黒い猫と本の虫

 不意に空間がひらけた。そこには、アリ塚の入口にあったものとよく似た石碑があり、その横に腰の高さくらいまでの石段、そして石段を登った先には見上げる程大きな金属製であろう扉があった。

 ランタンの明かりを向けつつ近づいてみると、扉には梟の装飾が施され、石碑には古い字体で『図書館』と刻まれているのがわかる。

「!」

 足を止める。

 気づけば石段の上に光る二つの小さな瞳。

 即座に腰を落とし、身構える。

 目が慣れるにつれ、小さな瞳の主が黒猫のようなものだとわかる。とはいえ、こんなところにいるのだから、当然タダの黒猫なわけがない。

「学生証を提示しろ」

 猫が声を発した。

 ちょっと意地の悪い少年のような声。

 図書館の管理者が配した番猫(?)なのだろうか。

 ポケットをまさぐると、学生証が出てくる。

 まさかこんなところで学生証が求められるとは。一応学内だしと、持ち歩いていてよかった。

 提示すると、黒猫はチッと舌打ちした。失礼なヤツだ。

 ドクトル・ロドミーも鞄から取り出した教員証を見せる。

 それを見た黒猫は、フフンと鼻を鳴らした後、下卑げびたニヤニヤ笑いを浮かべた。「こんなに若い教員はいるはずがない」とでも思ったのだろうか。浅はかな。

「おやおやおやぁ? これはこれは、。いやぁ、疑っているわけではないんですがぁ、こういうものは偽造したり、盗んだりということもありましてねぇ。一応、確かめさせていただいているんですよぉ」

 尻尾をピンと立て、ドクトル・ロドミーの周囲を歩きながら、嘗め回すように見る。

「何を確かめるのか知らんが、それで通れるならば構わん」

 ドクトル・ロドミーの言葉に、猫は器用に口の端を歪ませ、石碑の上へピョンと跳び乗った。

「では問題だ。キツネ、ガチョウ、トウモロコシ一袋の三つの荷物を持って、小さな船で川を渡ろうとする男がいる。舟は小さく、男は荷物のうちの一つしか対岸に運べない。しかし、キツネとガチョウだけにすれば、キツネはガチョウを襲い、ガチョウとトウモロコシだけにすれば、ガチョウはトウモロコシを食べてしまう。男はどうやって荷物を運んだ?」

 自慢げに尻尾がピンと立っている。答えられまいと言わんばかりだ。

「……バカにしてるのか?」

 そう言いたくなるドクトル・ロドミーの気持ちはわかる。

「リドル問題集に載っている、有名な問いですね」

 今では学院の入試に、こういったリドルが出されることがままある。そのため、今の若い魔術師の間では、こうしたなリドルは基本問題として習得されているというか、もはや常識となっている。

 長らくここで番をするうちに、時代に取り残されてしまったのだろうか。若干猫が哀れに思えてきた。

「うるさいうるさい! さあ、答えろ!」

「ガチョウを先に運んで、次にキツネ、その際にガチョウを舟で持ち帰り、次にトウモロコシ、最後にガチョウで全部運べる。まぁ、学生かどうかを判別するリドルなら、この程度でもいいのだろうな」

「なんだかちょっと懐かしい気持ちになりましたね」

 猫から「カチン」と聞こえそうな何かが醸しだされている。

「……久しぶりに……キレちまったよ……」

 とても面倒臭ーくなりそうな空気だ。

「第二問!」

『えー』

 案の定だった。

「ドア一つない家とはなーんだ!?」

「卵」

「くっそぉぉぉぉぉぉ!!」

「おー悪かった悪かった。おまえは職務を遂行しただけだもんな。だからこれ以上はやめとこう。な?」

 ドクトル・ロドミーがなだめに入る。しかし。

「君がッ、泣くまで、 リドルをやめないッ!!」

 完全に拗ねていた。

 リドルで泣くって……。まぁ、難解なリドルの授業で、どうしても解けなくて、泣きを入れるヤツくらいならいないこともなかったけども。

 ドクトル・ロドミーを見ると、こちらもかなりイラッときている。

「リドルを出すのは構わないが、次はそれ相応の対価をいただくことにする」

 問いかけや確認ではなく、一方的な宣言だった。

 猫の方も引く気はなさそうだ。

「では……」

 もったいぶった口調で黒猫が続ける。

「俺の名前を言ってみろ!」

 わかるまい? といった余裕の表情。石碑から降りて悠々とドクトル・ロドミーの周りを歩いている。なかなかに憎たらしい。ノーヒントでそれはさすがにわからないだろう。

「そんなリドルがあるか!」

 僕の口から思わず抗議の言葉が出た。しかしそんなことはお構いなしに。

「トム・ティット・トットだろ? こういうときになぞなぞを出したがるヤツなんて、黒い尻尾の悪魔かスフィンクスと相場が決まっている」

 しれっとドクトル・ロドミーが答えていた。

 あー、なるほどなぁ。

 トム・ティット・トットとは、民話に登場する悪魔。勤勉と誤解されたまま王妃となった怠惰な娘に対し、糸を紡ぐ代わりに一ヶ月以内に自分の名前を当てられなければ、さらって行くという契約を交わす。ところが調子に乗って自分の名前を歌っているところをうっかり目撃され、名前を答えられてしまったという伝承が残っている。

 この伝承をもとに、ルンペルシュティルツヒェンという物語も作られたのだけれど、それはまた何かの機会に説明したいと思う。

「……」

 猫が黙った。

「どうなんだ?」

「……正解だ」

 悔しそうに、それは悔しそうに呟く。ちょっと涙とか鼻水も出ている。

「ちなみに、スフィンクスは大概女性の姿だし、妙にプライドが高いからな。猫に化けるにしても、もっと高い場所にいるとか、毛が生えてないとか、どこかしら気取ったことをする。しかし、ノーヒントで自分の名前を聞くようなアンフェアな振る舞いは絶対にしない」

 そう説明してくれながら、ドクトル・ロドミーはバックパックから何か取り出すと、すっかり意気消沈した黒猫改め、トム・ティット・トットに近づき、前足の肉球にインクをつけさせた。かと思うと、一枚の紙に手形(足型?)を押させる。紙は契約書のようなものか。

 トムが自分に何が起こったのかに気付いたのは、ことが全て為された後のことだった。

「おまえ、今日から私の使い魔ファミリアな」

 肉球の押された「使い魔契約書」を見せる。

『ええぇー!』

 トムも驚いただろうけど、僕も相当驚いた。

 魔術師が使い魔を持つことは珍しいことではない。なるほど強力な使い魔とは、このようにして得るものだったか。今日は本当にいろいろと勉強になる。

 悪魔なんて従えて大丈夫なのかと心配に思うかもしれないけれど、中立的な視点で神学を研究しているビュッシング研によれば、神話の中から人間にとっての利益、不利益を計算してみると、神と呼ばれる存在と悪魔と呼ばれる存在で、大きな差はないという研究結果が出たとのことだった。多くの悪魔と呼ばれる存在が、元は土着のローカル宗教の神様だったということも少なくないので、納得できない話ではない。それに、トム・ティット・トットは、伝承のなかでも確かに結果的には人間に利益をもたらしている。

 ちなみに、ビュッシング研の発表には、案の定聖職者関係から大クレームがきている。主に表現が挑発的だったせいなのだけれど。魔術師と呼ばれる人種は、どうにも社会的配慮に欠けるきらいがあるように思う。

 ただ、悪魔を召喚したり、使い魔にしたりすることへの批難は、この資料を根拠として次第に減っていくのではないかと思われるので、悪いことばかりではないと思いたい。

「でも、この図書館の番がいなくなっちゃいますね」

「学院の公式図書館は別にあるんだし、構わんだろ。多分コイツも、どこかの研究室が試しに召喚してみただけだ」

 この発言を聞いて、トムはあからさまにショックを受けていた。口が開いたままだ。……なんというか、さっきまでは単なるムカつく黒猫でしかなかったけれど、今となっては同情を禁じえない。

「見方を変えれば、自由になったということですよね。さぁ、先に進みましょう!」

 思わず気を使ってしまったじゃあないか。

 トムもしょぼんと耳を垂れながら歩き出した。

 少し前までトムが番をしていた黒い大きな扉。

 一人の力ではとても開きそうになかったが、ドクトル・ロドミーが手をかざすと、重々しい摩擦音を立てながら、ゆっくりと開いた。魔力感知と滑車を組み合わせた仕掛けか何かだろう。

 二人と一匹に増えた一行は、様々な疲労感に包まれながら、扉の向こうへと歩いていく。


 「図書館」と聞いて思い浮かべるのは、何はともあれ規則正しく並んだ本棚と、そこにびっしりと詰まった本ではないだろうか。

 しかし、僕らの目の前には全く違う光景が広がっている。

「おい」

 ドクトル・ロドミーがトムを睨みつける。

「いやいやいや! 俺じゃないって!」

 前足を顔の前でパタパタ交差させる様子は、ちょっとだけかわいかった。

「盗賊が持ち去ったんでしょうか?」

「それにしても酷くないか?」

 まず、本棚という本棚が空っぽだった。

「盗難でしたら、価値のあるものだけを選びそうなものですけど。それとも、往復して見境なく根こそぎ持って行ったのかな」

 しかも本棚は倒れたり積み上げられたりして、本棚でできた洞窟のようにななっていた。本来の図書館の部屋の大きさは、全く把握できない。

「トム」

 ドクトル・ロドミーが、視線で本棚洞窟の奥を示す。先行偵察してこいということだ。

「俺が?」

 当然のように頷くドクトル・ロドミー。

 渋々といった空気を醸し出しながらトムが歩き出す。

 トムを待つ間、改めて辺りを見てみる。元々の建物の天井はおそらくもっと高いはずだ。その気になれば、本棚の一部を片付けて、本棚洞窟の外側に行けそうではある。とはいえ、洞窟そのものが崩れてしまう可能性は否めない。

 僅かに空いた本棚同士の隙間を覗くと、はっきりとは見えないけれど、蜘蛛の巣のようなものがあるように見える。虫型クリーチャーが潜んでいるのではなかろうか。あるいは、その虫型クリーチャーが、この本棚洞窟を築き上げたのかもしれない。

 そういえば、ひとつはっきりしておきたいことがあった。

「ドクトル・ロドミー?」

「なんだ?」

「前回もここを通ったんですか?」

「いや」

「えーと、それはつまり……」

「大丈夫だ。目的地には近づいている」

 やはり確信を持って進んでいたわけではなかったようだ。とはいえ、図書館から研究棟中心部への連絡通路があるはずなので、全く近づいていないというわけではない。

 以前読んだはずの学院の資料の記憶をぼんやりながら思い出す。この図書館は中庭からの入口と、旧研究棟からの入口があるはずで、僕らが入ってきたのが中庭側の出入り口、その反対側にあるであろう旧研究棟、つまり現研究棟中心部への連絡通路に続く出入口に至れば、かなり目的地へと近づくことができる。さすがに図書館の連絡通路を塞ぐような拡張を許す程、昔の魔術師も愚かではないはずだ。まぁ、入口から図書館までの距離がこんだけ長くなってしまうくらいには愚かなんだけど。

「はぁ」

 ため息が出る。

 ややもすると、そんな僕のげんなり感が伝染うつったかのような顔でトムが戻ってきた。

「多分危険はない。が、あれはなぁ……」

「何があった?」

「実際に見てみればいい」

 トムをまだ完全に信用したわけではなかったけれど、危険はないという言葉を信じて、トム、僕、ドクトル・ロドミーの順で本棚洞窟を進んでいく。洞窟はほぼ一本道で、奥にいくと少し広い空間があった。

 その空間の天井には、人ひとり通れるくらいの穴が空いていて、そこから図書館に元々備え付けられている照明装置からであろう光が差している。光の中心には、大型犬程の大きな甲虫が、本を抱えて椅子に腰掛けていた。器用にページを一枚ちぎっては、ムシャムシャと(実際にはカチカチと)食べている。この虫、シバンムシだ。

 シバンムシとは、本を食い荒らす、我々魔術師達の最大の敵である。学院の学生要綱でも、シバンムシを見かけたら、書籍に染みがつかないよう配慮しながら『必ず』潰すようにとの記載がある。

 そういった記載が出てくる背景には、魔術書グリモワがどういったものか、ということが関係してくる。

 魔術書グリモワは、単なる「魔術の方法が記載されている本」ではない。冒頭のページに魔術の起動コマンドが書かれ、それを唱えることで、その魔術書グリモワに記述された各種の魔術的操作を実行していくものも存在する。宗教関係では、聖典を織り込んだローラーを回すことで、その聖典の祈りの言葉を唱えたことにするマニ車というものがあるそうだけど、ある意味それに近い。

 どういったことが書かれているかというと、エネルギーをどこから確保し、どのようにそれを変換させ、どういった効果を発現させるのか、といった具合だ。

 場合によっては、いくつかの魔術書グリモワを重ねて、より複雑な術を行使することもある。

 ここで問題になってくるのが、書き間違いと虫食いだ。

 魔術書グリモワのコマンドは一言一句が厳密に定義されているため、そこに書き間違いや虫食いが発生すると、良くて何も起こらない、悪くて術の暴走という事態に陥る。これが、魔術研究が危険と言われる所以でもある。

 そういった間違いのことを、僕ら魔術師は虫食いにちなんで「バグ」と呼び、魔術書グリモワの校正を行うスタッフを、「デバッガー」と呼んでいる。

 で、目の前のシバンムシだ。

 完全に憶測でしかないけれど、魔術書グリモワを食らっているうちに、いくつかの偶然が重なって術がかかり巨大化した、ということなのだろうか。

 当のシバンムシは、今もレタスでも食べるかのように、本のページを租借している。

 恐る恐る近づいてみると、片手(?)で、待てのポーズをした。懸命に噛んでいるところを見ると、飲み込むまで待て、ということのようだ。

 こいつ、知能もあるのか。

 ややもすると、もしゃもしゃ食べていた紙を、ゴックンと嚥下する。

「あなたたちは、人間でしょうか」

「喋った!」

 悲鳴に近いドクトル・ロドミーの声。虫は苦手のようだ。ちょっと意外かも。

 喋ったとはいっても、音の発生源が口ではない気がする。多分セミやコウロギのように羽を摩擦させて音を出しているのだろう。器用というかなんというか。

「そう、ですけど」

「すごい! 本の通りですね!」

 六本ある手(?)足をワシワシと動かし喜ぶ。

 振り返ると、ドクトル・ロドミーとトムが、強張った顔で遠巻きに見ていた。

「……よく話しかけられるな」

「俺、あの脚の付け根のワシャワシャしてるとこがダメ……」

「言うなっ!!」

 ドクトル・ロドミーはともかくとして、あの猫も虫が苦手なのか。身体についているであろうノミはいいんだろうか。いやむしろ、ノミがいるからなのか。

 気を取り直して会話を続けることにする。

「あの、あなたは?」

「私の名前でしょうか? 決めていませんでしたが、ないと不便ですよね。『スィアリ』とでもお呼びください」

「はぁ。僕はルマリエと申しますが……シバンムシ、ですよね?」

「一定の形状や特性としては、シバンムシに該当します。もっとも、これ程の大きさのものや、喋る個体は資料にありませんでしたが」

「推察するに、偶然に魔術書グリモワが作動して、智恵をつけたといった感じですかね」

「おそらくは」

 普通の動物を使い魔にしたり、あるいは何か魔術師が原生生物から智恵を借りたいときに、生物に知的進化を促す術が存在する。術に必要なものとしては、その術が記載された魔術書グリモワの他に、例えば人間の頭髪、イチジクの実、何かの生物の脳等だ。

 かつて盗賊と魔術師が争ったこともあったわけで、人の死体の一つや二つ転がっていてもおかしくはない。つまり、術の構成要素マテリアルコンポーネントが揃ってしまっていた可能性は十分にある。

 次に問題になってくるのは、魔術書グリモワの魔術発動がいかにして行われたかだ。魔術書グリモワの起動コマンドは、実は発声によるものだけではなく、指で文字をなぞることで発動させるタイプも存在する。それは、魔術をたしなまない人の使用を想定したり、声を出せない状況での使用を考えてのことなのだけれども。当然暴発や盗難など、トラブルが相次ぐため、そういったものはめったに作られない。とはいえ、ここは研究棟の図書館。試作としてそういった魔術書グリモワを作ってしまった先輩魔術師がいて、そこをたまたま目の前にいるスィアリが辿ったと、そういうこと……なのかなぁ。

「こちらにいらしたということは、何か資料をお探しですか? キーワードを言っていただければお力になれるかもしれません」

「資料なんて、この辺には一冊も残ってないじゃないですか」

「私は、食べた本の内容を全部覚えておりますので」

 ムシできない発言だった。

「その……どうやって?」

「私の頭のあたりに、糸が見えますか?」

 スィアリの頭から天井の穴に向って、太い蜘蛛の糸のようなものが伸びている。

「これは?」

「おそらく、これが本の内容です」

 うーん……。これもあくまでも僕の憶測なのだけど、術が発動する際に、蜘蛛の要素が備わったのかもしれない。食べた紙の繊維が、排泄として糸になる際に、本に記載された情報を残したままとなっていて、且つスィアリの神経に繋がっているということだろうか。魔獣や合成獣(キメラ)の研究室が聞いたら、卒倒しそうな話だ。これを研究するだけで、研究室が一つできてしまう。

「もしかしてこれって大発見じゃないですか!?」

 ドクトル・ロドミーの方を見るが、本棚の陰からじっとこちらを見ているだけだった。よく見ると若干泣きそうでもある。何かを考えられる状況ではなさそうだ。先程自信満々にリドルを解いてた人物とは到底思えない。

「エリザベート研……いや、次元魔術トポロマンシーの研究室に行きたいんだけど、構内のマップとか、わかったりするかな?」

「少々お待ちください」

 多分、スィアリが意識を集中しているのだろう。ピタっと静止する。

 おもむろに、「ピーーーヒョロロロロロロビオンビオン」と謎の音を発したかと思うと、口から何か吐き出して、床面に絵が描かれていく。織物を織るかのように、長方形の絵を上から一列ずつ徐々に埋めていくという珍しい描き方だが。どうしてだろう、完成まで待つのが妙にじれったい。

「どうぞ」

 地図は若干古くて、図書館の外側の増設部分が小さいものだが、図書館から研究棟の中心のあたりはそれほど変わっていないはずなので役に立ちそうだ。

 バックパックから紙とペンを取り出し書き写していく。

「……美味しそうなものをお持ちですね」

 なるほどスィアリにとっては、この紙も食料に見えるのか。

「もしかして……図書館の本を全部食べ尽くしたの?」

「お恥ずかしながら、もうほとんど」

 甲虫が頭の後ろに手(?)をやって照れる姿を初めて見た。

 他の甲虫でそんなことをするヤツがいるのかは知らないけど。

 しかしこのまま彼(?)が、膨大な書籍の記録ごと飢え死にするのは、学院としても得策ではないだろう。

「食べるものを持ってこれるように、後で偉い人に話をしてみるよ」

「ありがとうございます。恩に着ます」

「あ、その代わりってわけじゃないけど、仲間が君のことをその……苦手みたいだから、通り抜ける間だけ、隠れてもらってもいいかな?」

「かしこまりました。皆さんの旅の安全と、虫が好きになることをお祈りしておきますね」

 うん、後者は難しいね。

 スィアリは羽を広げると、飛翔して天井の穴に入って行った。

 やはり穴の向こうは、蜘蛛の糸のようなものが大量にありそうだ。

 振り返る。

 毛が逆立っている黒猫と、身を縮こませ震えている女の子がいた。

 スィアリが羽を広げたときにビクッとなったまま固まっている。

「行きますよ?」

 もの凄く上を気にしながら、ぎこちなく歩き出す一人と一匹。

 パニックになってスィアリを攻撃したりしなかっただけ、よしとしたい。


 本棚通路の先には図書館の入り口より一回り小さな扉があり、その先が図書館から研究棟へ続く回廊となっているようだ。この辺りは、天井も高く通路も広い。

 ちなみにこちら側にはガーゴイルが鎮座していた。

「お前も大変だな」

 しみじみとトムが言ったけれど、それを聞いてか聞かずか、ガーゴイルは無反応を決め込んだ。入ろうとする人間に興味はあっても、出ていこうとする人間には興味がないのだろう。

 特に危険はなさそうなので、そのまま通り過ぎていく。後ろから襲ってくる気配もない。

 なんだか急にいろいろなクリーチャーと出くわすことになったけれど、この先大丈夫なのだろうか。

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