトリヤの事を剣匠と呼ぶ。剣の達人という意味の古い言い回しだが、トリヤはその呼び名を甚く気に入っている。

 その剣匠が解き放った剣を構える。

 柄を前に出し、右肩で刀身を担ぐような独特の構えだ。

 そこから刃を走らせ前に出す。集中する。

 必要なのは速さと正確さだ。

 心は凪いでいる。

 だが、わくわくした気持ちを失ったわけではない。

 穏やかに、喜んでいる。

 眼を見開き、医師の描いた青いラインを目に焼き付ける。瞳を閉じても見えるほどに。くっきりと。

 ふーっと、息を吐き、動く。


 ざ

  ん

   っ 

    !


 医師の描いた青い緩やかな曲線を的確に斬りつける。

 その一閃は、五層からなる竜の皮膚を容易く切り裂いた。

 通常の剣なら傷すら付けることのできない、白く輝く鱗を持つ硬くしなやかな表皮、硬鱗皮。

 トリヤの一撃はその強固な表皮を布を裁つように鮮やかに裂く。

 だが、硬鱗皮に傷がつくことによって、その奥にあるダイタラント層に信号が走る。普段は柔らかい構造の細胞群が、この信号を受けて一気に硬度を増す。どんな魔力を宿した刃でも、硬化したダイタラント層を貫くことはできない。

 本来ならば。

 ミスリルの輝きを持つ片刃の剣が宿した“竜斬”の魔法。

 この付与魔法は硬鱗皮が傷ついた際に送られる信号を、ほんの一刹那、遅らせる。

 その一刹那で十分だった。

 トリヤの剣は、速い。

 老師譲りの静かな速さを持っている。

 ダイタラント層が硬化を始める前に、刃は奥まで走り抜ける。その下の基底層、真皮ごと二つに分かつ。

 トリヤは純白の大地に描かれた一五メートルの青い線書きに、狙い違わず刃を入れきった。

「ひょー、やりよったのう」

 ドゥクレイが嬉しそうに声を上げた。

 約百年ぶりに古代種の竜を傷つけた剣士が上空を見上げ、にいっと笑った。

 ぱっくりと開いた傷口はどこも深さ六〇センチほどである。

 その向こうに、縦向きに走る筋繊維が出現している。

 これを切り裂くのは次の工程となる。


「さてと、ようやく出番だな」

 箱組のうち、ノーザ、ショット、キルン、オークの四人が長い縄梯子を登り、白い丘陵にやってきた。

 四人がそれぞれ手にしているのは長く大きな金属製の開創器である。切開箇所を両側から引っ張り術野を見やすくする、手術の手助けをするための道具であった。開創器は二爪鉤と呼ばれるピースをして指を曲げたような形状をしていた。

「おー、ほんとに斬っちまいやがったこの坊主」

「すっげえなあ」

「へへっ」

 感心する大人達の横で、トリヤが満足げに笑顔を見せる。

「こらこら、時間が無いぞ。さっさと練習通りにせんか」

「りょーかいりょーかい」

 男達が手にした開創器の先を切開した場所に差し込む。

「ほーれ、力いっぱい引っ張れぃ」

 ドゥクレイの言葉に四人が切開箇所を開きにかかる。互いに向かい合うようにして槍のように長い開創器を体重をかけながら力任せに引き寄せる。

 ずず、ずずずと竜の厚い皮膚が皮下脂肪ごと引っ張られ、開創が口を開いてゆく。

「よーしよし、これで次が斬りやすくなったぞい」

 医師はそう言って嬉しそうに顎を撫でた。


 開いた開創に、血が滲み始める。

 竜特有の粘性の強い、魔力を帯びた赤い液体が滲出し、傷口を早くもふさぎ始める。この血が厄介だった。開創を覆い、手術の邪魔をする。事前に危惧していたことだった。

 地上ではケティエルムーンがすでに詠唱を始めている。

 低く、朗々とした声が響く。

 “竜の血を繊維に”の魔法である。

 発動までに十分程度かかる。その上、手術中ずっと詠唱し続ける必要がある。長い長い詠唱時間を確保するのは循環呼吸という独特の呼吸法である。口から吐くのと並行して鼻から吸うことで呼気を絶やさない技法。マーフォークと違いエラを持たない人間が、長い魔譜を唱えるために編み出された高度な技だ。

 そして、開創を埋めていた赤い液体に変化が訪れる。

 ヅッソとフィーロの前で実験したときよりも変化が早い。ケティエルムーンはあれからさらに魔譜を改良していた。“歪め屋”の名は伊達ではない。

 表面に細かな揺れが起き、水紋が現れる。

「……アムド・リュミエーロル……バズ!」

 ケティエルムーンが杖を真上に振り上げる。

 その動きに同調するように赤い液体が細い繊維となり、開創から間欠泉のように真上に吹きあげた。

「よしっ」

 下から見上げていたヅッソとフィーロが、真っ赤な繊維の噴火に思わず歓喜する。ここまでは計画通りに、非常に順調に事は進んでいる。

 

「ひゃー、まじかよ」

 ピートとグレンは登って来て開口一番にそう言った。

 白い鱗のカーペットに、真っ赤な繊維が見事に散らばっている。

 風は緩く南向きに吹いている。

 その流れに乗って南向きに回収することになっている。

 二人は手にした熊手のような道具で、ぱっくりと開いた切開口から真っ赤な繊維を掻き出してゆく。

 数回掻き出しただけで開創は再び綺麗な切断面を表す。桃色の筋繊維が切り口と平行に走っている。今度はこの筋繊維を切り裂き、腹膜の状態を確認しなければならない。先程よりもシビアな剣先のコントロールが必要となる。

「下ろすぞー」

 ピートが大きな声を出し、竜の腹から地上へと掻き出した繊維の塊を落としてゆく。

 地表には大きな布が敷かれており、その上に血の繊維を集めておく。

 今度はこれを紡歌と糸車で糸にする。

 腫瘍摘出後に、開創を縫合するための糸を紡いでゆくのだ。 

「さ、出番だよ」

 ヅッソが小さな少女の肩に手をかけた。

 びくん、と少女の身体が震える。

 大きな竜と、とうとう始まった手術を目の前に、少女はずっと硬直していた。

 こんなに大勢の前で、しかも大きな責任を背負って歌を歌うのは彼女にとって初めての事だった。

「頑張れよ、パティ」

 フィーロの声に、また身体がびくんと震えた。

 喉がからからに乾いている。背中の汗が止まらない。

 目を閉じ、口を開けた。

「……」

 驚いて、目を開いた。

 沢山の人が自分の方を向いている。

 もう一度、口を開けた。

「……」

 パティは慌てた。

 鮒のように口をパクパクとさせる。

 彼女は自分に何が起こっているのか全く理解できなかった。


 ――声が、出ない。

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