26.麻薬


 娼館の前で二人は待っていた。

 助平そうな顔で館に吸い込まれている羽振りの良い男達が、水を吐く獅子の横で突っ立ている男二人を物珍しそうにじろじろと見てゆく。

「みせもんじゃねーってえの。ったく」

 フィーロが愚痴をこぼす。

 かれこれもう半刻は待たされていた。

「キスメア、手に入りますかね?」

 ヅッソがフィーロに質問する。

「ああ、カルーアならやってくれるさ」

 カルーア。

 大陸一の娼婦にして『妖精の分け前フェアリーズ・シェア』の経営者オーナーである。

 彼女は美しく、可憐で、それでいて艶っぽく、全ての男は彼女と目を合わせただけで一目惚れするという。また、彼女の卓越した技術は他の娼婦では味わうことのできないこの世のものとは思えないような心地好さだそうで、その噂は大陸中に響き渡り、全財産を投げ打ってでも彼女と一夜を過ごしたい考える男性が、連日のように店に詰めかけたのだそうだ。

 彼女は店のトップの座に君臨し、一晩で他の娼婦たちの十倍もの金を客に落とさせるようになった。王侯貴族、豪商、裏社会のボス、といった錚々たる面子も彼女の前ではただの一顧客であった。

 今はとある事情で経営に専念しているが、長年の現役生活で拡げた独自のルートを持つ彼女であれば手に入らない物は何もない。極めて入手困難だというキスメアであっても彼女なら調達できるかもしれないと、久しぶりに連絡を取ったのだった。

「しかしあのおっさん……」

 まさかここまで大量に要求してくるとは思わなかった。ヤク中め……。

 それは二人でその元天才とやらを訪ねた時のことだった。

 なんのことはない、彼はスラム街の長屋の一室にいた。


「……ここかよ」

 フィーロは確かめるようにヅッソの顔を睨みつけた。

 それを受けて魔術士が気まずそうに眼をそらす。

 塔には歴代魔術士の名簿がある。魔法が犯罪に使われた時などのために所在地を明かしておくことが魔術士の暗黙のルールだった。その中にまだ残っていた。

 ヅッソも何度も確かめたのだ。場所に間違いはない。

 スラム街にあるガラクタ長屋。その一番北側の一番潰れかけている建物が元天才魔導士ケティエルムーンの住処だった。

 こんこん、とフィーロが恐る恐るノックする。

 返事はない。

 再びノックするが、やはり反応はない。

 仕方なしにドアノブに手を掛ける。

 ぎぎぎぎぎいとすさまじい音を立てて扉が開いた。

 テーブルと簡易ベットがあるだけの狭苦しい部屋。せっかくのベットからずり落ち、テーブルとの間でピクリとも動かない男がいた。

「こいつ……なのか?」

 フィーロが眉をひそめる。

「いや、私も会うのは初めてだ」

 ヅッソが倒れた男の傍に寄る。息をしていることは確認できた。

 肩口を持って強く揺する。

「ケティエルムーン殿! ケティエルムーン殿!」

 何度も揺らし、ようやく男は目を覚ました。

「……ち…ぉ…ら……お」

 声がかすれていて聞き取れない。

 ヅッソは持っていた水袋を男に握らせる。

 男は口の端からこぼしながらその水を一気に飲み干した。

 ようやく男が上体を起こす。

 男はフィーロとヅッソを無視し、あらぬ方向に喋り始めた。

 頬がこけて、目が落ちくぼんでいる。年齢は五十歳前後だろうか。ぼさぼさの髪に白髪が混じりっている。無精ひげが汚らしい。

「えーっと、あんたがケティなんとかさんか?」

 フィーロが耳の裏あたりを人差し指で掻きながら男に訊ねた。

 男はなおも喋り続ける。

 しびれを切らして頭をはたいた。男の独り言が止まる。

「……あー」

 ようやく廻りを見渡す。目の焦点が合い、ようやく二人の男の存在を認識する。

「……あ……あんたたち……だれだい?」 

 

「おっまたせっ」

 鼻にかかった可愛い声がした。

 退屈そうに下を向いていたヅッソが顔を上げる。

「よーお、久しぶりじゃねえか」

 フィーロが笑顔で彼女を迎え、軽いハグをする。

「紹介するぜヅッソ。彼女がカルーアだ」

 ヅッソの前に伝説の娼婦が立っている。

 艶のある唇には桃色の口紅がたっぷりと塗られている。派手なチークとシャドー。人懐っこい笑顔。

 そして、横に大きなその体型。

 風船のような身体は、針を刺せば破裂してしまうのではないかと思うほどパンパンに膨らんでいる。

「初めまして、カルーアです」

 ヅッソにウインクを飛ばす。

「は、はじめま……ぐあっ」

 彼女のハグをなされるがままに受け止める。ぼよんと腹肉が当たる。

 今は、で経営に専念している、か。

 物は言いようである。

 フィーロが早速仕事の話に入る。

 キスメアはこちらの希望した分量で用意出来たとのことだった。無防備な外での取引を避けることになり、カルーアの案内の元、再び玄関から入り地下のオーナー室へと連れて行かれた。

「ここいらも相変わらず物騒だからね」

 階段を下り、ドアを開けるとそこには意匠を凝らしたパステルカラーの部屋が待っていた。トランプやウサギやハートをモチーフにしたかわいい小物達がフィーロとヅッソを出迎える。

 ピンクの大きなハートをイメージしたソファーに座る男二人。

「これだけ集めるの結構苦労したのよ。感謝してよね」

 大きなガラステーブルの上に空色の小さなアタッシュケースを置き、口を大きく開けた。そこには金色のタネがぎっちりと詰められていた。

「ほんとにもう。これ、一か月分の流通量よ」

「すげえなあ……さすがカルーアだ」

 フィーロが感心する。ろくに会話も通じないおっさんの指定したとおりの分量だが、一人が使うなら半年どころが一年はどっぷりと浸かれる量である。

「本当に即金で払えるの?」

 そう言われてヅッソは懐に手を入れた。革袋の中から大量の王国金貨を出してテーブルに積んでゆく。使っていいと言われた予算の額を大幅に超えていた。王を説得するのに酷く骨が折れた。

「……八、九、十。これで全部です。確認して下さい」

 丁寧にテーブルに積み重ねた金貨は全部で百八十枚もある。スラム街であれば金貨一枚で一カ月は優に暮らせる。それほどの大金である。

「いいわ。信じてあげる」

 取引は無事に成立した。フィーロが空色のトランクごとキスメアを受け取る。彼が明日、ケティエルムーンに渡しに行く算段になっていた。

 カルーアが大きな金庫に金貨を入れて立ち上がる。

「大口取引のお礼に……」

 背後からハムのような逞しい腕をヅッソの首に回す。

「……サービスしてあげてもいいのよ」

「けっけけっ! 結構ですごめんなさいっ!」

 伝説の娼婦直々のお誘いに、ヅッソは飛んで逃げるようにドアを開け、階段を駆け上っていった。

「あーあ、残念。ちょっとタイプだったのになあ」

 寂しそうな顔をするカルーアを、今度はフィーロが後ろから抱きしめる。

「俺じゃダメかい?」

「……貴方も大事なお客様。お相手するわ」

 二人は短いキスの後、『妖精の分け前フェアリーズ・シェア』の一番良い部屋に場所を移して続きを始めるのだった。

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