迷子の迷子の女神ちゃん

 図書館を抜けた先は、元々この研究棟がタワーの建築構造を基本としているからだろうか、かなり太い石柱を基礎に、石積みで壁面が作られている。花崗岩だろうか。ところどころ継ぎ足しのところには石灰岩が使われている。扉部分は石積みでアーチ型の枠を作って、そこに鉄の扉をしつらえているようだ。中心部は、上階の高さもあって、荷重に耐えられる構造になっているのだろう。塔作りは魔術師の間で伝統的に行われていたわけで、そういうところだけはしっかりとしているようだ。

 床面は磨かれていて、ヤコウタケ冷光ランタンのかすかな光をも反射している。もう少し光が強ければ、おぼろげながら僕らのシルエットも映っていたことだろう。

 スィアリからもらった地図に従いエリザベート研を目指す。最短コースが描かれているので、それほどかからず到着できそうだ。

 歩くことしばし。エリザベート研があると記載されたフロアまで、何事もなく来られた。


 進んでいくと、以前は談話室サロンだったかのような空間に出た。古い椅子がいくつか置かれ、埃を被った暖炉がある広い場所に、何か仕掛けがありそうな大きな姿見。老魔術師らしき人物の描かれた大きな肖像画もあって、いかにも何かが起こりそうな雰囲気だ。

 突然トムが総毛立ち、クンクンと鼻を利かせる。

「どうした?」

「おいおいおい聞いてねぇぞ!」

 ドクトル・ロドミーもキャメロンドを手に身構えた。

 何が起きようとしているのかもわからぬまま、僕も警戒態勢をとる。

 よく目を凝らすと、暖炉のあたり、塵が静かに渦を巻いている気がする。

 暖炉を注視していると、突然姿見の中から女性が走り出てきた。ヤコウタケの光なので明瞭ではないものの多分桃色の髪、三叉の槍トライデントを持ち、白い衣服は火事にでも遭ったように、ところどころ焼け焦げ煤けている。

「え!?」

 こちらを見ると驚きの表情を見せた。そちらこそビックリなのですけれど?

 その直後、暖炉の前の渦が炎の渦に変わり、その渦から四つの火の玉が女性を囲むように飛び出てくる。

 火の玉は地面に触れると、人の等身大くらいの炎柱をあげ、やがて炎柱から人型のものが現れた。

 頭髪と瞳が炎となり、頭に大きな二つの角を生やした、浅黒い肌の人型クリーチャー。

「インフュリーか」

 ドクトル・ロドミーが呟く。

「あれが……」

 目の当たりにするのは初めてだ。

 インフュリーとは、人の情念や怨念から生じた魔精だ。主に地獄の悪魔達が尖兵として使役するという。

 奴らはこちらには見向きもせず、三叉の槍トライデントの女性に襲い掛かる。

 女性が槍を振り回す。

 一度は退かせるものの、太い腕が彼女めがけて振り回され、猛牛のように角から突進されと、次から次へと波状攻撃を受けている。直撃こそ避けているものの、部屋の隅へと追い詰められていく。

 女性が劣勢なのは明らか。そして、助けを請うような視線に気づいた。

 シュッ。

 気付けば僕の右手はダガーを放っていた。

 ダガーはインフュリー一体の背中、ちょうど心臓の裏あたりに刺さったものの、傷は浅そうだ。

 ダガーを抜くこともなく、ゆらりと振り返り憎悪の炎を灯した瞳がこちらを見る。

「ちょっ! おまえ、何やってんだよ!!」

 無謀、だろうか。

「うるさいぞ猫」

 憎悪の塊が向ってくる。最初は歩いて、そして次第に走りながら。

 僕をその角で串刺しにするつもりか、頭から突っ込んでくる。つまり今、ヤツの視線は外れている。

 敢えて寸前まで引き付け、闘牛士マタドールのように身を翻す。

 激突。

 したのは石壁。

 轟音を立て部屋全体が揺れる。

 こんなのをくらったらひとたまりもない。

 頭を壁にぶつけ、一瞬動きが止まる瞬間、それが狙いだ。背に回りこみ、手にしたランタンの底をダガーの柄頭つかがしらに力いっぱい叩き込みダガーを押し込む。

 ガキーンと金属音。

 痛みに仰け反る間も、狙い済まして次の一撃。

「ヌガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 雄叫びとも、悲鳴ともつかない咆哮があがる。

「っ!」

 半分以上めり込んだダガーの柄に渾身の蹴りを見舞う。

「ヌオォォォォォォォォルゥゥゥゥ……」

 ようやく致命傷に至ったようで動かなくなった。

 インフュリーの体躯は次第に薄くなり、やがて闇に溶けるように消える。ダガーが地面に落ちて、カランと音を立てた。この時空から退去したのだ。

 倒したときに気が付いたけれど、肩に焼き印のようなものがある。どこかの勢力に属しているのだろう。

 一方、ドクトル・ロドミーはオントウィッケラーを口にし、キャメロンドで槍の女性の姿をフォトン結晶にすると、それを袋に入れて小さなハンマーで砕いていく。

 その粉にベニテングタケの粉末を混ぜ掴むと、インフュリーに対して振り撒いた。

 頭から粉を被ったインフュリーは、女性の幻影が見えているはずで、あらぬ方向に拳を振るったり、角を突き立てたりしている。

 そうして時間が稼げている間に、ドクトル・ロドミーは色味がかった眼鏡を装着。

 木炭、硫黄、硝石の粉を絡めた紐、つまり導火線に対し、火打石フリントに鋼鉄のやすりがついた着火器で火をつける。

 導火線の先は硝石とマグネシウムの粉。そこに火が届くまでに「Dans door het licht」と詠唱しながら、キャメロンドのレンズ側をインフュリーに向ける。

 詠唱が終わると同時に一瞬閃光が巻き起こる。かと思うと、それがキャメロンドのオーブに収束。

 オーブの中で変性した光は、レンズの先端から一筋の細い光として放出。

 その光の筋に胸を貫かれた一体は僕が倒したのと同様にかき消え、その向こうにいたもう一体も、左肩を撃ち抜かれている。

 このドクトル・ロドミーの行った一連の術こそが、光学術フォトマンシーだ。

 一方その間の僕はと言えば、ダガーを拾い、幻惑しているインフュリーと交戦していたのだけれど、迂闊うかつにもドクトル・ロドミーの発した閃光をじかに目にしてしまい、ものが見えにくくなってしまった。ベラドンナの目薬で、瞳孔が開いていたせいもあるか。

 肩を撃たれたインフュリーは標的を変えた。その燃え盛る赤い目は、視力が損なわれていてもわかる。

 それがわかった瞬間、きびすを返す。

 インフュリーの激しい息遣いと足音を感じながらドクトルのもとへ。

「っ!」

 しまった、何かに躓いた!?

 間に合わない!!

「チキショーめ!」

 トムだ。

 よく見えないが、多分インフュリーに飛びかかったのだろう。

 すぐ後に、「ギニャッ!」という声。

 その間に、なんとか庇うようにドクトル・ロドミーとインフュリーの間に割って入る。まだ視界は回復しない。

 珍しくドクトル・ロドミーから動揺の色を感じる。次の一手を繰り出す余裕はなさそうだ。

 仕方無い。

 ドクトル・ロドミーの手を握る。

 「ふぇ!?」と声が聞こえたが、そちらを向いている暇はない。

 迫るインフュリー。

 そいつは傷を負っていない右腕を振りかぶり、殴りかかってきている。

 クソッ、か。

 安全な方へ手を引きつつ一撃を避け、きれなかった。

「ん゛っ‼」

 岩塊のような拳が頬を削る。

 口の中と唇をザックリ切った。

 口一杯の鉄臭さ。

 しかしインフュリーの体はパンチを放った動作で流れる。

 若干脳が揺さぶられ一瞬朦朧となるも、なんとか意識を留める。空いている手をインフュリーの胸に押し当て、

「Ketenen van de donder」

 詠唱。

 インフュリーは一瞬ビクンと跳ね上がると、ズルッとその場で崩れ落ちる。

 今の魔術は電気発生。つまり、心臓に高圧電流を叩き込んだ。

 上半身が裸だったがために成功したけれど、もし鎧を着られていたら、こう上手くはいかなかっただろう。

 気絶しているだけなので、すぐにとどめを刺す。

 そうこうしている間に、桃色の髪の女性の方も、なんとか片がついたようだ。

 視力が戻りつつある目でドクトル・ロドミーを見る。

 幸いケガはないようで、今は心配そうにこちらを見ている。

 無理に笑ってみせたものの、これは落ち着いてくると痛みが強く出てくるパターンだなぁ。

 桃色の髪の女性の方を改めて見る。彼女もドクトル・ロドミーに負けず劣らず整った顔立ちだった。まぁ天使や妖精や悪魔の類は、大概容姿端麗ようしたんれい眉目秀麗びもくしゅうれいと相場が決まっている。髪が淡いピンクなところも、ただの人間ということではなく、そうした人外の類ということを裏付けている。勝気な印象でありつつ、あどけなさが残る瞳。背丈もドクトル・ロドミーとさほど変わらないくらいか。白い服は、インフュリーとの戦闘でなのだろう、鏡から出てきたときより、更に綻びている。スタイルのいいボディが所々あらわになって、ちょっと目のやり場に困る。

「助けてくれてありがとう! それはそうと……仲がいいのねっ」

 視線の先、それは繋がれたままの手と手。

 慌てて離す。

「いや、その、これには事情が」

「知ってるよ。魔術師なのに、魔術回路がないんだよね」

 そう、魔術師と名乗っていながら、僕は一人では魔術を使えない半端者だった。

 魔術書グリモワを用いた術ならば、僕にも使いこなせるものの、自身の魔術回路を使い、プラーナで周囲のマナを変換させながら行使する魔術を使うことは、僕一人ではできない。それは、体内に魔術回路が構築されていないからだった。手をつないだのは、ドクトル・ロドミーの魔術回路をためだ。

 この、他人から魔術回路を借りるという能力は僕特有のものらしく、まだ同じ体質の人に会ったことがない。もっとも、回路がなくて魔術に携わる人というのが、ほとんど存在しないので、実際にはいるのかもしれないけれど。

「何故それを?」

「そりゃ会いに行く人のことくらい調べるし」

 当然喧伝してまわることではないので、学院外で知る者は少ないはずなのだけれど。

「会いに? 僕にですか? っていうか、あなたは?」

 混乱してきた。

「あたしは、アザレアよ」

「何かのアスペクトだな」

 値踏みするように見ていたドクトル・ロドミーが言った。

 アスペクトとは、神や悪魔の一側面を切り出した存在だ。神や悪魔は、様々な神話の中で語られていくなかで、その信じられた地域ごと、語られた神話ごとの姿を持つようになっていった。ある地域では神で、ある地域では悪魔と認識されることは実際よくある。その一つの側面が独立した存在が「アスペクト」と呼ばれる存在だ。

 ちなみに魔術師界隈では、アスペクトが統合された存在こそが、神や悪魔の真の姿とされている。

 また、それぞれのアスペクトの記憶や思考などは、何らかのかたちで繋がっているとも言われている。

 なので、彼女のような霊的存在は、複数であるとも言えるし、ひとつであるとも言える。

「さすがはマルーネイの娘さんね。で、話を戻すけれど、キミが巻き込まれてる陰謀について、助言を持ってきたんだけど、聞きたくない?」

 ドクトル・ロドミーのことも知っているのか。激しい戦闘の後ということもあって、思考が追いつかない。

「ちょ、ちょっと待ってください。魔術回路も持ち合わせていない一研究員が、何の陰謀に巻き込まれるっていうんですか?」

「無価値だったら、マルーネイは魔術回路もないあなたを推薦して学院に入学させたかしら? インフュリーに一番多くとどめを刺してたのはどなた様でしたっけ?」

「……」

「だいたい陰謀っていうのは、中途半端に力を持っているところに発生するものなのよ」

 説得力のある言葉だった。

「助言はありがたいですけれど、何故助けてくれるんですか?」

「取引よ。もし私の助言によってキミが陰謀から逃れられたら、ほこらを建ててあたしをまつりなさいな。もし約束をたがえるようなことがあったら、そのときはその陰謀以上の災厄をもたらすわ」

 後半、わざと脅すような声色を使ってはいたけれど、何せ迫力がない。

「なるほど……」

 神学を研究しているビュッシング研によると、神々の力は「いかに多くの人に認知されるか」ということと、「いかにと認知されるか」で変動するらしい。これは、単に信仰者が多いということだけではなく、偉大な力が行使された神話やエピソードによって「知られている」ことも含んでの「認知」ということのようだ。神話が書き換えられて弱体化した神格などもあるようだし。

「察するに、新興宗教か何かで作られた古い神のアスペクトだな。まぁ世の中が不安定になると、よく現れる手合いではある。インフュリーに手こずる程度の力量だしな」

 ふふんとドクトル・ロドミーが鼻で笑う。

「うるさいうるさーい! いいの! 偉大だと思われている神格だって、最初はちょっと英雄に助言したところから力をつけたヤツがほとんどだっていうし!」

 もしくは神格本人が英雄だったという例もあるけれど。

 なんというか、今のところ「神様の威厳いげん」みたいなものがほぼゼロだ。

「まぁ、僕は英雄とかじゃないですけど、祠を立てるくらいならいいですよ。ただ魔術師なんで感謝しこそすれ崇めたりはしないですけどね」

 魔術師は基本的に現象の因果に対して「神のおかげ」のような片付け方を嫌うため、神々の存在は認めつつも、その信仰に傾くようなことは稀だ。高位の魔術師が、契約を結ぶようなことはあったりするのだけれど。

「言ったでしょ。調べてきたって。キミがそういうヤツってことを分かったうえでの話だから」

「本人がどう思うかよりも、周りからどう見られるかを取るということだな」

 ドクトル・ロドミーの言葉で納得した。なるほど。

「そゆこと~。じゃあ、契約成立ってことで!」

「あ、なら一ついいですか?」

「もう、何よ?」

「これ、なんとかなったりしませんか?」

 僕が指差した先には、トムが伸びていた。伸びているだけならいいが、深手を負っているとも限らない。若干姿が薄くなってきた(死にかけてる)感じもする。

「ああ、ソレね。いいわ。サービスしたげる。ついでにあなたが殴られた痕もなんとかするけど?」

「ありがとうございます」

「そしたら、はいこれ」

 一枚の紙を渡された。「契約書」とある。

「よく読んで、『同意します』にチェック。あと今日の日付とサインをよろしく。あ、血が出てるし、ついでに血判もね」

 内容は、だいたい先程言っていたことと同じだった。サインするべくバックパックからペンを取り出そうとすると、ドクトル・ロドミーがドヤ顔で髪留めに使っているペンシルを差し出した。髪がふわっとほどける。顔に、「ほら、便利だろ?」って太字で書いてある。まぁ。はい。

 怪我を治すなどの条項をさらっと手書きで書き加えて、必要事項記入と血判を押して戻す。

「にひひ。契約成立ぅー!」

 大事そうに仕舞われる。

「ではまずあいつから」

 トムを指さす。

「しょうがないなー」

 自称女神はトムに近づいて屈み、人差し指と中指にキスをすると、その指でゆっくりとトムを撫でた。

 するとトムの耳がピクッと動き、身体がピョンと跳ね上がる。

「学生証を提示しろ」

「それはもういいから」

 記憶が混濁して、習慣的な言葉を発したんだろうか。とりあえず、インフュリーの動きを止めてくれた借りが返せて何よりだ。

「はいつぎー」

 手招きされたので、近づいて殴られた頬を差し出す。

 戦闘時の興奮状態が次第に醒めていき、心臓の鼓動に合わせて痛みの波がくる。口の中も腫れている。詠唱のときに噛まなくて本当によかった。

「ちょっと屈んで」

 言われるままに屈む。

 チュ。

『あー!』

 ……えー、解説するとですね、殴られた頬にキスされて、それに対してトムとドクトル・ロドミーが声を発したと、そういうことです。

「なな何を!?」

「ん? こうするのが早いし」

「おお俺んときもこんなんだったのか!?」

 トムがさかっていた。

「いや、なんか指にチュってして撫でただけ」

 凍傷になりそうな程の冷たい視線がドクトル・ロドミーから発せられている。

「なんじゃそりゃー!!」

 僕のせいじゃ、ないぞ?

 そうこうしている間にも、ウソのように痛みや腫れがひいていく。

 ことこういった回復の術に関しては、魔術の力はカミサマ関係の「キセキ」にかなわない。いやもちろん、病気に効く薬だとか、体内にある悪性の部位を取り除くとか、そういったことは魔術師も得意とするところなのだけれども、傷がたちどころに治るというデタラメな力は、魔術師達も解明できていない。完治までの時間を短縮しているだとか、いや巻き戻しているだとか、いろいろと憶測は出ているのだけれども。

 アスペクトとはいえ、カミサマそのものでもあるらしい彼女は、そんな能力もあるのだろう。

「あ、ありがとう、ございます」

「信仰する気になった!?」

「それとこれとは……」

「え、何、これ以上して欲しいってこと?」

 そういうことをですね、照れながらもじもじ言うのやめてもらっていいですか? トムとドクドルの視線が痛いっす……。

「違いますから! それはそうと、肝心の助言とやらをお願いしますよ」

 トムが「あー話を逸らしやがった」とか言ってくる。うるさい。

「あ、そうだったね。えっと、インフュリーに烙印スティグマがついてたのって、気付いた?」

「何か焼印のようなものがあったなとは思いましたが、何のシンボルかまでは」

 光源がほぼインフュリーの纏う炎だけなので、はっきりとは思い出せない。

「閃光を発したときに気付いたが、あれはアウナスだな」

 さすがはドクトル・ロドミー。

 って、今アウナスって言いました!?

「ご名答!」

「ちょっと待った! アウナスって、あの?」

 ドクトル・ロドミーとアザレアが同時に頷いた。

 そして僕とトムが同時にげんなりとした顔になる。

 アウナスとは、36の軍団を率いる地獄の大総裁だ。72柱存在する悪魔の諸侯の中でも、「悪事」を司る。

「あいつらがなんであたしを襲ったかといえば、助言をキミに届けさせないためね」

「待ってください。何故アウナスの陰謀をあなたがご存知で?」

 そう。地獄の大総裁たるもの、いくら相手が非力なアスペクトとはいえ、神的存在に自らの陰謀を吹聴ふいちょうしたりはするまい。

「そ、それは……」

 ドクトル・ロドミーはそれを見て「ははーん」という顔になる。

「大方、アウナスと同様、地獄五圏のその向こう、デイーテの市にいる悪魔の一柱が、アザレアに通ずる存在のアスペクトなのだろうよ」

 地獄は九つの階層に分かれており、罪によって行くべき場所が定められている。

 堕天した天使や神々は、主に五圏の奥にある炎の要塞、デイーテの市にいると言われている。

 アウナスは元々天使階級の六番目である能天使エクスシアだったとされており、また炎の悪魔でもある。軍団の兵も、多くは先程のようなインフュリーだ。

 72柱の諸侯の多くはアウナスと似たような境遇だけれど、基本的にお互い干渉しようとはしない。

「あ、あれよ! 女神の霊感ってやつ? そう、それなのよ!」

 目を左右に泳がせながら必死に取り繕っているものの、ドクトル・ロドミーの言葉を肯定したようなものだった。

「盗み聞きした情報でパワーアップできそうだからやってみたら、うっかりバレて追っ手を差し向けられたと」

 身も蓋もない言い方をしたのはトムだ。

「うるさいなぁ! もう契約しちゃってるからいいんですぅ!」

 よくないよ?

「とにかく、陰謀によってキミは近いうちに命を落とす程の裏切りにうの!」

 裏切り? ピンとこない。

「それって、これから調査に入る、ノームの時空が崩壊しそうなことと関わりってあるんでしょうか?」

 ありそうなのはその辺なんだけれども。

「あるわね。でも直接じゃないわ」

 うーん、そうぼかされると参考にならないなぁ。

「具体的に、海賊くんはどうしたら陰謀に巻き込まれないんだ?」

 回りくどいのは好きじゃないドクトル・ロドミーが、単刀直入に聞いてくれた。

「陰謀に巻き込まれることは、もう確定している未来よ。現在進行形で巻き込まれてる感じ?」

 占い師の話を聞いているかのようにばくとしているけれど、まがりなりにも神格っぽいアザレアからの言葉だ。僕が受け止めている以上に事態は深刻なのだろう。多分。きっと。

「そこを生きびるには、ルマリエ、キミの生きる力を高める必要があるの」

「生きる力、ですか?」

 アザレアが頷く。

「キミは自分の命を軽視する傾向にあるよね。助けられといてなんだけどさ、さっきだって、偶然勝てたからいいものの、かなり無謀だったじゃない?」

 トムがうんうんと頷いている。

 全く自覚がなかった。でもそう言われればそうかもしれない。仮にも地獄の尖兵だ。初撃でダガーが刺さらなかったら? あるいはインフュリーの拳を直に受けてしまっていたら……。

「それと、人付き合いを避けているでしょ。友達もほとんどいないし、女の子と付き合ったこともないし」

 グサグサ突き刺さる。

「そ、それと生きる力が関係あるんですか!?」

「大アリよ」

 急に真面目なトーンになる。

「生きる力って、結局自分と自分の周りの人たちを愛することなんだから」

「……」

「……何か、言いなさいよ」

「いや、その……」

「よく恥ずかしげもなくそういうこと言えるなぁ」

 そう口にしたのはトムだ。

「きー!」

 捕まえようと追い回すアザレア。神の品格とは……。

 自分と自分の周りの人たちを愛することか。考えもしなかった。

 チラッとドクトル・ロドミーを見ると、彼女もこちらを見ていた。

 なんだか気恥ずかしくて視線を逸らす。

 確かにあのとき、守るべき対象として、アザレアやドクトル・ロドミーがいたけれど、自分が命を落とすかもしれないという意識は皆無だった。いやもちろん、死ぬつもりはないんだけれども、見捨てて生き延びる確率を上げようみたいな意識が涌かないというか、あの場を切り抜けられる未来しか、想像していないというか。

 自分だけは大丈夫だと思って……いるのかもしれない。

 自分がもし死んだら、誰が悲しんでくれるんだろうか。両親かな。そんなことは考えたこともなかった。

「なるほど……」

 とはいえ、では何をするべきかということは思い浮かばないのだけれど。

 そうこうしている間に、トムは逃げ切ったようだ。

 アザレアが肩で息をしている。

「いつか神罰を与えてやるんだから!」

「やれるもんならやってみなー!」

 子供の喧嘩だ。

「助言って以上ですか?」

「うん」

「へっ、精神論だけかよ」

 またトムがあおる。

「うっさい! このブタネコ!」

「インチキ占い師!」

 低次元のののしりあいだった。

「ほら、トムもあおらない。この先何かが起こるという心構えができたというだけで、よしとすればいいさ」

「ケッ、いい人ぶりやがって。あれか、チューされたからか?」

「そ、それは関係ないだろ!」

 蒸し返された。

 ドクトル・ロドミーにもチラ見される。

 僕は無実ですよ?

「ゴホン、とにかく、ありがとう」

 アザレアに礼を述べた。

「祠、期待してるからねっ!」

 ヒラヒラと手を振って、出てきた姿見に入っていく……つもりだったのだろうけど、ガンッと鏡にぶつかり、額を押さえしゃがみこんだ。

「痛ぁー」

 姿見は、ただアザレアの姿を映すだけだ。

 アザレアは額を押さえたまま、涙目でこちらを振り返った。

「どうしよう! 帰れない!」

 僕ら二人と一匹はそれを見て、大きくため息をついたのだった。


 結局、低俗なやり取りで神格を損なったせいなのか、鏡を通して元の時空に戻ることができなかったアザレアは、エリザベート研にあるゲートを頼ろうと、僕らについてくることになった。おそらく戻れなかった原因は、ドクトル・エリザベートの言っていた「時空の揺らぎが激しい」ということが理由なのだろうけれども。そのことについては特に説明していない。

「アザレアおまえ、無事に帰れたら俺の祠を作って崇めろよ」

 トムは相変わらずしんらつだった。

「アンタを埋めて墓標を立ててやるんだから!」

 負けず劣らず迷子の女神も物騒だった。

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