バケモノ達の午睡




「だから私は人間なんだよ! ねっ、勘違いでしょ、夢衣ゆいちゃん?」


(ちょっと言ってる意味が分かんないなぁ……)


 夢丘ゆめおか かなえから先日行ったことの一部始終を聞き及んだ夢衣は、思わず口に出しそうになった言葉をすんでのところで飲み込んだ。


 梔無くちなし 夢衣ゆいはバケモノだ。

 れっきとした悪夢で、自分がどの様な存在か、そしてその目的もあり方も理解している。


 だが目の前でふんぞり返りながら、むふーっと鼻息を荒くしている姉代わりの少女、夢丘 叶は一向にそれを認めていないらしい。

 いや、彼女は夢丘 叶ではない。

 彼女が知る夢丘 叶は、あの日確かに死んだ。

 ならばこそ、目の前で寸分違わず叶を演じてみせる存在は別の何か――悪夢だ。


 とは言え夢衣にとってその事実はさしたる問題ではなかった。

 彼女の存在意義は全てに置いて兄である梔無 暁人に集約されている。

 夢丘 叶がたとえ夢丘 叶でなくても、それで世界が平穏に回るのなら興味の外側にある。


 故に夢衣は少々困惑している。

 ――つまり。


「えへへ、ごめんね夢衣ちゃん。そんな訳だから、あの時の言葉も訂正してもらわないとね。ちゃんと暁人くんに言ってもらわないと、勘違いされちゃったら困るし!」


 目の前でほわわんとした雰囲気を出す脳内お花畑のバケモノをどうするか?

 ということだ。


「ねぇ、叶さん。あんまり言いたくないけど、普通人間ってそこまでやったら死ぬんだよ? なんでピンピンしている挙げ句、五体満足で夢衣に報告してきてるの?」

「えっ? ええっと……。あっ! ほら! 私って怪我の治りが早いほうだから!」

「再生っていうより復元だよね? 人間の範疇余裕でぶっちぎってるよね?」

「違うもん。私人間だもん」


 ぷくーっと顔を膨らませる様子は歳のわりに幼く、彼女の無邪気で穏やかな性格をこれでもかと表している。

 ただ、それは表しているだけだ。

 この少女に中身は存在していない。それはすでに過去に失われたものなのだ。

 それに彼女は――。


 夢衣は頭を振る。

 考えることは無意味と判断した為か、もっと別の理由があるのか……。

 兎角、夢衣は大きなため息を吐いて現実的な問いを投げかけることにした。


「叶さんはお兄ちゃんと私の邪魔をするの?」


 夢衣にとって世界とは兄の暁人のことを指している。

 彼女の目的が兄と過ごしたいという一点のみの為、それ以外に興味をさほど持ち得ない。

 悪夢としての梔無 夢衣はその点で言えば非常に安全な存在とも言えた。

 彼の兄が害されない限り、ただの愛らしい少女として日常を過ごすのだから……。


 もっとも、現状の様に彼女の平穏を犯そうとする存在が居れば話は別だ。

 それは例えば、兄の幼馴染みを真似た、懐かしい日々の焼き増し……。

 つまり夢丘 叶のことだ。


「と言うかズルい! なんだか世界に二人だけって雰囲気出して! 夢衣ちゃんは妹でしょ! 不健全だよ! 普通は幼馴染みどうして仲良くなるんだよ!」


 もっとも、叶本人はそんなことつゆ知らずと言ったところだった。

 どうやら生前の彼女同様に、虎視眈々こしたんたんと暁人との関係が進展することを狙っているらしい。

 いや、以前よりも少々積極的になっている嫌いはあった。


「じゃあどうすれば納得するの?」


 どうにもやりづらい。

 夢衣は胸中を占める不思議な感情に折り合いがつけず、質問を返すことによって相手の出方をみることとする。

 もし万が一にも叶がまだ――――だとしたら。

 彼女はその対処に躊躇することは無い。そのことだけは、間違いなかった。


「えっと、えっと……私と暁人くんが仲良くなって。夢衣ちゃんは自然とこう……二人を祝福して、悲しげな笑顔を浮かべながら消えていく、みたいな?」

「ちょ、なんで夢衣が引かないといけないの!?」


 だがそんな心の底にある冷静な思考も、叶の一言によって霧散する。

 どうにも聞き捨てならない言葉がその口よりもたらされたからだ。

 思わずカッとなって反論してしまう。

 目の前のそれが夢丘 叶の焼きましであるのであれば、自分もまた梔無 夢衣の焼きましなのだ。

 徹頭徹尾てっとうてつび、兄が大好きな彼女にとってその言葉はありとあらゆる懸念を遠くに放り投げるに等しい。


「妹でしょ! 当然だよ! 兄離れしなさい! このブラコン!」

「ブラコンの何が悪いの!? 私はお兄ちゃんが好きなの!」

「私だって暁人くんのことが大好きだもん!」


 かしましいやり取りで二人は舌戦を繰り広げる。

 いつの間にか探るような雰囲気は消え去り、今はラブコメ地味たやり取りが繰り広げられるだけだ。

 渦中の想い人である梔無 暁人が羨ましがられる人間かどうかはまた別の話だが……。


「そこまで言うんだったらお兄ちゃんに告白して恋人になってもらったら?」

「いやいやいやいや、それはちょっと早いよ。まだ早い。こういうのはもっと時間をかけてね、それで出来れば暁人くんの方から、少し強引気味にがいいなー、なんて」


 頬を両手にあててやんやんと妄想を繰り広げる叶。

 その様子を見た夢衣も、楽しかったあの頃を思い出しながら尊敬し姉と慕っていた人物の評価を二段階ばかり下げる。


「じゃあその間に夢衣はお兄ちゃんと禁断のラブロマンスするね」

「むむむ! 兄妹では結婚も出来ないのに?」

「くっ!」

「ふっ、勝利!」


 ニヤニヤと自慢気な笑みを浮かべる叶に夢衣は歯噛みする。

 痛いところを突かれたという自覚が確かにあったからだ。

 しばらく悔しげな表情を浮かべていた夢衣だが、しばらくして表情を変える。

 浮かべたそれは覚悟を決めた少女のものだった。


「……夢衣は妹だけど妹じゃない。だからセーフだよ」


 ここに至って夢衣は伝家の宝刀を抜いた。

 自らそうであると認めるのは癪だが、それよりも今は兄との関係性の方が大切だった。

 人間という範疇に入らないのであれば、兄妹で結婚できないというルールも関係ない。

 どの様な関係性でも許される。

 まさに天啓とも言える解釈に夢衣は口角をあげて挑発気味に微笑む。


「卑怯だ! そういうの卑怯だ!」

「卑怯じゃないの! しかも人間じゃないから人間の法律も関係しません! だからお兄ちゃんと結婚もできるんだよ!」

「だめだめだめーっ!」


 幸せな光景だった。楽しげなやりとりに平凡な幸福がこれでもかと詰まっている。

 きっとその光景を暁人が見れば涙を流して喜ぶであろう。

 それが偽物だとしても、今のすり減った彼の心には、この様な平穏こそが最も癒やしとなるからだ。



 だが演じているのは別のナニカだ。



 ここに梔無 夢衣と、夢丘 叶は存在していない。

 それらはもう、失われて遠い所に行ってしまった。

 それが真実であり、梔無 暁人が直面する現実だった。


「はぁはぁ、まぁいいや。それで……お兄ちゃんに危害を加えたりするの?」


 ややして冷静になった夢衣は慎重に言葉を選んだ。

 今までのやり取りで叶の悪夢としての傾向は大体理解できた。だが一番の懸念が拭えていない。

 夢衣とて悪夢ナイトメアという存在を全て知っているわけではない。

 むしろ何も知らないと言ったほうが正しいであろう。

 彼女の性質上、兄である暁人に危険が及ぶようであれば自然とその脅威の感知可能となるのだが、それでも予め危険性を排除することは間違いではない。

 そう、夢衣は目の前に存在する夢丘 叶をまだ信用していなかった。


「私はただ暁人くんと一緒にいたいだけだよ。別に……酷いことしたいとか、そんなこと思ったこともない。私はちゃんと、ちゃんと人間なんだよ……」


 だから、その言葉をどう受け止めたのかは分からない。

 心がないはずの彼女に、どのような心境の変化があったかは窺い知ることはできない。


「…………分かった。その言葉を信じてあげるよ叶さん」


 長い沈黙の後、どの様な判断を下したのか、夢衣は自らを納得させることにした。

 またその言葉にどのような理解を得たのか、叶も笑顔を浮かべるとニヘラとだらしない表情を見せる。


「えへへ、ありがとう。夢衣ちゃん!」


 一段落ついたところで、二人の間には沈黙がやってきた。

 気まずさや緊張を伴うものではない。

 ただ単純に会話が途切れただけのそれだ。穏やかな間とも言える。


「ねぇ、最後に一つだけ聞いていい?」

「……ん、なぁに?」


 先に口を開いたのは夢衣だった。

 考える素振りを見せると、少しだけ試すような視線を叶に向ける。

 とうの本人は彼女の意図には気づいておらず、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべていた。

 やがて夢衣は口を開く。その問いは……ある種の確認だ。


「今回の事件で沢山の人が死んだよね? お兄ちゃんのクラスメイトとか先生とか……。後は叶さんのご両親とか。どう思ってる?」


「…………?」


 叶はただ心底不思議そうに首を傾げることによってその答えとした。

 夢衣は全てを察したかのように小さく首を振ると「なんでもない」と話を打ち切る。

 叶は空虚な瞳でただ一言「そう」とだけ返事をした。


「ただいまー! ケーキ買ってきたぞー」


 階下から扉をガチャと扉を開ける音と同時に、待ち望んだ声が聞こえてきた。

 二人の我が儘なお姫様からお菓子を所望され、近くのコンビニまでひとっ走り買いに行ってきた可哀想な男の声だ。

 その声を聞いた瞬間、叶はまるでスイッチが入った人形の様にビクリと反応し、今日一番の笑顔で立ち上がる。


「あっ! 暁人あーくん、お帰りなさいー!!」


 タタタと素早く退室し、階下を駆け下りる音が流れる。

 おそらく暁人の出迎えとねぎらいの言葉でもかけに行ったのだろう。

 きっと夢丘 叶が生きていたら、間違いなく同じ行動をとったはずだ。

 彼女は梔無 暁人の為だけに存在している。

 その他全てがぐちゃぐちゃに壊れていても、彼に対する想いだけはしっかりとそこにあるのだ。それだけが彼女を支えているのだ。

 何がおきても、彼女がなんであれ、その点だけは、あれは夢丘 叶だった。

 もう全てが終わってしまっているのに。

 それは余りにも……。


「哀れだなぁ……」


 夢衣はポツリとそれだけを呟き押し黙る。

 やがてふと自らの手のひらをじぃっと見つめ、

 突然、そして無造作に、人差し指をけして曲がらない方向へとねじ折った。

 ボキリ――骨が割れる嫌な音が鳴る。

 次いでキチキチと、本来ならありえない鈍い何かが蠢く音が続く。

 掴んだ手を離した指は、まるで何事も無かったかのようにそこにあった。


「夢衣も叶さんのことは、言えないか」


 なんの感情も存在していない、無機質な表情を見せていた夢衣。

 しかし階下より楽しげな声が流れてくるのに気がつくと、その顔にこれでもかと焦りを浮かべる。


「あっ! ちょ、お兄ちゃん! 夢衣もお出迎えするよ!!」


 慌てて兄の出迎えに駈ける夢衣。階下からわーきゃーとかしましいやり取りと、男性の楽しげな笑い声が誰も居ない部屋まで流れてきた。



 ――悪夢は今日も、かつての日々を演じ続けている。

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