14.渡島
「すげーよなあ。これが海かあ。海! 海!」
トリヤは海を眺め、早朝からすげーを繰り返している。山間部の小さな村でずっと過ごしてきたトリヤにとって、海を見るのは初めての経験だった。絶えず姿を変える波はどれだけ眺めても飽きないらしい。潮の香りも新鮮で思わず頬が緩む。潮風がトリヤのおかっぱ頭をばさばさと派手に散らす。
剣士であるトリヤは戦士とは違い、身軽な装備である。
腰に一本、細身のバスタードソードを下げている。あとは右腕のガントレットだ。革と金属の組み合わせで出来ていて、そこまで重くはない。あの独特な構えの時に逆側の刃が腕を傷つけないために必要なものだった。
乗っているのは中型船だ。三角形のマストが三本あり、二〇名ほどの船員が操作している。風のない時のために漕いで進む仕組みもあるようだ。武器を運ぶ兼ね合いで固定の弦弓が六台ほど備え付けられているが、頻繁に使っている様ではなさそうだった。有事の際には船員が兵士を兼ねることになるそうだ。船はキヴォトスと七星列島を一日おきに往復している。今日は潮も風も良く、予定通り半日ほどで七星列島に到着すると船長は言っていた。
はしゃぐトリヤの横で、ヅッソは小さな声で最悪だを繰り返している。
体調の事ではない。無論、船酔いのせいで体調も最悪な状態にはあるのだが。
グラスから戻り、その話を聞いた時は暗澹たる思いだった。
七星列島の租借。
もうすでに書面で締結しており、日程までもが決められていた。
移管が終わってしまえばもうミスリルの剣を造ることが出来なくなる。それは竜の手術に絶対必要なものだった。
すぐさま王都を出てキヴォトスに向かい、船に飛び乗った。その地点で七星列島が百年王国の支配下にある時間は、あと五日。たった五日になっていた。
島に到着したのは予定通り夕刻だった。
西の水平線に沈む夕日がやけに大きく見えた。
船旅を堪能したトリヤが一番先に島に降り立つ。そのはるか後方、ヅッソが地面にぐったりと這いつくばっている。
「剣士ってのは、おまえさんか?」
出迎えたのは、武器職人のアマルガだ。
トリヤよりも背が高く、鉄を鍛え続けた両腕はなかなかに太い。傍目にはトリヤよりもアマルガの方が剣を握るのに相応しく見える。
「ああそうさ、おっさんが造ってくれるのかい?」
「……まあな」
三〇になったばかりのアマルガがぶっきらぼうに答えた。おっさんと呼ばれるにはまだ少し若い。
「ご無沙汰……してま、す」
蚊の鳴くほどの小さな声でヅッソが挨拶をした。ヅッソが船でやられるのはいつものことだった。
「案内するぜ坊主。それ、抱えてついてきな」
「……へいへい」
トリヤは軽く肩をすくめてから、顎で指された痩せっぽちの魔術士を肩に担いだ。そしてアマルガの後について歩きだした。
カヴァリ工房には食堂がある。住み込みで働く職人達のために、アマルガの奥さんが毎日食堂で皆の食事を作り、工房を支えている。工房に着く頃には日も暮れてきていて、ちょうど夕飯時になっていた。ヅッソとトリヤもご相伴に与ることになった。
「……ったく、おたくの王様は何考えてんだか知らねえが、おかげでこっちはてんやわんやさ」
クリームシチューを頬張りながらアマルガがヅッソに愚痴をこぼす。
そりゃそうだろう。あと一〇日で良く知らない新興国に領土権が移ります、と言われて普通でいられるわけがない。
島は、蜂の巣をつついたような状態が毎日続いている。
島を捨て、大陸に向かう者も少なからず現れたのだが、やはり生まれ育った故郷を捨てられない者が圧倒的に多い。皆、不安を抱えながらこの島での生活を継続することを選ぶより道はなかった。島民にはとりあえずの保証金が王国から配布され、現状在庫として抱えている農具や武具に関しては全て王国で買い取ることが発表された。だが手元にやってくる金貨が新興国の支配下の元、どういった扱いになるのかはいまだ未知数だ。
「それは……すまない」
租借の締結は、ヅッソが国元を離れている間に進んでしまった話だった。
せめてフィーロあたりを交渉の場に同席させてもらえていたなら、ここまで不利な条約を結ぶこともなかったかもしれない。こちら側がタリスカとか言う若い交渉役にすっかり丸めこまれてしまった最悪の結果だった。
――しかし、竜の腫瘍の事が知られているとは。
頭の痛い問題だった。これにより手術は絶対に成功させなくてはならなくなった。そうでなければこの先も外交で圧力をかけられ続けることになりかねない。
そのためにも、残された時間でミスリルの剣を是が非でも完成させてもらわなければならなかった。
「剣は……大丈夫なのか?」
ヅッソが尋ねる。まだ胃をやられているようでシチューを断り、暖かい茶をすすっている。
「材料は抑えてある。あとは鍛えて仕上げるだけさ」
もう夜も更けている。今日が終われば残された時間はあと四日しかない。
「だからしっかり、めし食っとけよ」
二杯目を食べているトリヤにアマルガが意味ありげに微笑む。
「今日から三日間、徹夜で仕上げる。お前らにも手伝ってもらうからな」
少年剣士の口から、ニンジンと鶏肉が飛びだした。
真っ暗な闇の中、ヅッソの杖から放たれる“光源”の魔法の明かりだけがぼんやりと白く光っている。
こんな時間から工房を開けるのは久しぶりの事だった。いつもは夜明けとともに工房に出て、日が暮れる頃には閉めてしまう。
だが今回はそうはいかない。
顆粒状のミスリルを炉で沸かし、一番良い状態にして取り出してやる必要があった。そのためには、炉の中で三日三晩、一定の温度を保ち、熱し続けなければならない。
アマルガの他に六人の職人、それにトリヤとヅッソが同行する。
ヅッソの差し出す光源の元でアマルガが閂を外した。
重たい扉をスライドさせる。
中から冷めた鉄の匂いがした。
天井は高いが内部はそこまで広くはない。真ん中に炉とふいごが設置されている。
炉は直方体に作られていた。人が横たわれるぐらいの大きさで、大きな棺桶のように見える。炉は数本の管でふいごと繋がっている。ふいごは木製で、人が踏むことで大量の空気を送り込む構造になっていた。
「……かっけえ」
トリヤが場違いな感想を漏らした。
「まさかこんなに慌てて準備することになるとは思わなかったぜ」
アマルガがヅッソの肩口を拳でこつく。
炉は赤土を足で踏んで練って造る。作業には時間と根気が必要になる。これだけの土を運び、踏んで捏ねて積み上げるのにどれだけの労力を要したことか。
傍らに山のように積まれているのは木炭だ。三日三晩、炎を絶やさないためには大量の木炭が必要になる。
奥の大きな木箱の中に、貴重なミスリルがさらさらと白く輝いている。これを炉の中でドロドロに溶かして不純物を追い出し、上質のミスリル塊を作り上げる。そのために男達はこれから三日三晩、炎と戦い続けることになる。
「あー、ちきしょう。面倒くせえ仕事を引き受けちまったなあ」
アマルガは言った。ヅッソには彼がどこか楽しそうに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます