曖昧な事情と都合

西下 牧甫

橙色 美雪side

東京 六本木。


佇むビルの谷間から、星は弱い光を放っている。


冬を彩る白い息さえも、どこかで鳴る車のクラクションと、街中のネオンに交ざって、綺麗に映えない。


私は、白いコートを片手に、肌触りの良い漆黒のコートを、専務の背後からそっと羽織るように掛けた。


「有澤さんも寒いからコートを着なさい」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


いつもの専務の言葉に返事をして、コートの袖に腕を通す。


私、有澤美雪は大学を卒業後、通信会社に就職をして、総務課で受付業務を5年間担当していたけれど、英語も出来ないし自慢するスキルもないのに、人事異動で2年前から……秘書課に配属となった。

今までの仕事内容はがらりと変わり暫くは戸惑ってばかりで、失敗もしてしまったけど、周りの人の優しさのおかげでなんとかここまでやってきた。


今夜も、専務の専用車を大通りに面して停車する様に手配している為、そこまで誘導すると後部座席の横で、運転手の宮地さんが専務をお待ちしていた。

私は、専務が車に乗り込むのを確認すると、月曜日からの予定と朝の迎えの時間を伝えて、同時に宮地さんにも、2週間分のスケジュールを渡した。


「今日は近くまで乗っていかなくても大丈夫なのかい?」

「予定がありまして。いつもありがとうございます」

「そうか、ではここでお疲れ様。良い週末を」


会話の終わりに合わせて、宮地さんがふわっと車のドアを閉めると、磨かれた黒い車体が街並みを反射させながら静かに動き始める。


 車が見えなくなるまで見送ると左手にかかるブレスウオッチが、21時前を示しているのを見て、バックからスマホを取り出し短めにメールをしてから、約束の場所へと向かう。


私は、記憶を頼りに履き慣れたヒールで、しばらく慣れない六本木の街を歩くと、見覚えのある光景に胸を撫で下ろした。

路地の端にある小さな立て看板。

地下に続く階段を降りて、OPENのプレートを見ながらウッド調のドアを開けると相変わらず、おしゃれなUKロックが流れる薄暗い店内に、所々ある橙色とクリーム色の照明がふわふわと浮かんでいるみたいに配置されていて、心地よい懐かしさが蘇る。


「あっ!みいちゃん、こっちこっち!」


子どもの頃からの私の呼び方に、目を向けると、パンツスーツを着こなした千夏先輩がカウンターで手を振っていた。


「ごめんなさい、遅くなって」

「ううん、仕事で遅くなるのはお互い様でしょ?それにここならマスターと話して時間なんて幾らでも潰せるし、ね?マスター?」

「時間潰しって!はいはい、俺で良ければいつでも使えるだけ使ってください。千夏は今でも良く来るけど、美雪ちゃんは久しぶりだね、大学卒業ぶりだね。いや〜、前から可愛かったけどこんなに綺麗になっちゃて……とりあえず、何飲む?」


私と千夏先輩は、同じ中高一貫校のダンス部の先輩と後輩の中で、たまたま同じ大学に進学した。さすがに学部は違うけど、同じキャンパスということもあって、卒業してからも、こうしてよくお酒を飲む仲になっていた。


今夜は、私の接待と先輩の会社近くということもあって、久しぶりに学生時代によく通っていた、このBARで待ち合わせた。


「もぅ、マスターは相変わらず口が上手いですね。見た目も全然変わらないし。じゃあ、先輩と同じ同じ白ワインください」

「マスター!私がよく来るのは会社が近いから!」

「はいはい、ったく、本当にそれだけ?」

「……もう、そんな事より、みいちゃん、まずはビールじゃなくていいの?私に合わせなくてもいいんだよ?」

「うん、いいの。ビールは接待で飲んできたしね」

「役員秘書も大変だね」

「そんな事もないよ、みんな良くしてくれるから。広告代理店の方が忙しいじゃない?」

「うーん……どうかな?でも自分が携わったCMとかが当たると嬉しくて、疲れても忘れちゃうよね」


そう言って笑う千夏先輩の横顔をみて、私もなんだか自然と嬉しくなる。


再会に、3人でワイングラスを合わせると、繊細な音の中揺れる白ワインに見惚れながら、口の中で広がるフルーティで軽やかな甘さを楽しんだ。


「千夏先輩は、1人でこのお店に来るの?」

「ん……1人の時もあるよ」

「……の、時も?」


微妙なニュアンスに他愛ない会話が途切れる。


「……まぁ、ね」

「……ごめんなさい、ヘンなこと聞いて」


あまりの意外な反応に、私は戸惑いながらも違和感に気付かないフリをして

誤魔化す様に白ワインを、また一口飲んだ。


今思えば、私はこんな雰囲気になると話題を変えて、話をそらしていたのかもしれない。


でも、きっと……この夜はいつもと少し違っていた。

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