桜色 和秋side
11
出会いは最悪な夜だった。
外の雨が窓ガラスを濡らして、街のネオンがじんわりと滲んでいる。
馴染みのBarのせっかくの音楽が、目の前にいる子の言葉に消されて空気が淀んでいく。オレはその子を特別視したことはない。
だってさ、「好きだよ」なんて甘い言葉を囁けば、女特有の柔らかい体を摺り寄せて、一時の快楽で性欲を満たしてくれるから、オレは気まぐれに連絡して時間を共にしたに過ぎない。
まぁ、当時のオレは二十歳を過ぎたばっかだったし、若かったんだろうね。そんなんだから常に二股も?いや、それ以上の状態だってあった。
でも、本当のこと言えるわけがないじゃない?仮にもみんなに夢を与えるキラッキラのアイドルなわけだから。
だからさ、せめてものお詫びの気持ちで、ある一定期間関係をもったら、どんなに体の相性が良くてもちゃんと伝えてバイバイする。
「サイテー!」
なのにさ、そう言うとその子はすごい形相で睨んでテーブルにあったビールのグラスを手にすると、思いっきりオレにめがけてぶっ掛けた。
えっ?オレ、優しくない?
内心はそう思いながらも、この場に適した言葉は条件反射的に降ってくる。この適応能力の高さは芸能界で生きてきたからこそ身についた処世術だ。
「ごめん」
はいはい。とりあえず、謝ってあげるから早く終わらせて?
オレは、唇を噛みしめながら目を細めてあからさまに切ない表情を作るとただ黙って俯き演技をする。
まだまだ、始まったばかりのオレだけど、これで金もらおうとしている身だよ?無料でしかも至近距離で体験できるんだからむしろ得に思ってほしいくらいだわ。
あー……最悪。前髪からビールが滴り胸元のチェックのシャツまで濡れている。
この状況を直視して今回は面倒な女だったな、と小さく溜息をついた。
彼女は、暫くすると大きな溜息をついて下品にも激しい物音を立てながら席を立つと、店を出て行った。
やっと店内のUKロックがクリアに聞こえてくる。
「はー……マジ、めんど」
誰もいない店内。
カウンター越しのマスターでさえこの修羅場の空気を察して奥に入ってくれているから、都合が良くてさ、別れ話はいつもこのBARって決めていた。仮にも、あの子だってアイドルのイケメンと呼ばれてるオレとヤったわけだよ?
ヨカッタんじゃないかなーって思うよね。色んな意味でね?
オレが飲んでいた方のビールの無事を確認して、渇いた喉を一気に潤した。
ビールの入っていたグラスをテーブルに置いて、お代わりをもらおうと立ち上がると、さっきの見かけだけの子と入れ替えに、カランカランとベルが鳴って、新しいお客さんとみられる子が、丁寧に赤い傘を畳んでいた。
膝より上のヒラヒラしたスカートは、春風が吹けば簡単に捲れるんじゃない?ってくらいの白いシフォンのスカートで、肩より長い髪は、程よくふんわりと巻かれている。 Gジャンの下に着ているシンプルなTシャツ越しの体つきに似合わず柔らかそうな胸のラインが見れて、もう既に得した気分なった。
「美雪ちゃん、いらっしゃい」
ベルの音を聞いてマスターはその女の子の名前を呼ぶと、オレには見せたこともない笑顔で招き入れて、すぐにその子のカウンター前に立った。
「マスターこんばんは。オレンジジュースください」
「はい、ちょっと待っててね、そうだチーズケーキ食べる?お客さんから美味しいチーズケーキがあるって聞いて、今日買ってきたんだよ」
「うれしい!いいんですか?私チーズケーキ大好きなんです」
「もちろん、今持ってくるからね」
すんげぇ露骨なのね。マスター。
常連のオレにチーズケーキの情報くれなかったじゃないの。
元美容師の営業スマイルで目尻下げまくりでさ。
そんなマスターは、オレンジジュースだけ出して颯爽にバックヤードに引っ込んだ。
ついさっきまで、この店の雰囲気最悪だったのよ?なのにさ、この子が居るだけでこんなに明るくなって漂う空気は軽やか。一体なんだろうね。
オレは一気にその美雪ちゃんに興味が湧いて視線を向けると、桜色の唇がストローを咥える仕草とこっちに気付けばいいなという思惑を抱きながら、長い睫毛が瞬きするのを見つめた。
そんな無意識に念じていた想いが届いてその横顔がゆっくりとこちらを向く。
でもさ、ストローから離した桜色の唇が発した言葉はあまりにも予想外で、
「あの……大丈夫ですか?」
「えっ?何が」
ちょっと裏返った声が出る。
だけど、美雪ちゃんはそんなこと全然気にしないで、静かに高めの椅子から降りて立ち上げるとオレの方に来る。
微かにふんわりとしたフローラルとバニラを混ぜたみたいな香りが近付いた。
なに?なに?
何なのよ、この子は。
ふと視線を上げると、さっきまで見つめていた長い睫毛と黒めがちな潤んだ瞳が至近距離ですぐここにあって、オレの心拍数が急に早まるのを感じた。
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