第一章エピローグ 冥王神ハデス


 深い深い、世界の深淵。

 名を、『地獄』という。


「ハデスちゃ~ん。何してるのかしらぁ?」

「鬱陶しい。いちいち寄ってくるな」

「んもぅ、ツれないわねぇ。でもまぁ、そういうところが可愛いんだけど★」


 目の前でポージングを決めている筋肉質なオネェを前に、深くため息を吐く“黒髪の少女”。


 否。


 少女の姿をした怪物。


 冥王神ハデス。

 ミリーナを蘇らせ、ラヴクロイツ一族に呪いをかけた張本人である。


「あ、そうそう。報告よぉん★」

「いちいち筋肉をアピールするな。何だ?」

「勇者エクレインの調教に成功したわぁ★」

「……ほう」


 待ち望んでいた吉報に、思わず頬を緩めるハデス。それを見た筋肉質なオネェは、“良い物を見た”とでも言いたげに、晴れやかな笑みを浮かべていた。


「これでまた一つ、駒が増えたわねん★」

「ああ。よくやってくれた、マシュー」

「うふっ、お安い御用よん★」


 マシュー・ブロードガイツ。

 ハデス曰く“大多数の存在にとっては、歴代最悪の勇者”。

 かつてフィオグリフを激怒させ、完膚無きまでに叩きのめされた男である。当然、そんな彼 が生きて帰るはずもなく、既に死人となっている。が、それが現に、存在しているのだ。


「さて、後は……」

「ん、ちょうど来たみたいねぇ★」


 遙か遠くから、コツコツと、地面を叩く靴の音が響いてくる。それは、ゆっくりと、しかし着実に近付き、そして止まった。


「よ~ぉ、ハデス~ぅ。いるか~ぁ?」


 間延びした、独特な声。それに名を呼ばれた少女は、内心頭を抱えた。


「(どうして勇者どもはこんなに、変な奴しかいないんだ……)」


 見た目は可憐な美少女の、切なる呟きであった。致し方ないとはいえ、こうも変人ばかりに囲まれては、頭を抱えたくもなるだろう。

 しかしそれを表面には出さず、クールに澄ました顔で、答える。


「マサキか。報告か?」

「お~ぅ。邪~魔するぜ~ぇ」

「…………」

「あらん? ハデスちゃん、元気ないわね★」

「……誰のせいだと思っている……」


 脳天気な筋肉オネェに対し、疲れた表情でぼやく。自分はまともだと思っているハデスにとって、周囲が変人ばかりというのは、なかなかに厳しい拷問であった。

 しかし、類は友を呼ぶ、という言葉がある。


 現れたのは、アフロヘアーに黒い色眼鏡をかけた、何ともファンキーな男。

一応、コレも勇者である。

 名を、マサキ・クサモトという。


「お~? 大丈夫か、ハデス~ぅ。なんか、今にも死にそうな顔してるぜ~ぇ?」

「いいからさっさと報告しろ」

「あいよ~ぉ」


 間延びした口調とは裏腹に、シャカシャカと忙しなく両手を動かすマサキ。見ているだけで殴りたくなってくる。おまけにその横では、筋肉オネェがポージングを決めているのだ。


「(……どうしてこうなった……)」


 たった二人なのに、既にカオスである。

あまりにもあんまりな光景に、やはりハデスは内心頭を抱えた。


「暗黒神が動き出したみたいだぜ~ぇ」

「……へ?」

「あら、ハデスちゃん。可愛い声ね★」


 暗黒神。

 最強無敵の化け物であり、如何なる手段を用いても、倒すのは不可能とされている。

何故かはわからないが住処に引き籠もり続け、滅多に外には出てこないのが救いだ。

いや、救いだった・・・


 ハデスの脳内に、過去の記憶がフラッシュバックする。


『む、なんだお前は。食うぞ』

『ふぁっ!?』


 運悪く遭遇し、食われた。当時のハデスは、ただのピクシーだったのだ。ちなみにピクシーとは、世界中に満ち満ちている霊力が、何らかの理由で集い、固まり、露出度の高い人間の少女に似た形で生まれる魔物の事である。

 つまり、元々ハデスはただの魔物だったのだ。フィオグリフとも、実は何度も会ったことがある。そしてその度に殺された。


『む? 復讐? 何のことだ。というか、誰だ貴様。見覚えがないぞ? ……まぁいいか。腹が減っていてな。食わせてもらうぞ』

『ふぁっ!?』


 また食われた。しかもおやつ代わりに。



「…………」

「ど、どうしたんだ~ぁ? すっげ~ぇ、震えてるけど~ぉ?」

「暗黒神はな」

「うん?」

「怖いのだ。ものすごく。会ったら食われる」

「あら、まぁアタシたちも全員あの化け物に殺されたメンツだものねぇ★ アレの怖さは充分承知しているわよぉ」


 たまたま“完全なる不死”という能力を持っていたハデスは力を付け、冥王神となった。だが、それでも、トラウマそのものである暗黒神は、恐怖の対象であった。


「うっ、ぐすっ……。あんまりだ……あんまりだあ……! 何故だ! こんな変人どもに囲まれて、それでも力を付けてきたというのに、どうしてこのタイミングであの化け物が動き出すのだっ! 嫌がらせか!? 嫌がらせなのか!? くそぅ……」

「お、おぉおおう!?」

「ハ、ハデスちゃん!? 大変よ、ハデスちゃんが泣き出したわ! マサキ、すぐにミルフィリアを連れてきなさい!」

「お、お~ぅ! さらっと変人呼ばわりされたのが気になるが~ぁ、呼んでくるぜ~ぇ!」


 可憐な顔を、涙で塗りつぶすハデスを見て、慌て出す筋肉オネェと間延びアフロ。そして、なんとか慰めるために、『ミルフィリア』という人物の名が出てきた。


 ミルフィリア・ホワイトローズ。

 ハデスが真っ先に蘇らせた勇者であり、変人揃いの勇者軍団における光であり、正義である。要するにまともな人間なのだ。


 そして、アフロを鷲掴みにしながら、猛烈な勢いで突進してくる女が一人。


「マシュー! ハデスが泣き出したって本当!? って、あっ! 大丈夫!?」

「ふごっ!」

「ぐへっ!」


 ぐすぐすと泣いているハデスを認めるや否や、アフロヘッドを投げ飛ばし、それを筋肉オネェにヒットさせる女。


「うぅ、ミルフィリア~……」

「よしよし、怖かったね」


 まともな人間、のはずである。


 いや、撤回しておこう。



 まだ・・まともなだけで、割と変人だ。


 燃えるような赤い髪をツインテールにし、聖母のような微笑みを浮かべながら、優しくハデスを慰める少女、ミルフィリア。

 その横で倒れる、筋肉オネェとアフロ。


 ハデスが落ち着いた後に、事情を聞くと、憎々しそうに彼女は口を歪めた。


「暗黒神め~! こ~んな可愛いハデスに、そんなトラウマを刻み込んでいたなんて!」

「どうしよう、ミルフィリア……」

「決まってるわっ! ユキムラを蘇らせるわよ! そして、マシューに調教させて、駒にするの! それしかないっ!」

「簡単に言ってくれるわねぇ★」

「つーかぁ、ユキムラも結局、暗黒神に殺されてるんだぜ~ぇ。 勝てるとは思えねーんだけど~ぉ?」

「うっさいわね! じゃあ他にどうしろってのよ! 大体、諜報班は何やってんの!? 暗黒神が住処から出てきたのって、もう結構前の事らしいじゃない! なんで今更嗅ぎつけたのよ!? 遅すぎるわっ!」

「はぁ……。あの暗黒神に、勝てるのだろうか……」

「大丈夫よ、ハデス。そんな顔しないの」

「……うむ……」


 ユキムラ・シゲモリ。

歴代最強の勇者と謳われる、伝説の男。まぁ、結局それもフィオグリフに殺されたわけだが。

 彼を蘇らせて戦力として加え、勇者軍団……別名、暗黒神被害者の会の面々で、この先待ち受けているだろう、対暗黒神戦をどう切り抜けるかを話し合う。


 それが、ミルフィリアの出した結論である。



「(本当に、大丈夫なのだろうか。なんだか、嫌な予感がする。というか、何かを忘れているような……?)」


 暗黒神の恐ろしい風貌を思い出し、また泣き出しそうになりながら、そんな事を思うハデスなのだった。


 その夜、彼女は一睡もできず、暗黒神に食われる幻覚を見て、またも泣きだし、部下である勇者軍団を騒がせた。


 冥王神とは思えぬ醜態である。

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