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「言っちゃえばいーじゃん、その子に」
突然、L字になっているカウンターの端で、キャップを被った男の人がスマホをいじりながら独り言の様に話し始めて、私は驚きながらも、その耳触りの良い声に反応してしまう。
「で、聞いちゃえばいーじゃん、ちゃんと」
「ちょっと、一ノ瀬君!」
「そうだぞ、イチ。ものには順序ってものがあるんだからな」
私のたくさんの疑問を飛び越えて、千夏先輩と、マスターと、キャップを被ったイチとも呼ばれる一ノ瀬さんという男の人の会話が成り立っていく。
「でもさ、あんたらいつまで経っても本題に入らないし、そのまんまだったらカウンターで首を傾げまくってる、……そのみいちゃん?の首、もはや取れちゃいそうよ?」
確かに、脈絡の掴めない会話に、私は首を傾げていたのに気付き、摩りながら元の位置に戻してみたけど、
「千夏先輩?何かあったんですか?私に、聞きたい事……あるんですか?」
伺わないわけにもいかなくて、意を決して質問する。
「みいちゃん……その……、あのね?春馬の事なんだけど……」
「……佐木先輩の事ですか」
佐木先輩は、千夏先輩と同じ学科で優しくて格好よくて……中学生の時から芸能活動をしているみたいで、大学生となった時は既にアイドルとして人気が出ていて、目立つ存在だった。
「うん、その……みいちゃんと春馬って……まだ、付き合ってるのかな?」
一瞬、千夏先輩の発した言葉の意味が分からなくて、何を聞かれているのか理解をするのに時間がかかる。
「えっ!佐木先輩と私ですか……?」
「……うん、大学の時からずっと付き合っていたじゃない?確か、何年か前に別れたって教えてくれたけど、それからも仲良いみたいだし……その……何ていうか……」
「……佐木先輩とは2年前に別れてました。今は時々連絡があるくらいで、付き合ってるだなんて……どうして?」
「それは、春馬がまだみいちゃんの事、好きかもしれないからでしょーが」
キャップを被った彼の言葉は、この4人しか居ない空間で会話の核心をつく。
「ちょっと、一ノ瀬君待ってよ!」
「だってさ、千夏、明らかにみいちゃん何も分かってない雰囲気よ?なら、早めに結論伝えてあげなよ、もはやこの状況で躊躇うこともないじゃない?」
「まぁ、イチがそういうのも分からなくはないな……千夏、ずっと悩んでたんだから。これからの2人の為にも、ちゃんと美雪ちゃんに話して、聞くべきだ」
2人の言葉に頷いて……千夏先輩は、白ワインを飲み干すと、ショートヘアの髪を1度触ってから体ごと私の方を向いて、真剣な表情で話し出す。
「みいちゃん……私、春馬が好きなの。近い内に、告白しようと思ってる」
千夏先輩はそう言うと、私の反応を伺うから
「だからね……みいちゃんの気持ちを聞いておきたくて」
少し、俯いた。
佐木先輩とは、千夏先輩を通して知り合った。初めは、芸能人だからきっと軽い人っていう先入観でいっぱいだった。だから偶然、選択授業で席が隣同士になった時も、きっと私は強めの警戒心を放っていたと思う。
でも、4限目の傾きかけた夕陽の橙色に染まる横顔と、佐木先輩の……ノートの上を滑らかに走るシャーペンの音が好きだった。
ある日 チャイムの鳴り終わった教室で、授業中の佐木先輩の咳払いとか鼻をすする様子を見ていて、心配になって
「佐木先輩、……これ良かったら」
私はレモン味ののど飴を手の平にのせて差しだした。
「え?いいの?」
「はい、大したものじゃないすけど」
「美雪ちゃん、ありがとう。ごめんね、授業中うるさかった?」
「あ、違うんです、ちょっとだけ心配して……迷惑……でしたか?」
「ううん、全然っ!嬉しいよ、ありがとう、では……お言葉に甘えて」
そう言って、佐木先輩は目を細めて優しく笑うから、胸の奥がトクンと、鳴った。
それをきっかけに、佐木先輩とよく話す様になって、もっと知りたいな……なんて欲張りもなったけど、先輩は芸能人でアイドルだから、みんなに愛想がよいだけだと自制をかけた。
私は、そんな気持ちを抱えながら、長い夏休みを過ごして、9月に入ると、まだ生徒も疎らな学校のテラスで後期のカリキュラムを組んでいた。
クーラーが効いていても、少し暑くて羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぐとレース仕立てのノースリーブだけになった。
「美雪ちゃん、久しぶり。今、ちょっといいかな?」
無防備な時に現れた、好きな人の声に、身体が反応をしてしまい、心の中で騒いでいるドキドキがバレないように頑張った。
「あっ、お久しぶりですね。でも、私は先輩をテレビで観てたからあまりそういう感じじゃないですけど」
「えっ?観てくれたんだ嬉しいけど、恥ずいなそれ。でも……ずるいよ」
「え?ずるい……?」
「俺も美雪ちゃん、見たかったから」
「先輩……?」
「画面越しじゃなくて、本物の方がいいってことにして?」
「ふふっ……そうですね。今目の前にいる佐木先輩とこうやって話が出来て嬉しいです」
「それは……俺もだよ。あのさ、美雪ちゃん、突然なんだけど、後期からも俺の隣に居てほしい」
「選択授業なら可能ですもんね、もう何にするか決めていますか?私まだ決めかねていて……」
「いや、そうじゃなくて。俺は、有澤美雪さんが好きです、付き合って下さい」
私は、誠実で、優しくて、頼りがいがあるのに……時々、わざと消しゴムを忘れちゃう佐木先輩とそれから7年も付き合った。
千夏先輩の気持ちに
全然気付かずに。
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