5
一ノ瀬さんの言葉には破壊力がある。
無意識的に発しているのか、意識的なのか把握はできないけれど、私はそれに耐えかぬて、精一杯、視線を逸らした。
もっと強気で反抗しようと思ったのに、先制されると何も出来なくて、それを見越している一ノ瀬さんには、到底敵わない気がする。
「忘れてって、言われると思っていました。」
「なんで?」
「捉え方が私と一ノ瀬さんでは違う気がしたので」
「まぁ、人それぞれって言葉があるくらいだからね。確かに仕事でキスをしなさいって言われればするし、こんな感じでお願いしますってリクエストまで受けるよ。だってお仕事ですから」
「……そうですか……でも、私は一ノ瀬さんと違って、ただの一般人なのであのゆうことされると、すごく困ります。」
「嫌だったってこと?」
「あの……嫌とかじゃなくて、困るんです。」
「嫌じゃないんだね。今はそれで充分よ。それは、恋人同士じゃないからってことでしょ?オレのこと、よく知らないしってことでしょ?だから、つまりは知りたいと。」
「……よく、分からないですけど恋人同士がすることを、一ノ瀬さんは初対面の私にしたじゃないですか。やっぱり、そういう人なのかなって思っています。」
「そういう人か……、そっか、ごめん。ついね、あまりにも美雪が可愛かったからさ。じゃあ、これからは聞くよ。キスしていい?って。ちなみに、今は?」
「絶対ダメです。」
「はい、こんな感じね?了解」
そう言うと、一ノ瀬さんはまた白ワインのグラスを私に傾けるから、ついそれに従って、2つのグラスの重なる音が響かせた。
「じゃあ、教えてよ、連絡先。」
「一ノ瀬さんって軽い人なんですね。」
「美雪はガードが固い人なんですね。」
「そう思ってくれていいです。」
「だからだよね、攻略したくなる。」
「あの……、聞いてもいいですか?」
「ん?何?」
「なんで、私をここに連れてきてくれたんですか?」
「知りたい?」
「はい」
「じゃあ、教える代わりに連絡先教えて」
「一ノ瀬さんって、本当に強引ですね。」
「いつもこうじゃないよ?」
まだ、外したままの視線を手繰り寄せるように
すっと、私の右側に熱が近づく。
「いつまで、目合わせない気?もしかして意識してる?」
「してませんっ!」
思考回路が狭められた私は、いとも簡単に一ノ瀬さんの挑発にのってしまって
薄茶色の瞳と視線がぶつかる。
少年っぽい顔立ち、身長だって多分私と5㎝くらいしか変わらない。
だからこそ際立つ仕草、声、視線。
気を抜くと引き込まれてしまう。
まるで、光と影が同居するような両面を持ち合わせた一ノ瀬さんに、私は飲まれないように必死で留まる。
「やっぱ、可愛い」
もう、なんだか分からない。
「だから、やめてください」
「知りたいんでしょ?なんで俺が今日あのBARにいて、美雪を知っていて、今ここに美雪を連れてきて口説いているのか」
「口説いていたんですか?」
「とーぜん、いくら何でも誰にでもこんな対応するわけがないでしょう?必死よ?これでもオレ、次に繋げようとさ、だって……」
一ノ瀬さんは、そういうと私の手に自分の手を合わせて、キュッと握る。
手……温かくて、なんだか柔らかな優しさが伝わってくる気がした。
「やっと、この距離になったんだから」
「……やっと?」
「そ、やっと、俺にしてはかなり慎重に回り道をしながらも、どうにかならないかなこの距離って考えたりして。徐々に詰めましたよ。そりゃあ、もう。これでも。だから離したくない。それくらいね、あるんですよ。熱量が、こっちは。」
「どうして、私なの?」
知りたい。
どうして、私のことをそう思ってくれているのか。口説き文句なのか、気まぐれなのかは分からないけど、それ以上にそう思ったから、そのままを伝えた。
「美雪の目の中にオレを映して欲しいって思っていたからだよ。ずっと、ずっと前から。春馬じゃなくて、オレを、一ノ瀬和秋をね。」
「ずっと前から?」
「そ、美雪には春馬しか見えてなかったと思うよ?むしろなかったんだよ、オレなんて眼中に。あのたった1度来てくれたライブの時も、歓声とスポットライトの中に、居たんだよねオレ。でも、美雪はまっすぐ春馬を見てた。なのに、全然主張しようともしないのね、彼女だって。羨ましかった。そんな美雪を独り占め出来る春馬が」
繋がれた右手に少しずつ力が加えられていく。
「やっと、ここまで来れた。だからさ、美雪。オレを好きになってよ」
「一ノ瀬さん……」
「オレは、離したりしない。」
一ノ瀬さんの目にはっきりと私が映る位近づいて、互いの熱が分かる。
「キス、していい?」
「ダメです」
絶対に……。
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