16.鍛造
トリヤが籠手と剣を身につける。
朝日がその姿を照らし、長い影を作っている。
その傍らで地面に座り込んだまま、アマルガとヅッソが小さな剣士の演武を待っている。
「……いきます」
トリヤは小さく言ってから、すっと腰を落とした。鞘から剣をすらりと抜き放つ。
剣士の目つきが変わる。場の空気が変わる。
師と同じ、左手を前に突き出した例の不思議な構えをとる。軽く添えられた右手。その上腕に剣が走り、刃先が後ろを向いている。
そこから瞬時に刃先を前に出す。やはり早い。師に習い、トリヤも剣を力で振りまわすことはしない。手首を返し、前ににじり出て、下から切り上げた。ぴたりと剣先が止まる。
トリヤは師があの日に見せたのと同じ演武を再現していた。きっと手取り足とり教えてもらったものではないのだろうとヅッソは思う。見て盗んで自分のものにしたに違いない。
「……ほう」
アマルガが感心する。一風変ってはいるが動きに無駄がなく剣筋が綺麗だ。頭の中で造るべきミスリルの剣がもやもやと形を帯びてくる。
再び基本の構えに戻る。そして今度は切っ先を前に出し、次に腕を振り上げる。切っ先が下を向き、剣が左の肩から身体に沿う。そこからが早い。いつの間にか剣先が前に現れている。力で振りかぶって振り下ろす動きの何倍も速い。静かに素早く動き、止まる。師の動きを見事に模倣していた。
この動きなら長さは要らないな、とアマルガは考える。今の剣でもかなり正確に扱えているが、トリヤが使うにはほんの少し長いように見える。刃渡り七〇センチは要らない。六五ぐらいでいいかもしれない。
続いてトリヤは派手に動いた。剣先を前に出し、自分の身体に引きつけてそのまま頭上で一回転させ、鋭い突きを放って見せた。力任せに振りまわすのではなく、刀と身体のバランスだけで瞬時に反転させた。見事なバランス感覚だった。
重心は、少し先に持たせた方が良さそうだな、とアマルガは思った。ミスリルは鉄よりも軽い。鉄の剣と同じ型でつくると重心が狂ってしまい、かえって扱いにくくなるだろう。
一通りの演武を終え、トリヤは一礼してから剣を鞘に収めた。そして、アマルガとヅッソの方を向いてにいっと笑った。
「どーよどーよ。すごい? すごい?」
「思っていたより、すごいな」
アマルガの率直な感想に、トリヤはへへっと笑ってみせた。
見せてもらっていいか、とアマルガに聞かれ、トリヤは自分の剣を鞘ごと手渡した。
「かなり古いが……いい品だ。だが研ぎがまったくだな」
ぶつぶつと言いながらアマルガは剣を持ったまま工房に入った。
甕から水をくみ上げ、研ぎ石で剣を研ぎはじめる。時折、顔の前に剣をかざし、刃と研ぎの状態を確認する。
「……これぐらいでいいだろう」
ほんの数分で腰を上げた。
炉の火付け用に使った藁の残りを数本持ち上げ、刃の上に振り下ろす。
藁は音もなくすっと切れて落ちた。
「道具はちゃんと手入れしろ。いいな」
「……わかった」
トリヤが頷いた。
「剣筋はだいたい分かった。あとは俺に任せてお前らは……寝ろ」
それを聞いて、ヅッソはふうと息を吐いた。これでようやくゆっくり眠ることができる。
アマルガが首をごきりと鳴らした。
「ここからは俺の戦場だ」
ミスリルの塊との戦いが始まる。
ヅッソは食堂のソファーを借りることにした。戻ってからもするべき事は多い。そもそも体力に自信のある方ではない。休息は取れる時に取っておくほうがいいだろう。
トリヤは工房に残った。
アマルガの仕事を見てみたいと思ったからだ。
「単純作業の連続で面白くないぞ」
アマルガは言ったがトリヤは頑なに動かない。なのでもう放っておくことにした。
少年を無視し、外でキラキラと輝いている塊の横に腰を下ろす。
ミスリルは硬い。が、どこも同じ硬さと言うわけではない。組織の柔らかい個所を見つけ、槌と切りたがねという道具を使って切り分ける。アマルガはミスリルジェムから必要な量を切り分け、工房に運び込んだ。
作業場で平らに叩き、今度は細かく割ってゆく。その欠片を、組織の比較的柔らかいものと硬いものに選り分けてゆく。
続いて、積み沸かし、という工程に入る。
割った欠片をテコ先に積み上げ、木綿の布で巻きつける。それに柄杓で泥をかけてゆく。
火床はもうすでに木炭が燃えている。必要なのは一四〇〇度の熱。アマルガは火の色合いから温度を読みとることができる。ふいごを動かし、炎を調整する。
テコ棒を火床に差し入れ、上から木炭をかけた。ふいごで空気を送り込み、温度を保つ。こうしてミスリルの中にまで熱を通し、赤めてゆく。
しばらくして火から取り出す。真っ赤に染まっているミスリルを金床の上に乗せ容赦なく槌で叩く。バラバラに積み上げたミスリル片を熱し、こうして叩くことで鍛接してゆくのだ。
ミスリルは叩かれながら次第に融合し、四角く整えられてゆく。熟練の職人技だった。
形成を終えたところで、アマルガはテコ先を藁灰の中で転がした。溶けた表面に黒い灰がまとわりつく。次に砂状にした銀を上から塗す。最後に泥をかけ、再び火の中に入れた。融点の低い銀がすぐに溶け、ミスリルになじんでゆく。この銀が仕事をしてくれる。
火床から引き揚げ、さらに叩く。整えた四角を、直方体へと延ばしてゆく。ある程度叩いたところで直方体の真ん中に切りたがねを置き、職人に槌で叩かせる。十分に切れ込みが入ったのを見計らい、今度は折るようにして二つ重ねにしてゆく。下手に叩くと折れてしまう為、槌の加減が難しい。
重ねたミスリルは銀粉を加えられ再び火の中に入れられる。叩いて、重ねて、叩いて、重ねて。これを十二回繰り返す。銀が溶け込み、ミスリルが幾重にも重なり美しい層を作ってゆく。この層は美しいだけではない。組織が均一になり、また強度を与えてもくれる。
最終、十二回目の作業を終え、ミスリルは鍛えられたミスリル銀になる。特有の柔らかさと、何層にも重ねられた粘り強さを併せ持つ。だが、これだけでは剣は作れない。ここまで仕上げ、一旦置いておく。
アマルガは火床の前から離れ、また積み沸かしの準備を始めた。
先程は、比較的柔らかい欠片を集めて作業を行った。今度は硬い欠片を集めて積み重ね、同じく木綿の布でテコ先に巻き付けた。
火床に差し入れ、同じように熱し、鍛えてゆく。
藁灰の中を転がしたところで、銀の変わりに緑色の砂を塗した。
これは魔詳石を砕き、顆粒状にしたものだ。
魔詳石は、延性と展性を持っており熱伝導率も魔法伝導率も高く、名前には石と付いているが、れっきとした金属である。これは訳者のミスではなく、マーフォークの言葉に金属と石を分類するものがないことに起因する。
アマルガが銀以外にミスリルと相性の良い金属を探す中でようやく見つかったのが、この魔詳石であった。銀のように作業性を上げてくれるが、こちらは硬度が高く保たれる。その分ミスリル銀よりは粘性ではやや劣る。
こちらも叩く、重ねるを十二回繰り返し、魔詳石を溶かしこみ幾重にも層を重ねてゆく。そして、出来上がったミスリル+魔詳石合金――アマルガはベリルミスリルと呼んでいる――を、槌でU字型に形成してゆく。
ここでミスリル銀を戻してくる。
柔らかいミスリル銀を芯にして、硬いベリルミスリルが外側を覆うように合わせてゆく。丁度Uの字の中にミスリル銀が入り込むような格好になる。
アマルガは何度か叩いて調整し、二つの合金をぴたりと重ね合わせる。
そのまま火床に入れ、二種類の金属を鍛接してゆく。
これがアマルガの考えた新しい工法だった。二種の金属の重ね付け。硬さと粘り強さ、その両方を併せ持った剣を作り上げる、たったひとつの冴えたやり方だった。
トリヤは職人の作業をまんじりともせず凝視し続けている。
疲労は極限にまで達しており、身体は睡眠を欲しているにもかかわらず、アマルガの動きから目を離すことができずにいた。
自分の剣がもうすぐ出来上がる。
今ある腰のものは、村にあった古いものを自分で仕立て直して使っている。愛着はあるが、それだけだ。
でもこれは違う。
腕のある武器職人が自分のためだけに、それも希少なミスリルを使って作り上げてくれるのだ。剣士として、こんなに光栄なことはない。
アマルガの作業は次の段階に入った。
二つの金属が重なり合った直方体を、剣の形に叩いて延ばしてゆく。アマルガのイメージする形に近づけてゆく。無論、金属が熱いうちに素早く行わなければならない。
叩かれ、伸ばされ、職人の腕の中で細身の刀身が段々と形を帯びてゆく。
切っ先の形状を見て、トリヤが不思議に思う。刃が片方にしか付けられていないように見えたのだ。片側にしか刃のない剣。廃れたとはいえ傭兵の村で育ったトリヤだったが、そんなものは今まで見たことがない。
すぐにでもアマルガに問いたかったが、職人の背中はそれをさせないある種のオーラを放っている。いま職人は、ミスリルとの真剣勝負の最中なのだ。
そして、アマルガが造っているのはまさしく片刃の剣であった。
外側の硬い合金のU字がVの字になるように叩いてゆく。Vの先が刃になる格好だ。
アマルガには、トリヤの動きを見ていてどうも引っかかる点があった。バスタードソードが両刃であることが、右腕を傷つけるデメリットにしかなっていない事だ。
何が起こるか分からない戦場でなら両刃の剣と籠手の組み合わせにも意味があったのだとは思う。片方の刃に不具合が発生してもひっくり返して対応できるし、折れてしまった場合でも籠手があれば、例えば倒した相手の剣なんかをそのまま使ったりもできるからだ。
だが、いまアマルガが鍛えている剣はミスリル製であり、しかも魔法で強化されると聞いている。そうなれば刃毀れの心配とは無縁になる。同じ魔法強化された武具等とぶつかり合わない限り破損することはない。ならば彼の剣技に特化してやった方がいい。
頭に浮かんだのはメスだ。手術に使われるという片刃のナイフ。それをバスタードソードに重ね合わせ、頭の中で造形を膨らませてゆく。
叩く腕に熱が籠る。イメージを叩きつけてゆく。
鍛造される金属の塊が、明確な形を持ち、アマルガの想像力を超えてゆく。
――ズシューッ!
水に入れられ、大量の湯気を立てた。
引き揚げるとそこには銀に似た光沢を放つ一本の剣があった。
土泥を塗った刀身側は白く輝き、塗っていない刃の方にはしっかりと火が入ったことにより魔詳石が析出硬化し、銀に深い緑が混じった独特の色目を放っている。
「……よし」
剣の出来に安心し、アマルガが大きく息を吐いた。
あとは研ぎをかければ武器職人としての仕事は終わる。握りや鍔、鞘などは王国に戻ってから他の職人に発注してもらえばいい。
「できたのかい!」
トリヤが駆け寄り頭を出してくる。
剣の美しさに見惚れる剣士を職人が軽くはたいた。
「危ねえだろ馬鹿」
「で、きた? でき、た?」
トリヤは言葉がうまく出てこなかった。感情を抑えきれないといった様子だ。それを見て職人の頬が緩む。
「……ああ、研いだら完成だ。奥に油壺と綿布があるから準備しといてくれ」
研ぎが上がり、油を塗って布で巻く頃には、もうすっかり日が沈んでいた。
流石に限界だったのか、トリヤは床で寝息をかいている。あれだけの腕をしているが、寝顔にはまだまだ少年のあどけなさがある。
剣士と魔術士は、明日の朝には船に乗って王国へ戻ることになる。
しばしのお別れだな、とアマルガは思う。
「竜の手術、か……」
王国と契約を交わしている巨大な古代種の竜。その腹を搔っ捌き、腫瘍を取り出すなんてこの魔術士はなんということを思いつくのだろうか。痩せっぽちで体力がなくて温室育ちの青年の発想に、アマルガは驚きと感心を覚える。
そして彼が連れてきた少年剣士だ。事の重大さを考えると場違いなほど幼い糞ガキだが、ひとたび剣を握れば表情が変わる。その剣は正確で素早い。彼なら竜の手術をやってのけるかもしれないと思える。
武器職人は、使い手は選べない。
どんなに良い品が出来ても、祭事の時に飾られるだけではそれは空しい仕事でしかない。
アマルガはトリヤに近付き、鼻をぴんと弾いてみた。
ッンゴと変な声をだした後、少年は眠り続ける。
それを見て職人はふっと微笑み、立ち上がる。
実はまだもう一仕事、残っていた。
手術をするなら必要になるであろう、あれを作らなければならなかった。
ミスリルもまだ沢山ある。剣に比べれば形状もシンプルだ。さほど時間もかからないだろう。銀を混ぜてある程度しなってくれるなら、きっと使いやすくなるはずだ。
「……さてと」
夜明けまでにはまだ時間がある。疲労はあるが、この時間は貴重だ。
職人は大きく伸びをし、切りたがねに手を延ばす。
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