27.盗難

 ヅッソは一人、スラム街を歩いていた。

 まだ心臓がドキドキと激しく鳴っている。

 女性経験の乏しいヅッソにとってはあれは恐怖でしかなかった。

 フィーロなら、せっかく伝説の娼婦のテクニックを味わうチャンスだったのに、などと言いそうだが。

 明日、からかわれるかもしれないがそれでも構わない。早く城に戻って寝てしまいたかった。

 この時間、城門はすでに閉鎖されている。

 あらかじめ分かっていたことだった。

 ヅッソは“変身”の魔法で夜目の利くフクロウあたりに化けて城壁を飛び越えるつもりだった。魔法の詠唱に集中できそうな暗がりを探して歩く。

 飲み屋街はまだまだ明るい。人の往来も途切れる様子はない。お酒とはそんなに良いものなのだろうか……。

 そんなことを考えていると、どん、と何かとぶつかった。

 黒い服を着た男とすれ違いざまに肩をぶつけたのだ。

「す、すいません」

 咄嗟に謝る。

 男は無言で去ってゆく。嫌な予感がした。

 胸元に手をやる。革袋が無くなっていた。大金を支払ったあとではあるが、念のためにあと十枚だけ入れておいた金貨を全部持って行かれた。

「くそっ」

 珍しく怒りが沸いた。

 振り返ると、黒い服の男はもうはるか向こうだった。

 素早く呪文の詠唱に入る。杖を動かし前に突き出した。少し距離がある。

 ヅッソは魔法に関してはどれも一定水準以上に扱えるオールマイティーな優等生だった。人によって攻撃魔法が得意だとか、クレナのように幻影が得意だとか特性があることが一般的だ。

 どれも扱えるヅッソが唯一苦手としているのがこの魔法の長距離射出だった。

 苦手を補うために、ヅッソの発動体の杖の先には小さな照準器が付いている。ピープサイトと呼ばれるタイプのもので、持ち手に近い部分の小さな突起物が、杖先の二つの突起物の間に見える状態を作って魔法を放てば、真っ直ぐに射出することができる。

 目と照準器を直線で結べるように杖を肩の高さまで上げ、そのまま放つ。

 射出された魔力が黒い服の男を見事に捉え、その運動機能を奪い去った。男の身体は一瞬で弛緩し、は不自然な格好のまま転倒する。

 “麻痺”の魔法だった。

 詠唱時間がさほど取れなかったため、効果は一分も持たないはずだ。

 男の元に駆け寄って胸元を探り、革袋を取り返す。男はまだ指一本すら動かせない麻痺状態だ。続けて”拘束”の魔法を使う。この距離なら照準器の助けは要らない。魔法の見えない糸で男を縛り上げたところでちょうど“麻痺”の魔法の効果が解けた。

「ゆ、許してくださいっ!」

 男の第一声だった。

「母が、母が病気なんです」

 男の目からぽろぽろと涙が流れ落ちる。そして語った。母親が重い病で苦しんでいること。治すためには高価な薬が必要であること。そのために悪いと分かっていながら人様の財布に手を出してしまったこと。

「そうか、それは辛いな……」

 母親を早くに亡くしているヅッソにとって、苦しむ母親の姿を前に薬も買えないでいる歯がゆさは大いに共感できることだった。

 ヅッソは胸元から先程の革袋を取り出し、男に渡した。

「金貨が十枚入っている。少しは足しになるだろう」

 男が何故か困惑したような表情を見せる。しばらくしてようやくヅッソの意図を理解できた様子で、ありがとうございますと頭を深く下げた。

 金貨はヅッソのものではない。王から貰い受けたものだ。交渉に余計にかかったとでも言っておけば詮索されることもないだろう。

 男は何度も頭を下げ、夜のスラム街へと消えていった。

 いいことをしたな、とヅッソは思った。

 

 スラム街にあるその酒場は今日も開いていた。

 店の名前は『マディデプス』という。

 バラックに毛の生えたような造りの、カウンター席ばかりの狭い店だった。

 スラム街の一角にはこういった狭く汚い店ばかりが並んだ通りがあった。負け犬横町、と呼ばれていた。

 男が一人、やけに浮かれた顔で飛びこんできた。

「マスター、そこの二十年物をボトルで貰うぜ」

 景気の良いことを言う。その二十年物のウイスキーは希少品で、男が普段ちびちび飲んでいる八年物の五倍の値が付いている。

「景気いいじゃないですか、ジョニーさん」

「なあに、えらくお人よしの男がいてさ」

 ジョニーと呼ばれた男が今日の首尾を語り始める。

「俺の演技力のなせる技だなあれは、へへへっ」

 男はしたり顔でグラスを傾ける。

 スラム街の夜は、まだ明けそうもない。


 最上階の一番広い部屋。

 事を終えた二人はまったりとした時間を過ごしている。

 フィーロがベットの上で満足げに煙草をくゆらせている。

 ――さすがは伝説の娼婦。

 今年で四〇を迎えたとはいえ、そのテクニックはまだまだ健在だった。経験豊富なフィーロではあったがまさかここまで攻め立てられるとは思わなかった。男と女というのはいやはや奥の深いものである。

 シャワーを終えたカルーアがベッドルームに戻ってくる。豊満なボディはふんわりと膨らんだパンのようだ。


 さて。

 えらく無粋なところでの登場となったがここで少し補足をしておこう。

 シャワーというものについてである。

 このシャワー、手元のコックをひねると頭の上の如雨露から湯が出てくるという非常に便利な装置なのだが、これにもマーフォークの遺産が利用されている。

 彼らは生活する上で水温調節のための魔法装置を活用していた。彼らの住む海の中は季節や水深、海流等の自然条件によって水温が結構な振れ幅で変化する。これを自分達の快適な温度に保つために必要なものであった。魔法の力で圧力を調整し、気化熱を利用して温度を上下させるのだが、ここで詳細な説明は控えることにしよう。その装置はウォーコン(ウォーターコンディショナー)と呼ばれ、彼らの造った都市では各部屋ごとに設置されるほどに普及していたそうだ。そのおかげで発掘されることも多く、富裕層の人間であれば比較的容易に手に入れることのできるものであった。

 液体の温度を自由に操れる装置は非常に重宝し、シャワーの他にビールサーバーや製氷機としても応用されている。また、武器職人アマルガがミスリルの製錬に使用していた特製のふいごにもこのウォーコンが活用されていた。

 以上。お取り込み中に失礼した。早々に退散することとしよう。


「ねえねえ。どうだった?」

 可愛いことを言いながらフィーロの横にダイブする。

 その巨体にベッドが大きく撓む。

「……最高だったよ」

 フィーロが言う。これでもたくさんの女達と夜を共にしてきた方だ。かわいいだけの女には少し飽きてきたところだ。こういった刺激的な夜はフィーロの求めるところだった。

「……ところでさ」

「ん? なんだい?」

「あんな大量のキスメア……何に使う気なの?」

 んー、とフィーロは考えた。考えるふりをした。

 そして言った。

「ちょっとこの国を救うのに使うのさ」

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