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「みいちゃん……?」
「あ、ごめんなさい……ちょっと、ぼーっとしちゃって。あの、突然だったから。大丈夫ですよ、千夏先輩。私と佐木先輩はもう別れているんです。だから、私の事が好きなんてありえません」
別れを言われてから、何度も一緒の時間を過ごしたけど、佐木先輩は私に触れようともしていなかった。
だから……あり得ないの。
絶対に。
だって、私がフラれた側だから。
「頑張ってください。応援……しています」
千夏先輩を安心させてあげたくて
私は笑って、ね?って言った。
「ありがとう。ごめんね?急にヘンな事聞いちゃって。本当、ごめん」
笑いながら首を横に振って
正面を向くと
「じゃ、いこーか?」
右肩にトンッと適度な重さを感じて見上げると、L字の向こうに座ってたキャップの彼が立っていた。
「えっ?あ、あの!」
私はびっくりして呆気にとられていると、彼は右腕を掴んで、既に隣の椅子の上にあったバックとコートを持っている。
「千夏、もー、終わったでしょ?大事な話。なら、この子攫っていーよね?」
「一ノ瀬くん!ちょっと、急にそんな!どういうこと?」
「そーゆーこと。それにね急じゃない。大分待ったでしょ。端っこで」
彼はそう言うと、私の腕を引いて背の高い椅子から下す。
一体、何なの?
この人。本当にワケが分からない。
「あの、離してください。私、あなたの事知らないし、どこにも行きませんから!」
すると、その人は私のバックを肩にかけて目深に被ってたキャップを脱いで
「これでも分かんない?一応、アナタの元彼と同じアイドルグループなんだけど?」
さらっと落ちた前髪の向こうの目を細めながら、口角を上げる。
「……えっ⁉︎……あの、Questの一ノ瀬さん……」
「正解、これで知らない人じゃーないよね?ほら行くよ」
「でも、ちょっと!そういう問題じゃなくて、無理です!」
私は、腕を振り解こうと抵抗すると
すっと、一ノ瀬さんの体温が近づいて耳元で囁く。
「いつまで無理して笑うの?」
あっ……。
私……そんなに無理してた?
ふと力が抜けて
なぜか、自然と一ノ瀬さんの方へ身体が傾く。
「ほら、行くよ」
少し乱暴な行動に反して
言葉は優しく、肩に掛けてくれたコートのせいか温かさを感じた。
「……はい」
千夏先輩とマスターを振り返る事なく店を後にして、薄暗い階段で地上に上がると、一ノ瀬さんの背中越しに見えた星空は、雑居ビルの隙間からでもキラキラ輝く。
一ノ瀬さんは、何も言わず歩きだす。
私は、一ノ瀬さんに掴まれている右腕を見ていた。
どこに向かうの?
なぜ私を連れ出したの?
どうしてあの場所に居たの?
聞きたい事はいくつもあるのに、何も解消されないまま、私は初対面の一ノ瀬さんに付いていく。
時折吹く夜風は冷たく頬を撫でるけど、身体が火照る様な感覚でいるのは……きっとアルコールのせい。アスファルトを踏む靴の音とヒールの音の重なりから、自然と歩幅を合わせてくれている優しさが伝わって、
あぁ、この人モテるな。
つい、ふと思って顔を上げた。
「店、もうすぐだから」
「え?」
「知りたいでしょう?行き先」
「あ、……はい」
「あれ?違った?そっちじゃなかった?」
「違うって?」
「いや、お望みは店じゃなか……なんでもない。ただ想像以上だなって」
「何がですか?」
「可愛いって事だよ」
唐突な言葉に意表を突かれる。
だって、こっちを振り返る一ノ瀬さん、すごく優しく笑うから、深くにも胸が高鳴る。
さすが、アイドル。
凄いインパクト。
私は自動的に、頭の中で一ノ瀬さんをみんなの憧れにすり替えた。
佐木先輩の時は違ったのに……そんな事を考えていると、
「いいよ、比べて」
「……比べる?」
「春馬とオレ」
「……そんなつもり……」
「分かりやすいよ、みいちゃんてさ正直だよね。表情が。言葉は付いてくるとは限らないけど、丁度いいと思うよ?按配。で?どう?今のところ、佐木春馬と一ノ瀬和秋を比べた感想は」
「……2人とも優しいです」
どう答えていいのか分からない。
でも、真っ直ぐ私を見下ろす一ノ瀬さんの薄茶色の瞳に吸い込まれそうになると……
「美雪、それは違うよ」
そのまま、クイッと引き寄せられて
一ノ瀬さんの顔が近付くと、唇に柔さが重なる。
えっ……?
キス……
キス。
やっと、状況を理解して
少し屈んだ一ノ瀬さんを思いっきり突き飛ばした。
「止めて下さい!何するんですか!」
「優しいだけじゃないから、オレ。下心があるのは、春馬と変わらないけどね」
なんなの……この人。
すごい、軽い人。
やっぱり業界人だから?
「春馬は、こんな酷いことしません!だから、一ノ瀬さんと違います。」
「やっぱ、呼んでたんだね、春馬って。嫌いじゃないよ?2人でいる時しか呼ばなかったんでしょ?名前。むしろ好きだよ、そーゆー気遣い出来る子は」
「……もう、なんなんですか、一ノ瀬さん。私をいきなり連れ出したり、こんな……キスしたり、よく分からないです!」
「だから……分かりたいよね、オレはもっと美雪を。でさ、知ればいいじゃん美雪はオレを」
そして、一ノ瀬さんは怒る私に反して、少し口角を上げると
また、私の右腕に触れて今度はそのままコートの上を辿って、右手を握る。
「手、冷たい。店、ここだから、ほら行くよ?」
「行きません!離してください!もう、帰ります!」
私は、右手を振り解こうとするけど
「あのさ、大声は止めて?ほんと、マジで。察して?アイドルの彼女してたんだから、そんくらい」
そうだ……私、春馬と付き合ってる時だって、手を繋いで一緒に歩けなかった。いつもある一定の距離を保って、見つめた背中を思い出す。
「ほら、行くよ」
本当……強引。
でも私は、結局それに大人しく従う。
今度は、繋がれた右手を見つめながら。
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