一章 そのに
図書室の前には結構な数の人だかりができていた。
「わっやばい!すみませ~~ん」
ユキノはポケットから鍵を取り出しながら駆け寄る。
あの後、どうにも耐え難い気恥ずかしさと戦いながら購買でパンを買い、ようやく図書室がある3階へ上がりかけたところで、鍵を取ってくるのを忘れていたことに気が付いた。
当番の日には、図書委員が職員室へ鍵を取りに行くことになっている。
担当同士で誰かが取りに行けばいいのだが、今朝自分が取りに行くと伝えていたことをすっかり失念していたユキノが、りほに先に行っていてもらい、1階の職員室へ駆け戻った。
図書室の開室時間より15分押し。本来ならば、開く時間には既に室内で待機していなければいけないはずだ。
(う~~~ばかばかばか。何やってんのもう)
焦りと、待っている生徒への申し訳なさで嫌な汗をかきながらユキノが扉前にたどり着くと、りほと数人の生徒達が振り向いた。
「ごめんなさい!遅くなりました!!」
突進する勢いで扉に向かうユキノに、生徒達は道を空ける。
乱暴に突っ込んだ鍵が、ガチャガチャと耳障りな音を立てた。
「焦らなくていい。皆、待ってくれてる」
鍵を回すユキノの手にさらりとした感触の手がかぶさった。
ドキリとすると同時に、ふっと安心する。今日は何だか不思議な感覚の日だ。
滑らかに開いた扉の中に次々と生徒達が入っていく。皆不自然なほど、嫌な顔もせず、ユキノは少々面食らった。文句のひとつも言われると思っていたからだ。
(・・・?)
「ユキ、入ろう」
入り口で立ち止まったままのユキノの背中を押して、りほが図書室の扉を閉めた。
「りほちゃん、ごめんね。皆怒ってたんじゃない?」
「・・・別に。理由を言ったら判ってくれた」
それよりも、という風にりほはユキノの目を覗き込んだ。
「呼び捨て」
「あ・・・いや、うん。わわわわかった。えーっと、り・・ほ」
「うん」
ようやく、薄く微笑んでりほはカウンターの方へ歩いて行った。
ユキノは軽く脱力する。何だろう、この疲労感は。
(渡瀬さんって、こんなキャラだったっけ?)
どうにもあのクラスメイトについて、今日は腑に落ちないことがいっぱいなのだ。
まだ出会って1ヶ月程しか経っていないが、それでも抱いていた印象とは違う気がする。
(・・・?出会って1ヶ月・・・だよね)
ふと過ぎる疑問。そもそもどうしてこんな疑問が浮かぶのか。
貸し出しカウンターで、生徒に対応しているりほ。整った顔で、淡々と業務をこなしている。これまでと変わらない風景。
(何でこんなこと思うんだろう?・・・)
これまで、とはいったいいつからいつまでのことを言うのか?
早くカウンターのりほを手伝いに行かねば、と思うのに足が動かず、ユキノはただひたすら立ち尽くしていた。
「・・・熱い視線です。火傷しそう」
ふいに隣からボソリと声がした。と、同時にガシャンと大きな音がする。
「うああっ」
「あぶない」
図書室に数台設置してある、書籍運搬用の台車がいつのまにか接近していて、そこに山積みになったハードカバー本が勢い余って雪崩落ちる寸前だった。ユキノが、あっと思う間もなく音も立てずに何冊もの本が落ちていく。それを小柄な少女が神業的に受け止めた。
「良かった。新刊は無事です」
何事もなかったように、少女は分厚い本を台車に積み上げた。
少し重たそうな前髪と、度のきつい眼鏡が神経質な印象を与える。
「ナイスキャッチ・・・香坂さん」
再びガシャガシャと耳障りな音を立てて、香坂あかねは台車を動かした。
「これ、車輪のネジがゆるんでるのかもしれないですね」
本日のもう一人の図書当番であるあかねは、隣のクラスの図書委員だ。
同学年なのに、何故か敬語を崩さない変わった少女である。それは本人曰くユキノにだけでなく、周りの人間ほぼ全てに対してらしいので、気にしなくてもいいらしい。
あかねともこの春に出会ったばかりだが、とにかく三度の飯より本が好きだということと彼女もまた寮生だということ以外、あまりよく知らない。
しゃがみこんで台車の車輪を調べているあかねの後頭部を眺めていると、ふいに眼鏡の下から、きろっとユキノを見上げてきた。
「・・・気になるんですか?」
「えっ?」
再び自分の考えに沈みこもうとしていたユキノは、焦ってあかねを見た。
あまり感情の読み取れない表情の中で、目の光だけは、やけに力がある
「何が?何のこと?」
「今日入ってきた新刊。お笑い芸人が自分の生い立ちを元に相方との出会いと別れそして俳優ミュージシャン評論家政治家を経て果ては作家に転身するまでの紆余曲折を赤裸々かつドラマチックに描き出した波乱万丈一大半世紀」
「・・・」
「私の解釈ですけど。10分で読了しました」
あかねは立ち上がって、パンとスカートの裾をはらうと台車を書棚へと向けた。
ようやくユキノもあかねと一緒に動き出す。台車の上の本が落ちないように支えながらそろそろと移動を手伝った。
「今日はごめんね。当番に遅れて・・・」
「いえ、問題ありません。確かに遅刻は良いことではありませんが、不可抗力というのはどうしようもありませんから」
あかねは台車を押しながら答える。抑揚のない調子は感情が読み取りにくかった。
「不可抗力っていうか、私のドジだよ。渡瀬さんにも悪いことしちゃった」
やはりどうしても、いきなりの名前呼び捨ては抵抗がある。少し後ろめたさもあり、小声でぼやくと、あかねはじっと見つめてきた。
「あの人にとっては毛ほどもたいしたことではありませんよ。人を従順にさせてしまうのが本性みたいなものなんですから」
突拍子もないことを聞いた気がして、ユキノは答えに窮した。
「・・・それってどういう・・・」
「現に、あの人に一声かけられただけで、子羊の群れみたいになってしまいましたから。あそこらへんとか」
あそこ、とあかねが指差したあたりはカウンター前だ。皆、それぞれに本を抱え、おとなしく順番を待っている。
よくよく見ると、カウンター内のりほから貸し出しカードを受け取る際等、わずかに手が触れただけで、真っ赤になってうつむいてしまう生徒や、それを見た別の生徒が我先にと強引に割り込もうとして、りほにたしなめられ涙ぐんでしまったりと、思わずぽかんとしてしまうような光景が繰り広げられている。
「・・・渡瀬さんって、ずっとあんなだっけ?」
「私が知ってる限りはそうですね」
『新刊コーナー』というポップが立てられた棚に、あかねはハードカバー本をざくざくと並べていく。するとそれに気づいた生徒達が、わらわら集まってきた。
あっという間に空になっていく棚を、現役の書店員のような手際の良さであかねは次々と補充している。
「香坂さんって渡瀬さんと知り合い?」
「・・・昔からの・・・同じ中学だったんです」
あかねは仕事の手を止めずに答えた。
「それよりも」
また眼鏡の下から、じっと見つめられる。
「気になるんだったら本人に直接聞けばいいじゃないですか」
ユキノの新刊に伸ばした手が止まる。
「ほほほほんにん?!本人って・・・本人?!!」
「あそこでずっとこっちを見てる可愛げが無さそうなあなたのクラスメイト」
思わず、ばっと振り向くと、カウンターの中から噂のりほ本人が険しい顔をして、こちらを凝視していた。普段は表情に乏しい整った顔が、珍しく眉を寄せて不機嫌そうなのが判る。何故かユキノは青ざめた。
「ねえ、なんで怒ってるの?なんで怒ってるの??」
「知りません。それも一緒に聞いてみたらどうですか?」
再びガシャガシャと台車を押して、あかねは去っていく。
ユキノは眉を八の字にすると、心を決めてカウンターへ歩いて行った。
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