第9話 始まりは終わる
「ああ、待ち望んでいた。待ち焦がれていた。奴を消し、私が勝利し、新たな世界の始まりに、一歩踏み出すこの時を!」
「ぐぅ……おのれ……おのれぇ……!」
血を流し倒れ、苦しげに息を吐くアシュリー。そして、彼女の身体に足を乗せるハデス。
「はははッ! 見たか、悪の手先め! これが勇者の、希望の力ッ! 人々を導く、正義の力だッ!」
「くっ……ゾンビ、野郎め……。コイツマジで、どうやったら殺せるんだよ……!?」
剣を高く翳して笑うユキムラと、地に膝を突いて荒く呼吸するリンド。その傍らには、折れた双剣が転がっている。
つまり。
アシュリーとリンドが敗北した。
「さぁ、どうするよプルミエディア。どうやら向こうはケリがついたみたいだぜェ?」
「うそっ!? あの二人が、負けたの!?」
「もうっ! こんな時にミリーナさんは何をしているんですか~!?」
「……わからない。でも、状況は最悪ね」
プルミエディア、フィリル、レラの三人は、未だマサヒロらと戦っていた。その攻防はまさに一進一退で、膠着状態に陥っていたのだが……。あちら側の怪物たちが加われば、プルミエディアたちは瞬く間に敗北するだろう。
もはやここまでか……。
そんな諦めが、アシュリーたちの心に広がっていく。
しかし。
「せめて、神霊機が使えれば……!」
「でも、あの子たちは例の怪物……ゼルファビオスでしたっけ? アレとの戦いで壊れちゃいましたし~」
「ご主人様が居てくだされば、すぐに修理できたのだろうけど……」
「わかってるわよ! で! そのフィオグリフはどこにいんのよ!? 本当は死んでなんかないって事ぐらい、わかってるんだから!」
「何馬鹿言ってやがる。ミルフィリア様が仰ってたろ? 暗黒神はあの方が討ち取った。もうこの世には居やしねえ!」
「そんなわけない! だって、あたしは感じるもの! あの人の存在を! あの人の力を!」
ここに来て、プルミエディアは諦めない。あのすっとぼけた暗黒神は、フィオグリフは、殺したって死なない奴だと、信じているから。
「ふん、うるさい小娘だ。癪に障る」
「……ハデス、だったかしら?」
「去ね」
しかしそんなプルミエディアに、アシュリーの元から移動してきたハデスの凶刃が迫る。手刀で首を切り落とそうというのだろう。
「プルミエディアちゃん!」
「プルミエディアさん!!」
「プルミエディア!」
「プルミエディアの嬢ちゃんッ!」
叫ぶ仲間たちと、ハデスを睨みつけるプルミエディア。
しかし凶刃は──。
「《ドラゴニック・ハウル》ッ!!」
「ぐぅ!?」
空からリリナリアが現れ、ハデスの身体を吹き飛ばした。とはいえ、ただの人化したエンシェントドラゴンでしかない彼女では、不意打ちでもハデスを倒すことはできない。
「プルちゃん、大丈夫かい!?」
「リ、リリナリアちゃん!? あなた、いつの間にか消えてたけど、どこ行ってたの!?」
「あれ~? 命の恩人に対する、感謝の言葉はっ!?」
「確かに助かったけど、でも、この場をどうにかするには……」
そうなのだ。リリナリアは、いつの間にか姿が見えなくなっていた。最後に確認できたのは、恐らくユキムラが現れた辺りだろう。
「ちぃ、邪魔をしてくれるなよ。こんな消化作業はさっさと終わらせたいのだよ、こちらはな」
「ぬぬ、頑丈な……!」
「やっぱり、邪神ってのは強いわね……」
少し顔を歪めつつ、ゆらりゆらりと、ハデスが歩いて戻ってきた。さっさと終わらせたいと言うならば、広範囲霊術でもぶっ放せばいい話なのだが。
「今度こそ、去ね。喜べよ、お前たちごときには勿体ない程の力だ」
手を合わせ、凄まじい量の霊力を集中させていくハデス。これが放たれれば、今度こそ、プルミエディアたちは死ぬだろう。リリナリアでは防ぎようがないし、弱りきっているリンドやアシュリーも論外だ。
「くっ……!」
こんなところで死ぬわけにはいかないのに、どうしようもできない。悔しげに歯軋りをし、拳を握りしめる。
「《デモンズ・シュヴァイゲン》」
ハデスの右手から放たれた圧倒的絶望が、確実な『死』が、プルミエディアたちを襲う。
「くそ、ここまでか……」
「ぬぐぐぅ……!」
「ご主人様……」
「な、なんとか、なんとかならないんですか~!?」
「はぁ、短い人生だったなぁ。ほとんどをつまらない龍形態で過ごしちゃったよ……」
「あたしに、もっと力があれば……!」
悔しさに、無力さに、悲しさに、様々な感情を抱き、拳を握り、目を瞑る。
そして──。
「なっ……」
──金髪の女と共に突然現れた男が、指でハデスの攻撃を弾き飛ばした。
「美少女勇者、ミリーナ・ラヴクロイツ! どこぞの遅刻魔を引き連れて、只今見参ッ!」
「お前は黙っていろ。明らかに場違いだ」
「ば、馬鹿な……!? まさか、まさかっ! あ、ああああ……暗黒神、かぁ……!?」
別行動を取っていたフィオグリフが、ようやく現れたのだ。大方、どこぞで彷徨っていたところをミリーナに発見され、一緒に転移してきたのだろう。
「お、遅いわよ、バカグリフッ!」
「むむ、そんなに怒るな、プルミエディア。迷子になってしまったのだから仕方あるまい」
「……あんたねえ……」
何食わぬ顔でケロッと告げるフィオグリフを前にし、思わずパーティー一同が脱力する。まさかこの非常時に、しかも彼の住処であるはずの場所で迷っていたとは。
途端に和やかになったプルミエディアたちとは対照的に、ハデスたちは動揺を隠せないでいた。
「な、なんで、どうして……。ミ、ミルフィリアは、たしかに、倒したって……。殺したって、言ってたのに! どうして生きてる!?」
「暗黒神……! これは、どういう事だ! 主よ、ミルフィリア殿はどこへ行った!?」
「こ、これは何かの間違いだ……。だって、ミルフィリアが言ったんだ……。暗黒神は、もういないって。殺したから大丈夫だって。は、ははは、そうだ、アレは、偽物だ。 そうに違いない……」
「主ッ!!」
フィオグリフを直接見たことでトラウマがぶり返したのか、ガタガタ震えながら譫言を呟き続けるハデス。これではもはや戦闘はできそうもない。
「……むぅ? 奴は何故、あんなに怯えているのだ?」
「さぁねえ。フィオのことだから、昔アレに何かしたんじゃないの?」
「心外な。お前は私を何だと思っているのだ」
残念ながらミリーナの言うとおりだったりする。まぁ、フィオグリフ本人は全く憶えていないわけだが。
「ミルフィリア……どこだ? どこに居るんだ? ミルフィリア……ミルフィリアぁ……」
「……おい、ユキムラさんよ。どうすんだ、これ。これじゃこっちがやられちまうぜ」
「否! 私が居る限り、敗北は有り得ない! ……と、言いたいところだが……。充分に力を振るえる状態の暗黒神が相手では分が悪い。オマケに主がこの状態ではな。一旦退くしかあるまい」
「ねぇフィオ。逃げようとしてるみたいだよ」
「それはいかんな。きっちりと息の根を止めておかねば。リアとの約束もあることだしな」
「そだね。じゃ、やろうよ」
「うむ」
まるで幼児退行を起こしたかのように泣きわめくハデスを見て、しかし容赦なく滅する事を決めるミリーナとフィオグリフ。この二人は敵対者には無慈悲なのだ。
しかしそこに、真紅の髪の女が現れる。
「あっ、ミルフィリア!」
「よ~しよし、ハデス。怖かったわね」
「うぅ~……!」
聖母を思わせる微笑みを浮かべ、優しくハデスをあやすミルフィリア。
「じゃ、死になさい」
「えっ……?」
しかしミルフィリアは、何故かハデスの胸を剣で突き刺した。
「目覚めろ。《ソウルイーター》」
「ミ、ミルフィリア……? どう、して……」
「む? むむ、そう来たか。てっきりミリーナたちを殺して魂を喰らうつもりなのかと思っていたのだが」
貫かれた傷口から不気味な牙が現れ、瞬く間にハデスを喰らい尽くしてしまった。
「およ? フィオ、あの女、なんなの? どうして味方のはずのハデスを?」
てっきりこちらに向かってくるものだとばかり思っていたミリーナが、心底不思議そうに問う。尚、喰われたハデスの事は何とも思っていない。ただ、間抜けだな、という程度にしか。
ユキムラやマサヒロたち、そしてプルミエディアたちが呆然とする中、暗黒神は静かに語る。
「刺した相手の魂を喰らい、持ち主の力へと還元する、ソウルイーターという魔剣がある。あのミルフィリアという女勇者は、勇者であるにも関わらず、聖剣を捨て、魔剣を選んだ狂人なのだ。まあ、私もつい先ほどまで忘れていたのだがな」
「そう、暗黒神……いえ、フィオグリフの言う通りよ。私がハデスとかいう小娘に従っていたのは、ただ単に、あのバカの魂が欲しかったから。で、今の今まで、そのチャンスをずぅっと窺っていたの。めぼしい勇者どもは大体喰らっちゃったし、後は……」
狂気をまるで感じさせない澄んだ瞳で、聖母のような微笑みを浮かべながら、さっと剣を振り、返り血を飛ばすミルフィリア。
「次の段階へ進むだけかしらね?」
暗黒獣たちとの戦いで多くの勇者が倒れたが、実は彼らの背後には、明らかに剣で切られたと見られる切り傷がある。それらは全て、ミルフィリアがつけたものだ。
「……何よ……それ……」
神秘的な美しさすら感じる姿とは裏腹に、頭のネジが飛んでいるとしか思えないミルフィリア。そんな彼女を見て、プルミエディアが震えた声で、絞り出すように呟いた……。
ついでにラヴクロイツ一族の呪いも解けた。
「あ、フィオ。呪って呪って。じゃないとわたし呆気なく死んじゃう」
「ん? ああ、そうか。妙な事になったから抜けていたが、あのハデスという邪神が喰われた以上、お前たち一族の呪いも解けたのか。待て、今呪ってやる」
「はいよ~」
「あんたたちはもっと緊張感を持ちなさいよッ! なんでそんなに自然体なのよ!?」
緊迫した場面のはずなのに、プルミエディアの空しいツッコミが響きわたった。
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