22.魔女

 ヅッソは魔術士に会うために南へと向かっていた。

 その魔術士は名をフレイヤという。大魔導師キュオリに紹介してもらった腕の立つ付与魔術士である。それもそのはず、彼女は約九七年前、建国王ノックデューとともに古代種の竜と戦った伝説の魔女なのだ。

 彼女は空中に住んでるという。

 王国から南に向かうと大きな谷があった。

 見事なほどに大地が割れ、ぽっかりと口を開けている。

 川が削った浸食谷ではなく、褶曲によってできた構造谷だ。

 谷の幅は優に三キロはあり、技術的に橋を渡すことは不可能である。ここより南へ向かいたければ東西どちらかに大きく迂回する必要があった。

 師の話によると、その谷の真ん中に彼女は住んでいるらしかった。

「どうやって?」

「魔法で家を浮かせているのさ」

 トリヤの素朴な質問に、ヅッソはそう答えた。

 三人が馬車に揺られている。ヅッソ、トリヤ、そしてクレナの三人だ。

 例によってクレナは勉強のためにヅッソに従いて見聞を広げるよう大魔導師から言われている。前回の図書館探索から少し打ち解けたのか、会話も増え、なんとなく距離が縮まったようにも見える。

 トリヤは真新しい剣を装備してからずっと浮かれている。水牛の角を削って造ってもらった握りが甚くお気に入りの様子で、用もないのに度々鞘から抜こうとするので物騒で仕方がない。だが今回は、この剣に”竜斬”の魔法を付与してもらうために向かっているのだから、その使い手であるトリヤなしというわけにはいかない。

 ヅッソは相変わらずの乗り物酔いだ。馬車の隅でぐったりと動かないでいる。クレナが杖でヅッソのお尻をつつくと嫌そうに二度ほど横に振る。その様が海牛みたいで妙に面白いと、少女の丁度いい退屈しのぎになっていた。

 路は緑の草原が広がっている。フィーロとグラスへ向かった時とは違い、風も暖かく爽やかだ。

 通行量も多いのか馬車の車輪の跡が重なりあって自然とできた広い土の道が、平原を裂くように南へと続いていた。

 しばらく行くとこの道が左右に分かれるはずだ。西か東を選択し、大きな谷を避けて通らなければならないからだ。

 谷に用事のある彼らはそれを無視し、草の上をそのまま南下していくことになる。


 馬車がその谷の淵にまでやってきたのは夕方頃だった。

 谷から吹き上げる突風に飛ばされぬように、少し離れたところに止め、念のために杭を打った。その作業の間にヅッソの体調も少し回復したようで、普通に立ち上がり谷を眺めている。連日の移動で流石に慣れてきたようである。

「……すごいところね」

 そう言いながらクレナが乱れる髪を手で押さえた。

 谷を抜ける風が反響し、木枯らしのような、化け物の鳴き声のような悲しげな音を立てている。

 その大きく深い谷の真ん中あたりに、何の支えもなく宙に浮いている球体があった。球体は風に煽られても動くことなく、空中にぴたりと止まっている。

「……あれか」

 ヅッソは言った。

 距離があるので材質も何も分からないが、白っぽい外壁が見える。

「あれか、じゃなくてさ」

 トリヤが突っ込む。

「あんなとこ、どうやって行きゃいいのさ?」

「こうするのよ」

 クレナが短い魔創語を詠唱し杖を振り下ろした。

 魔法のレベルで言えば中級程度だろうか。重力に反し、すっとクレナの身体が浮き上がった。


 往々にして道を極めた者というのは、こういう偏屈なところに住みたがるものなのかもしれない。

 塔の上に住む自分の師の事を考えながら、ヅッソは“飛翔”の魔法をコントロールしている。宙に浮くこと自体はヅッソもクレナも軽くやってのける。だがこの突風の中をバランスを崩さずに前に進むのはさすがに集中力が必要だった。しかもヅッソは少年剣士を抱えて飛ばなければならない。

「お、落とすなよっ! 絶対落とすなよっ!」

 強風に煽られ、トリヤが悲鳴のような声を出す。

「うるっさいわねえっ! 集中が途切れるから黙ってて!」

 さほど“飛翔”は得意ではない様子のクレナがその横で叫ぶ。

 しばらく飛ぶと風の緩い場所に入ったようでようやくと飛翔が安定しはじめた。程なく球体にまで辿り着く。

「どこから……入るのかしら?」

 クレナが球体の周りをぐるりと一周する。西側の壁に小さなボタンを一つ見つけた。

「押しても、いい?」

 クレナがヅッソに確認する。他に何もないなら押してみる以外になさそうだ。ヅッソが根拠なく頷いた。

 勢いよくボタンを押す。

 するとボタンを中心に直径二メートルほどの穴が唐突に開いた。

「わわわっ!」

 クレナが勢いそのままに球体の中へと転がり込む。

 中は明るかった。壁全体が薄く輝き、照明の役割を果たしていた。また、壁には絵が描かれていた。見渡す限り壁中に色とりどりの花が咲いている。

 床に転がっているクレナの頭に一匹の鳥が止まった。

 普通の鳥ではない。紫水晶アメジストで出来ている。その鳥はクレナの頭の上でカアーと鳴いた。

「ずいぶん賑やかなこと。貴方がヅッソ?」

 気が付くと、ヅッソの横に知らない女が浮いていた。

 驚く間もなく女の白い手がヅッソの頬に触れる。何かを確認するように指先がヅッソの顎のラインを撫でるように滑ってゆく。妙に顔が近い。

「……んー、悪くないけど華奢でちょっと頼りない感じね」

 女の唇が至近距離で動いた。彼女の息がヅッソの顔にかかる。唇はキュオリの“完全幻影”そのままにぷっくりと艶めかしい。ヅッソの顔が真っ赤に染まる。

「あはっ。そういうリアクション、好きよ」

 女は耳元で囁いた後、ヅッソの右手から落ちそうになっている顔面蒼白の少年剣士を球体の中に”転移”し、硬直したままのヅッソを空いた穴の中に押し込んだ。


「改めまして、こんにちは」

 女はにこやかに挨拶をした。

 金色の長い髪に整った顔立ち。真っ赤なローブの丈はかなり短く、白く長い脚が露わになっている。印象的な厚い唇には、ローブと同じ真っ赤な口紅が引かれていた。

 一〇〇年以上を生きた魔術士ではあるのだろうが、その外見は色気のある二〇代後半の女性にしか見えない。

「あ、貴方が魔女フレイヤ……」

 顔の紅潮がようやく戻ってきたヅッソが女性の名前を口にした。

「あら、知って頂いているなんて光栄だわ」

 ヅッソの言葉に微笑むフレイヤ。その微笑みにヅッソの顔がまた赤くなる。

「重たいんだからいい加減どいてよねっ!」

 ようやくと紫色の烏を追い払ったクレナが立ちあがり、ヅッソの横で服をパンパンと手で払った。残念ながらその仕草は色っぽさからはかけ離れている。

「……やばい、マジでやばい」

 トリヤは生まれて初めての高所体験にまだ身体を震わせている。

 立ち上がれずにいるトリヤは傍らの椅子に這って登り、身体を預けた。

 椅子は宝石で出来ておりごつごつとしていたが、贅沢は言っていられない。

 と、その椅子が、のそりと動いた。

 トリヤは椅子と目が合った。

 いや、椅子ではなかった。

 トリヤは水宝玉アクアマリンの身体を持つクロコダイルの上に乗っていた。クロコダイルが鬱陶しそうに大きな口を開けて少年を威嚇する。

 少年は声も出せずに再び床に這いつくばった。

 ヅッソは部屋を見渡した。

 宝石の身体を持つ何匹もの動物達がここには住んでいた。

 壁際をペタペタと歩く紅石英ローズクォーツのペリカン。

 上を見上げると虹色に輝く蛋白石オパールのオオハシが楽しそうに羽ばたいている。

 振り返ると、柘榴石ガーネットの狐が後ろ足で耳を掻いている。

 フレイヤの元にのそりとやってきたのは黒瑪瑙ブラックオニキスの身体を持つ真っ黒な豹だ。

 白い壁に張り付いている橄欖石ペリドットのカメレオンが、自慢の長い舌をびゅんと延ばしてみせる。

 彼女がいつも座っているのであろう大きなソファーの両端にはそれぞれ瑠璃ラピスラズリで出来た鹿と月長石ムーンストーンの狼が大人しく鎮座している。

「みんな、私の作品こどもたちなのよ」

 フレイヤが右手を上げるとその腕に琥珀アンバーのムササビが飛んできて捕まった。

 いとおしく抱き寄せ、その小さな背中を撫でる。

「かわいいでしょ?」

 動物の形をした、宝石の身体をもつ魔法生命体。

 付与魔術の中級レベルの魔法“人形ゴーレム作成”の応用と言ったところか。確かにこれだけの完成度で作り上げることができるのは、彼女を置いて他にはないだろう。

「本日は、貴方にお願いがあって参りました」

「聞いてるわよ。あなたのお師匠さまからちゃあんと連絡があったわ」

 フレイヤがまたヅッソに顔を近づける。

「”竜斬”でしょ?」

「え、ええ……」

 ヅッソはその近い距離に耐えきれず、返事をしながら下を向いた。

「試してもいい?」

 とフレイヤは言った。

 彼女の意外な言葉にヅッソが思わず顔を上げる。

「試す、というのは一体何を……?」

「決まってるじゃない。剣の腕よ。強い男じゃないと私は味方してあげないことにしてるの」

 彼女は三人を見比べた。

 華奢な魔術士と、気の強そうな小娘。そして床に寝転がったままの少年剣士。

「……もしかして、あの子?」

 ヅッソが目を閉じて頷く。

 魔女は大きな溜め息を吐いた。

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