第36章 交剣の果て

第154話 戦神と破壊神

 触れた瞬間にもう、これまでに感じたことのない重みがずしりと手に伝わった。

 劉飛の斬撃の迫力に、杜陽はたちまち気圧され、そんな自分に気付いて舌打ちをする。そして、それ以上気持ちで負けないように歯を食いしばる。劉飛の剣の振りは、どちらかと言うと大きくて粗い。ならば、そこには付け入る隙がありそうなのに、その隙は全く見つからなかった。

 そこから感じる、圧倒的な気迫のせいなのか。 認めたくはなかったが、剣を交わす度に、僅かではあるが、いちいち心が怯むのだ。そのせいで、体の反応する速度が、微妙に思考から遅れる。


……機が掴めない……剣の技量以前に、気持ちで負けている。そういうことなのか……


 杜陽は劉飛の激しい剣戟を受けながら、顔を歪める。

 周藍も強かったが、劉飛の剣を受けた後で思い返せば、あれは戦の為の剣ではなかった。互いに呼吸を合わせながら剣を交わし合う。どちらかと言えば剣舞に近い。その一撃一撃が、確実に相手の命を奪う為に繰り出される劉飛の剣は、それとは全くの別物だった。


「ほら、脇が甘くなってるぞ」

 煽るようにそう言われた瞬間に、頬に剣圧を感じた。身の危険を感じて、上半身をよじり、手綱を引いて間合いを取り直す。

「お前さ、今までに、何人殺したよ?」

 そんな杜陽を揶揄するように、劉飛が問うた。

「……?」

「俺は、もう数え切れねえぐらい、殺してんだよ。だから、そんな血の匂いのしない剣なんか、怖くはないんだ」

 自分の怯みを見透かされたことに、杜陽は動揺する。


 相手を斬り伏せて……叩きのめして……傷を負わせて……。子供の頃から無茶なことは散々とやってきた。それでも、相手の命を奪うことまではしたことがなかった。河南領官の子息という、その肩書きが、彼に最後の一線を越えさせることを許さなかったのだ。

 ずっと戦と共に生きて来た劉飛と、平和な時代に生きていた杜陽。その背負った時代の背景に、歴然とした差があるのだろう。


……経験の差だって……言いやがるのか……


「っ……くしょう」

 煽られた感情のままに、剣を振るう。交わった剣は軋む音を鳴らしながら、互いに刃を食い合っている。そこに渾身の力を込め、圧し掛かる様に体を被せてやると、思いがけず均衡が崩れて、劉飛が僅かに後方に下がった。

「……んのやろうっ」

 更に全身から力をかき集めて、剣を押し込んで行く。

「たく、馬鹿力が……」

 劉飛が僅かに笑った気配がして、ふっとそこにあった圧力が消えた。杜陽は思わず体勢を崩し、馬首にしがみつくような格好になる。


……このままでは、埒があかない……

 相手が誰であろうと、どんなに差があろうと、これは負ける訳にはいかない戦い。

……絶対に負けたくない……


 そんな強い思いに、体の奥から熱いものが湧きあがってくる。杜陽の体が、淡く深紅の光を纏った。その光が、握る剣をも紅に染めた。まるで、血を吸ったような色に染まった剣に、劉飛は眉を顰める。

「だぁあっ」

 杜陽の剣が、劉飛目掛けて振り下ろされた。鋭い金属音と共に、これまでいちいち絡め取られていた剣を、容易に弾き返す。その力は、尚も、泉のように湧き上がって来る。


……これならば、行けるか……


 杜陽は手綱を引き、再び間合いを取って劉飛を見る。その顔からは、表情が消えていた。先刻まで見えていた余裕のようなものが感じられず、そこに先刻以上に恐ろしい気迫を感じる。 と、劉飛の体から、橙色の光が噴き出し、その身を押し包んだ。


……今度こそ、本気なのた。

 瞬間、そんなことを思い、だが、躊躇いもせずに、杜陽は鐙を蹴った。



 ぶつかり、交わり、払い、又、ぶつかる。

 先刻とは比べ物にならない速さに翻弄された。息を付く間もない程の速さだ。思考はもはや、用を成さなかった。ただ、本能のままに体が動く……動かす。そうでなければ、劉飛の剣を受け切れない。強い。これが、不敗と言われた戦神の技か。だが……。


……こちらだって、破壊神だ……


 立ち塞がるものは全て薙ぎ倒す。俺にはその力がある。全身の力を剣先に集めて、杜陽は剣を振り下ろした。


 が ――

 その一撃は、空を切った。


「っ……」

 驚愕が僅かに声を漏らした。

 刹那、体に衝撃を受けて、杜陽は馬上から叩き落とされた。

 空の青と草の緑が回る。

 全身を駆け巡る痛みに、何が起こったのか分からないまま、正気に戻った時には、その身は草地に仰向けに倒れていた。


 差し掛かる陽の光の眩しさに、思わず目を細める。そこに、カサリと耳元に草を踏む音がした。銀色に輝く刃が、目の前に差し出された。


……負けた……のか……俺は……

 未だその事実が、信じられない。

……こんな所で……死ぬ……のか……


 見上げた劉飛の顔は、陽の光に邪魔されて良く見えなかった。ただ、銀色の光が長い尾を引きながら輝き、優美な弧を描いて目の前に落ちて来るのを、ぼんやりと見ていた。ほんの僅かな間のことだろうに、その動きがやけにゆっくりと感じられた。


……俺……殺されるんだな……親父に……


 他の誰でもなく、それが実の父親なら仕方がないのかもしれない。心には、そんな諦めの思いが広がっていた。

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