不安の芽

 それは根のようであり、触手のようでもあり、どこか手のようでもあった。

 天井から地下空洞に一旦突き出て、更に地底の地面をえぐり、世界の外殻と思しき深さまで突き破っているように見えるは、確かに見る者を不吉な気分にさせる禍々しさがあった。

 形状としては幾束かの蔓が絡み合ってできているようにも見える。太さは、人間の大人五人くらいが手を広げて、やっと囲めるくらいだろうか。

 地底を突き破っている個所からは大きく亀裂が生じていて、なるほどこのままだと世界を割ってしまいそうな雰囲気を醸し出していた。

 ランタンを掲げたまま、唖然とつぶやく。

「何ですか、これは」

 答えを期待して投げかけた問いではなかったのだけれど。

「根っこ、あるいは、芽じゃな」

「え?」

 確信したようなルーフェス翁の言葉に驚く。これの正体を知っているということですか?

「かつて『イルミンスール』と呼ばれる世界樹があってな。この世界ザードは云わばその世界樹の『種』なのじゃよ」

 世界樹の種。

 世界樹が一つの世界であるように、種も小さいながら、世界を内包するということなのだろうか?

「でも、何故、皆さんその『種』の中に?」

「『イルミンスール』が朽ちたからじゃ」

「それって……」

 世界が一つ滅びたってことなのでは。

「ワシらノームはな、最初から妖精だったわけではない。生き延びるために、妖精にならざるを得なかったのじゃ」

「えっ」

 またまた衝撃的な話だった。

「おかしいとは思わんかったかの? 妖精のクセに、機械いじりが得意だなどということを」

 言われてみればそうかもしれない。工芸はドワーフやエルフといった妖精族もやるけれど、あの仕掛け時計のような機構のものはまずない。複雑な構造のものといっても、せいぜい楽器だとか、仕掛け棚とか、その程度のように思う。

「ワシらの祖先は『イルミンスール』を追われた際に、妖精界アルフヘイムに助けを求め、妖精化することで生き延びたのじゃ。そのときにもらったのが、例の歌、というわけじゃな」

「何故、妖精化を?」

「半幻想生物は、一部の環境制約から免れられる。ダンジョンの奥底に、ドラゴンが住んでいられるのと同じ理屈じゃ。生き延びるには、『人』のままでは難しかったのじゃよ」

 遠い目をしながら、昔話でも話すように言葉を紡ぐ。

 ちなみに、半幻想生物として、エルフは長命だし、ドワーフは地下の有毒ガスに対する耐性を有している。

「でも、この空間は僕らの住んでいるところとほとんど変わらないように思いますけれど」

「それはな、このザードの向かう先が、そなたたちの世界だからじゃ。近づくに連れ、環境が似てきた、ということになるかの」

「え!?」

「だからこそワシは簡単におぬしらの世界に移動できる。『時空の位相が近くないと、簡単には世界の移動など出来ぬ』と、ある魔術師も言っておったのぉ」

 つまり、以前この空間は、僕ら人間の生存が困難な環境で、それが次第にシェーナぼくらのせかいに近づいてきたことで変化していった、ということなのだろうか。ここにいるノームたちがどういった時間の流れのなかで、何世代このザードで暮らしているかはわからないけれど、彼らがいかにして今に至るのか、興味がわいてきた。

「近づいていると仰いましたけど、最終的にはどうなるんですか?」

「おぬしらの世界に融合し、わしらノームはあたかも元々その世界に生息していたかのようになっていくと、伝承にはある。種は長い長い年月をかけて、いつかまた、世界樹へと育つのだそうな」

 シェーナ《ぼくらのせかい》にも既にノーム達は存在している。(だから僕らは、ザードにいる彼らを「ノーム」と認識できているのだけれど)彼らが元々住んでいたのか、移り住んできたのか、はっきりとしたことはわかっていなかったと思う。もしかすると到着時期が違うだけで、イルミンスールおなじところから来訪しているのかもしれない。異種族を研究している研究室は、このことを知っているのだろうか。

「ならば、何も問題なさそうに思えるのですけど?」

「それはザードが正常な状態ならばな。おぬしも感じるじゃろう。あの死人しびとの指のような芽を。伝承にはない現象じゃ。ワシらはあれが、何か禍々しき力の干渉を受けておるのではないかと危惧しているというわけじゃ」

 なるほど、やはり最初に見たときの感覚は間違いではなく、異常をきたしているようだ。それに昨夜の夢やアザレアの言葉。地獄の大総裁アウナスが関係している可能性が高い。

「それを調査してなんとかして欲しいと?」

「うむ」

 うーん、小さいとはいえ、一つの世界だもんなぁ。なんとか、なるんだろうか? 思わず腕組みしてうなってしまう。

 例えばここで僕が手を引いたとしたら、陰謀から逃れられるんだろうか。いや、既に巻き込まれているんだったっけ。とはいえ、仮に手を引いたとしたら僕が失うであろうものは計り知れないわけだし。とにかく、やれることをやるだけだ。

「この根っこみたいなものを上に辿っていくと、どこに行くんですか?」

「ザードの中心、コアに続いておる」

「コア?」

「おぬしの世界でいう『太陽』のように輝いているあれじゃよ」

 なんと、この禍々しい根っこが、あの太陽に続いているとは。

「これを辿っていけば、コアに行けるんですか?」

「うむ。よじ登らなければならぬがな」

 太陽まで木登り……。

 中心部に行けたとして、暑いのだろうか。またそのときに重力はどちらの方向にはたらくのだろうか。そんなことがふと気になった。

 いずれはそこにも行くことに、なってしまうんだろうなぁ。

 まずは目の前の課題を片付けなければ。

 バックパックからキャメロンドを取り出す。

「お、それはトリプレットのものかの?」

 鉱夫の一人が興味深そうにキャメロンドを見る。

「よくご存知で」

 彼らもキャメロンドの設計に絡んでいるのかもしれない。

 このトリプレットレンズは、その名の通り三枚造りトリプレットになっており、凸、凹、凸の順にレンズを配した、単純な造りとなっている。

「このレンズはなぁ、レンズ同士を貼り合わせないから、造りやすくてなぁ」

 そう言って別の鉱夫が笑った。

 この前やっと、レンズ貼り合わせに樹脂を使うのが有効だということになったけれども、その貼り合わせには、気泡やちりが入らないようにとか、樹脂から生じた物質でレンズを曇らせないようにとか、とにかく注意をしなければならず、結構手間がかかる。

「中望遠で中心部から±30度以内に収めれば、F値も問題ないし、十分有能なレンズとして機能するぞい。まぁ、中心から大きく外れると、ぼやけたりしてしまうがの。そこはまぁ、味ってことで」

 簡単に言うと、造りやすく、光を取り込みやすいけれど、中心以外の映りはイマイチなレンズということになる。それでも、暗いところで少し遠くのものを捉えるという目的には適した一本だと言えよう。まー今回に関しては、対象の近くにまで寄れるので、広角のレンズの方がよかったのかもしれないけれど。

 余談だけれど、レンズの光の取り込みやすさを、僕らは『フォーカス値』、略して『F値』と呼んでいて、レンズの焦点ピントが合う距離を、レンズの効果面(光を捉えるのに使われる範囲)の直径で割った数で示している。なので、数値が小さい程光を多く取り込んで明るく見える。単純に言えば、レンズが大きければ大きい程、焦点ピントが近ければ近い程(つまり、見る対象そのものがレンズに近いということでもある)、多くの光を取り込めるということになる。

 ただしF値が低いと、その焦点に合った奥行き以外のものは、ぼやけてしまう傾向にある。全体をしっかりとおさえるためには、ある程度の数値が必要だ。

 焦点距離が短いと遠くにある像を捉えることができず、焦点距離が長いと、遠くはよく見えるものの、狭い範囲しか捉えることができない。望遠鏡は「焦点距離が長い」と言えば、イメージがしやすいだろうか。遠くの星を大きく見せても、自分の手のひらさえ全部映すことはできない。

 フォトン結晶の作成にあたっては、瞬きまでの時間も結晶の精度や明るさに関係してくる。明るいところであれば、文字通り一瞬で十分なフォトンを取り込めるけれど、暗いところでは同じ視線で静止した状態で、長めに瞳を開いていなければならない。もし瞳を開いている最中にキャメロンドが動いてしまうと、均質にフォトンを瞳にやきつけることができず、ぼやけた像になってしまう。この現象を僕らは「ブレ」と呼んでいる。

 そのブレを防ぐために考案されたのが「三脚」だ。これは、組み立て式の三本の脚と台座がついた棒で、台座は雲台うんだいといって、上下左右に動かせるようになっている。

 鉱道は暗いため、その三脚を組み立て、キャメロンドを固定した。

 さて、あとはノームの皆さんにご協力をいただかなければならない。

「ひとつお願いがありまして」

「なんじゃ?」

「実は僕、一人だと魔術が使えなくてですね、フォトン結晶生成の際のお手伝いをしていただきたいなと」

 ルーフェス翁をはじめ、ノーム鉱夫たちの頭上へ一斉に「?」が浮かび上がる。

 なかなかこの、「魔術師なのにひとりで魔術が使えない」ということを理解してもらうのは難しい。

「構わぬが、何をしたらいいんじゃ?」

「では、一人は『芽』に光を当てていただき、他の方はよろしければ手をつないで、一直線になっていただいていいですか?」

 みんな頭に「?」を浮かべたままだけれど、お願いした通りに動いてくれた。これで準備が整った。

 三脚に固定されたキャメロンドのオーブを覗き込み、最終的な画角を決める。

 画角が決まったら、例の激マズ液体オントウィッケラーを取り出し、鼻をつまんで舌になるべく触れないようにしながら一気に喉へと流し込む。

「おえっ」

 嘔吐えずきそうになりながら、なんとか飲み切った。

「それではいきます」

 一つなぎになったノーム達の端、ルーフェス翁の皺の寄った固い手を握り、オーブの中に見える「芽」を凝視する。

「Zeg Eens Kaas」

 詠唱。

 それをきっかけに、握った手にやや痺れるような感覚が集まりだす。

 一つなぎになったノームは、一番遠いところから、口々に「ひゃん」「おおっ」「ふぇい」など奇声があがるけれど、そちらを向くわけにもいかない。聞くところによると、僕が魔術回路を借りると、身体に痺れが走るんだそうな。

 そして、僕の手にも痺れるような感覚はやってくる。その感覚を右の瞳に集めていくと、次第に涙の粒が溢れ、流れ出る。

 流れ出た涙の粒は、すぐさま結晶化をはじめ、ややもすると黒みがかった半透明のフォトン結晶ができあがった。

 僕の手のひらにそれが落ちると、ノーム達はさっとそれをとりあげ、ランタンの光に透かし始めた。

「おお、よく撮れておるのぉ」

「俺にも見せろ」

「やはり外側は歪むなぁ」

 やいのやいのと感想を言い合っているようだけれど。

「あの、すみません、アングル変えてもう何度か撮りたいんですけど」

 お願いして、もう少し近いところで、表面がよくわかるもの、芽が突き出している天井、芽が突き破っている地面を撮影した。

「あのビリビリするのはなんとかならんもんかのぉ」

「すみません、体質なもんで」

 フォトン撮影はこんなものだろうか。フォトン結晶から得られるのは、基本的には視覚情報だけなので、もう少し詳しいところを調べる必要がある。

「あれって、例えば触ったりとかできたり?」

 試しに言ってみた。

「ちょっとひんやりしておるな」

「触ったことあるんですか!」

 ノーム達は顔を見合わせ始める。

“普通、触るよな?”

 完全にそう言いたげな顔。いやいや、触りませんて。

 芽の見た目の不気味さはさておき、差し迫った危険はなさそうなので、皆ですぐ近くまで行ってみることとなった。例えばどんな素材でできているのか等がわかれば、少しは役立つのではないかと思う。

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