三 破れた皮袋

 がたがたする荷車には案外早く慣れ、すぐにいねむりができるようになった。イサオは、炭俵や塩樽にもたれている。品物の確認はとっくにすませた。軍にいたおかげで、なにをするにしても要領よくこなせる。肩からさげた革鞄に納品書と、配達依頼のあった数通の手紙をだいじに抱えて、二頭立てでコウエキケ山の山道を登っていく。国境守備隊の山頂基地への道は馬が知っているので心配はない。楽な仕事。楽すぎて、泣きたくなるような仕事だ。

「ミナミ商会。納品です。炭と塩、あと、手紙」

「ごくろうさま。すぐ受け取りに来るからそこの井戸で顔でも洗ったらどうだ。小僧さん、ほこりだらけだぞ」

「はい、使わせていただきます」

 山のつめたい水で顔と手足を洗い、あえて拭かずに風で乾かしていると、兵士が二人出てきた。

「検収ねがいます。それから、こちらは手紙になります」

 兵たちは手紙を受け取るとさっと宛名に目を走らせ、荷をあけて調べはじめた。炭を打ちあわせて音を聞き、塩に棒をさしこんで湿りぐあいを見る。

「いい品だな」

「ありがとうございます」

 兵のうち年上のほうが納品書に署名する。若いほうは荷物をおろしはじめた。イサオが苦労した俵を軽々とかかえ、樽を楽々と転がしていく。荷車はすぐに空になった。

「帰り荷や、手紙はありますか」

「今日はない、ごくろうさま」

「では、失礼します」


 挨拶をし、帰り支度をはじめたとき、国境のほうの森から兵士が一人駆けこんできた。


「侵犯! 国境侵犯! キョウ国軍です!」

 年上の兵士が聞き返した。

「おちつけ。状況は」

「本日正午、密猟の追跡を理由に兵二十名およびゴオレム一体が国境侵犯。現在第二、第三班が対応中」

「密猟にゴオレム? ふざけやがって! おとといから妙なところにやぐらを組むと思ってたが」

 いっしょに聞いていた若い兵士が怒りにまかせて言う。年上の兵士は冷静に命令した。

「のろしをあげろ。それと、警備をのこして全員出撃。煙塊弾装備。やぐらは何基か」

「今朝は五基確認しました。高木の一部も操作用の座としているようです」

 若い兵士はすぐにおちつきをとりもどして返答する。

「偽装が多すぎる。背後の操作兵はねらわなくていい。正面のみで対応」

「了解」

 若い兵士は報告してきた兵士をともなっていったん基地の兵舎にもどる。命令を出した年上の兵士はイサオを見た。

「まだいたのか。ゴオレムだ。馬が御せるうちにさっさと帰れ」

 イサオは無言でうなずくと馬に鞭をあてた。理由は不明だが、蹄のある動物はゴオレムと相性が悪い。稼働中のゴオレムや操作中の兵の近くでは狂乱して手がつけられなくなる。ここは戦場になりそうだし、はやく山を下りたほうがいい。

 だが、実戦は見てみたい。もし訓練を続け、兵士となっていたら参加したかもしれない戦いがどんなものか。しかもゴオレムがいる。味方はどんなふうに行動するだろう。密猟を追いかけて、と言っていた。それにしてはゴオレムは大げさだ。と、いうことは敵は本気ではなく、訓練を兼ねているのかもしれない。ゴオレムと一般兵の共同行動のための実践的訓練だ。それなら小競り合い程度で終わってしまうだろう。危険はないだろうし、見逃すともったいない気がする。

 イサオは中腹あたりで道の端に荷車を寄せて止めると自分だけもどっていった。どうせ湿った花火のようなもので、はやくしないとすべて終わってしまうだろう。

 しかし、戦闘は続いていた。木の陰で身を低くして移動しながら、イサオは実戦を見た。思ったより激しい。棍棒や戦鎚がふりまわされている。それはすさまじく、意外なほどしずかだった。命令以外、意味のある声はほとんど聞こえてこない。うなり声や叫び声はあるが、訓練のときの上級兵や教官のどなり声ほどではない。武器が革鎧や肉を打つ音はにぶく、イサオの耳にとどくころには低いちいさな音になっている。

 戦場は芝居のように敵味方が整理されてはいない。すきをみては煙塊弾を投擲しようとする味方兵と、そうはさせじといどむ敵兵。そいつらから投擲者を守ろうとする味方兵。すべてがまじりあっている。訓練でじっくりねらいをつけ、投擲器具をなんどもふりまわして投げていた自分が恥ずかしい。戦場ではそんな余裕はない。一瞬でねらいをつけ、一瞬で必要なだけのいきおいをつけて投げる。なんでも一瞬でできないとなにもできない。それが目のまえで行われている戦いだった。


 そのなかで、敵のゴオレムは悪魔だった。手をふれば味方が吹き飛び、足で踏めば鎧ごと骨が砕ける。武器は通じない。ときどき煙塊でおおわれるが、全身を隠せないうえ、煙塊はつながらず、動作は止まらない。それゆえ、敵兵にとっては神。味方は五十名ほどいるのに足止め程度の役にもたたず、じりじりと押されていく。敵兵はゴオレムを盾とし、こまかく態勢を立て直しながら戦っている。たよりになる中心的な存在がある。それだけで、あきらかに敵兵の士気のほうが上だ。

 けれど、この戦場に無事な者はいない。敵も味方も血を流している。イサオは、血とは異なる液体を流している兵士もいるのに気付いた。耳や鼻からうすい汁がながれている。赤みがかっているがほぼ透明な汁。血にくらべるとあまり粘りはない。そういった汁や血が地面に落ちたり、人間という皮袋が破れて中身をぶちまけていたりするところには、もう蠅や蟻がたかってきている。

 敵は山頂基地の見えるところまで侵攻した。煙が上がっている。敗北を認めただれかが火をつけたのだろう。敵にわたすくらいなら破壊だ。ここでの勝敗は決した。イサオは気づかれないように戦場をはなれ、身を隠しながら山中を大回りして荷車を止めたところまでもどった。


 荷車をうごかそうとすると、うしろから声が聞こえてきた。撤退する兵士たちだった。おたがい支えあったり、重傷者はまにあわせの板にのせて運んでくる。イサオはさっき納品書に署名した兵士を見つけた。

「どうぞ。のせてあげてください」

「なんだ、まだ下りてなかったのか。まあいい、助かる」

 自分で歩けない重傷者をのせたことで一行の下山は早まったが、ふもとのコウエキケ基地についたころにはすっかり日が暮れていた。なぜか、敵は追撃してこなかった。

 基地には緊張がただよっている。山頂基地を失ったことで、ジョウ国、キョウ国おたがいの本城のちょうど中間地点をとられたことになるが、イサオの見たところでは、敵はそれ以上侵攻しようとはせず、こちらからもすぐに討って出るようすはない。先行した連絡兵がすでに状況を報告していたが、負傷者を見ると皆言葉もない。気力を失い、前庭にすわりこもうとする兵を抱きかかえるようにして兵舎に入れる。荷車は入り口ぎりぎりまで近づけるよう指示された。

 そのとき、基地警備兵がイサオに気付き、兵士でないことにけげんな顔をした。横から年長の兵士が説明する。

「心配ない。ミナミ商会の小僧さんだ。侵攻時にちょうど居合わせてのせてくれた」

 それから、イサオにむかって言った。

「協力に感謝する。しかし、すっかり遅くなったな。一筆書いてやるから待ってなさい」

 警備兵に用紙を持ってこさせると、その場で書類を作る。

「これは、非常時につき荷車と御者を徴用したという書類だ。主人にわたしなさい。それから、荷車を洗っていくといい。乾ききってしまうまえにこすっておくだけで後がだいぶちがうから」

「あの」

「なんだ」

「戦争になるんですか」

「わからん。たぶん……、いや……、わからん」


 月がかがやいている。山はもう静まりかえっていた。

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