23.試験

 身体の震えがようやく治まってきた。

 高い所というのがこれほどまでに怖いとは思わなかった。木に登るのとはわけが違った。獰猛な大猪に対峙した時も、大雨で増水した川に流された時もこれほどの恐怖を覚えたことはない。

 床に両手を突きながら、なんとか言うことを聞くようになった足でゆっくりと立ち上がる。

 目の前にヅッソと、なんだか色っぽい女の人が立っている。トリヤは状況がよく飲み込めないでいた。

「……ほんとにこの子で大丈夫? 別の人を連れてきてもいいのよ?」

 金色の綺麗な髪を内側から指で梳きながら、女の人が言った。

 意味は良く分からなかったが、馬鹿にされたのだけは良く分かった。

 トリヤは知っている。こういう時は、笑うのだ。

 少年がへへへっと声を出して笑った。

 ヅッソが心配そうにトリヤの顔を覗き込む。

「いけるか?」

 当たり前じゃんすか。オイラはいつでも絶好調だぜ。

「……どうすりゃ、いいのさ」

「試験があるそうだ」

「……試験? なんの?」

「お前の剣の腕前が見たいそうだ」

 へへっともう一度トリヤが笑う。なんだ、一番得意な奴じゃないか。

「……いつでも、どーぞ」

 トリヤは顔をあげ、女の顔を見た。えらくべっぴんさんだなあと思った。これがヅッソさんの言っていた魔女フレイヤか。

「怪我しても知らないわよ」

 余裕の笑みを浮かべたまま、魔女が言った。

 なあに好き勝手言っていればいい。剣さえ握らせてもらえるならこっちのもんさ。好きにほざけクソババア。


「どれでも好きなのを選んでいいわよ」

 とフレイヤは言った。

 彼女の身につけている銀のアクセサリーが三種類ある。

 牛の頭と斧が意匠になっているペンダント。

 十二本の絡み合う腕がデザインされたブレスレット。

  三匹の犬の顔が彫られたアンクレット。

 この三つだった。

「さ、選んでちょうだい。どのアクセサリーもモチーフに相応しいモンスターを召還できるようになってるの。呼び出したモンスターと戦って、そっちが勝ったら”竜斬”の魔法をかけてあげる」

 ヅッソは思案する。

 それぞれが呼び出すであろう怪物の知識をヅッソは有していた。

 アンクレットが示すヘルハウンドはかなりの強敵だ。獣特有の俊敏さと三つの口から吐き出される炎への対応にトリヤが苦労することは目に見えていた。

 一番組みしやすいのはペンダントのミノタウロスだろう。確かに力は強いがその動きはおよそ素早いとは言えない。大きな斧をかわしながらトリヤの剣が確実にヒットしていけば倒せない相手ではない。十分に勝利をイメージできる。

 一番厄介なのはブレスレットが呼び出すであろうヘカトンケイロスだ。三体の怪物の中でその強さは抜きん出ている。十二本の腕を持つ巨人の能力は他の二体の比ではない。無数に繰り出される拳の前に、さすがに剣一本では太刀打ちできるわけがない。

 ヅッソはトリヤに牛と斧のあしらわれたペンダントを選ばせようとした。

「こいつにするよ」

 その前にトリヤが指を差した。その指先には、複雑に腕の絡み合ったブレスレットがあった。

「へえー、面白いねえ」

 フレイヤが嬉しそうに微笑む。

 左の手首からその銀の装飾品を外しにかかる。

「いやっ! 待ってくれっ!」

 異議を唱えようとするヅッソだったが、もうすでに遅かった。

 床に投げられる腕輪。解き放たれる巨人。

 もわんと煙が上がり、そこにあらわれたのは高い天井に届かんばかりの巨体と十二本の腕を持つ巨人、ヘカトンケイロス。ヅッソが予想した通りだ。

「へっへっへ。こいつが一番強そうだと思ったんだよねー」

 トリヤが言う。笑っている。

 抗議を諦めたヅッソはすぐさま魔法の詠唱に入った。

 この最悪の状況を少しでも改善する必要があった。

 選んだ魔法は”防護”と”敏捷増加”。

 試験である以上、ヅッソの攻撃魔法で巨人を倒しても認められないだろう。せめてトリヤを援護してやらなければと考えた。巨人のあの大きな拳が少年剣士を捉える前に詠唱を終えなければならない。

「いらないよ」

 トリヤは詠唱中のヅッソを制した。

「そういうのはいらない。意味がない」

 トリヤの言葉にヅッソの詠唱が途絶える。そして一発目の拳が振り下ろされる。

 トリヤが右に転がる。巨人の拳が地面を叩き、床材をたやすく割る。

 すぐに二発目と三発目が来る。

 後ろに転がってかわし、次に高く飛びあがってこれを避ける。

 まずい、とヅッソは思った。飛びあがってはいけない。空中にいては次の一撃を避けられないからだ。

 四発目の拳が横殴りにやってくる。

 たん、とトリヤが壁を蹴った。空中で方向転換し、再び床に転がる。

 五発、六発、七発と続けざまにくりだされる拳を紙一重で避け続ける。

 八発目の拳を避けたところでトリヤは素早く剣を抜いた。

 ミスリルの輝きを持つ、片刃の剣。

 魔詳石を混ぜて焼き入れしたことにより、その刀身は深い緑の輝きも併せ持っている。

 九発目を立ったまま避け、その太い腕に剣を見舞った。

 どん、という強い音がした。

 一閃した剣が巨人の硬い皮膚を裂き、骨を砕き、太い腕を斬り落とした。

「グオオオオオオッ!」

 巨人の口から苦悶の声が漏れる。

 一気に踏み込もうとするトリヤだが、再び飛んでくる拳がそれを許さない。仕方なく下がって距離を取る。

「……すごい」

 部屋の隅でその戦いを傍観しながら。クレナは言った。握った拳に力が入る。あいつ、ただのクソガキじゃなかったんだ……。

「へえー、なかなかやるじゃない」

 戦況を楽しそうに見つめるフレイヤが、思わずトリヤを称賛する。

 最初、彼の姿を見た時は何かの冗談だと思った。

 いくら戦わない手術とは言え、あの古代種の竜を斬るのだ。他にもっと適役がいるだろうに。

 でも違っていた。目の前にいるあの小さなおかっぱの剣士は、竜の腹を裂くに相応しい剣技を持っていた。

 トリヤが構える。

 例のあの構えだ。

 ミスリルの刃が突きだした左手から右の上腕に乗る。片刃であるがゆえに、もう籠手を付けなくとも腕を傷つけることはない。軽く柄に添えられた右手。地面と平行に置かれた剣の刃先は真後ろを向いている。

 一本を斬り落としたとはいえ、巨人の腕はまだ十一本も残っている。

 巨人は傷口から流れ落ちる赤黒い血を意に介さず、先程と同じ連続攻撃を仕掛けてきた。

 トリヤは笑っていた。

 先程の攻撃で、ヘカトンケイロスの動きはほとんど見切っていた。

 太い腕を動かす予備動作。筋肉の動き。それらが人間と同じであればトリヤにとって大きさは特に問題にならない。十二本の腕による攻撃にしても、六人の戦士を一度に相手にしているよりも簡単だった。腕と腕が邪魔をする角度に入れば連続で繰り出すことは出来ないからだ。

 ――いける。

 再び迫る拳を下がって避け、その拳の上に乗る。

 次の拳を下から上に切り付け、縦に割る。

 剣撃が巨人の拳の中指と薬指の間から手首のあたりまでをざっくりと裂く。

 そのまま巨人の太い腕を駆けあがる。

「っしゃああああああ!」

 距離を詰められ対応に窮するヘカトンケイロス。トリヤは上腕を蹴り、別の腕を蹴ってそのまま巨人の喉に剣を突き立てた。

 剣はやすやすと根元まで食い込んだ。

 トリヤは巨人の大きな鎖骨を蹴って、これを引き抜く。

 ゴボッ、と液体の漏れる音と、ヒューという風の漏れる音がした。

「グ……オ……ォオ」

 気管を切開され、巨人は叫び声すら上げられない。

 巨人の喉元の高さから落下するトリヤは空中で体制を立て直し、猫のように着地する。派手な血しぶきが雨のように剣士の身体に降りそそぐ。

 巨人は喉から血を噴き出しながら、なおも攻撃の手を緩めない。

 次々に繰り出される拳、だがそこにはさほどまでの力感はない。次第に酸素が脳に回らなくなり、目も見えなくなってきたのか拳はただ闇雲に振りまわされるだけになる。ついにはそれさえもままならなくなり、とうとう巨人の動きが止まる。

「……へへっ」

 勝利を確信したトリヤが自慢げに笑った。気が緩み、戦いの緊張を解いた。その油断が命取りだった。

 立ち上がろうとして大量に撒き散らされた巨人の血に足を滑らせたのだ。

 バランスを崩し不格好に尻餅を突く。

 その上に、動かなくなった巨体が膝をつき、倒れてくる。

「わあああっ!」

 トリヤが叫ぶ。咄嗟の事に逃げる姿勢が取れない。

 フレイヤがパチンと、指を鳴らした。

 血まみれの巨人が煙に包まれ、そして消える。

 もう一度指を鳴らす。

 割れた床も血に汚れた壁も、何事もなかったかのように元に戻っていた。

「一応、合格よ。でも最後の詰めが甘いわね」

 フレイヤの言葉にトリヤが笑った。

 満足そうな笑顔だった。

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