第156話 瑠璃色の光

 自分は何をしたのか。理解する暇もなく、同じ蒼雷が空を切って劉飛の元へと飛ぶ。止めようもなく、次々と。大地の上を蒼い雷が走る……。しかし、それは所詮、九星王剣を手にした劉飛に対し、有効な攻撃とはならなかった。蒼雷は、その宝剣によって、ことごとく払われる。それには、星王の力を吸収する力があるのだ。最早、星王の力を使った攻撃は用を成さない。

 それでも劉朋は、剣を握り劉飛に向かって行った。自分が今すべきことは、杜陽に対する忠義を果たすことなのだと、そう信じて。


……杜陽を、殺らせる訳にはいかない……


 そんな思いを胸に、渾身の力を込めて斬りかかった剣は、しかし、呆気なく捉えられ、簡単に薙ぎ払われた。その威力に投げ飛ばされて、劉朋は地面に体を叩きつけられた。

「……っ」

 痛みを堪えて身を起こす。九星王剣を手にした相手には、取り付く島もないといのか。


……何か、何か手立てはないのか……杜陽を救う……


 絶望的な焦燥感に駆られる。有効な手立ては何ひとつ浮かんでこない。それでも、諦める訳にはいかなかった。劉朋は、よろめきながらも、又、立ち上がる。

 しかし、そんな彼の目の前で、劉飛は悠然と九星王剣を杜陽の体に突き立てた。

 杜陽の苦痛に耐える声が耳を突く。


……どうしてこんな事に……


 心を押し潰しにかかる絶望を懸命に退けながら、声を限りに彼の人の名を叫ぶ。

「杜陽っ……こんな所でっ、終わっていいのか、お前はぁっ!」


―― その声に応えるように。


 杜陽の体に紅炎が揺らめいて、宝剣を絡め取った。女神の炎は、杜陽を刺し貫いた刃を勢いよく這い上がり、その剣を持つ劉飛の腕を這い上がり、たちまちその体を炎で押し包んだ。

 紅炎の中で、身を焼かれる苦痛に顔を歪めながら、劉飛が膝を付く。その体を鎧のように守り包んでいた橙色の光も、紅炎のすざまじい勢いに飲み込まれていく。それでも、劉飛は杜陽を刺し貫いた剣を離さなかった。柄を握ったまま、剣にその身を預ける様にして、じっと耐えている。そして ――


 九星王剣が、紅炎を吸い込んでいく。その炎は次第に力を弱め、やがて完全に消滅した。

 事そこに至ってようやく、劉飛は握っていた剣を離し、その場に倒れ込むと、仰向けになって大きく息を吐き出した。

 炎を完全に制した剣の柄には、深紅の封神球が輝いていた。




 劉朋は、杜陽に駆け寄ると、体に刺さったままの九星王剣を引き抜いた。剣を抜かれた痛みに、微かに杜陽が呻き声を上げた。

「……ご無事ですか?杜陽様」

 返事はなかったが、息があるのは確認出来た。

「奏様っ……」

 劉朋に呼ばれて、この成り行きを見ていた奏が、こちらに走り寄って来る。

「杜陽様の傷の手当てを、お願いします」

 劉朋が言うと、奏は黙って頷いた。助かるのかどうかは分からない。ただ一つ確かなことは、杜陽はすでに赤星王という存在を失ったということだ。

 手に握った剣の柄に光る紅い封神球を見て、劉朋は思う。


……ならば……


 剣を手に、劉朋は劉飛の傍らに行き、全身が煤けて黒くなっている劉飛を、無表情のまま見下ろす。


……今ここで、同じように橙星王を封じ、私が劉飛様に止めを刺せば、全ての決着が付く……


 星王の力を有し、九星王剣を手にしている自分こそが、最も覇王に近い者になる。そうして、この世界の支配権を手に入れる。もう、こんな馬鹿げた争いなど起こさずに済むように。それが、力を与えられた者の進むべき道……。


……お前には、この帝国を背負っていくだけの覚悟があるのか、と、そう聞いている……

 幼い日に、この者から言われた言葉を思い出した。


「……覚悟、致しました。義父上」

 劉朋の声に、劉飛がうっすらと目を開く。自分に刃を突き立てようとしている劉朋を一瞥して、ふと笑みを漏らし、全てを悟ったように目を閉じた。


……覚悟をしたのだ。自分は。世界を背負う覚悟を……


 そう言い聞かせても、どこかにそれを飲み込み切れない心があるのか、振り上げた剣を下ろす事に未だ躊躇いを感じる。気持ちを切り替える為に、軽く頭を振り、剣を握り直す。大きく息を吸い、息を止めた。


 が、そこで剣を持つ手をいきなり横から掴まれた。

「止めろ。お前には無理だ」

 周藍の声がそう言った。

「……無理?」

 何が無理だと言うのだ。自分だって星王に選ばれた人間だ。資格はあるのだろうに。

「離せっ」

 周藍の手を振り払い、劉朋は剣先をそちらに向けた。

「馬鹿な真似は止めろ。お前が本当に望んでいるのは、そんなことではないだろう」

 諭すような周藍の言い方が、思いの外、癇に障った。

「……今更」


 今更、なぜ、この期に及んで。

 この男は、父親面などするのだ。

 奏を不幸にした人間の分際で。


 そう思った途端に、感情が押さえ様もなく乱れて行く。自分が何をしたいのか。何をすべきなのか。何かをしなければならないという焦りばかりが立って、何も分からなくなる。


……だって、何かをしなければいけないから、私はこの力を与えられたのだろう。私が何もしなかったから、猩葉は命を落としたのではないのか……


「うああぁっ」

 焦燥感に捉えられた息苦しさから逃れるように、劉朋は構えた剣を振りおろしていた。

 周藍は動かなかった。それが運命だと言うのなら、受け止める。まるでそんな風に。ただ、劉朋の振り下ろす剣を見据えていた。


……そんな全てを悟り澄ましたような目で、私を見るなっ……頼むから……


 今更、父親なんて、いらないのに……。抑え切れない感情のままに、劉朋は渾身の力を込めて剣を下ろした。手に重い手応えを感じた。




 周藍が驚愕に目を見開いて、彼らの前に立っていた。

 その瞳の中に、劉朋は自分を抱く人の影を見た。

 自分が剣を突き立てた人の影を……。




「奏っ」

 絶叫した周藍の声に、それが誰であったのかを劉朋は知った。


……私は、何をした……


 握った剣から伝わる重みに、信じられない思いを抱く。自分を抱き締めた腕から、ふっと力が抜けた。そして滑り落ちて行く奏の体を、劉朋は必死に抱き止めた。

「……奏様……どうして。こんなこと……」

 問い掛けた劉朋に、奏は弱々しく微笑んだ。

「……こんなことを……しては……だめ」

 母が子を諭すように言われた。

「ならば、私は……どう……すればいいのですか……」

 涙で声が途切れた。それが哀しみゆえなのか、取り返しのないことをしたという怖れゆえなのか分からない。嵐のような感情に飲み込まれそうになりながらも、劉朋は、苦しそうに顔を歪め目を閉じた奏の体を、そっと地面に横たえた。

 その傍らに、悲痛な面持ちをした周藍が寄り添った。そんな様を、劉朋はどこか別の世界の出来事のようにぼんやりと見ていた。




 浅い呼吸を繰り返しながら、奏が何かを探すように手を伸ばした。その手を、すかさず周藍が捉えて、その胸に抱く。

 彼の肩は小さく震えていた。泣いているのだと思った。


……死ぬのか、奏は……

 劉朋はぼんやりとそう思う。


 一旦、大きく息を吐いて、何かを伝えるように、奏が口を動かす。奏は掠れた声を絞り出すようにして、言葉を紡いだ。

「……何……でも……一人で抱え込んで……本当に、仕様がない人たち……あなたたち、二人とも……」

 その言葉に、弾かれたように周藍が顔を上げた。

「……華梨……なのか?記憶が……」


 華梨、と。

 そう呼ばれて、奏が笑って頷いた。


「……ごめんね。あなたとはもう、逢っちゃいけないと思ってたから……本当のこと、言えなくて……」

 奏がそこで苦しそうに、又、大きく息を吐き出した。

「劉朋……」

 名を呼ばれて、躊躇いがちに俯いていた顔を上げる。それでも、取り返しの付かないことをしたという罪への怖れから、奏の側に近寄ることは出来なかった。

「……あなたは、何も悪くないのだから……顔を上げていなさい……正しい道を進むことができるように、真っすぐに前を向いて……これから先、ずっと。……大丈夫、あなたなら出来るから。 だって、あなたは私達の自慢の息子……」

「母上……」

 そう呼ばれた奏は、どこかくすぐったいような嬉しそうな顔をした。

「ありがとう。劉朋……」

 奏の意識が遠退いて、言葉が途切れた。


「華梨……?華梨っ」

 周藍が失われつつある命を引き止めようと、懸命に呼び掛ける。それで、気力を与えられたように、少し間があって、奏が薄っすらと目を開けた。

「…………ねえ……周翼。そこに、いるの?……」

「ああ……」

「……もっと、そばに、来て……」

 奏が、自分の手を掴んでいる周藍の手を、自分の方へ引き寄せる。

「……周翼」

 何かをねだるように、華梨がその名を呼んだ。周翼は何も言わずに、その体を抱き寄せると、そっと唇を重ねた。互いの気持ちを交換するように交わされた口づけの後で、華梨は幸せそうな吐息を漏らした。

「好き……私、今でもやっぱり、こんなに……あなたが好き……大好きよ……周翼……」

「華梨っ」

「これからもきっと……ずっと……大好き……ありが……と……」

 声が途切れ、その体から瑠璃色の閃光が四方にほとばしった。その蒼い光に溶けていくように、その体が周翼の腕の中から失われていく。


 ほんの小さな、小さな瑠璃の珠だけが、その手の中に残っていた。

 それを愛おしむように、周藍は身を縮めて、しばし、その蒼玉を胸に抱いていた。

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