目覚めの憂鬱とわっほー

 カカカゴゴッと何か歯車が噛み合って回るような音で目が覚める。その音はダンジョン内で罠を作動させてしまったときの音にも似て、どうにもこうにも耳についた。

 昨晩の悪夢のためか、疲れは全くと言っていい程とれていない。最悪の目覚めだ。

 敷布はしっとりと寝汗で湿っていた。やたら喉が渇く。

 周囲を見回し、一回り小さな家具の数々を見ると、改めて巨人になったような感覚になる。

 左手を見ると、夢の中で強く握られた箇所が、赤く跡になっているように見えた。

 そして左手首に巻かれたアザレアの毛髪が、ピンク色の光を発していることに気付く。それはまるで「わたしのおかげで助かったのよ!」とアザレアが言っているようだった。髪は次第にその色を落ち着けていった。

 単なる悪夢、というわけではないのだろう。

 とはいえ、何故陰謀に巻き込まれたのかも、そこからどう抜け出せばいいのかも、現状ではわからないままだ。アウナスが関係していることは想像できても、これまでの人生でアウナスとの接点はない。

 左手のことを意識している間に、居間の大きな柱時計の一部がガチャッと開いた。

 その開いたところから人形達が各々楽器をたずさえ、次々と出てくる。配置につくなり、オルゴールと笛の音も流れ始める。大きな時計だとは思っていたけれど、仕掛け時計だったようだ。

 ピーピロリロピーピロリロと賑やかな三拍子の音楽。

 それに合わせて動く人形たち。確かに楽器を奏でているように見える。

 その音のおかげでだろう、この家の住人達が目を覚ましたようだ。人が動き出す気配がする。

 しばらくすると近づいてくる足音が。

「おはようございます。ルマリエ様」

 顔を出したのは、バルボラさんだった。寝巻ではなく、既に着替えを済ましている。

「おはようございます。顔を洗いたいのですが」

 おそらく部屋の中を案内するべきか、それとも外を案内するべきか迷ったのだろう。「ええと……」と言ってしばし考え込んでから、玄関の方を手で示した。

「村の中心に井戸がございますの」

「ありがとう」

 そう答えて一旦ルーフェス邸を出た。


 この世界の中心に位置する太陽のような存在は、真上にありながらも、朝のような光を放っている。

 これがこのザードという世界の朝なのだろう。

 村の少し高い位置に、大きな桶のようなものが見える。

 風車が隣接しているところを見ると、風車の動力でクランクを回し、そのクランクが止水弁を用いたポンプを動かして、やや高い位置へと水を引っ張ってくるという仕掛けなのではないかと思う。汲み上げた水は、各家々でつかえるようにしてあるのだろう。レンズの研磨の際などにも使っているのかもしれない。

 その水道とは別に、村の広場には井戸が存在するようだ。各家々への水の供給量の問題だったり、桶の清潔度合い等の問題で、例えば飲み水等はこの井戸を使うといった運用なのかもしれない。

 井戸にたどり着くと、先客が手押しポンプを上下させ、木桶に水を汲んでいた。昨日僕に突っ込んできた彼だ。したたかに打ったであろう頭は大丈夫だろうか。

「おはよう。ティポップくん、だっけ?」

「……俺は人間なんて信用しないからな!」

 こちらをキッと睨んでから、水を担いで行ってしまった。

 直接殴りあったというわけではないけども、ティポップにしてみれば、恥をかかされた感もあったりして、僕という存在が面白くないのだろう。そもそも余所者から突然危機を救いに来ましたなどと言われても、そうそう受け入れられるはずもない。

「はぁ」

 そんなやるせなさや昨夜の悪夢を洗い流すように、井戸の冷たい水で顔を洗い、喉を潤す。少し頭がシャッキリしてきた。ついでに水袋の水も補充する。今日は坑道に行かねばならない。

 家々の煙突からは煙が立ち昇り、いい匂いが漂いだす。小麦を焼いたような香ばしい匂いだ。朝食を用意しているのだろう。

“バルボラさんの朝食が楽しみだ”

 そんなふうに頭を切り替えることにした。


 ルーフェス邸に戻ると、テーブルにサラダとミルクが並んでおり、ルーフェス村長は席で、バルボラさんは立って迎えてくれた。

「おはよう、ルマリエ殿」

「おはようございます。戻りました。あれ、リルルさんは?」

 苦笑いを浮かべる二人。

「なんと申しましょうか、その……お嬢様はあまり朝がお強くなくて」

 ストレートに言うと寝坊なのだろう。朝の布団から抜け出したくない感覚は、わからないでもない。

 僕も思わず苦笑してしまった。

「起こして参りますので少々お待ちください」

「あいや、別に大丈夫ですよ」

 という僕の言葉は聞き流された。

 しばらくすると、遠くから「いつまで寝ていらっしゃるのですか!」「お嬢様の分まで食べてしまいますよ!」という声が聞こえてくる。

 ルーフェス翁と顔を見合わせた。ひたすら苦笑するしかない。

「いやお恥ずかしい。どうにも甘やかし過ぎてしまったところがありましてなぁ」

「あの、立ち入った話ですみませんが、リルルさんのご両親は?」

 すっと空気が変わる。

 ああ、またまずいことを聞いてしまったのかもなぁ。昨日敢えて聞かなかったのに、ついポロっと聞いてしまった。

「……黒サンタが連れて行ってしまったのじゃよ」

「え、どういうことですか?」

 それ以上は話すつもりがないと言わんばかりに口をつぐまれる。

 昨日の黒サンタに対する、村の人の反応を考えると、冗談とも思えない。

 本当に黒サンタが、このザードという世界には存在するのかもしれない。

「お客様がいらっしゃっているんですよ? もっとしゃっきりしたらいかがです?」

 二人の足音が近づいてくると、気まずい雰囲気も少し払拭されていった。

 あくびを手で押さえながらリルルがバルボラさんの後に続いてやってきた。とんがり帽子から少し寝癖がかった髪が見える。

「おはようございます」

「ふぁっ!?」

 僕の存在を失念していたのだろう。驚いて居間から出て行こうとするが、バルボラさんが予測していたかのように腕を掴んだ。

「ですから、お客様がいらっしゃっていると申し上げましたでしょう?」

 再び顔を出したリルル。撫で付けたのか、僅かに寝癖が直っている。

「おはよう、ございます」

「おはようございます」

 不承不承といった顔で席についた。

 テーブルにはまだミルクとサラダ。これだけということはなさそうだ。

「これから焼きますので少々お待ちくださいね」

 バルボラさんはキッチンへ。

 先程の話の続きが気になったが、聞けるような雰囲気ではない。

「あの、立派な時計ですね」

 何か喋らなければと、仕掛け時計の話を振る。

「ああ。息子が作ったものじゃが、上手くできておる」

 懐かしいような、寂しいような眼差し。

 リルルは両親を思い出したのか、一瞬悲しそうな顔を浮かべるが、ルーフェス村長をちらりと見て、その表情を明るく改めた。

「わたし、おなかぺっこぺこー」

 おじいちゃんに気を使ったのだろう。

 そのことが、黒サンタの信憑性を高めていった。

 世界の崩壊と何か関連があるのだろうか。また別のことだとしたら、僕はその解決に乗り出すべきだろうか。

 三人で少しシリアスになっていると、キッチンの方から、小麦を焼いた香ばしい香りと、何か甘い香りが漂ってきた。

「さあさ、一日の元気な始まりは朝食からですわ!」

 大皿に盛られてきたのは、ベイクドケーキのような小麦の生地を、魚の型に流し込んで焼いたもののようだ。

「わっほーっ!」

 リルルは目を輝かせている。

 村に来たときにも、村人からこんな声が上がったような。

「これは?」

「モルメ村名物、わっほーですわ」

「ワッフル?」

「いえいえ、食べたら『わっほー!』となるので、わっほーなんですの」

「はぁ」

 なんてリアクションしていいか戸惑う。

 確かに、ブロック型のワッフルとは違い、精緻な魚の型で作られている。

「いただきます」

 一つとって頭からかぶりつく。

 すると、中から豆の食感と甘さが。

 見てみると、赤黒い豆を甘く煮込んだものが入っていたようだ。

「これは?」

「レッドビーンズジャムですわ。バターを塗ったトーストに乗せても美味しいんですのよ」

 確かにそれも美味しそうだ。レッドビーンズジャムと、この外側の香ばしさとの相性は、なかなかのもの。わずかに塩が入っているようで、甘さが引き立っている。豆は完全には潰されておらず、皮の食感や風味がいきている。

 通常のワッフルと違って、外側が特に香ばしくパリパリになっている。魚型の鱗部分が、焼き具合に変化を与えているせいなのだろう。これは美味い。そしてミルクに物凄く合う。

「これ、元の世界に戻るときに、お土産にいくつかもらえませんか?」

「ええ、もちろん」

 折角なのでドクトル・ロドミーにも食べてもらいたい。ただ、これが冷めてしまうと、また風味も変わってしまいそうだし、あまり日持ちもしなさそうではあるのだけれど。

 そんなやりとりをしているうちに、起き抜けの憂鬱さが吹き飛んだ感じがする。

 ああ、なんだか僕はちょっと辛いことがあると、だいたい美味しいもので解決しているのかもしれない。それがいいのだか悪いのだか。


 

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