エリザベート研の審問

 ひと騒ぎあったサロン的な場所からエリザベート研入口までの距離はそう遠くはなかった。

 ロドミー研とは違い、エリザベート研は完全には廊下への出入り口を塞いでいない。それは、異次元ゲートから何らかの脅威が出現した際に、逃げられるようにという理由だったと思う。

 塞いでいないとはいえ、廊下をうろうろしている何者かが簡単に入ってこれないように結界は張られている。

 結界というと、何かそこに入れない障壁みたいなものを想像するかもしれないけれど、大概は隠されているだとか、近寄りがたくなるよう汚されているといったものだったりする。もちろん、特に厳重に結界を張る場合には、障壁のようなものを使うこともあるのだけれど。

 まずは地図通り入り口を見つける。幻術の類がかかっていたようだけれど、以前こうして歩いて来たというドクトル・ロドミーにかかれば、看破は容易たやすかったようだ。

 幻術といっても、先程ドクトル・ロドミーが使っていたような直接的な幻惑の術もあるけれど、多くはだまし絵だとか、あるいはトリックアートとも呼ばれるようなものや、鏡を使った視覚的な錯誤を発生させるものだ。よく見かけるのは、行き止まりに見えるけれども、左右どちらかに道が続いている、というパターンだろう。

「え! 行き止まりじゃないの!?」

「へっ、おめぇ、さてはダンジョン初めてだな」

 アザレアの驚きの声に間髪入れずトムが絡む。

 いや、そりゃそうだろう。ダンジョンうろつく女神とか聞いたこと……なくもないかなぁ。

「俺くらいになると、ダンジョンなんて家みたいなもんよ」

「なるほど、同じところをずっと番させられれば、もはや家みたいなものか」

 ドクトルが妙な感心の仕方をしている。

 トムはというと、ここで誇っていいのか、食って掛かっていいのか葛藤しているようだ。

「これは?」

 多くの結界がそうであるように、ここも結界解除用の簡単なリドルが仕組まれていた。

 床に何気なく8×8の市松模様の箇所があり、チェス盤のようになっている。その盤面の四方には、それぞれ「Pallas Athena」「Judith」「Argine」「Rachel」という文字と、少し離れたところに、「最大限版図を広げ、互いに直接干渉しない」と書かれており、薔薇の花が描かれたトークンコインのようなものが散らばっている。

 4つの文字はそれぞれ、トランプのクイーンのモデルになったと言われる名前、そして薔薇はトランプのクイーンが皆持っている花。というわけで、薔薇のトークンをチェスのクイーンに見立て、お互いが存在するマスに移動可能マスが干渉しないように8つ配置していくというものだ。

「え、待って、なんでそんなにスラスラ解くの?」

 煤けた女神サマもこともなげに並べていく僕とドクトルに戸惑いを隠せないようだ。

 トムは出会ったときのことを思い出しているのだろう、苦々しげに僕らの様子を見ている。

 □●□□□□□□

 □□□●□□□□

 □□□□□●□□

 □□□□□□□●

 □□●□□□□□

 ●□□□□□□□

 □□□□□□●□

 □□□□●□□□

 このように配置すると、全ての「●」は縦横斜めで、他の●に直接干渉しない。

 もちろんこれもリドル問題集に載っている。

 条件を満たすと、分厚い石扉が微かな摩擦音を立てて開く。

「おまえらさ、こういうの考える人の気持ちになってみ?」

 トムは悔しそうにそう啼いた。

「うむ、解く際に出題者の意図を読むのは基本だ。なかなかよくわかっているな」

 ドクトルは満足そうに頷いて中に入っていく。

 トムは、さも当然とばかりに解かれたら、出題者も面白くはなかろうと言いたかったのだろう。

 うん、見事に会話が噛み合ってないぞ。

 それはそれとして、これで僕らはついに、歩きで研究室まで辿り着いてしまったことになる。それが自慢できることかはさておいて。


 いにしえから連綿と続く次元魔術トポロマンシーを研究してきたこの研究室は、他の研究室よりも遥かに規模が大きい。ともすれば聖堂か、あるいは図書館のように見えるだろう。

 聖堂に見える理由としては、研究室の中央に鎮座ちんざする、人の背丈よりも直径の大きな輪の人工遺物アーティファクト「リング」の存在だ。輪をシンボルとする神がいたとしたら、こんな聖堂もあるかもしれない。周囲に、石版が整然と並んでいたり、二階吹き抜けで天井が高かったりすることも、聖堂っぽさに拍車をかけている。

 そして図書館に見える理由としては、壁一面の書架に収まった魔術書グリモワだ。いくつかの書架は、研究室の中央にあるリングに向って紐を伸ばし接続されている。その様子は、「リング」が根を張っているかのようにも見える。

 この中央の「リング」こそ、今から頼ろうとしているゲート発生装置だ。複雑な術式を記載した魔術書グリモワの組み合わせで、繋げたい空間の座標を割り出し、その空間に接続。開いた時空の門を長時間維持させるという機能を備えている。

 リングの周囲の石版も魔術書グリモワだ。変更のない記述を石版に彫ることで、繰り返して使用する際の劣化や破損のリスクを抑えている。

 概要を言うのは容易たやすいけれど、これらは長年積み重ねられた研究の成果であり、学院内でも特に価値の高い装置だといえる。研究室の管理者は、こういった学院の財産でもある貴重な装置を、悪用されないよう守る義務もある。

 そしてその「リング」の手前、苦々しげな顔で腕組みているのがこの研究室の若き管理者にして、ドクトル・ロドミーの姉君にあらせられる、ドクトル・エリザベートその人だった。

 ちょっと額に青筋が浮かんでいて、こめかみがビキビキしている。可能ならば「時間を改めます」と出直したい。

「ルマリエ。何故止めなかったの」

 やはりそう来ましたか。

 これでも平静でいようと努めているのだろう。今のところ、激昂という程ではない。

「すみません。研究室存亡の危機なもので」

 それを聞いたドクトル・エリザベートがピクッと反応した。一瞬、どういうことかと妹のドクトル・ロドミーに説明を求めようかという素振りがあったが、僕を問い詰めることを優先するらしい。惜しい。

「随分と服が汚れているようだけど?」

「暗い中を進むと、転んだりしますよね。掃除もされていないようですし」

 ウソは言っていない。

「転んだり、焦げたり?」

 視線の先を追うと、インフュリーとの戦いのさなか、服装の一部が焦げてたようだ。気付かなかった。パタパタと焦げを叩く。

「暗いですからね。そういうこともありますよね」

 火を明かりとして使った際にコゲたのだということにして、シラを切り通したい。

「随分火遊びをしたようね」

 視線の先にはアザレアがいた。あちゃー。

「ん?」

 当のアザレアはキョトンとしている。

「いやいや、彼女は会ったときからあんな感じでしたよ?」

 う、ウソは言っていない。

「どこで、どうやって会ったのかが問題ね」

「ついそこで、鏡の中から現れたんですよね」

 できるだけ平静を装って事実だけを述べる。都合の悪いことに言及しないようにしながら。

「なるほど。人ではなさそうだけど。それが意味もなく煤けた格好で鏡から出てくるなんて、よっぽど暇か酔狂ということになるけど」

「ちょっとぉ! いくら妹が心配だからって、女神に対してちょー感じ悪いんだけど!」

 あーあ、アザレアが噛み付いてしまった。

「妹を心配するのは極自然なことではなくて?」

「だったら、身を挺して庇ってたルマリエに、感謝こそすれツンケンすることないんじゃない?」

 いや待て、「庇った」って、それ危険があったってこと言っちゃってるから!

 スッとドクトル・エリザベートの目が細くなった。ヤバい。話を変えよう。

「それはそうと、ポータルが使えなくてお困りだと思いまして、皆さんに食料をですね……」

 完璧なタイミングで、リュックサックを下ろし開けたはずなのだけれども。当然のように言葉が遮られる。

「つまり、我が妹を危険に晒したということ?」

「それは見解の相違と言いますか、そうならないように善処したといいましょうか」

 脂汗が出てきた。

 お察しの通り、ドクトル・エリザベートは妹のドクトル・ロドミーに対して過保護。それも過度に。というか極度に。

 例えば、ドクトル・ロドミーがレンズの収斂しゅうれんによって図面を焦がしたときの後日譚になるけれど、その話をドクトル・ロドミーがうっかりドクトル・エリザベートにしてしまったようで、すぐさまこちらに相談もなく窓をすりガラスに交換しに来たことがあった。いや、ありがたいんですけどね。何故か僕が「研究員としての配慮が足りない」と、無茶苦茶怒られたのを抜きにすれば。

「でも、インフュリーが出てきたとき、戦端切ったのおまえじゃね?」

 面白くてたまらないといった顔でトムが僕を売りやがった。しかも最悪のタイミングで! 覚えてろよ薄情ネコめ!

「インフュリー!? ルマリエ!!!!!」

 ドクトル・エリザベートが右手を挙げるだけで、虚空に突然裂け目が出現する。

 詠唱ナシで次元刀ディメンジョンブレイドを発現させるとか、ホントに出鱈目な人だ。

「き、急に出現したので、こちらに意識が向いていないうちに隙を突いただけです! インフュリーですよ? 襲ってくるなんて時間の問題じゃないですか!?」

 実際はアザレアだけを狙うよう命令されていたのだろうけど。

 余計なことは言うなと、トムに目で威嚇する。トムはバカにしたような顔で口の端を吊り上げた。うん、後で尻尾踏もう。

「心配をかけてすまんな。私の我侭わがままで強行させてもらった。だが、海賊くんも十分活躍してくれたし、私に怪我もない。ここは私の顔に免じて許してやってくれんか?」

 ドクトル・ロドミーが火消しをしてくれた。最初からそう言ってくれればいいのに。いや、大概怒りなんてものは、一度吐き出す機会がないと収まらないものだし、絶妙なタイミング……なのかも?

「……ロディがそう言うなら」

 妹には激甘である。

 次元刀が消える。ふぅ、助かった。

 ちなみに「ロディ」とは「ロドミー」の愛称だ。

「で、研究室存亡の危機って?」

 やっとそちらの話題に行った。

「トンガリさんから、住んでいる世界が壊れそうだってしらせがきてな」

 そう言って、ドクトル・ロドミーは姉に一枚の木の葉を手渡した。ノーム達が使うである。葉の葉脈が部分的に着色され、文字になっているというもの。

 ドクトル・エリザベートは、しばらく黙ってそれを読んでから、おもむろに口を開く。

「つまり、ザードノームのところへ調査に行くという話ね」

「そういうことだ」

 しばらく考え込むドクトル・エリザベート。

 空間が安定しないなかで、次元接続を行う危険性について考えているのだろうか。

 チラッとこちらを見る。行くのはおまえだなという意味で視線を送ったのかとも思ったけれど、何かその視線にゾッとするものを感じた。

「そうね。ルマリエだけなら許可しましょう」

「まぁ、元々そのつもりでしたんでいいですけれど。でも、なんで僕だけ?」

「事故が起きてもそれほど影響なさそうだし」

 そういうことですか。

「大丈夫なのか?」

 ドクトル・ロドミーが心配してくれる。ありがたい。

「そうね。冗談は抜きにして、彼なら大丈夫よ」

「何故?」

「理由はあるけど……説明はできない」

 これ以上は話さないと、明確な意思表示がある言い切りだった。正直、ひっかかるものは感じるけど、大丈夫というならば行かないわけにも行くまい。

 これが裏切りに関係があるか? という意味でアザレアの方を見たのだけれど、アザレアはどうやら違う意味に受け取ったようだ。

「あのー。わたしの件は?」

 ああ、僕以外は使えないとなると、彼女も帰れないということになるのだろうなぁ。

「そういえば、どなた?」

 ドクトル・エリザベートの問いはもっともなものだった。

 かくかくしかじかと説明する。ただ、裏切り云々やアウナスの件は、話すと絶対に面倒になるので割愛した。

「へー」

 そりゃ「突然鏡から現れました、インフュリーに襲われてました、助けられました」では、胡散臭いと感じるだろうなぁ。

「まぁいいわ。でも私の予感だと、今帰ろうとすると地獄に行くような気がするけど」

「ええーっ!」

 なるほど。時空が不安定な原因と、インフュリー出現とは関連があると踏んでいるようだ。インフュリーという地獄の尖兵が突然出現したわけで、そう考えるのが妥当かもしれない。

 ただ、もしアザレアが僕と接触することを避けるために、アウナスが時空に干渉しているのだとすれば、こうして接触できてしまっているということがおかしいということになるのではなかろうか。それと、いくら地獄の大総裁とはいえ、時空を不安定にするといったことが、そう簡単にできてしまうものだろうか。

 もちろんアウナス云々のことは、ドクトル・エリザベートに話せないので、詳しく訊いてみることはできなのだけれど。

「急いで戻らなければならないことでも?」

「いやー、そういうんじゃないけど、ほら、あんまり現世こっちにいると、私の力を悪用しようって輩が出てくるじゃない?」

「人間の魔術師よりも弱っちいヤツの力なんか悪用しないだろ。自意識過剰か?」

 トムはアザレアに対しては本当に容赦がない。

「きーっ!」

「シャー!」

 これが神と悪魔の戦いだとしたら、世界はなんて平和なんだろう。

 それを冷ややかな目で見るドクトル・エリザベート。

「で、あの猫は?」

「使い魔にした」

 妹の答えに大きくため息を吐く。

「ロディは昔から捨て猫とかすぐ拾ってきちゃうんだから」

 今僕の方見ましたよね? 僕もってことですか!?

「とりあえず、ルマリエだけザードノームのところに送るでいいわけね?」

 自称女神アザレア猫型悪魔トム・ティット・トットの喧嘩をよそに、ドクトル・ロドミーと僕が頷いた。

 その返答を見て、この研究室のあるじが準備をするべく本棚の方へと歩いて行く。

 紆余曲折あったものの、当初の目的通り、ザードノームのところへは行けそうだ。

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