第165話 五国を統べる

……何……で……


 琳鈴は杜陽の傍らに寄ると、額に手を当てて、熱を測る。

「……熱、まだ少しありますね」

 そう言って、徐に布団を剥ぎに掛かった。反射的に、杜陽は布団を掴み、それを阻止する。

「……なに?」

「包帯をかえますから。起きられますか?」

 尚も布団を引っ張ろうとする琳鈴に、杜陽の手は、どこか気恥ずかしさを覚えてこれを離すまいとする。

「何で、先生が……冬位はどうしたんだよ」

「ああ、冬位様は、天望村にお戻りになられましたから。兄が、私にあなたの世話をするようにと」

 琳鈴の兄、つまり河南国宰相の稜鳳が、そう命じたというのか。

「冬位が戻ったって、俺の体が……まだこんな状態なのにか……?」


 それは、もう治る見込みがないと、自分は見捨てられたということなのか。そんな情けない思いが顔に出たのだろう。琳鈴が気遣うような優しい声で言う。

「もう、心配はいらないからと、冬位様はそうおっしゃっていらっしゃいましたよ。大丈夫、そうご心配なさらずとも、傷の手当の仕方も、薬の配合のことも、この私が、全てきちんとお聞きして、心得ておりますから……」

「……そう……か」


……俺の体……もう大丈夫……なのか……


 琳鈴の言葉それ自体が、薬効でもあるかのように、杜陽の心に沁み込んで気分を軽くした。

……ああ、そっか……俺は……

 琳鈴がそばにいてくれると、心地よい気分になれるのだ。琳鈴をぼんやりと見ながら、杜陽は今更ながら、そんなことに気付く。すると琳鈴が、こちらを見て笑顔を見せる。

……ああほら、こういうのも……何だか好……


「……って、うわっ……」

 いつしか呆けていた杜陽の虚を突いて、琳鈴が勢いよく布団をはぎ取った。

「せ、先生っ……」

 こんなみっともない姿を、見せたくはなかったのに、と。そう狼狽する杜陽の前で、一方の琳鈴は奪い取った布団を抱き締めたまま、杜陽の体を見詰めて、その場に棒立ちになっていた。


 話には聞かされていたが、全身に包帯を巻かれた杜陽の体は、見る程に痛々しい。

「……本当に……あなたたちは……いつも……いつも……」

 つぶやく様にそう言い掛けて、琳鈴が声を詰まらせた。杜陽の見ている前で、その目から不意に涙が零れた。

「……先生?」

「どこまで、私のことを心配させれば気が済むのよ……」



……あなたたちは、いつも……?……

……あなたたち……って……



 その言葉に、杜陽ははっとする。琳鈴の様子がいつもと違うことに、自分はなぜ気づかなかったのか。その優しすぎる口調は、どこか他人行儀で、その笑顔は、どこか不自然に作られた様で……。


……冬位が天望村に戻ったのは、なぜだ?……いつも兄貴の側に付き従っていた冬位が……


「……まさか、兄貴は……そうなのかっ?」

 行きついた答えに、杜陽が思わず声を荒げると、琳鈴はそこに泣き崩れた。

 やはり感情を無理やりに押し込めていたのだろう。琳鈴は抱えていた布団に顔を埋めて、声を殺して泣いている。

「……嘘だろう……何でだよ……」

 杜亮が巫族の村へ去ったという事実が、杜陽には信じられない。自分に何の相談もなかったということが又、杜陽の気持ちを傷つけた。


 兄が、母から巫族の宝珠を継承していたという話は、かつて赤星王から聞かされていた。だが、それだって、匠師の生き残りである冬位に宝珠を託せば、事が済む話だったのではないか。 八卦師でもない兄が、巫族の族長となって、なぜその重い運命を背負う必要がある。


「……先生……」

 杜陽は体を横にずらして、泣きじゃくる琳鈴の方へ手を伸ばす。だが、今少しという所で、その手は琳鈴に届かなかった。今の自分には、目の前で泣いているこの人を慰めることも出来ないのか。 そんな自分のあまりに無力な様に、怒りにも似た感情が沸き起こる。

「……っくしょう……」

 体を僅かに動かす度に、体を突き抜ける痛みを堪えて、杜陽は琳鈴の方へと、寝台から更に身を乗り出す。思い通りにならない体に苛立ちを覚えながら、 それでも目の前で哀しみに暮れる琳鈴を放っておくことなど出来なかった。が、杜陽の腕は自分の体を支え切れずに、その体は寝台から転げ落ちる羽目になった。


「……ぐっ……ぁ」

 筆舌に尽くしがたい痛みに襲われる。だが、琳鈴に心配を掛けまいとする一心で、声だけはどうにか殺した。

「杜陽っ……」

 杜陽が転げ落ちた音に、琳鈴が驚いて顔を上げた。

「何をしているの、あなたはっ」

 一瞥でその状況を理解した琳鈴が慌てて駆け寄って来て、杜陽の身を起こす。

「痛むのですか?」

 痛みを堪えるように顔を歪めていた杜陽に、琳鈴が訊く。

「……いや、大丈夫……だからっ……」

 そう言いつつも、息が切れる。

「ちっとも、大丈夫なように見えないわよ。無理をして傷口が開いたりしたらどうするの、馬鹿っ。もう、無茶ばかりして、本当にあなたって人は…」

「……ああ、やっぱ、泣かれるより、怒られる方が全然いいな……」

 そう言って笑った拍子に傷に響いて、杜陽は顔を顰める。

「ほらご覧なさい、全く。痛いなら痛いと、素直にそうお言いなさいな」

「……馬鹿言うな……よ……自分より、痛い思いをしている人の前で、痛いなんて、言えるかよ」

「……杜陽」


「なあ、先生……。先生は兄貴のことが好きだったんだろ」

 そう問うと、琳鈴の表情がどこかせつないような色を帯びる。

「……私は……そんなこと……」

 琳鈴は目を伏せてそう言ったが、それが否定の答えでないのは一目瞭然だった。

「まあ、どっちでもいいけどな」

 今、この人の側にいるのは、兄ではなく、自分なのだから。杜陽は、ようやく触れることが出来た指で、その頬の涙を拭う。それに驚いたように、琳鈴が僅かに身を引いた。だが、杜陽は更に腕を伸ばし、そのまま琳鈴を抱き寄せた。

「杜陽……」

 腕の中から、戸惑うような琳鈴のか細い声が聞こえた。


「……先生。俺は、先生に目の前で泣かれるのは、結構きつい。だから、琳鈴先生。今ここで、俺は先生に誓う。俺は、もっと強くなる……きっと必ず。これ以上、先生を心配させない様に……」

「……」

「それで絶対に、五国を統べるような男になるから」

「五国を統べる……」

「そう、きっと華煌に引けを取らないような大帝国を作る……」

 そこで少し間があって、琳鈴は自分を抱く杜陽の腕に力が籠るのを感じた。

 そして、琳鈴の耳に、その言葉が届く……。


「その時には、琳鈴、お前を皇妃にしてやる。だから、杜亮のことはもう忘れろよ」


 少し早口で告げられたその言葉に、琳鈴は驚くよりも先に、くすりと笑みを零していた。

「何年先の話ですか。その頃には私、もうおばあちゃんなんじゃないかしら?」

 すると、思いがけず真剣な声が返された。

「馬鹿にするな。そんなに待たせるかよ」

 思わず顔を上げた琳鈴は、自分を見据える杜陽の、その瞳の力強さに圧倒された。





 その言葉通り、それからわずか数年で、杜陽は大陸の東を再統一することになる。

 琳鈴の看護のお陰……かどうかは定かではないが、その日を境に、杜陽の体は急速に回復し、ひと月後にはもう、国主の仕事に復帰していた。


 そこから、五国を統べるという目標を掲げ、杜陽は精力的に動き始める。

 まず手始めに、沿海諸島を併合して勢力を拡大していた海州と同盟を結んだ。そして同盟国であった湖水を事実上併合する。 更に、すでに広陵を併合していた砂宛の駛昂との勝負を制し、これを配下に加える事に成功するのである。


 その間、杜陽は琳鈴に何度となく婚姻を申し込んでいたが、その度に断られ続けていた。 琳鈴の杜亮への思いは、実はそれ程後を引き摺ることはなかったのだが、彼女としてみれば、やはり年令的なことが気がかりだったのである。

 それでも懲りずに、というか、杜陽本人が自分にはそれ以外の選択肢はないのだと固く信じていたから、断られれば、それは自分がまだ琳鈴に認めて貰える程の男になっていないせいだと素直にそう解釈し、国主としての仕事に一層に精を出した。


 その結果、河南はその領土をもの凄い勢いで拡大していくことになった。そうした現状を目の当たりにするにつけ、ついに琳鈴の方が折れた。



 それは、大陸歴二七三年のこと。

 あの約束の日から、二年の後、杜陽は念願叶い、ついに琳鈴を国妃としたのである。



 そして、その翌年……二七四年。

 杜陽が駛昂を制し、河南へ無事帰還を果たした同じ日に、河南城で公子が産声を上げた。

 その公子の名は、翼飛よくひと名付けられた。


 彼こそが、後年、東の大帝国として大陸にその名をとどろかせることになる五華ごかの初代皇帝、杜冀ときその人である。


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