一章 そのご
静まり返った夜の校舎を後にして、2人の少女は寮までの道を歩く。
「非常に言いにくいんですが」
何事も無かったかのような表情でりほは歩を進めていたが、あかねの言葉にピタリと足を止めた。あかねもまた、立ち止まり、無言でりほを見上げた。
「・・・木村ユキノから離れるべきです」
「・・・」
一瞬の激情がりほの目の中によぎり、しかしそれはふっと掻き消えた。
実は激しい気性を隠し持っている相手の、今1番の心の弱い部分を突くようで、あかねの声はいつもにも増して、事務的な淡々としたものになった。
「できない」
りほの言葉は小さいが、はっきりとあかねの耳に届いた。
「それだけはできない・・・ですか?」
予測していた返事だったが、あかねはあえて尋ねた。
「また繰り返すんですか?」
バキリと、りほの足元で枝の折れる音がする。
その他は小さく虫の音だけが、林の中の小道に響いていた。
りほの青にも黒にも見える瞳を覗き見ても、感情は伺えない。
しかしその中に、深い悲しみ、怒り、そして激しい葛藤が渦を巻いているのがあかねには判った。
「どうしてだろうな・・・ただ一緒にいたいだけなんだ。最後に」
「え・・・」
ふいに漏れたつぶやきは、あまりにも細く、そしてピュアだったため、あかねは思わず聞き返した。
りほは顎を上げ、空を見据えると歩き出した。その背中は何者も受け付けない意志に満ちている。
「全て私のせいだ。この『道』で、もう終わらせる。この生で旅を終える。私がこの身に負ってきた、恨みも怒りも・・・」
語尾は小さく、だが、愛もと、あかねの耳には聞こえた気がした。
「ここで消し去る」
小走りで横に並んだあかねは、りほを見上げた。
黒い瞳は、凪いだ海のように静かだった。あかねは少しそれを見つめた後、はぁとため息をついた。
「じゃあ、このあいだみたいなことはもうやめてくださいよ」
あえて、つけつけと説教のように繰り返す。
「記憶を無理に掘り返すのは危険だと、あなたが1番判っているでしょう?それこそ取り返しのつかないことになりかねないですから。全く・・・せっかくゆっくりと入学式から時間をかけて普通のクラスメイトみたいに仕掛けていたのに。台無しです」
「・・・悪かった。少々焦ったんだ」
今度は、珍しく苦虫をかみつぶしたような表情が返ってきた。
自分が本当に悪いと思った時は素直な相手に、あかねは意地の悪い笑みを浮かべた。
「心せま過ぎ。余裕無さ過ぎです。たかが、中学の時にちょっと付き合っただか何だかの話でしょ。良くある女子同士の恋バナですよ。しかも本当だったかアヤシイもんだし」
りほは真一文字に唇を引き結んでいる。
入学してすぐ、軽いジャブ程度に自分の中学時代の思い出話をしつつ、親睦を深め合っていた女子のグループに木村ユキノはいた。
その中で、非常によくある話だが、現在進行形の関係も含めて異性の話題になったところ、輪の中心にいたのがユキノだったらしい。一体どういう顔で、それを盗み聞いていたのか、想像するだけで笑える・・・とあかねは思ったが黙っていた。
「・・・今も好きだと言っていた」
「だからって、いきなり呼び出して『子供産んだー』は無いですよ。完全アウト。普通に変人扱いですよ」
能面のようになってしまったりほに、あかねは両指で、バッテンを作ってみせた。
程なくして、2人の歩く先に白い建物が見えてきた。
女子寮である。
「とにかく」
あかねは、大股でりほを追い越し、くるりと振り向いた。
「この『道』にも彼らが付いて来てしまっているのはこれで確定。どうします?木村さんがそうだと、気が付いているのかいないのか。ただ単にあなたが近づいたという理由だけで呪詛をかけた・・・あの方ならやりかねないか」
ああ、嫌だ嫌だとあかねは首を振った。
「あの仕掛けは、ユキを狙ったものだった」
呟く、りほの声は低い。
「どうして判るんです?」
「・・・そう言っていたからだ」
誰が?とも聞けず、またしてもあかねはうなだれた。
りほは寮に向かって歩き出した。
それに従いながら、ああ、自分はまたこの人に付いていく道を選んだのだと、あかねは今更のように思っていた。
一筋の道がある。
それを辿る人々がいる。
ひとかけらのひかりを頼りに手を伸ばすのは、その先に狂おしいほど求めるものがあるからだ。
例えその手をすり抜けても、何度でも。
魂が擦り切れても。
「木村さんの家って、海岸通りでしたよね」
山の手にあるこの学校とは真反対の海側に、確か木村ユキノの自宅はあったはずだ。
まず市内を抜けてくるのにバスで40分程、更にそこから山の頂上付近まで10分程度、片道1時間弱はかかる。
あかねは、りほをきろっと睨んで肩をすくめた。
「せっかく当初は同じ寮に住むはずだったのに。先走ると碌なことになりませんね~」
「うるさい」
寮の正面玄関は当然のことながら静まり返っている。
2人の前にある大きなガラス扉の向こう側は人気も無く真っ暗で、遠くかすかに赤い非常灯が灯るのが見えるだけだった。りほはガラス扉から離れると、建物の脇にある小さなドアに向かった。あかねもその後に続く。
寮の用務員が出入りする業務用の入り口で、普段は施錠してあるものだ。
そのドアのノブを、りほはためらいもなく回した。
「・・・誰をたらしこんだんです?」
「お願いしておいただけだ」
りほは無表情にドアを開け、倉庫になっている小部屋に入った。そこは寮の中に直接繋がっている。
あかねが後ろ手にドアを閉めると、部屋の中央に立ったりほが振り返った。
「・・・何で付いて来たんだ?」
あかねはただ、声も無く相手を見つめた。
かすかに埃が舞う部屋の中で、2人の少女はピクリともせず向かい合っていた。
りほはそれ以上答えを待つでもなく、やがて顎を上げ、事務的に告げた。
「あいつも来ているんだろう?連絡を取ってくれ」
「・・・はい」
あかねはかすかにためらう素振りを見せた後、頷いた。
りほは部屋のドアに向かいながら、珍しく人の悪い笑みを見せた。
「会いたくないとは思うがな」
「何のことを言われているのかさっぱり判りません。というか殆ど記憶していませんし」
あかねは大股でりほを追い抜かすと、ドアを開け、寮の廊下を後ろも見ずに立ち去って行った。
それを見送り、りほも音も無く反対側の廊下を進んで行った。
One Way 島津鮎 @ayu0415
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