第7話 悲哀
結界が軋み、キリキリと悲鳴を上げる。気を張っていないと、今にも壊れてしまいそうだ。だが、それも仕方ない。今回は、私もいつも通りに超越者ぶって、上から目線で見下せるほど容易な相手ではないのだから。
「ははは、はははは。はははははは。はははははははははははははっ!」
「何がおかしい。頭でも狂ったか」
「く、くはっ。これが、これが笑わずにいられるものか。あのフィオグリフが、こうまで必死に誰かを守るなど、爆笑モノだよ。それも、対象が、あの初代勇者ならまだしもな! ただの人間が群れる場所を庇っている! 二度言うが、これが笑わずにいられるものか!」
「……ふん」
忌々しき、神々の長。“光神帝”グローリア。相変わらず、気色悪い奴だ。
だが──。
──ちらりと、後方に広がる街、イシュディアを横目で見る。もし、グローリアからの攻撃を相殺し損ねた場合、結界がもつかどうか。もし、結界が消し飛び、あの街並みに着弾してしまった場合……間違いなく、あっさりと滅び去るだろう。
まだあそこに居るはずの、リアクラフト諸共に。あとついでにアレクサンドル卿たちも。
「それに──」
奴の手から、飾り気のない槍が放たれた。くそっ、遠慮なく攻撃してきおって。ちょっとは周りに気を配って欲しいものだ。
「ふん」
非常にシンプルな、槍を投げつけるだけという、その攻撃。それだけで、いったいどれほどの命が失われるのか。すかさず私も霊術を放ち、無情な一撃を打ち消した。
「──やはり、思った通りだ。フィオグリフ、貴様は弱くなっている。気が遠くなるほどの孤独を無為に過ごしては、さすがのフィオグリフ様でもボケてしまうのも致し方なし、か?」
「私が弱くなっているだと? 馬鹿も休み休み言え。こちらが合わせてやっているからといって、図に乗るなよ、腐れ女神」
「そうやって無駄口を叩くほど、
「ほざけ」
土足でズカズカとこちらの内部事情に踏み込んでくるな。だが、否定できん。私と近しい実力を持つ者と相対してようやく気付いたが、確かに、私は弱くなっている。
渾身の力を込めて張ったはずの結界が、あっさりすぎるほどあっけなく、弱々しい声で助けを求めてきた時は、本当に驚いた。
「それもこれも、全てはあの女! ミリーナ・ラヴクロイツに起因する! 貴様があんなのに出会わなければ、あんなのと同棲などしなければ、“人の情”などという下らんものを得なければ!! 貴様は、これほど弱くはならなかったッ!! やはり、アレは消えるべきだ!」
「黙れ。ミリーナを愚弄する事は、許さん」
「はっ! 許さん? 許さんだと? だったらどうする。余を殺すか? 果たして、それが今の軟弱な貴様にできるものかな」
「思い上がるなよ、光神帝。私が多少弱くなったとしても、それでも──」
──私が負けることなど、あり得ない。
「!」
「失せろ」
集え、我が力。我が血肉。我が贄。
暗黒よ。
「光神帝グローリアを、喰らい尽くせッ!!」
万が一に備えて何重にも結界を張り直し、渾身の力を込めて、黒い牙を放った。
「く、くくく。そうだ、少しは張り合いが出てきたじゃないか! それでこそ、それでこそ!! 余が愛した暗黒神だ!」
「貴様の愛などいらぬわ」
私が暗黒を束ねて放ったように、グローリアも“光”を束ねて放った。
暗黒と光。相反する神の戯れが、人の世を白く、黒く、染めていく。
「はははは、ははははは、ははははははは──」
「…………!」
「──あははははははははははははははははははははははははははッ!!」
……重い、一撃だ。私が弱くなったからか? それとも、奴が強くなったのか? だが、負けるわけにはいかんッ!!
「ぬおおおおおッ!!」
「あははは、あはははは……は? これは、強くなって、いる? 余が、押される? 押されている、のか?」
ふと、ミリーナの霊力が震えるのを感じた。恐らく、全力の一撃を、あの“喰魂王”に叩き込んだのだろう。
そうだ。お前が戦っているのだ。私は誓った。こんな所などさっさと片付けて、お前を助けに行くと! いや、お前だけではない。プルミエディアも、フィリルも、レラも、必死に抗ったはずだ。
ならば私は、苦戦している場合ではない!!
「とっとと消え失せろ!」
「……何故」
「何?」
「何故、お前は、あんな、人間などを、醜い寄生虫どもを、助ける? そうだ。お前は、昔からそうだった。“奴”と出会い、“情”を得てから、お前は、不思議と人間の肩を持った。理解、できんよ」
「人間を造った貴様が、事もあろうに寄生虫呼ばわりとはいい度胸だ。無責任にも程がある」
「ほんの戯れだ。余の姿を真似て、様々な“原罪”をぶちこんだ玩具が、星に立ち、どう生きていくのか。そんな、ただの暇潰しに過ぎん」
「そうかね」
相変わらず、分裂している。唯一の肉親である“兄”の反対を押し切ってまで創造した“人間”を、ただの玩具と断ずる。理解できんのはこちらの方だよ、グローリア。
「──ん?」
ふと、弱々しい霊力の存在に気付く。
ああ、そうか。ミリーナ、お前の仕業だな? まぁたしかに、そちらに居るよりは、こちらに居た方が安全ではあろうよ。
だが、すまん。少々、気付くのが遅れた──!
「……人間か」
「ちっ」
まずいな。こちらに強制転移してきていたプルミエディアたちの存在に、グローリアが気付いてしまった。何ともタイミングの悪い。
「あれは……」
「レラッ!! すぐにこちらへ来い!!」
「く、くくく、ははははは、はははははは。はははははははは、あはははははは、あははははははははははははははははッ! アハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「な、なに……?」
くそ、やはりそう来たか。ここにきて、グローリアの霊力が爆発的に増大した。激突していた暗黒と光が、奴の衝動に伴い、爆ぜて消えた。
まずい。まずい。まずい! ミリーナは、知らないのだ。私が殺してしまったから、あの後のことは、知らない。
──グローリアが、“人間”を、ありとあらゆる“人種”を……“憎んでいる”事を。
そうだ、思い出した。私は……。
「人間……人間!! 余とフィオグリフの逢瀬に、寄生虫が割って入るなァッ!!」
「ひ……ッ!?」
「くそ……ッ!」
人間を憎むグローリアが、何故これまで、人間を滅ぼしてこなかったのか。それは私も知らない。わからない。理解したくもない。
だが、こうして直接出会ってしまった場合。
奴の目に触れた“人間”は、必ず殺される。
プルミエディアとフィリルは、どうやら気を失っているようだ。余程、あちらで激しい戦いを繰り広げたのだろう。
だが、気を失っているが故に、彼女たちはターゲットにされる事はない。
問題は、意識を保った状態で転移してきていた、レラだ。現に、グローリアの殺意は、間違いなく我が奴隷へと向かっている。
「レラッ!!」
「ご、ご主人様……!」
急いで転移し、レラと、側で気絶しているプルミエディアとフィリルを守る。いや、この場合だと少々分が悪いか。私が弱くなっているのは、つい先程実感したばかりだ。
「く……ッ!」
「えっ!?」
大急ぎで、三人を結界の外へと飛ばす。中にいたら、巻き添えになってしまうからな。
「……何故、なんで、どうして、どうしてどうしてどうしてどうして! どうして、人間なんかを庇う!? 答えろ、フィオグリフッ!!」
今にも泣きそうな声で、グローリアが叫んだ。ふん。まるで幼子のようではないか。
「決まっている。私は──」
人を、愛している。
そして、誰の物とも知れない、泣き叫ぶ声と共に──
──暗黒が、散った。
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