第9話 渋谷での違和感

 8月の第1週に登校日があった。

できれば行きたくないけど、そういう訳にはいかない。行けない理由が全くないからだ。久しぶりに午前6時に起きて身支度をし、制服(といっても白いワイシャツと黒のズボンだけど)を着た。

 僕の家からおおよそ1時間の通学時間だけど電車は比較的空いていた。学生は夏休みだけど、いつも乗り合わせる大人達もそれぞれ夏休みを取っているからだろうか。

 無事に学校に到着し、数週間ぶりに自分の席に座った。何の感慨もない。僕の机は前から3番目の廊下側だった。ここは一番目立たない場所でもある。一番後ろの席は目立つ生徒達が座りがち、一番前や中ほども結構授業中、先生と目が合う。僕の座る席は先生も目もくれない。だから僕にとっては落ち着く場所でもある。こっそり、ひっそり教室で1日を過ごすことが大切なことだから。

 

「吉田君、おはよう。」

「・・・。おはよう。」

「夏休みどっか行った?」

「行かない。」

「そう・・・。僕は軽井沢に一昨日まで行ってたんだよ。仕方なくだけど。」

 南田君だった。

彼は僕の平穏な学校生活をさざ波立てる唯一の男だった。

僕には友達がいない(厳密には全くって事ないけど)。南田君とはお互い「君」づけで呼合う時点で打ち解けていないことは明白だ。

 南田君は僕と違って幼稚園からこの学校に通っている。上の2人のお兄さんも同じく大学までこの学校だったそうだ。彼とは中学時代には話した記憶がない。3クラスしかない僕達の学年では高校になると特クラスといって成績優秀者だけが集められたクラスが1クラス存在する。もちろん、僕は入っていない、あ、南田君も。

高校2年まではクラス替えがあり、高1の終わりまでに成績が上がった人、下がった人で特クラスの入れ替わりが若干ある。もちろん僕は関係ない。あ、南田君も。


 幼稚園からこの学校に通うにはそれなりの家の子息の場合が多い。南田君の家はそういった部類の家柄らしい。彼のお兄さんは2人共この学校でも優秀だっと先生が時々その話をする。そんな時南田君は「参ったなぁ」といった態でニコニコしている。そこに劣等感や悲壮感はない。振り切った明るさだけが存在している。「何故だっ」と僕は思うけど、子供の頃から言われ続けてきっと何かとびぬけてしまったのだろうと想像する。気にしてたら身がもたないよね、多分。


 幼稚園からの仲間とは一線を画しフワリフワリと漂いながら生活している南田君に話しかけられるようになったのはこの春からだった。ある日突然、さっきのように「吉田君おはよう。」って声をかけられた。

 僕は人嫌いではない。自分から寄っていかないだけ。だから話しかけられればもちろん応えるに決まってる。だって朝の挨拶だし。

 だけど、南田君の場合、挨拶だけでは終わらない。報告もしてくれる。僕には不必要な情報ばかりだけど。彼がなんの瞬間に僕にシンパシーを感じてくれたのか分からない、でもそんな事聞くのもおかしいでしょ。


 先生が教室に入ってきた。号令で立ち上がり挨拶をする。着席する時、南田君が

「吉田君、今日終わったらお茶して帰ろうよ。」と小声で言った。


 2時間程で登校日は終わった。周りをさっと見回しても高校2年にもなってグレ始めた奴もいる訳ないし、夏休み前と変わらない。数人はもうすでに日焼けしていたり、夏休みに海外に行ったっきりも何人かいるので空席もある。それぞれが17歳の夏をそれぞれの事情で過ごしているはずだ。


 南田君からの誘いに関しては断ってもいないけど了解もしていなかった。だけどNoと言ってない以上、南田君には自動的にOKと解釈された。

ま、帰ってもやる事ないし別にいいかと僕は南田君について行った。


 学校を出て、僕達は渋谷に出た。渋谷に来る用事なんて僕にはないから生まれてから何回目だろう、数えられる位だった、人が激しく行き交うスクランブル交差点も。

「こっち、こっち。」

南田君は人込みをすいすいと歩いていく。

「僕の家の近くなんだけど、いいよね。」

南田君の家は渋谷だったのか・・・。僕は初めて知った。

東急本店を通り過ぎて歩を進めると道幅が狭くなっていくと同時に緑が増えた。渋谷の駅周辺とは明らかに違う空気だ。

これはきっと僕の17年の想像力を結集して察するに高級住宅街の匂いなのかもしれない・・・。やっぱり南田君の家は金持ちなんだろう。

 そんな彼は、突然くいっと右に曲がり小さな家のようなカフェに入っていった。

こんなところにこんな店があるんだー。僕は都会人のオアシスに入り込んだ気がした。

「ジロー君、こんにちは。」

慣れた感じで南田君は扉を開け、店に入った。僕も後に続く。

「お、保。来たな。」

ここの店主らしき長身の男性が南田君とは旧知の仲らしくハグなどしていた。

その自然な振る舞いに僕はすっかり気おされていた。僕は物心ついた時から誰ともハグをしたことがない。

「吉田君、ここ座ろう。ジロー君、友達の吉田君だよ。」

「保が友達連れて来るの初めてだなぁ。こんにちは。いらっしゃい。」

さわやかなジローさんが僕に手を差し出した。これは握手する為だろうな。

僕は慌てて手を差し出す。ジローさんは白い歯を見せながらギュッと僕の手を握る。その握力はけっこう強めだ。細身の長身だけど脱いだらきっと細マッチョなのかもしれない。この人って弱点あるんだろうか?

「はじめまして。吉田です。」

僕はぺこりと頭を下げた。

「さ、座って。ごゆっくり。」

窓際のローソファーに向かい合って南田君と座った。

とてつもなく違和感を感じる。高校生が(しかもヤロー同志で)来る店じゃない。

「このお店、よく来るの?」

「え?あ、うん。だって家ここから近いんだよ。それにジロー君親戚だし。」

「ああ、そうなんだ。」

益々僕の人生とはかけ離れてる。


 お茶と誘われたが、昼近くだったのでランチメニューから南田君が頼んでくれた。

きっとごじゃれたランチが運ばれてくるのだろうな、と想像した。

南田君はすっかりくつろいだ雰囲気でソファーに身体を沈めていた。僕も彼にならい慣れた感じを出してたつもりだけど、たぶん成功してない・・・。


「吉田君とこうやって学校以外で会うのって初めてじゃない?」

「そうだね。」

「中学からでしょ?ウチの学校入ったの。」

「そう。」

「中学の時は一緒のクラスにならなかったよね?確か。だから僕、君を認識したの高校に上がってからだったんだ。」

「そうなんだ。」

 幼稚園から上がってくるのは3クラス中、1クラス分で彼らは学校に慣れていてまるで身体の一部みたいに振る舞っている。そして人数も少なく子供の頃から一緒に育っているからか親戚のような空気感でいつも大体一緒に行動していた。南田君はそんな仲間達と話たり、時には輪に入って楽しそうにしていたが、独りでいる事も多かった。


 僕に何故話しかけるのだろうか?取柄もないし、人好きでもないのに・・・。


 どうでもいい話をしていたら頼んだランチが運ばれてきた。

僕の想像通り、こじゃれたランチ、それもワンプレートランチが運ばれてきた。

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る