28

「今夜は聞かないんだね?」


車内の音楽に紛れる様に、一ノ瀬さんはそっと呟く様に問いかける。


「聞いた方がいいんでしょうか、こういう場合」

「さぁね。人それぞれなんじゃないかな。身を委ねる人もいればそうでない人もいる。正解なんてないからね。答えを求められる関係でない限りは」


一ノ瀬さんは私を1度見て、

また視線を前に戻した。


「私たちの関係は?」

「どうなんだろうね。美雪はどうしたい?」

「分かりません」

「便利な言葉があるよね、世の中には。分からないって曖昧にしておけば気分で白黒つけられるしグレーにもできる。嫌いじゃないよ、そういうところ」

「……そうなんです、私……きっとすごくズルい性格なんです」

「じゃあ、おそろいだ。目に見えないものが一緒なんて運命かもね」

「運命って、ちょっとおおげさです」

「オレにとっては決しておおげさではないけど。まぁ、そう思うのも自由だから、こっちもそうさせてもらうよ」


どうしても素直になれなくて、卑屈な感情が隠せないでいる。


きっと、あのまま春馬と千夏先輩がカウンターに並んで座るところを見てしまったら、そのまま前に進めずに物陰に隠れて居たと思う。


それならば、いっそ、どこか遠いところに行って自分の気配とか存在を消したかったのかもしれない。だから一ノ瀬さんに感謝しなければいけないのに、素直とはかけ離れた態度を取ってしまう。


また、私は逃げた。

これが、私なんだ。


一ノ瀬さんは、私にそれ以上聞かず、そのまま車を走らせると、大きなカーブを曲がってすぐの総合施設の様な地下駐車場に吸い込まれるように入って、一度停車すると慣れた手つきで機械に何かを翳すとゲートを開けた。


地下駐車場をゆっくりと走って、まるで決められた場所かのように、バックモニターを見ながら車を止めると


「付いてきて」


それだけ言って、キャップを目深に被り直した。


私は言われた通り車を降りて、駐車場入り口の液晶パネルのナンバーによって開く重厚感の漂う扉の中に続いて入る。

そして、一ノ瀬さんがエレベーターの開閉ボタンに、またカードを翳して、私の気配を確かめるようにこっちを見たから、ふかふかの絨毯のような地面を歩いて隣に立った。


2人で息を合わせる様にエレベーターに乗ると、25という数字だけがはっきりと光る。


私は、上昇するエレベーターの適度な圧の中、ここは一ノ瀬さんの住んでいるマンションだと悟りながらも、ただ黙ってついていく。


こんな時でも、気を抜くとあのカウンターに座る2人を思い出してしまうから、紛らわせるために何かで心を埋めて満たしたかった。

それにしては、あまりにも安易な方法で自分が嫌になるけど、一ノ瀬さんが金色の鍵を差し込んで、開いてしまう部屋のドアを見つめながら、心のどこかで、この現実逃避に救われている感覚に陥る。


「おいで」


私は、躊躇うことなく一歩を踏み出した。


一ノ瀬さんのスニーカーの隣にヒールの靴を脱ぐと、冷たいフローリングの廊下を抜けて広々としたリビングに辿り着いた。


ブラウンのカーテンとホワイトのソファと大きなテレビ、そしてやりっぱなしのゲーム。


「とりあえず、座ったら?ちょっと着替えてくるから」


私は、言われた通りソファに浅く座ると隣の部屋に行く一ノ瀬さんの濡れた背中を眺めながら、案外キレイな室内でストンと白いソファに腰を下ろす。


でも、そう春馬の事を想うと、私が一ノ瀬さんの部屋にいることがとんでもないことだって今になって考え始めて、思わずすぐに立ち上がる。


「何か飲む?とっていってもお酒と水しかないんだけど。ビールにする?」


声の方を向くと、黒いジャージのセットアップに着替え直した一ノ瀬さんがタオルで髪をガシガシと拭きながらカウンターキッチンでコップを2つ手にして優しく笑う。


「あの……、私、帰ります。こんなところまで付いてきてしまってごめんなさい」


私は、赤いバックだけ手にするとお辞儀をしてリビングに背を向けるけど、開けようとしたリビングと廊下の境界となる扉のドアノブを握る手に、一ノ瀬さんの手が重なった。


「帰るの?」

「はい」

「どこに?経堂?それともあの店?」

「経堂に、自分の家に帰ります」

「こんな寒いのにコートも着ないで?」

「タクシー拾いますから」

「この雨の中?このマンション、大通りに面してないから拾えないと思うよ。例え大通りに出てタクシーを拾おうとしても、その時点でアナタびしょびしょに濡れているわけだから、乗車拒否よ?タクシーの方の。それくらい分かるでしょ?」


一ノ瀬さんの言うことは的を得ている。


「でも、だからといって……」

「ここには居れない?美雪も了承の上で入ったんでしょ?オレのテリトリーに。なら、それくらいの覚悟はしたんでしょ。大人なんだから」

「……私は……」


覚悟なんて出来てないし、してもいない。

ただ、流されるようにこの部屋に来てしまった。

自分の弱さが齎した、だらしなさがこんな行動をしたのに


「なんてね。下心がないとは言えないけど?しないよ。だって、今はまだアナタの許可さえ下りてないから」


一ノ瀬さんは、そんな私の手を握ってそのまま緩く引くと、またソファに座らせてくれて隣に来ると優しく頭を撫でる。


「話をしようよ。今の美雪の状況とか整理しながら。オレならいつでもなるよ。

アナタの共犯者に」


共犯者。


あぁ、そっか。


「私と一ノ瀬さんが一緒に居ると、罪になるんですね」

「紙一重なんだよ。本当に欲しいものは案外簡単にこの手をすり抜けていく」


一ノ瀬さんは、私の髪を掬いあげて左手が耳に触れるから、くすぐったくて思わず身体を震わせてしまう私を斜め上から見下ろすと、口角を上げた表情を右腕で覆うように隠すけど


「ちゃんと捕まえておかないと」


下がる目尻が際立つ。


「……耳は、弱くて」

「そぅ。でもさ、あんまり昂らせないで?これでも必死よ?こっちはさ、抗うの」


自然と引き寄せられる様に、

2人の身体が近付いて

形の違った膝がくっついていく。

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