第31章 五王登極

第132話 女神の記憶

 緑の木立を抜けて、視界の開けた場所に来ると、切り立った崖の中腹に、大きく岩の突き出した所に建つ天動宮が見えた。

 そこは、東天の守護者である蒼星王の住まう宮だ。

 久方ぶりにその顔を見られる事が嬉しくて、赤星王はその場所から、宮までの距離を一気に飛び越した。


「おるか?蒼星王っ」

 だが、来訪を告げた赤星王に、応対に出た小者は、

「蒼星王様は、先程、中天界へお下りになられました」

 などと言う。

「中天界……よもや、天明宮ではあるまいな?」

 すかさず問うた赤星王の声が不穏な響きを帯びた事に気づかず、小者はそのまま、

「ええ。その天明宮へ」

 と答えた。

 その刹那、もの凄い勢いで赤星王が踵を返し、そこに火焔混じりの風を巻き起こした。その風圧に、かわいそうにその小者は軽い火傷を負い、半べそを掻きながら、火司の女神を見送る羽目になった。


「これで、何度めじゃ」

 苛々しながら、赤星王は感情を露わにした言葉を吐き出す。この所、立て続けに手合わせの約束をすっぽかされている。

 それもこれも、蒼星王が暇さえあれば、天明宮へ出掛けてしまうからだ。

 その理由も分かっている。『天動の瑠璃』という蒼玉の存在のせいだ。

 赤星王は苛つく心を抱えながら、天動宮の前庭を駆け抜け、その先の崖から勢いよく身を躍らせる。そしてそのまま、遥か下方に見える中天界目掛けて飛んだ。



 中天界の天明宮にいる白星王は、星……即ち、人の運命を司る。日々移ろい行く数多の運命を知る為には、日々、数多の星を読まなくてはならない。 しかし、いかに星司の星王といえど、それらを全て一人で行うのは大変困難な事だった。 それ故、白星王は、その星読みを補佐する存在として、『かなで』と呼ばれる巫女たちを数多く天明宮に置いていた。

 その巫女の多くは、地上から招聘しょうへいされた者たちだった。地上において、これはと思う傑出した星読みの才を持つ人間を、中天界へ招聘するのである。


 此度もまた、白星王は新たな奏候補を見つけたらしく、現在、天明宮でその魂の器となる『ぎょく』を生成している。 その候補者の守護星が天動星だというので、蒼星王が呼び出されて、蒼玉を創る為の力を貸した。

 その蒼玉が、まだ地上にいる奏の魂と連動し始めた頃から、えも言われぬ美しい輝きを放つ様になった。それは、その奏の能力がずば抜けて素晴らしいという事を示しており、白星王も、その奏の招聘を大いに楽しみにしていると聞く。


 ……そう。

 その輝きに魅せられて。


 蒼星王は天明宮へ足繁く通う様になったのだ。

 その蒼玉の光を眺めていると、何とも言えぬ穏やかな思いに包まれるのだと言う。仕舞いには、それに『天動の瑠璃』という名まで付けて呼ぶ執心ぶりだ。それらの事全てが、赤星王には気に入らない。

 自分と剣を交えて、あれ程までに、わが身と一体になる事が出来る技量と戦闘的な荒々しい気を持っているというのに。それが心の平穏を求めるとは何事かと思う。 自分の他に、蒼星王の心を惹く存在がある事が許せなかった。ましてや、自分よりも、そちらを優先させるなど、言語道断だった。

「……絶対に、許さぬ」

 怒りに満ちた気に、気流を孕んでなびく緋色の髪が熱を帯びる。その熱はやがて炎を生じさせながら全身を包み込んでいった。




……あつ……い……


 体中が熱を帯びて、息苦しさに杜陽は身をよじった。ぼんやりと覚醒して、初めに感じたのは、全身から噴き出した汗が着衣を濡らし、それが体に纏わりついている不快感だった。口の中は渇ききっており、息をする度に、喉の奥がひりついて、呼吸もままならない。息苦しさに喘ぎながら、浅い息を繰り返していると、額の汗を冷たく湿った布がそっと拭っていった。同時に、そこから覚えのある気が体に送り込まれた様な気がした。その気が熱を少しだけ取り去った様に感じると呼吸が楽になった。そこでようやく、杜陽は目を開ける事が出来た。


 目の前に、思った通りの者がいて、杜陽は思わず笑みを浮かべた。

「……」

 自分の顔を見て、そんな顔をした杜陽に、劉朋の方は実に複雑そうな顔をした。

「目が、覚めたか?……具合は?」

「……まあ、良いとは言えないな」

 そう答えて、杜陽の視線は辺りを見回す。そこは、河南の杜家の屋敷だった。

「俺、何でこんな所にいるんだ?」

 岐山で皇騎兵軍と対峙していた筈の自分が、気が付けば、河南の自室に寝かされている。その間の記憶が無かった。

「急な病で倒れたのだと、私はそう聞いているが」

「病か……それは又、不甲斐無い事だな」

 杜陽が力なく吐息を漏らす。

「戦はどうなった?」

「……終わった。華煌は滅んだ」

「そう、か」

 華煌という国は、もう無くなったのか。何もしないうちから、倒すべきものが無くなったと聞いて、杜陽は言い様のない欠落感を覚えた。

「そう言えば、お前。俺の副官になるのが嫌だって言ったせいで、牢に放り込まれていたんじゃなかったか?」

 杜陽が揶揄する様に言うと、劉朋が軽く溜息を漏らした。

「お前の看病をしろと言われた。そうすれば、牢から出してやるとな」

「何でお前?男が男の看病って、気色悪くねえ?」

「文句なら、お前の兄に言え。私だって好きで来た訳じゃない」

「琳鈴先生はどうしたんだよ?」

「口が利ける様になったんなら、看病は代わってもらう事にするよ。その先生とやらに」

 言って劉朋が腰を浮かす。

「なあ……」

「何だ?」

「お前の中にも、何かいんのか?」

 そう問われて、劉朋は思わず杜陽の顔を見返す。この場合、どう返すべきなのか。そんな惑いから、劉朋は言葉に詰まる。

「……そっか。いるのか」

「お前、記憶……どこまで……」

 杜陽は、どこまで覚醒しているのか。先程のやり取りから察するに、自分が華煌京を吹き飛ばした事は覚えていないらしいが……

「さっき、夢を見てた。火の女神の……多分、あれが俺の中にいる奴なんだろうなって……」

「……」

「とすると、お前の中にいるのが、蒼星王、だろ?」

 杜陽が宣言する様に劉朋を指差した。

「……どう……して……」

 そう問い返す声が、思い切り動揺を含んでいた。これでは、肯定してしまったも同じだろうと、劉朋は肩を落とす。

「やっぱな。お前が俺に対して、何かわだかまりみたいなもんを持っているのは、瑠璃の奏のせいって訳だ」

「奏は関係ない」

 劉朋がきっぱりと言うと、杜陽が軽く笑う。

「ま、そこはどうでもいいが……多分、お前は、俺の力を制御する為の存在。だから、嫌でも俺の側にいなくちゃならない。 違うか?それに、兄貴がお前をここに寄越したって言うなら、兄貴もそれを知ってるって事になんのか」

 杜陽が赤星王を覚醒させる。自分がそれをこれ程疎ましく思うのは、蒼星王の抱く感情のせいなのか。


……赤星王は、僕の瑠璃を脅かす存在だから……


 かつて、蒼星王はそう言った。だが、その意味する所は良く分からない。瑠璃に関する事は、誰にも触れられたくないとでも言う様に、その心の一番奥深くに封印されている。 彼は、劉朋にさえも、そこに触れる事を許さなかった。


 自分に事情を問う様な杜陽の顔に、何となく嫌悪を感じて劉朋はぞんざいに言葉を言い捨てる。

「説明ならば、導き人である、お前の兄から聞け」

 それを見て、本当に嫌々なんだなと、杜陽は苦笑しながら肩を竦めた。劉朋はそこで会話は終わりだとでも言う様に立ち上がり、杜陽に次の言葉を言わせる暇を与えずに、そのまま部屋を出て行った。

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