アリ塚ダンジョン

 アリ塚こと研究棟の入り口には、多分「ソフィア魔術学院研究棟」とでも書いてあったのであろう石碑が立っている。「多分」とつけたのは読めない程に風化しているからだ。

 魔術研究が危険なことは昔から広く知られている。だからこそ古来、魔術研究は塔を建てて行われていた。

 現代になり、魔術が身近なものになりつつあっても、その危険度合いはあまり変わっていない。

 そのため、このパストリア王国では、研究棟敷地外での魔術研究を原則禁止としている。

 結果、学院外の魔術師も、この敷地内で研究せざるを得なくなり、そのこともアリ塚化、ダンジョン化に拍車をかけた。

 改めて外観を見ると、なるほど一部の地域に生息するアリが作る、巨大なコロニーのように見える。集合体によって半無作為的に成長していった建造物という意味では、極めて近いものなのかもしれない。いや、むしろアリが建てた本家アリ塚の方が、建造物としては秩序立っている、ということになりそうだ。

 この現在の入り口も、おそらくかつては研究棟の敷地を囲む壁の門だったに違いない。開け放たれたままの大きな両開きの金属扉には、古くからの細かい傷や修繕の痕が刻まれている。

 見上げてみても天辺は遥か彼方。どんな城の尖塔よりも高いのではないだろうか。

 その天辺てっぺん部分には天文観測台と空中庭園があるらしい。何せ僕を含めほとんどの人は、この大きな建造物に入るとしても自分の所属している研究室くらいにしか行かないため、聞いた話というか噂話レベルなのだけれども。

 研究棟の敷地面積は、ちょっとした城よりも広く、小さな村くらいはあるだろうか。この圧倒されるような大きさは、『そびえ立つ』という表現がしっくりくるかもしれない。

 中がダンジョン化しているということは、当然真っ直ぐに中心部に続く道などない。今入って日暮れまでに到着できるんだろうか。

「行くぞ」

 僕の感慨かんがいなどお構いナシに、ドクトル・ロドミーがずんずん入っていく。

「はーい」

 バックパックを背負い直し、僕も小さな背中に続く。


 アリ塚の入り口付近。ここは先程見た外壁より作られた時代が新しい。敷地を囲む壁を背にしてバラックのようなものが積み重ねられるように建てられて形成されたからだ。

 土壁と石造りの廊下は奥に進んで行くにつれ、空気の停滞感と石の匂い、そしてひんやりと冷気を感じるようになる。

 入り口近くは光が刺すけれど、一つ角を曲がると、その先は真っ暗だ。

 こうした場所ではランタンを灯すのが定石なんだけど、光を灯せば当然目立つこととなる。何せこちらは魔術師二人。明かりが原因で不意を打たれると、致命的なことになりかねない。なので、光や熱の発生を極力抑えた照明器具が望ましい。

 この状況に対処するために用意したのが、まずベラドンナから抽出した目薬だ。これは副交感神経を抑制するもので、瞳孔を開く作用がある。

 点眼すると瞳の黒みが増し、僅かな光でも感じとれるようになる。しかし、この状態で強い光を見てしまうと、眩しさのあまり眩惑げんわくしてしまうので注意が必要だ。

 瞳孔を開いても、単に光を感じやすくなるだけなので、無光状態では何も見えない。僅かな光が必要となる。その僅かな光を灯すべく道具として用意したのがヤコウタケだ。

 一般的なヤコウタケは淡い灰色で、傘が手の爪大のキノコ。採取してから三日間くらいは淡い薄緑の光を発している。

 持ってきたのは品種改良されたヤコウタケ。これは菌類を扱う研究室で売られていて、蓄光量、そして発光量が多くなっている。この改良ヤコウタケを、鏡とレンズで光を増幅しフードで明かりを調整できる、ドクトル・ロドミーお手製のランタンに入れて使用する。

 また、靴には布を巻いて、足音が響かないようにしてある。

 どちらかというと探索というより潜入向けの装備のようにも思えるけれど、魔術師二人という構成でこのダンジョンに挑むには、ベストな選択だろう。

 ランタンを掲げると、薄緑がかった光が冷たく石造りの道を照らす。

 外気とは明らかに違う、静止した空気。そして吸い込まれそうな闇が眼前にある。

 二人分のかすかな衣擦れの音だけが聞こえ、それが却って静寂を感じさせる。同時に、一人ではない安心感も感じられた。

 この辺りはかつて盗賊が根城にしていたため、略奪品が入っていたと思われる木箱などが乱雑に積まれたままになっている。

 他には廃墟となった研究室や、そこを無理やり居住スペースにした形跡、そんなものがいくつか見かけられた。

 歩く。静かに。歩く。

 幸い何かに出くわすことは、ここまではない。もうかなりの距離を歩いていると思う。

 何も起こらない状況が続くと、つい慣れや油断というものが出てしまうもので、次第に緊張感も警戒心も薄らいでしまう。前傾で足音に注意を払い、曲がり角に来る度しばらく静止して様子を伺い、といった動作は、日常的な歩行の所作へとゆるやかに変わってしまった。何せ僕らはには慣れていない。

「盗賊の財宝の噂は知ってるか?」

 声量は抑えてあるものの、緊張感の薄れたドクトル・ロドミーの問いかけだった。

「ここを根城にしていた盗賊団の財宝が、アリ塚のどこかに隠されているって噂ですよね。研究費に困った研究室や、学費に困った学生が語る夢物語の」

 返ってきたのは大げさなため息。

「海賊くんは夢がないな。海賊なのに」

「本物じゃないですからね」

「名は体を表すと言うだろ」

「むしろ、体からつけられた名ですけどね」

 なんとも緊張感のないやり取りだ。

 それを見透かされたかのように、

「あっ!」

 ドクトル・ロドミーが何かに足をとられ、身体を反転させながら崩れ落ちる。

 気配に見上げると頭上に桶。

 今まさに中身をぶちまけようと大きく傾き始めている。

 咄嗟に覆い被さろうと跳ぶ。

 間に合えっ!

 頭を打たないよう、腕を彼女の頭に回す。

 二人が倒れたドサッという音と、キィキィと不快な金属の摩擦音。

 倒れこんだ際に腕に衝撃。

「っ!」

 桶の中身で傷を負うことを覚悟し、身を硬くして目を強く瞑る。

「……?」

 そのまま数秒待っても何かが降って来る様子はない。

 あれ?

 ……どうやら幸いにも、桶には何も入っていなかったようだ。

 これは典型的なトリップワイヤー。盗賊でない僕でも、その構造を知っている。トリップワイヤーとはつまり、通路にロープを張り、そのロープに引っかかることで罠を作動させるというものだ。

 ここに仕掛けられていたのは、滑車を使って頭上の桶に足元のロープを連動させ、つまづいた者に桶の中のもの、例えば強酸などを浴びせかけるという仕掛けだ。もし強酸が入っていたら、僕は今頃苦痛にのたうち回っていたことだろう。経年で揮発きはつしたのか、既に誰かが引っかかった後なのか、桶が空っぽで本当によかった。

 ふと我に返る。

 身体の下には全体的に柔らかい感触があり、石鹸のようないい香りが。

 ゆっくりと目を開けると、吐息が感じられる距離に、驚いた少女の顔があった。跳んだ際に振り落としたランタンは幸いにも割れなかったようで、薄緑色の光が幽かにこちらを照らす。

 こんなに近くで見たのは初めてで、なんというか、もうどうしたらいいかわからないくらいパニクってしまった。

 音が聞こえてしまうんじゃないかというくらい鼓動が高鳴る。

「あ、あのっ、怪我っ、大丈夫っ、ですかっ?」

 まずは安否を気遣うべきだと思った結果が、泣けるくらい片言だった。

 目の前の(文字通り目の前の)少女は、小さく二度頷いた。

「よ、よかった、です」

 トラップも不完全なもので、結果的に大騒ぎする程のものではなかったけれども。

「……苦しい」

「あっ、す、すみません」

 と慌てて飛び退く。

 ちらっと顔を伺うと、いつも通りのように見えた。 

迂闊うかつだったな」

「あいや、その……すみません」

 僕が責められてるのかと思ったが、そうではないらしい。頭を左右に振った。

「学内とはいえダンジョンだ。気をつけて進もう」

 ぎこちなく歩き出す。

「あの、ドクトル? 手と足が同時に出てます」

「そ、そうか」

 ああ見えて、ドクトル・ロドミーも、内心動揺しているようだ。

 何か急に二人で歩いていくことが照れくさく感じてくるし、不意に先程のことがフラッシュバックして、顔が赤くなる。

 あ゛ー!

 これがもっと明るい光のもとなら、赤面しているのがわかっただろう。幸か不幸か、お互いの顔は緑にしか見えなかった。


 比較的新しい土壁の通路は続いている。

 緊張感を取り戻した二人分の微かな衣擦れの音だけが耳に届く。

 ただ、警戒という意味での緊張に、別の緊張感も加わって、微妙にお互い距離が離れている。

 つまり、偶然指先が触れるだけで、ちょっと距離をとったりして妙な空気になる。

 お互い、こういうのはだ。

 そんな空気のままではあるけれど、だいぶ奥の方まで来たせいか、このダンジョンに巣食うモノであろう足音がするようになってきた。その度僕らは身を潜めて息を殺し、あるいは忍び足でその場を離れ、迂回することでやり過ごしていく。道はただ単に通路が続いているわけではなく、研究室の残骸やら盗賊の住処すみかの跡やらがあるため、隠れるところには事欠かない。

 迂回してきたせいか、同じところを何度か通っているように感じる。危険を回避できているならば、それもいたしかたないか。マッピングなど悠長にやっている暇もないし。

 ヤコウタケの放つ冷光が照らす壁面には、所々激しく争った痕があった。進むにつれて痕跡の激しさが増している気がする。今いる辺りは、おそらく以前盗賊掃討作戦が行われた際に、特に激しい戦場になったところなのだろう。

 時折、遠くでカラカラと乾いた音が聞こえてくる。何の音だろうか。

「海賊くん、死霊術の実習がどこで行われているか知ってるか?」

 通路の向こうから、ゆらりと現れたのは、一体のスケルトンだった。

「……そういうことですか」

「ひとつ講釈をたれよう。アンデッドで一番作りやすいのはゾンビだ。操作系の術を施し、防腐処理をすれば即完成。ただ、防腐処理をしたとしても、長い時間が経つと腐敗してしまうという欠点がある。そこで、例えば墓所の守護者など、長期の防衛任務用にと作られるのがスケルトンだ。骨の状態だからもちろん腐らない。ただ、筋肉の代わりに、骨同士を結びつけるストリングを取り付けなければならない。つまり、人体についてしっかりとした理解がなければ、まともに動くスケルトンは作れないというわけだ」

「勉強になります」

 死霊術ネクロマンシーは専攻していなかった。あれを受講している学生は、どこか変なヤツが多くて。今思えば、死霊術ネクロマンシー概論くらい、受講しておくべきだったのかもしれない。

 スケルトンに向かってヤコウタケの光をかざす。

 よく目をこらせば、骨同士が複数の糸のようなもので繋がっていることがなんとなくわかる。なるほどこれがスケルトンが動くためのストリングか。

「弱点はあるんですか?」

「肩甲骨の間、脊髄の辺りに命令を記憶させたコアがあるはずだ。それを壊せば動きが止まる。まぁもっとも……」

 聞くが早いか、ぎこちない動きのスケルトンの脇をダッシュで通り過ぎざま、肩の骨に手をかけ身体を翻し、いくつもの糸が集中している肩甲骨の間の一点に、持っていたダガーを突き立てる。

 プツプツと糸が切れる感覚と、力が抜けていくような感覚とが手に伝わってくる。

 崩れ落ちるように倒れるスケルトンが、倒れざまにカラカラと大きな音を立てた。

「……実習で作ったものに命令されているのは、『歩け』程度のことだがな」

 え、つまり、このスケルトンには危険がなかったということですか?

 あ、だから警戒せずに喋っていたのか……。

「先に言ってくださいよ」

 確かに、近づいても襲ってくる素振りは見せていなかった。

「海賊くんはその名の通り結構武闘派なんだな」

「武闘派……」

 ショックだ。

 そりゃ子供の頃、地元じゃ殴り合いの喧嘩をすることも多々あったし、この学院でも体術は積極的に学んだけど……。

 ともあれ、何かを解決するにあたって魔術を使うということの優先順位が低いのは、魔術師の端くれとして憂慮すべきことなのかもしれない。言い訳をさせてもらうと、それにも理由はあるのだけれど。

 武闘派というワードはひっかかったものの、再びいつものような会話ができたことに少しほっとしている。死霊術ネクロマンシーの研究室に感謝したいくらいだ。

 スケルトン作成実習の場所から先は、あまり盗賊達の痕跡はなく、廃棄された研究室と通路ばかりだった。

 廃棄された研究室では、孵化済みの卵の殻のようなものや、人が入れるくらい大きなガラス容器が割れているものなどをいくつか見かけた。それを見る度、身を潜めてやり過ごした足音の主の候補がいくつか脳裏に浮かび、もし遭遇していたらと思うと、ゾッとさせられるのだった。

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