二 親密な会話

 雨は強くなったり弱くなったり三日間降りつづいてやんだ。水たまりだらけの道を帝国からジョウ国の本城へ帰る馬車の一団がすすむ。護衛兵たちは泥だらけだ。馬の腹まで泥まみれで、不満げに首を振っている。馬車は小休止のたびに国王の紋章だけぬぐわれるが、またすぐに泥がはねて汚れる。ジョウ国王アケノリ・ヨリフサは、向かいの、進行方向を背にして居心地悪そうにすわっている大臣マトリ公に話しかける。


「これが中央街道とはな」

「もうすこしでございます」

 マトリ公は、自分に対する叱責かと思い、頭を下げる。

「いや、自分に言ったのだ。帝国の道にくらべるとあまりにも差がありすぎる。道の整備すらできぬ王だよ。わたしは」

「道の整備と治水については、先王も気にかけておいででした」

「そうだな。父から聞かされたことがある。良い道と、おだやかで変わらぬ水の流れが国の強さとなるとな」

「工事費用の捻出が遅れ、お叱りを受けたことが思いだされます」


 マトリ公は、なつかしそうに言った。


「ところで、米の出来具合はどうだ」


 外では、青々とした田の水がくもった空をうつしている。


「いまのところ順調ですが、この季節はずれの雨がつづくようであれば心配です。もっと日が照ってくれればいいのですが」

「前に知らせてくれた貯水池の件、応急手当もできないのか」

「は、先王の葬儀や帰国の宴の準備などもあり、予算が不足しております」

「儀式を取りやめにするか、簡略化できないのか」

「しかし、それでは国民や外国にしめしがつきませぬ。とくに叔父上様が納得いたしますまい」

「いや、そろそろ儀式に金を使いすぎるのはあらためねばなるまい。父の葬儀だが、僧侶は一人でよい。ずらずらと坊主ばかりならべても父は喜ばぬ。だいたい、母のときには香の臭いをいやがっておられた。それから、葬儀を日中に、わたしの帰国の宴を夕方からおこない、合わせて一昼夜ですませよ。三日もつづけずとも帰国したことはじゅうぶんつたわる。あと、物忌みはもうよい。仮葬儀のときにひととおり済ませたからな。葬儀が終わったら通常どおりにせよ。これでどうだ」

「じゅうぶんです。応急手当ではなく、本格的な修繕ができます」

「では、そのようにせよ」


 マトリ公はだまってうなずく。指示を書きとめ、部下をよびよせてわたす。指示書はその部下から兵士にわたり、兵士は一足先に馬を走らせて城にむかった。王が窓の外に目をやると、サギがドジョウをつかまえたところだった。ひと呑みにしてしまう。


 馬車は昼前に城に入った。出迎えの臣下たちが挨拶をし、王は皆に顔を見せた。すでに仮の葬儀を行い、火葬にされた先王の骨壺に手を合わせる。帝国に留学中の急な出来事であった。


 城内は風がとおり、外より快適で、旅装を解いたヨリフサ王は水を飲みながら報告に耳を傾ける。王となった今、帝国で学んだり、見聞したりした知識を実践し、国を豊かにしなければならない。しかし、その前に確認しておかねばならないことがある。


「サノオを呼べ。ゴオレムの件で話がある」


 軍のゴオレム技術者集団を束ねている職長が来た。背が高く、やせて浅黒い肌をしている男だ。物入れだらけの作業着の帯に工具をいくつもはさんでおり、歩みにあわせてがちゃがちゃ音を立てている。


「無事のご帰還……」

「いや、挨拶はよい。進捗はどうか」

 王は単刀直入を好み、それは王に数回報告をすれば皆必ず悟ることだった。

「順調です。とくに、帝国図書館で王が発見されたあの一連の古呪文で懸案はほとんど解決できそうです」

「それは重畳。では、葬儀と宴が終わったころには完成しそうだな」

「は、しかしあの問題だけはのこっております」

「どうしても結界の拡大は無理か」

「申し訳ございません」

「いや、よい。最初からわかっていたことだ。生け贄なしに発生させられる限界があの大きさだからな。そのような悪魔の所業はできぬ。考える必要もない」

「陛下のご意向は承知つかまつっておりますが、それはこのサノオにおまかせください」


 ヨリフサ王はじっとサノオの目を見る。


「すまぬ。嫌なことをおしつけるが」

「いいえ、これをはじめたときから覚悟の前です」

「そう思いつめるのもよいが、それより候補はあらわれないのか」

「今年の新兵にもおりませんでした」

「初期訓練兵にもいないのか」

「じつは、あまりに候補が見つからないので、昨日はじめて訓練兵も対象にして探してみたのですが、やはりおりませぬ。こうなっては軍以外にも候補をつのってみてはいかがでしょうか」

「それはいかん。命のやり取りをするのだ。志願兵でなければならん」

 横で聞いていたマトリ公が口を開く。

「差し出がましいようですが、ときには原則をはなれ、例外を認めることも必要かと思いますが」

「そういうときもあるかもしれぬが、マトリ公よ、これはちがう。命が大事なのは貴族も平民も変わらぬ。公共の福祉のために命を捨てられるのは志願者だけだ。しかもこれは実験兵器である。じゅうぶんな説明を受け、得心した者にやってもらいたい」

「この愚か者の浅慮をお許しください」

「気にするな。ほかのことであればわたしも例外を認めるときはある」

 王は、再度サノオにむかい、念を押すように命じる。

「候補者についてはひとまず置いておこう。まずは新型を予定通りに仕上げよ」

「は。おまかせください」


 がちゃがちゃと音をひきずりながらサノオが退出すると、王とマトリ公は顔を見合わせる。


「サノオは変わらぬな。歩くだけでカニの大掃除のような音を立てるではないか」

「ええ、ゴオレム技術者たるもの、兵士が棍棒や戦鎚を装備するのとおなじく、つねに工具を持っていなければならぬと思っているようです」

「では、もっときちんと、ぐらつかぬよう装備せよと伝えておけ」

 王とマトリ公の大笑いは杯の水にかすかな波紋を呼んだ。


 それからまた風が吹き、雨が降ったりくもったりの日がずっとつづいた。ヨリフサ王は決裁すべき書類と格闘し、外出といえば朝食後に庭を散歩するくらいだった。明日は葬儀と宴という日になっても手順の確認すらしていない。


「この一連の密猟に関する報告書だが、マトリ公よ、気になるな」

「ええ、事実関係にまちがいはないのですが、すこしばかり……」

「かたよっているな。今年にはいってほとんどすべての件がキョウ国との国境付近でおきており、わが国の猟師や農民が侵犯してばかりだ。さいわい密貿易などの悪質性はなく、獲物の没収だけですんでいるようだが、あのあたりはそれほどの猟ができるのか」

「いいえ、国内の野山と変わるところはございません。危険をおかす価値はないと申せます」

「しかもすべて父が亡くなってからだ。叔父上はなにか言ってきたか」

「非公式ですが、取り締まりをきびしくおこなうようにと通告がありました」

「どう思う。忌憚なく申してみよ」

「なにか交渉事を有利に進めるために、こちらに弱みがある状況にしておきたいのでしょうか」

「国境侵犯も取り締まれない頼りない王、とでもしたいのか」

「それは、その……」

「マトリ公、わたしはさっき、忌憚なく、と言ったぞ。わたしの叔父だからといって口ごもるな」

「はい、そのとおりだと推察します。たとえ事実がそうでなくとも、そのような印象を周辺国や帝国にあたえられればいいのでしょう」

 王はあごをなで、報告書を指ではじいた。

「明日の宴だが、適当なところでわたしは叔父上と抜ける。ふたりきりで話をしたい。すまないが、客の相手をまかせてよいか」

「仰せのままに」

「代替わりをしたばかりだ、かれらはいろいろと探りを入れてくるだろうが、できるだけはぐらかしてなにも情報をあたえないように。そのあたりはわかっているだろうが」

「はい、先王の宴でもそのような役目を仰せつかったことがございます」

「父は、だれとふたりきりになりたがったのだ」

「それは、ええ、あの」

「よい。問わぬ。それはそなたが墓までもっていく秘密としておけ」


 王はつぎの書類に取り掛かった。結局、明日の段取りをたしかめたのは夜遅くになってからだった。

 翌日は暗いうちから読経がひびいていた。ありがたい経だ。ヨリフサ王は眠れなかったが、徹夜は帝国の図書館でもしょっちゅうしていたのでなれている。

 父の骨壺がろうそくのゆれる灯りを反射してきらめいている。緑の地に巻きついたこまかい金線の模様。武具をつけた父はとても大きかったが、いまは小さくおなりだ。

 父の鎧兜と刀はいずれなにか事があったときに着用するだろう。実際の戦闘には使えない飾りの武具だが、指揮のためにはきらびやかなほうがいい。

 読経が終わる。王はひざをついて僧に礼をする。これで父の霊魂の平安は約束された。王だけにゆるされた組み方で手を合わせ、僧は無言で答礼した。こういった儀式では俗の言葉は使わない。僧は衣のすれあう音すらほとんどさせず、布施と供物をつんだ馬車に乗って俗界から山に帰っていった。


 僧が城門を出ると同時に大広間の模様替えが始まり、いてもじゃまなだけだと悟った王は自室にもどった。すこし仮眠をとっておこう。


 王がすっきりと目覚めたころ、日は傾きはじめていた。宴がはじまる。決まりきった挨拶に、多数の貴族たちから無事帰国の祝い、それらに対する答礼。儀礼が型どおりに終われば雑談しやすいように、そして、抜け出しやすいように席を固定しない立食形式にした。国内、外国、帝国の貴族たちがそれぞれの思惑をかかえて杯を干す。こういう宴でむすばれる約束や契約の利益から税金をとったら財政難などすぐ解決するだろう。いや、他国の宴ならこちらが払うわけだから差し引きで帳消しになるか。王は寝起きの頭でとりとめのないことを考える。

 さて、ぼんやりするのは終わりだ。米を蒸してつぶして円盤形に成形し、甘辛いたれをつけてあぶった干菓子をかじりながら、ヨリフサ王は出席者を見まわす。叔父であり、キョウ国王であるアケノリ・カミヅカ王は部屋の向こうの隅に立っていた。鎧をつけている。手のこんだ細工の飾り鎧で、宴に出席するために肩甲と胸当てだけの装備にとどめているが、ほかの貴族たちが紋章を縫い取りした礼服なので、きらめく金属は目を引く。

 目が合い、叔父がまっすぐ歩いてきた。だれかとぶつかるなどと考えてもいない。よけるのは相手の仕事だと思っている。


「わが甥よ、留学からの無事のご帰還あらためてお喜び申し上げる。それと、本日の本葬儀、なかなか質素にして必要十分。兄にはふさわしい式であった」

「叔父上。お言葉ありがとうございます。それに父の仮葬儀ではお世話になりました」

 ヨリフサ王はそう言いながら目で別室の扉を示し、カミヅカ王はうなずいた。マトリ公に合図し、別室に入る。大きな窓のそばに飲み物と、練り物を盛った皿を置いた卓がすえてある。


「ほう」

 カミヅカ王はすすめられるままにすわる。

「叔父上、これをお試しください」

 ヨリフサ王はまったくにごりのない飲み物をそそいだ。熟した果実の香りが広がる。

「これは……」 カミヅカ王が感心している。

「父に」 杯をあげる。

「兄に」 一息に呑み干す。

「ところで、密猟の件、ご心配をおかけいたしましたが、取り締まりをきびしくいたしますゆえ、もうなくなるでしょう」

 おかわりをそそぎながらかるく言う。

「ああ、それは心配しておらん。わが甥であればしっかりと法を守らせるであろう」

 こんどは味わうようにちびりと飲んだ。

「しかし、軍の連中がうるさくてな。形のうえだけだが、しばらく国境付近の兵を増やすことになりそうだ。ゴオレムも配備するやもしれん。ゆるせ、甥よ」

 ヨリフサ王はゴオレムの配備と聞いても、宴の献立をたしかめるときのように鷹揚にうなずいて練り物をつまんだ。

「わたくしからも申しあげることがあります。ちかく、帝国単位系にきりかえます。完全に」

「なんと、おもいきったご決断だが、熟慮のうえか」

「はい。国内の治水、道路整備、いずれも帝国の進んだ技術なしには満足に実現できませぬ。しかし、技師を招くにも、単位がそろっていないとなにかと不便です。わたくしも留学中は困りましたから」

「それはもっともではあるが、アケノリ家に先祖から伝わる計量単位を捨てるほどのことか」

 ヨリフサ王は、返事のまえに杯を一息であけた。

「祖父が国を分割しなければ、と思います」

「なに、父に過ちがあったと申すか」

「叔父上もそう思っておいでのはず。古ジョウ国の分割は過ちです。争いを避けようとして力を捨てた」

「父は兄弟を同様に愛しておられたのだ。どちらかのみに国をゆずるなどできようはずがない」

「そして、ゴオレムを六体と二千人超の兵士を持ち、帝国にさえ圧力をかけ得る実力を持った国が、小国ふたつになってしまいました。ジョウ国、キョウ国。なかよくゴオレムを三体ずつ分けあって、兵士はそれぞれ五百人以下しか維持できない辺境の小国です」

「わが甥よ、いささか過ごしたのではないか」

「いいえ、はっきりしております。このままでは両国とも遠からず帝国の一地方になるのは明らか」

「だから、自分から属国になると言うのか」

「そこまでは申しておりません。ただ、帝国に逆らう力はもはやありませぬ。わが国にも、キョウ国にも」

 カミヅカ王は、酒を薬であるかのように口に含む。衛兵交替のかけ声や、客の馬のいななきが窓までのぼってくる。


「つらい時代であるな。わが甥よ」

「王はつねにつらいものです。叔父上」

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