第155話 果たされた誓い

 不意に、目の覚めるような金属音が耳を突き、眼前に小さな火花が散って、杜陽の意識をはっきりとした現実に引き戻した。

「お待ち下さいっ」

 そう言ったのは、周藍の声だった。杜陽が痛みを堪えて身を起こすと、周藍が片膝を付き、劉飛の振り下ろした剣を受け止めていた。


「……どうかここは……剣をお引き下さい」

 未だ橙色の光を纏ったままの劉飛に、周藍の声が懇願する。だが、彼を見下ろす劉飛の目は冷ややかだった。

「だから、この期に及んで、情だとか、絆だとか、そういう甘っちょろいもんを持ち出すのは止めろと言っている。最初に言ったよな。俺の邪魔をする奴は、誰であろうと容赦はしないって」

「劉飛様……」

「自分だけが例外だと思うか?思いあがるなっ」

 劉飛が勢いよく剣を横に薙ぎ払った。それをまともに受けた周藍は草地に転がされる。すぐに体勢を整えて劉飛と対峙するものの、あの周藍が、という程にあっけなく、その剣に嬲られる。やがてその勢いを受け切れずに、周藍は息を切らして片膝を付いた。

 劉飛の剣が煌めいて、周藍の体を完全に捉えた。

「……やめっ」

 杜陽は上手く動かない体を引き摺って、そちらへ手を伸ばす。


……周藍は関係ない……これは俺と奴との戦いなのに……他の誰かが、その犠牲になることなどない……


 そう思いながらも、今の杜陽には成す術がない。なぜ、赤星王は力を貸してくれないのか。全てを焼き尽くす程の業火を、何故、自分に与えては下さらないのか。

「……誰か……奴を止めろ……」

 どこか縋るように吐き出された言葉を受け止めてくれたのは、蒼き光の宿主だった。



 周藍を斬り伏せようとしていた劉飛の剣を、今度は劉朋が止めた。その体にはすでに、劉飛と同じく、星王の蒼き光を纏っていた。

 劉飛は、自分と周藍の間に割って入った劉朋に、心外だという表情を浮かべた。

「……お前、こいつのことを憎んでいるんじゃなかったっけ?」

「確かに、そうですがっ」

 劉朋に剣を払われて、体勢を整える為にか、劉飛は彼らから少し距離を置く。

「別に、この人がどうなろうと、私は構わない。だけど、この人がどうにかなったら、私の大切な人が悲しむことになるから……」

 劉朋が向けた視線の先を確認する様に見て、劉飛が苦笑する。

「成程ね。育ての親への恩義よりも、お母上の方が大事か。道理だ」

「ご恩は忘れていません。ですから、出来れば、ここは引いて頂けませんか」

「あのな。こっちも遊び半分で来てる訳じゃないんだ。命を掛けて来てる。分かるか?その意味が」

「分かりませんよ」

「……たく。融通の利かない所は変わっていないな。親子揃って、甘いんだよ、お前らはっ」

 劉飛が容赦のない斬撃を、今度は劉朋に浴びせかける。

「久しぶりに、見てみたいから、出して見せろよ、蒼雷」

 煽るように、橙色の光が強さを増す。劉朋は顔を歪めて、その攻撃を受け、かわす。だが、そこから有効な攻撃に転じられないのは、これまでに受けた恩義が、心のどこかに枷をはめているからなのか。殺す気で行かなければ、勝てない。だが、出来れば殺さずに済ませたい。そんな心の脆弱さに鈍った剣先では、到底、劉飛を捉えることは出来なかった。


 猛烈な突きが来た。それを交わし損ね、劉朋は脇腹を押さえる。

 手にぬるりとした血の感触を感じた。無意識に、呼吸が荒くなって行く。

 それでも、劉飛の手は緩まない。次第に動きが鈍くなって行く劉朋に、その剣は容赦なく襲いかかる。今や、完全に劉朋の動きを捉えた剣は、その急所に狙いを定めていた。


……やられる……


 この間合いでは、避けきれない。

「劉朋様っ」

 その心臓に向かって突き出された剣は、猩葉の肩を貫いて、劉朋の体の寸前で止まった。

「次々と」

 忌々しそうに劉飛が吐き捨てる様に言い、猩葉の体から勢いよく剣を引き抜いた。

「猩葉っ!」

 肩から噴き出す血を押さえながら、それでも猩葉は、劉朋を守るように、そこに立っていた。

「……ご無事、ですか。劉朋……様」

「何やってんだよ、お前はっ。お前に守って貰わなくったって、俺は……」

 蒼星王に守られているのだ。どんなに傷を負ったって、容易には死なない。


……それなのに、こいつはっ……


 猩葉の無茶な行動に、劉朋は動揺を隠せない。

「星王同士で遣り合っている所に割り込んで来るなんて、お前、正気かっ。いいからっ、下がっていろ……」



―― 風が鳴った。


 肩ごしに振り向いた猩葉は、少し決まりが悪そうに笑っていた。

 たった今、自分の目の前で。

 その体が、白い光の刃に捉えられて、宙を舞った。


……なん……だ……今の……



 そこにはもう、猩葉の姿はなかった。

 ドサリと、少し離れた場所で重たい音がした。反射的にそちらに目が向く。彼はそこに伏していた。

「黒鶯っ、行ったぞっ」

 劉飛の声がして、猩葉の傍らに、八卦の方位陣が浮かび上がった。その中から、黒鶯が姿を見せた。言い知れぬ不安に突き動かされて、劉朋はふらつく体で、そちらに足を踏み出す。

 黒鶯が、倒れている猩葉に八卦の術を仕掛けるのが見えた。猩葉の体が、それに抗うように、体を仰け反らせて痙攣した。


……何を……しているんだ。黒鶯は……

 そんな光景に、よろめきながらも劉朋の足は次第に早くなる。

……黒鶯を止めなければ……


 その一心で、痛みも忘れて駆け出す劉朋の目の前で、黒鶯はその手を猩葉の体に深く沈めて行く。猩葉の、断末魔ともいうべき声がそこに響いた。

「止めろ黒鶯っ!」

 劉朋が黒鶯に掴みかかった時には、黒鶯の手には、猩葉の体から抜き出したひと振りの剣が握られていた。どくどくと、猩葉の体からは血が流れ出している。それを見て、劉朋は我を失った。

「お前一体、何をした?答えろ黒鶯っ」

 力任せに、その首を締め上げる。

「……お前には……関係ない……」

「ふざけるなっ。関係ない訳ないだろうっ」


 黒鶯の目に、剣呑な光が宿り、自分を掴み上げている劉朋の手を勢いよく振り払った。

「黙れよ。世界を変える力を与えられていたくせに、何もせずに、見ていただけの奴が。ぐだぐだ言う資格なんかあると思うのか」

 そう言い捨てると、黒鶯は大きく振りかぶり、猩葉から取り出した剣を劉飛に向かって投げた。

 その剣が劉飛の手に収まったのを見て初めて、劉朋はそれが何であり、彼らがそれを何の為に使おうとしているのかを悟った。


「……九星王剣……全ては、この為か……」

 劉朋は気が抜けた様に、猩葉の傍らに両手を付き座り込む。今の杜陽では、あの剣から逃れることは出来ないだろう。


 これで、雌雄が決するというのか。

 こんな形で ――


 その成り行きに、彼は、ただただ、呆然とすることしか出来ない。

「劉朋……さ……ま……」

 吐息の様な猩葉の声を聞き止めて、劉朋は現実に引き戻される。これが現実なのだ。どこか信じられない思いを抱きながら、劉朋は血に染まった猩葉の体を、そっと抱き起こした。

「ご……無事……ですね……」

「馬鹿が……お前は、人の心配などしている時ではなかろう……」

 劉朋がそう言うと、猩葉が満足げに微笑んだ。

「よかっ……た……」

「猩……っ」

 その守者は、微笑んだまま逝った。



 それでお前は、幸せだったのか。

 そんな人生で良かったのか。

 私なんかの為に宿命に縛り付けられて。

 どうして他の道を選ばなかったのだ。



 次々と心に浮かぶそんな問いに、心が締め上げられる。

「うわああぁぁぁっ」

 遣り切れない思いが、劉朋の口から絶叫となってほとばしった。

 黒鶯の言う通りだ。自分は何もせずに見ていただけで、色々なことに、本気で向き合って来なかった。その結果がこれなのだ。


……私の弱さが、猩葉を殺してしまった……


 申し訳なさを詫びるように、その体を抱く腕に力を込めた。そして、込み上げる悲しみを、ぐっと堪える。

「……済まない、猩葉。私にはまだ、やらなければならない事が残っている」

 猩葉をそこにそっと横たえると、劉朋は立ち上がった。

「ここで待っていてくれ……すぐに戻る」

 そう言い残し、劉朋は劉飛の元へと向かう。だが、そんな彼の行く手に黒鶯が立ちはだかった。

「そこをどけ」

 自分を睨みつけて、そう言った劉朋に、黒鶯は首を横に振った。

「決着はすぐに付く。今更、お前の手出しは無用だ」

「どけと言っているっ」

 感情も露わに怒鳴り声を上げた劉朋の体から、意識しないままに蒼い雷光が生じた。


……なっ……


 劉朋がそれを御する間もなく、蒼雷は激しく四方に光の刃を伸ばす。そして、その一つが容赦なく黒鶯の体を貫いた。

 何が起こったのか理解できないでいる劉朋に、黒鶯は口元に皮肉を帯びた笑みを浮かべて言った。

「……何だよ……遅せえよ。その本気、もっと早くに見せろっての……」

「黒……鶯」

 黒鶯は、体を仰け反らせて仰向けに倒れ、それきり動かなくなった。

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