第133話 まっすぐな道

 しばらくして、劉朋に言われたのだろう、琳鈴が着替えを持ってやって来た。汗で濡れた杜陽の体を丁寧に拭き、手際良く洗いたての着物を着せる。額に手を当て、熱を測りながら、食欲の有無を確認する。 杜陽が食欲はあると言うと、見るからに安堵した様な笑顔を浮かべ、ならば喉越しの良さそうなものを作って来ましょうねと言い置いて、洗濯物を抱えて部屋を出て行った。そんな日常的な何気ないやり取りが、杜陽には何だか心地よく、気持ちが安らぐのを感じた。



 杜陽が琳鈴を待っていると、扉を叩く音がして、杜亮が顔を見せた。

「調子はどうだ?」

「ん。まだ少し熱はあるが、そう悪くもない。兄貴が用意してくれた、特効薬が効いた様だ」

「特効薬?」

 謎を掛ける様な杜陽の言葉に、杜亮が訝しむ様な顔をする。

「彼女のお気に入りの蒼の王様」

「……成程。此度は彼女の記憶が残ったか。よもや、とは思うが、その彼女、覚醒はしていないだろうな」

「覚醒って?どういう?」

「声が聞こえたりとかは?」

「ああ。そういうのはないな」

「そうか。ならばいいが」

「前に言っていた大きな力って、その力の事なんだな。彼女、赤星王の力か」

「ああ、そうだ」

「……で、俺が知らない間に、そいつが暴れたりしていた訳だ」

「……ああ」

「成程。じゃあ、俺が知らない間に、華煌が滅んでたっていうのも、もしかしたら、そういう事なのか?」

「……杜陽」

「兄貴は、導き人なんだろ?なら、本当の事を言ってくれ」


「……今度の事がどういう成り行きで起こったのか、私には詳しくは分からない。周藍様に言われて、お前をここまで運んできた匠師から聞いただけでは、判断はしかねる所だ。 だが、お前には、まだ赤星王の力を制御することは出来ない。そう考えれば、華煌京が一瞬にして吹き飛んだという話は、お前が赤星王の力を暴走させてしまったと考えるべきだろうと思う」

「華煌京を……吹き飛ばした?俺が?」

「お前がというより、赤星王がだな」

 杜亮はそう言い直したが、それは自分がその力を制御出来ていなかったせいだと、杜陽は思わざるを得ない。そんなものが、自分の中にいるのだ。 この地上を焼き尽くしても尚、有り余るほどの力を持った者が。正直、戸惑う気持ちの方が大きかった。

「それ程の力を手にした俺は、これからどうすればいい?」

 惑い縋る様な問いかけに、返された答えは明快だった。

「王になれ」

「王?」

「まずは、この河南の王に」

「それから?」

「他の全てを制し、この地に新たな帝国を築く覇王に」

「覇王……か。そりゃいい」

 杜陽は一瞬、面食らった様な顔をしたが、すぐに声を上げて愉快そうに笑った。


「真面目な話だぞ」

「ああ、分かってる。それが、赤星王の力を持つ者の宿命という奴か」

 この地上に覇王として君臨する事。示された道に、杜陽は言い様のない高揚感を覚える。

「悪くない」

 体の芯から、何か熱いものが湧き上がってくる。杜陽はそこに、赤星王の存在をはっきりと感じた。


……喜んでやがる……


 じゃじゃ馬ならしは骨が折れそうだが、それも又、悪くはないと思う。示されたのは、迷い様のない、どこまでもまっすぐな道だ。ただどこまでも、まっすぐに進んでいけばいい。その単純さが、気に入った。いかにも自分に合っているではないか。そう思って、杜陽は又笑った。






「顔色が悪いな。原因は何となく分からなくもないが」

 劉朋が中庭に面した回廊で、見るともなしに植え込みの中で遊ぶ小鳥を目で追いながらぼんやりと佇んでいると、不意に横から声を掛けられた。

「そういうお前も、あまり良い顔色とは言えないじゃないか、黒鶯」

「俺は、ようやく床離れしたばかりだからな。陽に当たれは顔の色も元に戻る」

「あまり無理はせぬ事だ」

「そうそう呑気に寝てばかりもいられないさ。色々と、あちこち動き出したみたいだからな。ここが踏ん張りどころだ」

「……その使命感の強さには、全く頭が下がる」

「そりゃあ、早く帰りたいからな。元の場所へ」

「……そうか。お前には、中天界に待っている者がいるんだったな」

「まあな。お前にだって、戻りたい場所があるんだろう?ならば、その為に使命を全うする事を考えるべきだろう」

「戻りたい場所か……」

 そう考えて、すぐに浮かんだのは、幼い頃に、奏と過ごしたあの場所だった。だがそこは、もう縹氷ではない自分には戻る事が叶わない場所だ。


 この世界のどこかにあるのだろうか。 

 そんな場所が。

 奏と二人、穏やかに暮らせる様な場所が。


「杜亮に、大分言われたらしいな」

 黒鶯が、劉朋の顔色の冴えないその理由を察した様に言う。

「ああ。まあ、それは言われても仕方のない事だからな」

 劉朋はこの戦の前に、杜亮から杜陽の副官としてこれに同行する様にと命じられた。だが、自分にはどんな理由を付けられても、皇帝に弓を引くという事は出来なかった。そして、牢に囚われの身となる方を選んだ。


 劉朋が同行しなかった事だけが理由ではないのだろうが、結果として、赤星王が暴走し、多くの命が失われた。劉朋がいれば、そこで蒼星王の力を使ったならば、あの惨事は起こり得なかった。杜亮にそう責められても、返す言葉はなかった。

「杜亮も、匠師を二人も巻き添えにされて、大分感情的になっていたから。お前に当たらずにはいられなかったのだろう」

 杜亮の使っていた巫族の匠師は、周藍と共に赤星王の再封印に力を使い果たし、その命を落としたと聞かされた。

「ああ……分かっている」


……分かっている。もう、逃げる事は許されないのだと……


「だいたい、お前がいたって、流石にあれは止めきれなかったと思うぞ」

「ああ……そうだな」

 それでも。何もせずに逃げていた事には変わりはない。その後ろめたさは消しようも無かった。

 考え込む様にして、又押し黙ってしまった劉朋に、黒鶯はこれを励ます様に、その肩をぽんと叩く。

「落ち込んでいる暇はないぞ。これから忙しくなる。気持ちを切り替えろ」

 しかし、尚も難しい顔をしたままの劉朋に、黒鶯は肩を竦めてその場を後にした。



「全く腰が重いんだよなあ、奴は……こりゃあ、何か手を打たないとまずいのか」

 呟きながら思案を始める。すでに赤星王は動き始めているのだ。劉朋には、いい加減腹を括ってもらわないと、困ってしまう。

 あの周藍が、劉朋をその気にさせる為に、杜陽にあそこまでの事をさせたというのに、その犠牲が報われないでは、全く話にならない。


……そこまで瑠璃の事が気掛かりなのか、蒼星王は……


 そう考えて、黒鶯はふと足を止めた。

「瑠璃……か」

 確認する様に、そう声に出して呟く。

「瑠璃……奏……そう、奏だ」

 劉朋を動かすのに、もっとも有効な駒と言えばそれだろう。奏の為ならば、劉朋はきっと動く。動かざるを得ない。そこまで追い詰めるのは、少し可哀相な気もするが……

「恨むなよな。お前がそうさせたんだからな」

 使命は果たして貰わなければならないのだ。この混迷を抜け出す為には、蒼星王の力は欠く事が出来ない。黒鶯はその瞳に冷徹な光を宿し、再び歩き出した。



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