第23話 幸せのハンバーグ
とうとうこの日がやってきた。
そう、ハンバーグ!
ばあちゃんが珍しく電話してきて、
「あそこの駅前のコンパルにしましょう。ハンバーグ、ね。」
と言った。
「コンパル」とは駅前に昔からある喫茶店要素の多い洋食屋で、僕も子供の頃からよく行っていたし、母さんも若い頃から通っていたらしい・・・。
つまりばあちゃん達、母さん一家ご用達の店って事なんだけど。
だけど高校に入ったくらいから母さんと出かける事もなかったし、僕は「コンパル」へ行ってなかった。確かにあそこのハンバーグはうまい!間違いない!
ばあちゃん、ナイス!と僕は電話で言った。ばあちゃんも
「そうでしょ、おばあちゃん、あれからずっと考えてたのよ。初めて食べるハンバーグなんだから、やっぱり美味しいのを食べさせてあげたいなって思ってね。おばあちゃんがもうちょっと若かったら、作ってあげるんだけどね。もう何年もハンバーグなんて作ってないから、ちょっと自信なくて・・・。」
そうだったのか、どうやらあれからずっと店選びしてたのか、ばあちゃんは。ばあちゃんの食に対する熱は今も熱い、人が生きていくにはそういう熱って絶対大事だと思う、この話を聞く限りばあちゃんは当分死なないだろう!
だけどばあちゃん家から駅前まで歩いて10分ほどある。それは僕の足でだから、ばあちゃんの足だと多分倍以上かかるだろう。まだまだ、クソ暑いこんな陽気でばあちゃんを外に連れ出すのも気が引けた。夜だと絶対母さんがついてくる、もしかしたら伯母さんだけでなく伯父さんも。だって、みんなが大好きな「コンパル」だから、それは避けなくちゃいけなかった。
ってことは、やっぱりみんなが家にいない昼間に行くしかない。
バスで行くかとも思ったが、ほとんど外出しないばあちゃんがバスに乗って大丈夫だろうか?
ミッション決行のその日、取りあえず、みみじぃと一緒にばあちゃんの家に向かった。ポケットの中でみみじぃはずっと鼻歌を歌っている。鼻歌は聞いたことあるような、ないような独特なフシだった。超ゴキゲンだ。ハンバーグに対する期待値が物凄く高い証拠だ。
驚いたことに、僕達がばあちゃん家について、玄関を開けると用意万端で靴を履いて座っていた。
「うわ、びっくりした!ばあちゃん、すごいね。いつからそこにいたの?」
「ううん、さっきよ、さっき。」
ばあちゃんは見るからによそ行きに着替えていて、いつものような伸び伸びのゆるーいズボンじゃなくて、ベージュのワンピースに薄紫色の綺麗な飾りのある帽子もかぶって、出かける時に使う花柄の杖も左手に持っていた。
みみじぃが慌てて、定位置の僕のシャツのポッケから顔を出し、
「どうも、本日は申し訳ありません。」
と言った。そういうみみじぃもばあちゃんに作ってもらった黒いアロハを来てよそ行き気分だった。僕だけが、Gパンと白いTシャツに青チェックのシャツにビーサンというこれから海にも行けそうな超普段着だった。
ばあちゃんは「いいえぇー。」と極上の笑顔で言った。そして
「知ちゃん、あなた電話持ってる?」
と聞き、紙に書いた電話番号に電話しろと言った。
「なに?コレ」
「いいから早く。」
急かされ、言われるままに電話を掛けるとばあちゃんが携帯をよこせと言う。
渡すとばあちゃん家の住所を言って、電話を切った。
「ナニ?」
「タクシー呼んだのよ。暑いからね。」
なるほど。タクシーに乗りつけない僕は思いつきもしなかった。聞けば、ばあちゃんは時々こうやってタクシーを呼んで買い物に出かけてるらしかった。僕が知らないだけで、今でも結構、行動的だったのかもしれない。
10分ほど待つとタクシーはやってきた。みみじぃはタクシーも初体験だったらしい。
僕が先に乗り込みばあちゃんが乗るのを中から介助した。
「どうも、奥さん。今日も暑いですなぁ。」
「本当ね、いやになっちゃうわ。あ、山中さん、近くて申し訳ないんだけど、駅前までお願いできますか?そう、南口の方。」
ばあちゃんは続けて、
「あ、これはうちの孫の知晴です。高校2年生だっけ?」
僕に聞く。僕はうなずく。
「いやぁ、こんな大きなお孫さんがいらっしゃるなんて。それにしてもお孫さんとお出かけなんていいですねぇ。」
山中さんの営業トークが披露された。
ばあちゃんはそれにまんまと乗っかって、嬉しそうだ。
「そうなの、今日はハンバーグを食べに行こうって話になりましてね。」
「ああ、それで駅前ですか。どちらに?モンパルナスですか?」
「いいえ、コンパルです。」
地元の人間にしかわからない話だ。モンパルナスも昔からある洋食店だった。
「ああ、コンパル。あそこのハンバーグ、確かに美味いですねぇ。」
「モンパルナスも美味しいけど、うちは何故だか昔からコンパルがご贔屓でねぇ。」
ローカル話がしばらく続いた。その日、乗り合わせた運転手にばあちゃんは、毎度いつもこんなやりとりしてるんだろうか?
山中さんと呼ばれた運転手は60代くらいだろうか?スポーツ刈りの頭部はほとんどが白髪だった。ころっとした体形、丸顔で穏やかそうな顔をしている。角ばった顔をしてやせ形の親父とは真逆の感じだった。
「ばあちゃん、知り合いなの?」
僕は小さな声で聞いた。
「そうよ、いつも山中さんに迎えに来ていただいてるの。」
と言った。
あ、なるほど。そう言えば個人タクシーだった。電話した先は今ハンドルを握っている山中さんの携帯ってことか。
みみじぃはというと、ポケットから完全に顔を出してキョロキョロしている。もしかしてやっぱり、車に乗ったの初めてなのかな?
駅前までは5分位で到着した。南口のコンパル近くで車を降りた。ばあちゃんは慣れた様子で山中さんに「じゃあね。またお願いしますね。」と言って車を降りたが、山中さんは慣れた感じでさっと運転席から降りてばあちゃんが降りる介助をしてくれていた。僕は手伝うつもりで奥に入ったが失敗だった。不慣れな情けない孫だね。ばあちゃんの後ろから支えるだけだけど、あんまり役にたってない。
ばあちゃんと2人(厳密には3人だけど)「コンパル」の前に立った。
赤い木枠の扉に入口には手書き風のメニュー看板。謎の植物が店を覆っていて、それだけで歴史の長さを感じさせる。
「さて、入りましょうかね。」
「みみじぃ、ここがコンパルだよ。さぁ、入ろう。」
「おう。」
扉をカランといわせて入ると、そこそこ席は埋まっていた。13時は過ぎているからさっきまでは満席だったかもしれない。
店主のおじちゃんは、僕達を見るなり
「いやぁ、お久しぶりです。お元気でしたか?」
と、懐かしい顔をほころばせて言った。
「なんだか、そうね。ご無沙汰でした。今日は孫と一緒に来ましたの。」
ばあちゃんが言う。(みみじぃの事は言っちゃいけないっていうのはわかってるんだな。)僕は変な確認をした。
「空いている席にどうぞ」と言われ、僕達は店の角のテーブル席に座る事にした。
「ハンバーグランチを2つくださいな。」
ばあちゃんはメニューも広げず座るなり言った。
僕は壁側のソファーに腰かけて、ポケットからみみじぃを僕の横に座らせた。ソファーからだとみみじぃは何も見えないと思うけど、料理が運ばれてくる前にテーブルの上には乗せられない。みみじぃは落ち着かない様子でソファーの上で立ち上がり、僕の太ももに寄りかかっていた。そわそわしてるみみじぃ、できれば写真撮りたかった。
この店での思い出話なんかをばあちゃんとしていたらとうとう、ハンバーグ到着の時になった。
「お待たせしました。」と、これまたご無沙汰だった奥さんが笑顔でジュウジュウしたハンバーグを持ってきてくれた。
鉄板の上でハンバーグが湯気を立てている。付け合わせのコーンやポテトも昔のままだった。ライスも到着し、僕達はいよいよハンバーグ大作戦の佳境を迎えた。奥さんが背を向けて遠ざかってゆくのを確認し、僕はとうとうみみじぃをテーブルに乗せた。みみじぃをいつものように手のひらに乗せた時、彼が緊張しているのがわかった。そんな事は初めてだった。いつもより身体が硬く冷たい。そう意識したら今度は僕まで緊張してきた。ハンバーグ食べるだけなのにね。
お冷のコップを置きその横にみみじぃ。みみじぃの前にはライスの皿を。テーブルに備え付けられているつまようじを1本取り出し、みみじいの使いやすいであろう長さに折った。微調整は必要かもしれない。
よし、準備は整った。
ばあちゃんも、その一部始終を笑顔で見守っていた。
「じゃあ、いただきましょうか。」
僕達は「いただきます。」と言って念願のハンバーグにナイフを入れた。
ばあちゃんが、
「知ちゃん。それは全部あなたがお食べなさい。おばあちゃんは全部食べられないから、これをみみじぃさんにおすそ分けしましょ。」
と言った。
ばあちゃんはナイフとフォークでハンバークを小さく切った。みみじぃの口に入る大きさにするには粉々状態になってしまうから、それじゃぁハンバーグの美味しさが損なわれると、少しだけ大きいかたまりに切って僕のライス、つまりみみじぃの前に置いた。
ばあちゃんは辺りをこっそり見て、誰もいないのを確認してから、
「みみじぃさん、どうぞ召し上がれ。熱いから気を付けてね。」
と、小さな声で言った。
みみじぃも「はいっ。」と声を潜めて返事をした。
ばあちゃんも僕もみみじぃの歴史的瞬間を見守っていた。
みみじぃはつまようじでハンバーグを刺して、顔を持っていき大きな口を開けた。
その小さな口では一口では絶対ムリ。だって、みみじぃの頭位の大きさだから。
そして、ガブリとほとんど顔をハンバーグに押し付ける形で口に入れた。
「あちっ。」
口より顔が熱かったらしい。デミグラスソースが顔中についていたが、おかまいなしでハフハフしながらモグモグしていた。
「う、うまいっ。」
目を見開いてばあちゃんを見ていた。ばあちゃんも頷いている。
「良かったよ、みみじぃ。気に入ってもらって。ね、ばあちゃん。」
僕はほっとしたのと同時に嬉しくて、おしぼりでデミグラスまみれのみみじぃのおでこや頬を綺麗にしながら言った。
「本当ね、知ちゃん。さぁ、みみじぃさん、沢山食べて。」
ばあちゃんはせっせと切り分けてはみみじぃの前に置いていた。
みみじぃはハンバーグに夢中だった。つまようじで刺した塊をくるくる回しながらハフハフ言って口に運んでいる。両頬はリスみたいに膨らんでいた。骨と皮だけどみみじぃの身体とあまりにもアンバランスなそのほっぺたに笑ってしまう。
「みみじぃ、誰も取らないから頼むからゆっくり食べて。あと、ばあちゃんも食べなよ。みみじぃそんなに食べられないよ、多分。それにばあちゃんも久しぶりでしょ、ここのハンバーグ。」
「そうです、そうです。のりさん、召し上がってください。わしはもう十分です。ここにあるだけで。」
みみじぃもばあちゃんに言った。
みみじぃはその後もハンバーグを堪能していた。もちろん僕もばあちゃんも。食べながら子供の頃の話もした。笑顔で話をしながら食べたのは何年ぶりだろうか?
「もう、一杯じゃ、腹がはちきれてしまう。」
みみじぃがとうとうギブアップ宣言をした。
ちょうど僕も食べ終わる頃だった。ばあちゃんの皿にはまだ少し残っていた。
「あー美味かった。」
僕もみみじぃも言った。
ばあちゃんは「そうぉ、良かったわぁ。」と嬉しそうだった。
みみじぃをソファーに移動させると僕の太ももの横で寝っ転がった。よっぽどお腹が一杯になったんだね。
ゆっくりとばあちゃんが最後の一口を食べ終わるまで僕達は満腹と幸福で一杯になって待っていた。
幸せのハンバーグ。コンパルのこのハンバーグをそう名付けよう。
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